継なぐ世界

平成の野衾(ノブ)

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第2話 4片 (明日)

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 走り去るバスを背に、マオは図書館の前に降り立った。
 他にこのバス停で降りたのは背中を丸めたサイのおばあさんだけである。

 初めて来たはずの場所だったが、マオは何故か既視感を覚えていた。
 まるで大聖殿を思わせる尖塔状の白い建物は、鐘も十字架も無かったが、窓にだけは全てステンドグラスがはめられている。
 何ら敬虔な信仰を持たないマオからすればそれも只のすすけた色つきガラスにすぎないのに、何故残響のような感覚がするのかは分からなかった。

 図書館の中は一面カーペットが敷かれ、本棚は吹き抜けの天井近くまでそびえている。
 紙と布とで柔らかく音が吸収されているのか、物音一つ無く、踏み込む足音もカーペットの中に沈み込み、吐く息の音もいつもと違った。
 本のためだけに用意された空間がそこにはあった。



 ……隅の方にこじんまりと用意された読書スペースに、マオは持両手に持てるだけの専門書を積み重ねた。
 次のバスが来るまでとか、そんなことは一切考えずに、その厚表紙な書籍の数々を読み尽くすつもりで椅子に座る。

 一冊を読み終えるのに、1時間は掛からなかった。

 専門書というのはハッキリ言うと大半を読み飛ばして構わない。というと語弊があるが、その内容は術個々について分割でき、マオが必要としている知識を得るためだけなら要点のみ掻い摘まんでも理解が出来るのだ。
 つまりそうして、マオは山のような専門書を漁りまくった。



「ふぅ――」

 机の右側に寄せてあった書籍がすっかり左側に移った頃、マオは息を吐いて背を伸ばした。
 まるでそのタイミングを狙っていたかのようにグラッと書籍が危うげに揺れる。
 ――危ない! と頭の毛が逆立ちさせたマオが手を伸ばして押さえるより早く、赤くマニキュアの塗られた爪がそっと山の頂点を支えた。
 見上げると、緑色のエプロンを着た司書らしきヤギの女性が眼鏡の奥からマオに笑いかけていた。

「たくさん読まれましたね~」

 まるで近年の人口ピラミッドのようにアンバランスになった本の山を平らに崩す彼女にマオは黙って頷いた。

「もうすぐ入れ替えの時間になりますから、貸し出しの受付はお早めにお願いします」
「あ、はい」

 ちょうど良い頃合いだったしマオは何も借りずに帰ることにした。
 外に出るとすっかり夜で、皿のような月が高く昇っていた。

 道の向かいのバス停に走り、街灯の光が落ちるその下でブロック塀に寄り掛かる。

 図書館で読んだどの本にも、ハルトの現状をうまく説明できる内容は載っていなかった。
 それどころか、事象を切り取る術マラカンノサトレという名前が登場したのは「あなたが知らない変形術ロコンサの真実」というどちらかといえばバラエティーに寄った本の中だけで、その内容も万能の秘術として紹介するだけの物だった。
 ポップな書体ばかりが使われて、挿絵も非常に見栄えはしたが、ハッキリ言って内容は底辺だった。

 マオは変形術ロコンサにしか学がないので必然読み込んだのはそのジャンルに絞られるのだが、その中でもできるだけ等級が1級以上の「生死に関わる術法」に関するものをなるべく選んでいた。

 色々と読んでいる中でマオが気づいたのは、「死」という概念が世間一般で言うそれと少しずれているということだった。

 普通死ぬというのは命の灯火が消えてこの世界からすっかり存在が消えてしまうことを表すが、こと専門的な書籍の中では、その死をアクルを束ねる概念が崩壊した状態を表現するものとして扱っていた。

 これを仮に崩壊死と呼ぶことにしよう。
 どちらも結果だけを見れば存在が消えているという点で共通していたが、崩壊死では仮に命が無くなっても、その命を納めていた概念が残っていれば死んでいないというのである。

 では、あの抜け殻のようになってしまったハルトはどんな状態にあるのだろうか。
 呼吸も無く、脈も無く、ただその存在と熱だけがある人の事など、どんな本にも載っていなかった。



 頭を悩ませているところへバスが到着した。
 後は特に取り立てることも無く、マオはまた、昨日と同じようにドアの前に立っていた。
 ただ違うのは、ドアノブを捻る手が軽かったことだ。

 靴を脱いでいると、ミナミがマオに駆け寄り抱きしめた。

「よかった……」

 何のことか分からず、マオは困惑して母を見た。
 その肩に手を当て引き離し、「どうしたの」と聞く。

 帰りが遅くなっただけにしては大袈裟な母の反応をマオは理解できなかった。
 ただ、うるうると涙を湛えて見上げる様子に事件の予感が頭をよぎる。

「何があったの?」

 今度は声の調子を落として聞いた。
 ミナミは、唇をワナワナと震わせ、ドッと泣き出した。

 マオはともかく母をリビングに連れて行きソファに座らせた。
 ともかく状況を聞かないことには話にならない。
 なにかマオに関することであるのは明白で、その正体を聞き出すためにもマオは自分の身に何も無いことをうったえた。
 そうして、まだ少しヒステリックではあるもののミナミは事情を話し始めた。

 聞けばどうやら学校から電話があったらしい。
 そこで、最近マオの様子で何か気になることは無かったかなどと聞かれ、事情を飲み込めずに聞き直すとハルトのことを教えられたのだという。
 そしていつまで経っても帰ってこないマオに、よもや家出をしたのではあるまいかと不安に駆られ、色々部屋を漁っている時にちょうど帰ってきたのだとか。

 聞いてしまえば単純で、あぁ、と納得するのと同時に笑いが込み上げてきた。

「まったく大袈裟だよ」

 思い出されるのは初めて部活で帰りが遅くなったときのことだった。
 そのときのもミナミは慌てふためいて、学校にまで電話で確認する始末だった。
 部室に顧問の先生がニヤニヤしながら近づいてきて、「お前のかぁちゃんから電話があって、死ぬほど心配してるってよ」と言って肩を叩かれたとき、マオは全身を走り抜ける恥ずかしさに慌てて席を外したのだった。
 ミナミにキツく言い聞かせ、きっとからかわれることを覚悟して望んだ翌日の部活では、予測に反してその話題が上がることは無かった。

 だからマオは、自分からそのことをネタにすることができ、今でこそ笑える話しにまでなったのだった。

「それで、ご飯無いの?」
「え? ああ、待ってて、今作るね」
「おねがい」

 服の袖で涙を拭ったミナミは微笑んで「もう、心配はかけさせないで」と、掠れた声で言った。

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