【完結】疎まれ軍師は敵国の紅の獅子に愛されて死す

べあふら

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番外編

太陽と月の行く末① (※)

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 フェリがグランカリス帝国の民となって、5年程が過ぎた頃のお話。


******



 はぁ……

 オズ・パンドラは、深々と溜息をつき、僅かに重い足取りで自身の仕事場でもある部屋へと歩んでいた。

 いつものジグムントの執務室。
 いつもとは違うぴりぴりとした緊迫感が部屋に充満しているのが、廊下にさえ滲み出て、歩みを進めるごとに色濃く感じられるような気さえする。

 はぁ……

 オズは再び嘆息した。

 先日の帝国内の地方長との会談の席が設けられた。
 帝国は広く、地方にもある程度の裁量権があるため、例年、一波乱も二波乱もある。
 今年も、例年にもれず、散々議論が堂々巡りの上、結局その場では決議がなされない議題も複数あり、各地域が一旦持ち帰ることとなった。

 それが、ジグムントにはどうにも納得できなかったらしい。

 昨日の、未だ冷めやらぬ覇王の強い憤りを思い出すと、乳兄弟として幼いころから長い時間を共にしてきたオズでさえ、身震いがする。
 窓がぴしぴしと音を立て、かたかたと揺れる机から、ばさり、と落ちた書類の束を、オズはもう何度、拾い上げたかわからない。

 オズにはジグムントの出した成果は、充分なものだと感じられていたが。それとも、自分の預かり知らぬところで、何かしらの波乱があったのだろうか。

 思索に耽りつつ、廊下の先、ジグムントの執務室の扉の前に、見慣れた人影を見かけ、オズは声をかけようとして――

『しー……』

 音もなく、口に人差し指を当てがうジェスチャーで沈黙を促され、オズはぐっと言葉をのみ込んだ。

 ジグムントの補佐官。実質的な宰相の立場になるオズが、無条件に命に従う人間はそう多くない。

 皇帝ルウェリン。その人だった。

 ジグムントの執務室の扉に張り付いて、どうやら薄っすらと開いた隙間から、中を覗き見ているらしい。

「陛下、何をなさっているのですか……?」

 ルウェリンの耳元でオズが囁けば、ルウェリンは何やら満足そうにオズを見上げた。

 やがて12歳を迎える幼い皇帝は、ここ最近またぐんと背も伸びて、顔立ちが精悍なものへと変わりつつある。未だにあどけなさが残る表情は愛らしくもあり、けれど同時に、その相貌には聡明さが滲み出て凛とした趣があった。
 亜麻色の髪は長く伸び、ゆるりと後ろに結わえている。

「オズも、共に学ぼうぞ」

 と、ルウェリンに促されオズは不審に思いながらも、命じられるままに扉の隙間から自身の仕事場を覗き見て、

「な……っ」

 中の光景に思わず声をあげそうになったところで、口をルウェリンに塞がれて、幸いにも静寂が保たれた。

 部屋の中には、この部屋の主であるジグムントと、その想い人であり、今やオズと並ぶ彼の側近でもあるフェリがいた。

 それは、当然のことであって、何の問題も無い。

 ――……ただ、二人がジグムントの椅子の上で抱き合ってさえいなければ。

 一瞬のことで、何がどうなって、何をしているかまでは分からなかったものの、その様は明らかに情事の最中であって。

 オズが、熱くなる顔と頭でぐるぐると思考を巡らすのとは対照的に、少年皇帝はオズの口に手を当てがったまま、至って涼しい表情で、

「何をしておる。見つかってしまうでは無いか」

 と、オズを非難した。

 どうやら、ルウェリンはジグムントとフェリの情事を盗み見ているらしい。

 誰の、何を咎めて良いのか。オズには判断しかねて、頭を抱えた。

「……陛下、このような――」
「声が大きい。オズ、静かに出来ぬのなら、このまま塞いでしまうか?」

 これはまさか、暗に口封じを示唆されているのか?

 それだけの権力と実力が、この皇帝にはあることを、オズは知っていた。

 一般的な武道と、護身術は嗜むものの、オズのそれはジグムントには遠く及ばない。ただ、文官の割には、動ける方だと自負している。
 何より、相手と対峙した時の冷静さに関しては、抜きんでいていた。これはひとえに、ジグムントの殺気に慣れているからだ。

 あの覇王の圧に比べれば、大抵の武人のそれなど、そよ風のようなものだった。

 けれど、この皇帝の醸し出す雰囲気は、殺気とも覇気とも言えぬ、まさにグランカリスの南中に相応しい、王者の風格であって。
 オズは、その気迫にこくりと喉を鳴らし、逸る心臓を整え、不本意ながらも大人しく従うことにする。

「後学のためだ」

 そう言って、無邪気に笑うルウェリンが、無邪気なだけでは無いことは、さすがのオズにも分かった。





 ジグムントは自身の執務椅子に深々と腰を下ろし、フェリがそれを跨ぐように向かい合わせに座っている。ジグムントの大きな手が、フェリの細い腰をしっかりと抱き寄せ、時折背や腰よりさらに下へと撫で擦った。

 そして、額と額をくっつけて、二人は互いを見つめ合い、二人にしかわからぬ視線で会話している。

 扉とは真向かいにジグムントの執務机は位置している。ルウェリンとオズからは、ジグムントの姿は良く見えるが、フェリについてはほぼ後ろ姿しか見えない。

 不意に、フェリの耳元にジグムントは唇を寄せ、何やら囁く。そして、その赤く染まった耳介を食んだ。

「あっ……ダメ、ダメです……ジグ様」

 ふるりとフェリの身体が震えて、可愛い抵抗をみせる。
 拒否の言葉を紡ぐ唇を、ジグムントの唇が易々と覆った。しかし、すぐに唇は離れ、濡れたフェリの唇をジグムントは愛おしそうに眺めた。

「何が、駄目なのだ?」

 フェリは、くつくつと笑うジグムントを不満気に見返し、「意地の悪いことは、おやめください」と言って、今度は自らジグムントの唇を求めた。

 今度こそ、二人が深く重なり絡まり合う。艶美な濡れた音と、二人の漏れる吐息が、静かなジグムントの部屋に響く。

 その様を部屋の外から盗み見る、ルウェリンとオズは、自然と息を詰めた。

「ん……ジグ様、いけません。そのようなこと……っ」
「しかし……ああ、焦らされては……」

 ふぅ……と、フェリは悩まし気な吐息を吐いて、

「ドレーム地方では、雨が多いですからね」

 と言った。

「必ず治水は必要です。その技術と引き換えに、織物の技術を、という提案は、きっと先方に承諾していただけるでしょう」

 フェリは、ジグムントの頬にその白い両手を添えて、「お疲れさまです」と言って、さらに頬に口づけた。

 先日の、会談の中心的な議題について、二人は口づけ合いながらも至って真剣に話し合っていた。

「あの場で、快諾してもよい条件を提示したというのに。何度、こちらの提案を取り下げようと考えたことか」
「ふふ、そのようなことをしてはダメですよ。それだけ、先方が真剣だということです」
「わかっておる……しかし、ああも焦らされては、こちらの条件も厳しくなるというものだ」
「それこそが、狙いではありませんか」
「それも、わかっておる」

 ジグムントは、はぁ……と深々と嘆息する。

「私とて……そなたとの賭けが無ければ、これほど急くことは無かったのだ」

 ジグムントはフェリの肩口に顔を埋めて、ぐりぐりと擦り寄った。フェリの頬をジグミントの見事な長い髪がさらりと擽る。

 フェリはこの会談に先駆けて、「会談にすべての地域の代表が滞りなく参加するでしょうね」と言った。
 さらに、「ジグ様が議長ですから。絶対にそうなります」と、あまりに当然のことのように、自信満々にそう主張するものだから。

 気を良くしたジグムントは、

「では、賭けをしよう」

 と提案した。

「フェリが言う内容を完遂した暁には、私の言うことを、そなたがなんでも一つ聞くというのはどうだ?」

 何もそのようなことをしなくても……ジグムントのいうことであれば、無下になどしないのに。フェリはそう思ったが。

 ジグムントがまるで子どものように瞳を輝かせているものだから。その賭けに乗ることにした。

 それに対し、フェリが提示した内容は、「各地域の議題において、少なくとも一つはその場で可決され、さらに退席者も無く終幕する」というものだった。

 ジグムントはその主張通りに、速やかに会談を進行し、次々に議題を決議していった。

 唯一、ドレーム地方との議題のみを除いて。
 ドレーム地方のみ、いずれの議題も可決されず、否決はされないものの全て保留となった。
 慎重な地域性から言っても、まあ、想定内の結果ではあったのだが。

 つまり、ジグムントはフェリとの賭けに負けて、「なんでも一つ言うことを聞く」という権利を得ることができなかったのだ。

 それが、会談後のジグムントの不機嫌の中核だったのだが……オズは、そんな二人の間で交わされた事情など、知る由もなかった。
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