7 / 15
第2話 4片 (明日)
しおりを挟む走り去るバスを背に、マオは図書館の前に降り立った。
他にこのバス停で降りたのは背中を丸めたサイのおばあさんだけである。
初めて来たはずの場所だったが、マオは何故か既視感を覚えていた。
まるで大聖殿を思わせる尖塔状の白い建物は、鐘も十字架も無かったが、窓にだけは全てステンドグラスがはめられている。
何ら敬虔な信仰を持たないマオからすればそれも只のすすけた色つきガラスにすぎないのに、何故残響のような感覚がするのかは分からなかった。
図書館の中は一面カーペットが敷かれ、本棚は吹き抜けの天井近くまでそびえている。
紙と布とで柔らかく音が吸収されているのか、物音一つ無く、踏み込む足音もカーペットの中に沈み込み、吐く息の音もいつもと違った。
本のためだけに用意された空間がそこにはあった。
……隅の方にこじんまりと用意された読書スペースに、マオは持両手に持てるだけの専門書を積み重ねた。
次のバスが来るまでとか、そんなことは一切考えずに、その厚表紙な書籍の数々を読み尽くすつもりで椅子に座る。
一冊を読み終えるのに、1時間は掛からなかった。
専門書というのはハッキリ言うと大半を読み飛ばして構わない。というと語弊があるが、その内容は術個々について分割でき、マオが必要としている知識を得るためだけなら要点のみ掻い摘まんでも理解が出来るのだ。
つまりそうして、マオは山のような専門書を漁りまくった。
「ふぅ――」
机の右側に寄せてあった書籍がすっかり左側に移った頃、マオは息を吐いて背を伸ばした。
まるでそのタイミングを狙っていたかのようにグラッと書籍が危うげに揺れる。
――危ない! と頭の毛が逆立ちさせたマオが手を伸ばして押さえるより早く、赤くマニキュアの塗られた爪がそっと山の頂点を支えた。
見上げると、緑色のエプロンを着た司書らしきヤギの女性が眼鏡の奥からマオに笑いかけていた。
「たくさん読まれましたね~」
まるで近年の人口ピラミッドのようにアンバランスになった本の山を平らに崩す彼女にマオは黙って頷いた。
「もうすぐ入れ替えの時間になりますから、貸し出しの受付はお早めにお願いします」
「あ、はい」
ちょうど良い頃合いだったしマオは何も借りずに帰ることにした。
外に出るとすっかり夜で、皿のような月が高く昇っていた。
道の向かいのバス停に走り、街灯の光が落ちるその下でブロック塀に寄り掛かる。
図書館で読んだどの本にも、ハルトの現状をうまく説明できる内容は載っていなかった。
それどころか、事象を切り取る術という名前が登場したのは「あなたが知らない変形術の真実」というどちらかといえばバラエティーに寄った本の中だけで、その内容も万能の秘術として紹介するだけの物だった。
ポップな書体ばかりが使われて、挿絵も非常に見栄えはしたが、ハッキリ言って内容は底辺だった。
マオは変形術にしか学がないので必然読み込んだのはそのジャンルに絞られるのだが、その中でもできるだけ等級が1級以上の「生死に関わる術法」に関するものをなるべく選んでいた。
色々と読んでいる中でマオが気づいたのは、「死」という概念が世間一般で言うそれと少しずれているということだった。
普通死ぬというのは命の灯火が消えてこの世界からすっかり存在が消えてしまうことを表すが、こと専門的な書籍の中では、その死を命を束ねる概念が崩壊した状態を表現するものとして扱っていた。
これを仮に崩壊死と呼ぶことにしよう。
どちらも結果だけを見れば存在が消えているという点で共通していたが、崩壊死では仮に命が無くなっても、その命を納めていた概念が残っていれば死んでいないというのである。
では、あの抜け殻のようになってしまったハルトはどんな状態にあるのだろうか。
呼吸も無く、脈も無く、ただその存在と熱だけがある人の事など、どんな本にも載っていなかった。
頭を悩ませているところへバスが到着した。
後は特に取り立てることも無く、マオはまた、昨日と同じようにドアの前に立っていた。
ただ違うのは、ドアノブを捻る手が軽かったことだ。
靴を脱いでいると、ミナミがマオに駆け寄り抱きしめた。
「よかった……」
何のことか分からず、マオは困惑して母を見た。
その肩に手を当て引き離し、「どうしたの」と聞く。
帰りが遅くなっただけにしては大袈裟な母の反応をマオは理解できなかった。
ただ、うるうると涙を湛えて見上げる様子に事件の予感が頭をよぎる。
「何があったの?」
今度は声の調子を落として聞いた。
ミナミは、唇をワナワナと震わせ、ドッと泣き出した。
マオはともかく母をリビングに連れて行きソファに座らせた。
ともかく状況を聞かないことには話にならない。
なにかマオに関することであるのは明白で、その正体を聞き出すためにもマオは自分の身に何も無いことをうったえた。
そうして、まだ少しヒステリックではあるもののミナミは事情を話し始めた。
聞けばどうやら学校から電話があったらしい。
そこで、最近マオの様子で何か気になることは無かったかなどと聞かれ、事情を飲み込めずに聞き直すとハルトのことを教えられたのだという。
そしていつまで経っても帰ってこないマオに、よもや家出をしたのではあるまいかと不安に駆られ、色々部屋を漁っている時にちょうど帰ってきたのだとか。
聞いてしまえば単純で、あぁ、と納得するのと同時に笑いが込み上げてきた。
「まったく大袈裟だよ」
思い出されるのは初めて部活で帰りが遅くなったときのことだった。
そのときのもミナミは慌てふためいて、学校にまで電話で確認する始末だった。
部室に顧問の先生がニヤニヤしながら近づいてきて、「お前のかぁちゃんから電話があって、死ぬほど心配してるってよ」と言って肩を叩かれたとき、マオは全身を走り抜ける恥ずかしさに慌てて席を外したのだった。
ミナミにキツく言い聞かせ、きっとからかわれることを覚悟して望んだ翌日の部活では、予測に反してその話題が上がることは無かった。
だからマオは、自分からそのことをネタにすることができ、今でこそ笑える話しにまでなったのだった。
「それで、ご飯無いの?」
「え? ああ、待ってて、今作るね」
「おねがい」
服の袖で涙を拭ったミナミは微笑んで「もう、心配はかけさせないで」と、掠れた声で言った。
0
あなたにおすすめの小説
俺の伯爵家大掃除
satomi
ファンタジー
伯爵夫人が亡くなり、後妻が連れ子を連れて伯爵家に来た。俺、コーは連れ子も可愛い弟として受け入れていた。しかし、伯爵が亡くなると後妻が大きい顔をするようになった。さらに俺も虐げられるようになったし、可愛がっていた連れ子すら大きな顔をするようになった。
弟は本当に俺と血がつながっているのだろうか?など、学園で同学年にいらっしゃる殿下に相談してみると…
というお話です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
合成師
あに
ファンタジー
里見瑠夏32歳は仕事をクビになって、やけ酒を飲んでいた。ビールが切れるとコンビニに買いに行く、帰り道でゴブリンを倒して覚醒に気付くとギルドで登録し、夢の探索者になる。自分の合成師というレアジョブは生産職だろうと初心者ダンジョンに向かう。
そのうち合成師の本領発揮し、うまいこと立ち回ったり、パーティーメンバーなどとともに成長していく物語だ。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる