継なぐ世界

平成の野衾(ノブ)

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第3話 1片 「命運」

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 タン、タン、タン……とまな板を打つ軽い音にマオは目を覚ました。
 布団に包まったまま身体を起こし、ぼうっとして身体を揺らす。
 コクッとした拍子に布団が落ちた。
 冷たい空気が一挙に入り込んでくる。

 いつもより一段と暗い部屋、ベッドからおりカーテンを全開にすると、今日の空は厚い雲で覆われていた。

 ブルルと身体を震わし、マオはあくびをしながら洗面所へ歩いた。

 ピシャと水で顔を打ち、重たい瞼を無理矢理に開く。
 鏡に映った自分の無愛想な顔に、マオは口元をへの字に歪めた。



 ……昨晩、何故か今は亡き実の父の背中を夢に見た。
 それは全く鮮明なものでは無かったし、何の脈絡も無いものだったと思う。
 なんていっても夢なのだし、父の記憶というのも普段は朧で詳細なことは憶えていない。

 ただ、父は確か職人だったと思う。何のかは知らなかったがその手先に何かキラキラとして綺麗な物を扱っていたような気がする。
 宝石か結晶か、はたまたその他か……ともかく、そんな職人の父との思い出は少なかった。





 ……寝癖を直すように爪で毛を撫でつけながらリビングへ行った。
 ソファに座り、早速あくびをする。
 テレビを見みながらボーッとして、身体を小さく抱え込んだ。

「こら! 止めなさい」

 叱られて、マオは体育座りをしていた足を渋々ソファから下ろした。
 暖風をかけていても足下から冷えるのはどうしても変わらない。
 冷たいフローリングにピトッと肉球が触れ、マオは最後の抵抗と言わんばかりに踵を浮かせていた。



 テレビでは、時期も時期だけあって都内の成人式の様子が特集されていた。
 晴れやかな着物に身を包んだ人や、ビール片手にくっちゃべる衆。

 節操の無いその姿に目を細くしながらも、マオはリモコンに手を伸ばす事すら億劫に感じていた。

 ふと、キッチンの母へ目をやる。

(いつも通りって感じだな)

 母がどこまで事情を知っているのか昨日の様子では聞くのを躊躇われたが、今のこの様子なら落ち着いて話もできるだろう。そう思い、切り出し方を考える。
 知られてしまった以上は中途半端にしておくよりもちゃんと話しておきたい。
 いきなり話し出しても昨日のように取り乱すことは無いかも知れないが、それでも動揺させることは避けたかった。

 ――こういうとき、どうして良いのか分からない。

 普通の会話は出来るのに、一度『相手のこと』を考え出すと途端に言葉選びで苦戦する。
 そうして結局流された話しが、これまでいくつもあった。

 難しい顔をして口元を押さえるマオに、ミナミは寝れた手を拭きながら声をかける。

「まーくん、ご飯できたよ」
「ん」

 顔を上げればそれまで気づかなかったトーストの香ばしい匂いが鼻腔をついた。
 皿の上に5段重ねに積まれたそのトーストの横にボールがあって、ゆで卵をほぐしてツナ缶を合わせ、少しピリ辛い大根の芽を切って入れた特製の具が中に入っている。
 その具をパンに挟んでサンドイッチにするのが日曜日の朝の定番だった。
 今日は他にもジャガイモのスープが用意されている。

(休みの日はいつも手抜きだもんな)

 パートのある日の母はキビキビと家事をこなし仕事に行き、見ている側が疲れそうなくらいである。
 休日はその反動のように、ゆるゆるとなんだか眠そうにテレビを見ながら洗濯物を畳んでいる。

 ただ実のところを言うと、マオは休みの日の軽い食事の方が好きだった。



 結局食べきるまでに上手い切り出し方は思いつかなかった。

「……昨日のだけどさ、」

 たどたどしく発される言葉にミナミは察して向き直った。

 頭を掻きながら言葉を詰まらせる。

 口を開いたそのタイミングで、鈍く短い音が家の中に数回響いた。
 それは、玄関の扉を叩く音だった。

 音の低さからして、この小さな家には似つかわしくない体躯の来客であることはすぐに分かったが、タイミングが悪いとはまさにこのことだ。

「はーい」

 と返事をして玄関へ歩くミナミの後ろ姿を目で追いながら、マオはグルルと低く喉の奥を不機嫌に鳴らした。

 玄関からリビングへは、一カ所をL字に折れているばかりで廊下を通して繋がっている。
 そのため会話の声はよく聞こえてくるのだった。

 ミナミは扉を開けながら来訪者を迎える。

「おまたせしまし……」

 その言葉尻が気圧されたように消えた。

「あ……あなた方は?」

 母の声音は明らかにうわずって、警戒している事がありありと伝わってきた。

 ――俺も出て行くべきだろうか。

 耳を立て、廊下の先で何が起こっているのか推察する。

「朝早くに申し訳ありません。探求省のロクスケです」
「はぁ、探求省ですか……」

 低くガラガラとした声で男が名乗った。
 声量よりも明らかに吐き出す息が多いその声質はクマを思わせる。

 ミナミは不審さを感じている様子で返事をしたが、それも無理は無い。
 探求省といえば変形術ロコンサなどを専門に研究している機関のことで、そんなところが家に来る道理が全くないからだ。

「あの、どういったご用件で?」

 ミナミの質問に答えたのはまた別の声だった。

「お宅にマオというお子さんが居ますよね? ちょっとお話をさせてもらいたいのですが……」

 硬調に透き通った男の声。それはマオやミナミと同系統のものだった。

「えぇと、マオにですか?」
「はい」

 その言葉に眉をひそめたのは他でもないマオだった。

「……あの、ちょっと待っていてもらっても?」
「どうぞ」

 リビングに戻ってきたミナミはマオに何事かと聞いた。
 マオは首を振って分からないと告げる。

 ミナミは困ったようにうろうろとリビングと廊下の境目あたりをうろうろとしていたが、ピタリと足を止めてマオに向き直った。

「とりあえず事情を聞いてくるから着替えておきなさい」

 少し震える声で言って、玄関の方へ向かう。
 かと思ったらすぐに戻ってきて、マオに「テレビ消しといて」と言ってまた玄関へ向かった。

 ミナミの落ち着かない様子にマオも少なからず影響されて、パタパタと駆け足気味に部屋の中を移動した。

 着替えている間、玄関からはくぐもった声が微かに聞こえていたが、その内容までは判断がつかなかった。
 とりあえず余所行きが出来るくらいの格好に整えて、マオも玄関の方へと向かう。





「あの、でしたら一度上がられて……」

 ミナミがそういう声が聞こえてマオは廊下の途中で足を止めた。

(えっ、マジかよ……)

 まさか家の中にまで招き入れるとは想定外で、思わず一歩後ずさる。
 今更止めると言うことも出来ず、「では失礼します」という言葉と共に人影が家の中に入ってくる。

 先導するミナミの後をついて廊下のL字を曲がって来たのは燃えるように赤い毛並みをし、真っ黒いサングラスを掛けたイタチだった。
 そのイタチはマオを見つけると少し眉をつり上げた。
 そしてその後ろから廊下を埋め尽くすかと思うほど嵩体がたいの良いシロクマが腰を屈め、背を低くしながらついてくる。

 きっとはじめに名乗っていたロクスケというのがこのシロクマなのだろう。
 ロクスケが歩くたびに廊下がギシギシと危うげな音を立てている。

 立ち尽くすマオにミナミは『はやくリビングまで移動しなさい』と手を払って合図をした。
 そんな母に押されるようにしながら後ろ向きでリビングまで退いたマオは、ミナミが来客をダイニングの普段自分が座っている椅子に促すのを黙って見ていた。

 母はシロクマにも椅子を出し座るよう促したが、シロクマはそれを断った。

 まあ、そりゃそうだろう。

 あの図体で家にあるような小さい椅子に座らせてはその重さに絶えきれず壊れるに違いなかった。



 ほら、マオも座りなさい……!

 母の視線がそう訴えかけていた。

 赤毛のイタチの向かい側、普段から自分が使っている椅子に座り、マオはこのよく分からない状況にゴクリと唾を飲んだ。

 何をしに来たのか尋ねるつもりで口を開いたが言葉が上手くまとまらずにすぐ閉じる。
 思わず助けを求めるように母の方を見るも、母はお茶か何かを淹れようとしていて気づかない。

 いや、この年にもなって俺は何を親なんかに助けを求めてるんだ恥ずかしい。
 マオはイタチに向き直る。

(この男サングラスなんか掛けてどういうつもりだ?)

 男の格好を見ればサングラス以外にも気になる点は多くあった。
 まず毛が赤い。これはなんとなく赤茶けたとかそういうものでは無く、ハッキリと赤だと断定できるような色だった。つまりそれは毛を染めているか、生まれつきのカラードだということだった。
 カラードといえば親の遺伝に関係なく突発的に発生する毛色の変化で、その理屈の多くは今も解明されていない。
 そして次にスーツなのかジャケットなのか分からないような上着を着ている。

 他にも……と考えていると赤毛が咳払いをしたことでマオはハッとして思考を放棄した。
 珍しいからかといってマジマジと観察してい良いということにはならないからだ。

「早速だが、君がマオで間違いないか?」

 その言葉からは絶対に嘘をつくなという意思がありありと感じられて、マオはコクと頷いた。

「俺は探求省・特課、課長のユウジだ」

 ユウジと名乗った彼はの声はけして大きくないのに聞く者に耳を傾けさせる不思議な響きがあった。

(さてはママもこの声音にあてられて家に招き入れたな?)

 そう思ってチラリと母の方へ目をやると、心なし足取りが弾んで見えるような気がした。

「さて早速だ……がいくつか質問をする前に――





 ――君を逮捕しなければならない」

 ガシャンと母がマグカップを取り落とした。

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