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終わりの始まり

嵐襲来2

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 真っ黒なとんがり帽子に黒のベロアのドレス。四十センチほどの長さのワンドを腰ベルトに差して、黒い編み上げのブーツのヒールは十センチほどあるだろうか。これは小柄な師匠が少しでも背を高く見せるためなのだとラシルは知っているが、言ってはならないこともわかっている。
 ほんの少しだがラシルがリコの身長を抜いてしまった時の落胆は申し訳なく感じてしまうほどで、世界に名だたる魔女の、ささやかなコンプレックスをつついて激怒させるのは賢明ではない。
 などと、今大して重要でもないことをつらつらと思い出してしまったのは、目の前のかつての師匠が世界魔道協会推奨の正装でいるからだ。
 いや、それも正確ではない。リコが正装なのは外出する際は常であるからして何らおかしなことではない。おかしいのは、今が深夜で、ここが王宮で、嵐が吹き荒れている天気だということだ。
「お師匠さま、じゃなかったお母さま、一体どうしたんですか?」
 いろんな意味を含めて言ってみたつもりだったが、マイペースな彼女に通じるわけもない。
「あたしたち今から旅に出るんだけど」
「はい」
 ああ、嫌な予感。
 長年の付き合いで突拍子もない行動すらも読めてしまう自分が憎い。
「あなたも一緒に行くのよ、ラシル」
 ですよねー。
 読めなくても付き合わされるなら驚きが少ないほうがましだろうか。心の準備ができるという意味で。いや、振り回される点では大差ないかもしれない。
「…ちなみに、旅ってどこへ…?」
「それはわからない!」
 え、ちょっと待ってその下りものすごくデジャヴ。
 割と最近聞いたフレーズだが、それすらも意味はない。
 ただ。
 ラシルは知っている。この不器用で素直じゃない養母(見た目は友達ぐらいにしか見えないが)は、理由のないことはしないのだ。
 花嫁修行中の娘を連れ出すということは、自分の存在が不可欠な旅であるということなのだろう。
「え、えっと一応聞きますけど、王様は知ってるんですよね…?」
「まあね」
 詳細は伏せたのでかなり渋られたが、ラシルの身の安全のため、ということで何とか了承を得た。が、あえて黙っておく。
「あの、じゃあアシュランさまには……?」
 王が知っていて、ラシルの婚約者である王子が知らないなどということが、ここではままあるかもしれないと恐る恐る確かめる。
「それは、今置き手紙でもしといたらいいんじゃないの?」
「……………」
 こういう魔女だと知ってはいたけれど! 
 ラシルは諦めの境地でのろのろと立ち上がる。
「わかりました。少し待ってください。着替えと、手紙を書くので」
「いいわよ、そんなに急ぐわけでもないし」
 どうぞごゆっくり、と告げられて自分はちゃっかりソファに座り、魔法瓶(文字通り魔法で保温されている瓶)に入ったお茶を飲み始めた。
 (ええ? それなら朝でもよかったのでは…?)
 と疑問が浮かんだが、朝になって正面から来訪されたのでは、きっと王子が黙っていないだろう、とも思った。
 とりあえず動きやすいシンプルなドレスに着替えて、アシュラン王子に出来るだけ簡潔に、出来るだけ心配させないように手紙を書いたつもりだが、逆効果かもしれないな、と一抹の不安がよぎる。
「お母さま、終わりました」
 手紙を文机のわかりやすい場所に、うっかりな自分を自覚しているので落ちたり隠れたりしないよう注意して置いて、リコを振り返ると、養母はやや不思議そうな顔でラシルを見ている。
「何ですか?」
「ううん、お母さん、じゃなくてお母さま、なのねぇ、と思って。案外花嫁修行板についてきてるんじゃないの?」
 ちょっと照れたような、誇らしげな顔を見せたリコに、ラシルもそう言えば、と照れ笑いが出た。少しは特訓の成果が出ているようだ。
「あ、そうそう。あなたワンドを持ってきなさいよ、あと、あの例の笛も」
 自分が呼ばれるのだから、きっとあの笛絡みなんだろうと、笛はしっかり首から下げているのだが。
「えっと、あの、杖も、ですか?」
 リコからもらったリグナム・バイタの杖は、当然のことながら一度もまともに使えたためしがない。返さなくていいと言われたので思い出の品ぐらいのつもりで持ってはいたのだが。
「念のためね、たぶんあなたの役に立つわ」
 真面目に言われてラシルは何も答えず杖を取ってきて腰に差した。ベルト付きの服を着たのは無意識だったか。
「ところでお母さま、帰りはいつ頃になりますか?」
 そうだ、それも手紙に書いておかなくちゃ、と思い出したのだが、リコはそこでにっこりと、それはそれは可愛らしい笑顔になった。
「それもわからないわ!」
 ですよね!
 ラシルは覚悟を決めた。
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