【完結】疎まれ軍師は敵国の紅の獅子に愛されて死す

べあふら

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清算⑤

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 ジグムントがかつて、かの軍師に問い返されて、自身が呆然としたあの日を、思い出した。
 あの日、軍師は、一体どんな思いで、ジグムントへ声をかけたのか。

 確かなことは、ジグムントは、あの時、確かに前に進む力をあの男にもらった。薄々、母の死が自分のせいでは無いかと感じ、打ちひしがれていた彼の心に、あの男の言葉は、強く刻み込まれた。

 あの女は執念深かった。あの時、殺されずとも、いつか殺された。

 感謝こそすれ、恨む気持ちは微塵もない。

 口を開閉し、言葉が出ないフェリに、ジグムントは続ける。

「そなたらは……“白き人”は被害者だろう。
 母が死んだのは、フェリのせいではない。ドムという男性に然り。
 リムという女性も、これ以上の“望まぬ願い”が生まれぬよう、自ら王妃を呪うために死を選んだのだ。
 “白き人”の秘密を守るため。そなたの母である、セシルを守るために」

『リムは、首謀者らしい正妃を呪うために自ら死んだ。リムが死ぬ際に、まき散らした血を浴びた侵入者は皆絶命したそうだ』

 その記載を、力強い指先がなぞる。

「王妃は、先帝である兄が皇帝となると決まった日……先々帝が死んだ日に、死んだ。
 もっとも、それ以前から徐々に精神を病んでいたが。兄の即位を望みながら、それを酷く恐れていた。『あの子が皇帝になれば、私は死ぬ』と発狂していた。
 最も強い願望が叶うこと、が王妃の呪いの発動の条件だったのかもしれん」

 フェリはリムという女性の強い想いを感じた。
 先帝を殺し、その願い崩壊させることだって、できただろうに。自分の望みが近づくと共に、じわじわと自分の命も蝕まれていく。その恐怖はいかばかりか。

「兄は、それを知っていた。
 あの女が死んだあと。兄は即位してすぐに、私を呼び出し、事の顛末を全て私に教えてくれた。
 その時、私は、“白き人”の存在と、悲劇を知ったのだ」
「………父から、聞いていたのでしょうか」

 きっと、父の性質からすれば、包み隠さずに伝えただろう。

 当時のグランカリスの皇子、先の皇帝の母が、何をして、なぜ呪われたのか。

 つまり、自分の母は、異母弟を殺そうとし、その母を殺し、それが故に、自分が皇帝となる暁に、呪いが成就して死ぬのだと。

 信頼おける友であったというのなら、尚更だ。父ならば、知らずにおらせる方が残酷だ、と考えただろう。

「そうだろうな。知っておくべきことだ。兄は、ずっとそなたの父に感謝していた。生涯の友なのだと」
「そう……ですか。父も同じ気持ちだったのだと思います」

 父は、一年に一度だけ、真昼に酒を飲むことがあった。
 時間は丁度、正午ごろ。あれは、太陽が真南に昇ったときだったように思う。

 きっと父は、もう二度と会うことのない友と、二人で酒を飲み交わしていたのだ。あの日は、二人にとって特別な日だったのかもしれない。

「兄は、私に深く頭を下げ、『母が、そなたの母を屠ったことを知っておきながら、母を裁かずにすまぬ』と話した。
『“白き人”が命を賭した呪いを成就させることが、せめてもの弔いだと思った』とも申しておった」

 ジグムントもその通りだと同意した。

「そして、兄は、私に帝位を譲ると言い出した。
 どうやら、私に帝位を継がせるために、子を作らぬようにしていたらしい。
 私は皇帝になどなりたくない、と言ったら、こちらが驚くほどに、驚いていたな」

 ジグムントは、あの日……母の死に、自分の無力さに打ちひしがれていたあの時。かの軍師に金言をもらった日。

 自分にとって正しいこと、価値あることは、皇帝になることでは無く、皇帝になって何かを成すことでも無いと気づいた。

「私は、私の大切な者を大切にしたい。その者たちの願いを、共に支えたいのだ。そして、それは皇帝では、成し得ない」

 ジグムントが母を失い、最も悔いたことは、母の傍に居らぬことだった。もっと母と共に過ごし、母を支え、喜ばせたかった。
 それを成せなかったことが、後悔が、己の無力さを嘆く中核だった。

 それが、ジグムントが努力を重ねた、自分にとっての、最も大切で、価値ある理由だった。
 賢く、強くなれば、成せると信じて、母から離れ、努めたことが、むしろ母を殺してしまった。

 自分自身が、傍で、母を守ればよかった。
 そうすれば、帝位争いなど巻き起こらず、母を謀られることも無かった。一人にしておくことも無かった。
 少なくとも、一人で逝かせることはなかった。

 それを悟ったからこそ、ジグムントは決して皇帝の座にはつかないと、あの日に、自らの意志で決めた。

 けれど、そんな想いを、兄に伝えたことは無かった。

 ジグムントの母が亡くなって以来、以前に比べ兄と直接会話することが減っていた。
 互いに複雑な想いがあった。意思の疎通が不十分だったのだと、それからは多くのことを話し合った。

 そして、やがてウェルリンが生まれた。

「ウェルリンが生まれたときは、本当に嬉しかった」

 兄は、まるで贖罪のように、己の体調を押して、政に励んだ。必然としてウェルリンとの時間は限られた。

 このように、皇帝は時に、己の大切にするものを、放棄せねばならない時がある。自分はそう在りたくない。
 兄の姿に、改めて、ジグムントは、己の道を確かめたのだった。



「フェリは……行くのだろう。“白き人”が多く犠牲になった地に。そして、あのかつての主人に会いに」
「………はい」

 フェリは、誤魔化そうかと一瞬だけ迷い、無駄だと判断して、正直に告げた。

 フェリは、これは自分がせねばならないことだ、と思った。
 同じ“白き人”であり、あの父と母に、守られてきた自分が、成さねばならないと。

 引き留められるのだろうか。ジグムントが掴む手は、フェリを離さぬと、固い意志が込められている。 しかし、ジグムントは、驚くべきことを言った。

「一人では、行かせぬ。私も共に行く」
「しかし……っ」

 フェリは賛同しかねた。こっそりと、一人で行こうと考えていた。

 ムンデ国へ赴けば、かつてのフェリの主人とまみえることになる。いや、まみえなくてはならない。
 “白き人”の事実を知るあの男を、放ってはおけない。

 あの男は、愚かだが、弱くはない。ムンデ国の戦士として、強靭な肉体と、戦闘能力を誇っている。
 ジグムントが負けるとは思っていないが、万が一、自分が死ねば……その呪いに巻き込まれることは、あり得る。

 フェリにとって、ジグムントは既に唯一無二の存在になっている。
 この強い想いが絶望によって転じれば、きっと、この世の全てを呪えると、フェリには感じられた。

 今のフェリは、母のように強くなれない。それが、自分で身に染みてわかっていた。

「フェリ。そなたはもう、私のものだ」

 ジグムントは迷いなく、宣言した。

 かつて、両親の死に際して、主だったあの男に言われたものと同じ台詞。同じ音のはずなのに、それは全く違うものとして、フェリに響いた。

「故に、そなたが負うものなら、それは私も負うべきものだ」

 揺るがない強い想いを、真っ直ぐにぶつけられて、フェリの心は歓喜に震え、溢れる涙と共に、ただただ感謝の言葉を繰り返した。

 そうして、フェリはジグムントと共に、かの悲劇の地へと向かったのだった。
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