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4 王妃様は絵本作家
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庭の植え込みに潜む虫たちが、宵闇の中でひそかに歌っている。風もない静かな夜で、夜と星の神ニュイスも空のしとねに横たわったまま、じっと地上の音に耳を澄ましているかのようだ。
母方の親戚が城を訪ねて来ていたので、その日の夕食を家族ととることができなかった余は、足早に王妃と子どもたちの住まう宮へと廊下を渡っていた。子どもたちが眠る前に、少しでも顔を見ようと思ったのだ。
子どもたちの寝室に続く控えの間に入ると、ちょうどウィンガリオンの乳母と行きあった。何か用事を済ませて出てきた所の乳母は、膝を折って余に礼を取ると、
「王妃様がおいでになっていらっしゃいます」
と余の左手の扉を指し示した。
ちなみに右手にも部屋があり、そちらは生まれて間もない双子の王女の部屋だ。双子は別の乳母が世話をしている。
余が左手の扉へ歩を進めようとすると、開いたままの寝室の扉から、三歳になるウィンガリオンの声がした。
「ははうえー、絵本よんでください」
それに、王妃シーゼの声がこう答えた。
「よーし、それじゃあ今日は、母上の作ったお話を初公開しちゃおうかな!」
余は思わず乳母と顔を見合わせた。
そういえばシーゼは、昔は絵本作家になるのが夢だったと言っていた。こちらの世界で落ち着いて暮らせるようになって、再び物語を作ってみようと思い立ったのだろうか。
余は乳母に、静かにしているようにと合図をすると、寝室には入らずに扉のすぐ外で、シーゼの物語を聞いてみることにした。
国王が立ち聞きというのも何だが、彼女が今どんな思いを持ってこちらの世界で暮らしているのか――それが物語に現れるのならば知りたい、と思ってしまったのだ。
「あるところに、ツバサくんという男の子がいました」
シーゼは語り始めた。どうやら、ウィンガリオンの日本名を使って物語を作ったようだ。
「ツバサくんには、若木のお友達がいました。ツバサくんがその木を植えたので、若木はツバサくんのことを覚えていて、二人は仲良しになったのです」
聖樹の話か……。
余は、聖樹の若木を思い浮かべた。聖樹は植えた者を記憶すると考えられるため、シーゼは植樹する時にウィンガリオンを伴って行ったのだ。
シーゼの声は続ける。
「ある日、若木は、ツバサくんが庭の片隅で泣いているのに気がつきました。そこで、よっこいしょ、と根っこの足をひっこぬいて、ツバサくんのそばまで歩いて行って尋ねました。『どうして泣いているの』」
ウィンガリオンの笑い声がする。自ら足を引っこ抜いて歩く木が面白かったらしい。
乳母が音を立てないように椅子を運んで来て、余のそばに置いてくれた。余がうなずいて腰かけようとした時、シーゼはこう言った。
「ツバサくんは答えました。『ははうえがいなくなっちゃったんだ。だから泣いてるんだよ』」
余は思わず中腰のまま止まり、乳母の動きもピタリと止まった。
まさか、物語の中でも、シーゼは逃亡してしまっているのか!?
一瞬寝室に入って行こうかと思ったが、余はグッとこらえて椅子に腰を下ろした。おろおろとこちらを見る乳母に、一つうなずく。
もう少し――もう少し、聞いてみることにしよう。
「『それじゃあ、一緒にははうえを探しに行こうよ』若木は言いました。そこで二人は手をつないで――ていうか、手と枝をからめて、ツバサくんの母上を探しに出かけました。おうちのなかをあちこち探しましたが、母上は見つかりません」
ウィンガリオンが「おおひろまは?」「おにわは?」「おばあさまのところは?」と立て続けに尋ねているが、シーゼは「いないね」「うーん、そこにもいないの」「おばあさまも『来てませんよ』って」と答えている。
「おうちの中にはいないみたいなので、ツバサくんと若木は、街に出ました」
ついに城外脱走か。
余は腕を組んだ。乳母が両手を揉み絞っている。
「すると、街のはずれに若木の妹たちが植わっていました。若木は妹たちと力を出し合って、ツバサくんの母上を魔法で探してあげました。『あっ、ツバサくん、いたよ。ツバサくんの母上は、街でお買い物をしていたよ』」
妹たちと力を出し合って、か……。
余はそこに含まれた意味を想像した。
おそらく、聖樹の果たす役割を大まかに教えるのと同時に、ウィンガリオンが若木を大事にするように、そしてウィンガリオンが双子の妹たちと仲良くやって行くように、という願いが込められているのだろう。
なかなかよく出来ている物語だ。それは認めよう。
しかし、当のシーゼがいなくなってしまうのはいかがなものか。
「ツバサくんと若木は、お店に行きました。そしてついに、ツバサくんの母上を見つけました!」
ウィンガリオンが「やったー」と喜んでいる。
「『ははうえ、どうしてお外でお買い物なんてしているの?』とツバサくんが尋ねると、母上はこう答えました。『ごめんね。内緒でしたいお買い物があったの。だって、明日はね……』
シーゼの声が、優しく響く。
「『ツバサくんの父上の、お誕生日なのよ!』」
――余は、息を呑んだ。
ウィンガリオンは「おくりもの!? おくりもの買いにいったんだ!」と大喜びし、シーゼがそれに「大正解―!」と答えている。
はっ、と顔を上げると、乳母と目が合った。
乳母は安心したようにニッコリと微笑んだが、あっ、と自分も立ち聞きしていたことに気づいてあわてて深々と頭を下げ、廊下に出て行った。
余は力を抜いて、椅子にもたれた。
「こうして、ツバサくんと若木と母上は一緒におうちに戻り、妹たちも一緒にツバサくんの父上のお誕生日パーティをして、いつまでも楽しく暮らしました。めでたし、めでたし」
物語は終わった。
衣ずれの音がして、寝室の明かりがやや小さくなった。
シーゼが「それじゃ、ウィンガリオン、また明日ね。おやすみなさい」とささやくのが聞こえた。廊下に出ていた乳母が戻ってきて、もう一度余に礼を取ってから寝室に入って行く。寝かしつけは乳母がすることになっているのだ。
余は静かに立ち上がり、待った。
寝室から出てきたシーゼは、余に気づいて文字通り飛び上がった。
「フェ……!」
言いかけるシーゼの腰を引き寄せ、さっと廊下に連れ出す。渡り廊下に出たところで、シーゼが余の腹に拳を軽く突き入れた。
「聞いてたの!?」
「ぐふ……っ。全く、物語の中でまでそなたが逃亡するとは、どうなることかと思ったぞ」
「で、でも、あの終わり方なんだからいいでしょっ」
口をとがらせるシーゼ。しかし、目が軽く泳いでいる。
余はシーゼの顔を覗き込みながら、言った。
「少し、最後に付け加えたい」
「え……何て?」
不思議そうに見上げるシーゼの前髪をよけながら、余は物語を続けた。
「贈り物をもらったツバサくんの父上は、こう言いました。『ありがとう。しかし余は、母上と子どもたちがどこにも行かずにそばにいてくれるのが一番嬉しい。毎年、誕生日を一緒に祝えるのが、一番の贈り物だ』と」
シーゼが余を見つめている。宵闇の瞳に、星明かりが映っている。
「……その贈り物なら、毎年あげるわ」
甘いささやきを紡ぐ唇に、引き寄せられるように口づけた。
さて。
数日後のある日、ふと空いた時間に王妃の居間を訪ねると、シーゼは書き物机に真剣な顔をして向かい、絵具を使って絵を描いていた。
すでに描き上がったらしい絵がテーブルに広げてあったので、余は一枚を手に取った。
『あるところに、ツバサくんという……』
あの物語だ。実際に絵を描いて絵本にしようとしているのか。
しかし……これは……。
「あれ、フェザー来てたの」
顔を上げたシーゼの頬に、緑の絵具がついていた。侍女があわてて手布を差し出す。
「うむ。シーゼ、これは?」
余の指さす所を見て、シーゼはムッと頬をふくらませた。
「聖樹の若木でしょ、どう見ても」
…………箒か何かかと思った。
どうやらシーゼには絵心がないらしい。
長じてのち、ウィンガリオンはこう語っている。
「母上の作ったあの絵本さ……絵は、うん、ともかくとして、僕はすごく好きだったな。あの物語があったから、母上がふいっといなくなっても『何か理由があるからどこかへ行ったんだ、用が済めばちゃんと僕の所に帰って来るんだな』っていうのが子ども心にわかって、安心したよ。絵は、まあ、アレだったけどね」
母方の親戚が城を訪ねて来ていたので、その日の夕食を家族ととることができなかった余は、足早に王妃と子どもたちの住まう宮へと廊下を渡っていた。子どもたちが眠る前に、少しでも顔を見ようと思ったのだ。
子どもたちの寝室に続く控えの間に入ると、ちょうどウィンガリオンの乳母と行きあった。何か用事を済ませて出てきた所の乳母は、膝を折って余に礼を取ると、
「王妃様がおいでになっていらっしゃいます」
と余の左手の扉を指し示した。
ちなみに右手にも部屋があり、そちらは生まれて間もない双子の王女の部屋だ。双子は別の乳母が世話をしている。
余が左手の扉へ歩を進めようとすると、開いたままの寝室の扉から、三歳になるウィンガリオンの声がした。
「ははうえー、絵本よんでください」
それに、王妃シーゼの声がこう答えた。
「よーし、それじゃあ今日は、母上の作ったお話を初公開しちゃおうかな!」
余は思わず乳母と顔を見合わせた。
そういえばシーゼは、昔は絵本作家になるのが夢だったと言っていた。こちらの世界で落ち着いて暮らせるようになって、再び物語を作ってみようと思い立ったのだろうか。
余は乳母に、静かにしているようにと合図をすると、寝室には入らずに扉のすぐ外で、シーゼの物語を聞いてみることにした。
国王が立ち聞きというのも何だが、彼女が今どんな思いを持ってこちらの世界で暮らしているのか――それが物語に現れるのならば知りたい、と思ってしまったのだ。
「あるところに、ツバサくんという男の子がいました」
シーゼは語り始めた。どうやら、ウィンガリオンの日本名を使って物語を作ったようだ。
「ツバサくんには、若木のお友達がいました。ツバサくんがその木を植えたので、若木はツバサくんのことを覚えていて、二人は仲良しになったのです」
聖樹の話か……。
余は、聖樹の若木を思い浮かべた。聖樹は植えた者を記憶すると考えられるため、シーゼは植樹する時にウィンガリオンを伴って行ったのだ。
シーゼの声は続ける。
「ある日、若木は、ツバサくんが庭の片隅で泣いているのに気がつきました。そこで、よっこいしょ、と根っこの足をひっこぬいて、ツバサくんのそばまで歩いて行って尋ねました。『どうして泣いているの』」
ウィンガリオンの笑い声がする。自ら足を引っこ抜いて歩く木が面白かったらしい。
乳母が音を立てないように椅子を運んで来て、余のそばに置いてくれた。余がうなずいて腰かけようとした時、シーゼはこう言った。
「ツバサくんは答えました。『ははうえがいなくなっちゃったんだ。だから泣いてるんだよ』」
余は思わず中腰のまま止まり、乳母の動きもピタリと止まった。
まさか、物語の中でも、シーゼは逃亡してしまっているのか!?
一瞬寝室に入って行こうかと思ったが、余はグッとこらえて椅子に腰を下ろした。おろおろとこちらを見る乳母に、一つうなずく。
もう少し――もう少し、聞いてみることにしよう。
「『それじゃあ、一緒にははうえを探しに行こうよ』若木は言いました。そこで二人は手をつないで――ていうか、手と枝をからめて、ツバサくんの母上を探しに出かけました。おうちのなかをあちこち探しましたが、母上は見つかりません」
ウィンガリオンが「おおひろまは?」「おにわは?」「おばあさまのところは?」と立て続けに尋ねているが、シーゼは「いないね」「うーん、そこにもいないの」「おばあさまも『来てませんよ』って」と答えている。
「おうちの中にはいないみたいなので、ツバサくんと若木は、街に出ました」
ついに城外脱走か。
余は腕を組んだ。乳母が両手を揉み絞っている。
「すると、街のはずれに若木の妹たちが植わっていました。若木は妹たちと力を出し合って、ツバサくんの母上を魔法で探してあげました。『あっ、ツバサくん、いたよ。ツバサくんの母上は、街でお買い物をしていたよ』」
妹たちと力を出し合って、か……。
余はそこに含まれた意味を想像した。
おそらく、聖樹の果たす役割を大まかに教えるのと同時に、ウィンガリオンが若木を大事にするように、そしてウィンガリオンが双子の妹たちと仲良くやって行くように、という願いが込められているのだろう。
なかなかよく出来ている物語だ。それは認めよう。
しかし、当のシーゼがいなくなってしまうのはいかがなものか。
「ツバサくんと若木は、お店に行きました。そしてついに、ツバサくんの母上を見つけました!」
ウィンガリオンが「やったー」と喜んでいる。
「『ははうえ、どうしてお外でお買い物なんてしているの?』とツバサくんが尋ねると、母上はこう答えました。『ごめんね。内緒でしたいお買い物があったの。だって、明日はね……』
シーゼの声が、優しく響く。
「『ツバサくんの父上の、お誕生日なのよ!』」
――余は、息を呑んだ。
ウィンガリオンは「おくりもの!? おくりもの買いにいったんだ!」と大喜びし、シーゼがそれに「大正解―!」と答えている。
はっ、と顔を上げると、乳母と目が合った。
乳母は安心したようにニッコリと微笑んだが、あっ、と自分も立ち聞きしていたことに気づいてあわてて深々と頭を下げ、廊下に出て行った。
余は力を抜いて、椅子にもたれた。
「こうして、ツバサくんと若木と母上は一緒におうちに戻り、妹たちも一緒にツバサくんの父上のお誕生日パーティをして、いつまでも楽しく暮らしました。めでたし、めでたし」
物語は終わった。
衣ずれの音がして、寝室の明かりがやや小さくなった。
シーゼが「それじゃ、ウィンガリオン、また明日ね。おやすみなさい」とささやくのが聞こえた。廊下に出ていた乳母が戻ってきて、もう一度余に礼を取ってから寝室に入って行く。寝かしつけは乳母がすることになっているのだ。
余は静かに立ち上がり、待った。
寝室から出てきたシーゼは、余に気づいて文字通り飛び上がった。
「フェ……!」
言いかけるシーゼの腰を引き寄せ、さっと廊下に連れ出す。渡り廊下に出たところで、シーゼが余の腹に拳を軽く突き入れた。
「聞いてたの!?」
「ぐふ……っ。全く、物語の中でまでそなたが逃亡するとは、どうなることかと思ったぞ」
「で、でも、あの終わり方なんだからいいでしょっ」
口をとがらせるシーゼ。しかし、目が軽く泳いでいる。
余はシーゼの顔を覗き込みながら、言った。
「少し、最後に付け加えたい」
「え……何て?」
不思議そうに見上げるシーゼの前髪をよけながら、余は物語を続けた。
「贈り物をもらったツバサくんの父上は、こう言いました。『ありがとう。しかし余は、母上と子どもたちがどこにも行かずにそばにいてくれるのが一番嬉しい。毎年、誕生日を一緒に祝えるのが、一番の贈り物だ』と」
シーゼが余を見つめている。宵闇の瞳に、星明かりが映っている。
「……その贈り物なら、毎年あげるわ」
甘いささやきを紡ぐ唇に、引き寄せられるように口づけた。
さて。
数日後のある日、ふと空いた時間に王妃の居間を訪ねると、シーゼは書き物机に真剣な顔をして向かい、絵具を使って絵を描いていた。
すでに描き上がったらしい絵がテーブルに広げてあったので、余は一枚を手に取った。
『あるところに、ツバサくんという……』
あの物語だ。実際に絵を描いて絵本にしようとしているのか。
しかし……これは……。
「あれ、フェザー来てたの」
顔を上げたシーゼの頬に、緑の絵具がついていた。侍女があわてて手布を差し出す。
「うむ。シーゼ、これは?」
余の指さす所を見て、シーゼはムッと頬をふくらませた。
「聖樹の若木でしょ、どう見ても」
…………箒か何かかと思った。
どうやらシーゼには絵心がないらしい。
長じてのち、ウィンガリオンはこう語っている。
「母上の作ったあの絵本さ……絵は、うん、ともかくとして、僕はすごく好きだったな。あの物語があったから、母上がふいっといなくなっても『何か理由があるからどこかへ行ったんだ、用が済めばちゃんと僕の所に帰って来るんだな』っていうのが子ども心にわかって、安心したよ。絵は、まあ、アレだったけどね」
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