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王国ヴィダルの森の中
王国ヴィダルの森の中
しおりを挟む鬱蒼とした深い森の中、少女は一人立ち尽くしていた。
まだ陽が高い時間でありながら、生い茂る樹木に阻まれ僅かな光が漏れる程度の、薄暗い森の中だ。
突然放り出されたその場所に、少女は全く見覚えがなかった。
さっきまで、生まれ育った家にいたというのに。
とはいえ。
さっきまでいた筈の、生まれ育った場所もまた、今目の前に見える光景とそう大差はない。むしろ、もっと深く巨大な樹木が乱立する森の奥ではあった。
だが、同じような深い森であっても違いはわかる。
ここは、何というか―――普通の森だ。
大小さまざまな木々が林立し、視界に映る景色は殆どが緑の木々の葉。上空では鳥の声が甲高く響く。ひっそりと獣の気配もするし、遠くで小川のせせらぎも聴こえてくる。
風が吹き、葉擦れの音が響き渡る―――こういう場所をこそ、森というのだろう。
少女は、自分が生まれ育った場所が一般的ではないことは知っていたので、それはわかった。わかったけれど呆然と立ち尽くすことをやめる理由にはならない。
何故なら、何故今自分がここにいるのか、これからどこへ行かなければいけないのか、そしてそれはどの方向なのか。
右も左も後ろも前も、まったくもってわからないからである。
「…メンディスぅ、ここはどこなんですかぁ?」
たった一人立ち尽くしているようでいて、誰かに必死の問い掛けをする。
少女は、年の頃十五、六。
やや小柄で痩せぎす。
黒く豊かな髪を、無造作に両サイドで三つ編みにしている。目を覆うほど長い前髪の下には、光を歪ませるくらい分厚く大きな丸い眼鏡をかけ、そのせいで顔の半分は隠れていて容姿が殆どわからない。
肌は白く、若さ故か健康的な頬の色をして、つるりと滑らかそうであることはわかる。けれど美しいと形容されるかといえば、否というほかない。
その立ち姿が既に、どこか野暮ったく垢抜けないのである。
そんな少女の身体を包むのは、ハイネックのドレス。シンプルで一切の柄もない緑のベロア。上半身はぴたりと体のラインに沿って裁断されていて、ウエストから下はギャザーをふんだんにあしらった長いスカートが続いている。
足許には踵の低い編上げのショートブーツ。
森の中にいるには些か不適切と言わざるを得ない格好なのは明白だが、腰に巻いた革のベルトに挿してある四十センチほどの杖を見れば、彼女が何者なのかわからない者はいないだろう。
それは世界魔導協会に所属する魔女の正装であった。
正式な魔女の服は黒と決まっているから、年齢を鑑みても少女は見習いといったところか。
首から下げた古びた丸いペンダントが唯一の装飾品のようだが、錆びかけて彫りもかすれ、お世辞にも美麗とは言えず、着飾るためのものでないのは一目瞭然である。お祖母ちゃんの形見、といったもののようだ。
「あのぅ、メンディス? いるんでしょう? ここはどこなんですかってばぁ」
今にも泣きそうな声で再度、誰かに問いかける。
問いかけて、空を見た。
空の上ではない。
少女の目線の少し上、天辺が空の向こうに吸い込まれているような高い樹の太い枝の一本に、巨大な梟が止まっている。
人間の幼児ほどはある、大きな梟だった。
「リコさまが言っていただろう。ここは王国ヴィダルの森の中だ」
突然、その梟が人間の言葉を発した。それも随分といい声だ。深く響く低音は胸の奥にまで届きそうな渋く、甘い声。
「何で突然こんなところに出てきちゃったんですかぁ!?」
少女はパニック寸前だ。
「何でと言われても、リコ様が送ってくれたんだろう?」
メンディス、と呼ばれた梟は面白がっているようだ。
「ラシルはリコ様に、使命を果たすまで帰るなと言われたんだろ?」
「……ちょっと違うと思います…」
ラシルと呼ばれた少女は、反論したかったが、反論するともっと哀しくなるので、それ以上は言わないことにした。
「まぁ健闘を祈る」
「え、嘘、ちょっと待っ…!」
じゃあな、と帰るそぶりを見せるメンディスに、ラシルが慌てて追いすがる。といっても空は飛べないので、思わず一歩足を前に出した途端、転んだ。
「はうっ…!」
見事に顔面から着地するが柔らかい土の上で良かった。
「……」
今にも飛び上がろうとしていたメンディスは少々戸惑いを見せたが、心配するというよりは呆れたように小さく溜息をついた。
「大丈夫か?」
「大丈夫な訳ありませんよぅ…」
起き上がってぱたぱたと服についた土や葉っぱを払う。
「…心配じゃないといえば嘘になるが、お前は強運の持ち主だから大丈夫だろう」
人間であれば肩を竦めるような雰囲気を醸し出して、メンディスは放り出すように宣言する。
「…わたしのどこが強運なんですか?」
ラシルは怪訝な顔。
メンディスは、丸い大きな瞳をくるりと動かすと、笑いを含んだ声で答えた。
「それは、何といってもお前は―――リコ様に拾われたじゃないか」
そう言って、メンディスは飛び去っていった。
後に残されたラシルは、奮然と反論する。
「お師匠さまに拾われたことが……わたしの苦難の人生の始まりですぅ!」
木々の間をわたってこだまのように響くその声は、無情にも誰の耳にも届くことはない。
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