継なぐ世界

平成の野衾(ノブ)

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第2話 3片 「迫る」

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 学校では、急招集された第2学年の教師と、教頭、校長、その他数名を交えた蒼々たるメンツによって会議が開かれていた。

「それで、今回の一件変形術ロコンサ教師の立場からどう判断されますか?」

 教頭の仕切りに、一同の視線がカザギリへ集まった。 カザギリは白くたくわえた自分の頬の毛を撫でつける手を止めて、立ち上がる。

「私からは今はなんとも言えません。ただ、ちょうど今専門家を呼んで調査をしてもらっているところですので、教室には近寄らないようにお願いします」
「専門家?」

 全体に通る落ち着いた声で状況の説明をしたカザギリだったが、その発言に食って掛かる者が居た。

「あなたの生徒がやったことでしょうに、ご自分で見て何か思い当たるところは無かったのですかな」

 皮肉っぽく言うのはマメシバのゴロウだった。
 彼はもう60歳にはなろうかという古株の社会科教員で、カザギリが入るよりも前からこの学校にいる。
 ゴロウはカザギリのことを目の敵にしていて、それはカザギリの赴任以来7年にも及ぶ。
 理由を聞いても、「ふん」と、鼻を鳴らすだけで答えなかったが、その態度がカザギリの昔の職場に対してのものであることは誰しもが知っていた。

 カザギリは作業着の襟を正し、前のめりに机に手をついて答えた。

「お言葉ですが、私が教えているのはあくまで指導要領に乗っ取った内容だけで、それ以上のことは生徒達自身に任せるというのがこの学校の方針のはずです」

 この主張は至極まっとうなものだったが、それでもゴロウは、「しかしねぇ……」と同意を求めるように辺りを見回した。
 十数名の教師がいたが、誰一人としてゴロウの態度に目を向ける者は居ない。
 そんな会議室の様子を受け、ゴロウは眉間に皺を寄せた。

「でもカザギリ先生、あんたは……」
「ゴロウさん、そこまでにしなさい」

 校長のハヤマがその乾いたくちばしを鳴らしながら掠れた声で制止した。

 ――この人が口を開くとそれだけで場が静まりかえる。

 アカトビの彼はもう80歳を優に超える老齢だったが、種族の寿命に合わせた雇用を促進する実験制度によってまだ現役であり、この学校での勤務も異例の16年目に差し掛かっていた。

 そんな校長の言葉には流石のゴロウも口を閉ざすほかは無く、場に整然とした空気が流れた。

「それで……カザギリさん、その専門家は信用できる人かね」

 校長の質問に、カザギリは自信を持って頷いた。

「はい。指折りの者です」

 校長は満足げに頷いて、ゴロウの方へ向き直る。

「まだ、何かあるかね?」

 ゴロウは奥歯に物が詰まったような声で、「いいえ」と答えた。



 その後も会議は続いたが、取り立てて進展があることも無く会議は調査の結果が出るまで一時解散となった。







 ――そのバスは開けた畑の中を走っていた。

 先ほどまでの閑静な住宅街は後方へと流れ、街灯もまばらな道を進んで行く。
 信号も無く一直線に突っ切る道は意外と車通りがあって、バスの高い車窓の下から乗用車の屋根に反射した陰が薄くまばらに差し込んできていた。

 そんなバスの最後列で、マオは身体を細くして座っていた。
 両サイドを人に挟まれ背筋ばかりがヒンと張る。

 慣れないバスでの移動に、人見知りなマオは緊張していた。



 ……そうして進むバスは、渋滞にはまることも無く順調に病院まだたどり着いた。
 病院は急患を受け付けているだけあって流石に立派な建物だったが、想像していたほどではなかった。

 エントランス前のバス停で降り、人を避けるように柱の陰に移動したマオの心臓はかつて無いほど強く打ち付けられていた。
 覗き込むようにして受付の方を見て、マオは意を決して踏み込む。

 ――はたから見れば、ただの不審者である。
 緊張しきったマオはトートバッグの紐を両手で握りしめて歩いていたし、その尻尾の毛はあからさまに逆立っていた。

 さて、この病院は診察だけでも毎日数百人以上が利用するくらいの規模なのだが、今日は一段と人が多く、マオと同じ乗バスに乗り合わせた8割近くが同じ目的だった。そうなるとエントランスでまごついたマオは必然的に受け付け待ちの列の後ろに並ぶことになるのだが、結果的にはその方がよかったのかも知れない。

 ようやく順番が回ってきてステップに上ったマオの口は、どもりにどもって壊滅的だったからだ。

「えあっ、めっ面会っに来たんでふけど……」

 これですでに、数回言い直している。
 目も当てられない惨状に誰よりも頭を抱えているのは、他でもないマオ自身だった。
 もう既に火が出ているのではないかというほど顔中が熱を持ち、その熱を放散するように毛が逆立っている。

(きっと心の中で笑われているに違いない)

 後ろに並ぶ人がいなかったのがせめてもの救いで、そうでも無かったらマオはきっと発狂して逃げ出していただろう気持ちだった。
 もっとも、実際にはそんなことをするほどの余裕すら無かっただろうが……

 その後なんとか受付番号の書かれた紙を獲得したマオは長椅子の端に背中を丸めて座り込んだ。
 ほんの些細な人の声が、まるで自分を指差して笑っているように聞こえる。
 ジッとしていると本当に気が狂いそうで、マオは手に持った番号札を食い入るように見つめた。

 受付番号を足し引きして10が作れないか試したりしていると少し落ち着いた。



 案内板にマオの持つ番号が映し出され、アナウンスが掛かった。

 ……結論からすると、マオはハルトに会えなかった。

 ハルトという名前のウサギの患者が昨日から入院しているという事実はあったが、今は近親者以外の面会を遮断しているのだという。
 マオがハルトの状態を聞いても、受付で何か分かるということは無かった。

 ただその後すぐ、受付の奥から小麦畑を思わせる飴色な毛並みの男のイヌの医師が出てきてマオを診察室に案内した。
 首から眼鏡をさげ、胸ポケットには名札に並んでフェルトでできた彼の似顔絵のワッペンが付いていた。
 もちろんマオは診察を受けに来たわけではないし、何がどういう運びでそうなったのか分からなかったが、そのその柔らかな物腰に言われるがまま椅子に座って問診を受けていた。

 そもそもこの医師がマオの前に出てきたのは、彼がハルトの主治医であったからだ。
 ハルトの親友を名乗る人物が現れたという連絡を受け赴いた彼は、内科医でもありながら治医術にも学があった。
 治医術の知識からマオの内面が重度に疲労していることを一目見て把握し、ハルトの事もあって診察の必要性を感じたのだ。

 ミズノと名乗った彼は問診に続いて触診に移りながら自分の立場を簡単に説明し、「だいぶ疲れているみたいだね」と小児科特有のやわらかな言葉遣いで声をかけ続けた。

 そして、マオに後ろを向かせ、背骨のあたりを指で押して確認しながら尋ねる。

「ハルト君とは仲がよいようだけど、昨日彼が何をしていたか知っているかな」

 何気ない会話の続きのように自然に、落ち着いた声音だった。

 落ち着いた時間と周りに人がいない状況から、このとき既にマオは平静心を取り戻していた。
 あるいは、マオが落ち着くまで本題に入るのを待っていたということかもしれない。

 マオは、その問いに答えられなかった。

 喉元で言葉がつかえ、それ以上先へ出てこない。

「焦って答える必要は無いよ」

 そう言われ、うつむいた。

 マオは自分が恥ずかしかった。

「ハルト君のことだけどね……」

 触診を終えてパソコンを操作しながら彼は話しを続けた。

「正直に言うと、あまり良い状況では無いんだ」

 マオはゆっくりと向き直り、彼の顔を見上げた。
 彼の言葉が深く刺さり、辛い気持ちが込み上げる。

(ハルトは、病院でも手を付けられないのか……)

 マオは病院に着くまでの間にハルトに出来そうな処置を考え込んでいた。
 原因を知っているから解決策を思いつけるかもしれないというのもあったし、なにより責任を感じていたからだ。

 しかし、医療のスペシャリストが集まるような場所で何も出来ないとなれば、マオが思いつくどんな奇策もきっと役には立たないのだろう。

 黙って話を聞くマオに、彼は視線を合わせる。

「今、ぼくの方でも手を尽くしていて、少しでも何があったのか知りたいんだ」

 まるでマオに期待を向けるかのように、彼の晴眼は真っ直ぐマオを見つめていた。

 ゴクリと唾を飲み、マオは口を開いた……









「せっかく来てくれたのに申し訳ないね……」
「いえ……」

 マオは視線を逸らして小さく答えた。

「それで今日の診断なんだけど、結果を出してしまうとお金が掛かってしまうんだ」

 ――私も仕事で医者をしているからね。と彼は申し訳なさそうに笑った。

「ぼくの個人的・・・な見立てでは、君は至って健康だ……だから、何も結果を聞く必要は無いと思うよ」

 垢抜けて言い切った彼をマオは目をパチクリとさせて見つめた。

 言われてみればタダで診察を受けられるはずも無く、彼の一言が無ければマオは突然受付で診察料を請求され戸惑っていたことだろう。
 結果を聞かなければ払わなくていいなんてことを言ってはいるが、普通に考えてここまでされたら払わないという選択肢は無い。

 マオは、「えぇっと……」と口ごもり、頭を掻いた。

「すみません。お言葉に甘えさせてもらいます」
「よし! オッケー、じゃあココでの会話は無かったことにしておくね」
「すみません……」
「いいのいいの」

 アハハと愉快に笑う彼に救われてはいるが、マオもそれがダメなことだというのは分かっていた。
 ただ、それ以上に切実だったのが、診察料を払えるかというものだった。
 交通費のことしか考えに無く、マオは小銭しか持っていなかった。
 最悪診察料を払えないばかりか、家まで帰る交通手段を失うということになるのだ。
 後者はまだ良いとして、前者だけは避けたかった。

 ――具体的な金額を言わないあたり、このミズノという医師もなかなかに意地が悪いのだが。

 マオはミズノの、「受付には寄らなくて良いからね」という言葉に頭を下げながら、診察室を出て病院を後にした。

 行きに降りたのと同じバス停に並び、マオは罪悪感で肩に手を当ていた。
 それは自分だけが特別な待遇を受けていることに対してでは無く、昨日のことを聞かれて、「何も知らない」と答えてしまったことに対してだった。
 何故そんな返事をしたのかといえば、それは単に小さな反抗心だった。

 マオは子供扱いされるのが何より嫌いだった。それこそ、聞かれたことに対して思わず天邪鬼あまのじゃくな態度をとってしまう程には……
 マオが昨日のことの詳細を語っていればいくらか話しが進展することもあっただろうに、それでも一度口に出したことは曲げたくない信条に引っ張られて口を閉ざしてしまった。

『フシュ――……』

 バスの下から空気が抜ける音がして、出入り口の側が低く傾いた。
 開いた出入り口からゾロゾロと人が降り、ガランとした車内に次々人が乗っていく。

 背の低い人は前後に寄って、そうでない人は中央に寄る。こんな乗り方をするのはこの国くらいだという。
 乗車券を取り後ろの方へ移動しながら、マオはそんな雑学を思い出した。
 一昔前まで草食中心社会が形成されていた世界的にもまれな国柄がそうさせたらしい。
 なぜこんな乗り方で定着しているのかには諸説あるが、有名な説は重心を中央に寄せるためというものだ。
 草食中心社会ではその体格差が尋常で無く大きい。バスの場合、重心が前によると後輪が浮いてしまう可能性があるし、逆もしかりである。そうして、バランスのよい中央に重さが集中するような乗り方が一般化したというのだ。
 他の説でも、おおよそ体格差について例を挙げて、車内を移動する通路幅が狭いからとか、団体行動ではよく背の順を使うからだとかいっている。

 後ろから数列目の窓際の席、マオは右手で頬杖をつき外を眺める。
 結露した窓ガラスに息をかけ、視界はほぼ白一色に染まっていた。

 キュルルルと金属同士が擦れる音がして、ほどなくバスが走り出した。
 ロータリーを回り、病院の建物が霞の向こうにそのシルエットを映しだす。
 あっという間に後方に流れたその建物を目で追いながら、マオは吐いた息でまた窓を白く曇らせた。





 ……しばらく道を走るバスに、マオは違和感を覚えていた。
 明らかに行きとは違う道を通り、畑ばかりが多く目に付く。

 マオの疑念を決定的なものに変えたのは、車内に流れたアナウンスだった。

『――次は、中央図書館、中央図書館――』

 事前に調べた路線図を目で追い、そのバス停の名前を探した。
 そして気づいたのは、マオは病院で『行きと同じ』バスに乗ってきてしまったという事実だった。
 つまりは、このまま乗ってももたどり着くのは何処か知らない遠くの駅と言うことだ。
 もっと運が悪いことに、このバスは巡回線では無く、一本道の片道切符だということだった。

 マオは選択を迫られた。

 このまま知らない駅で電車に乗って帰るか、次のバス停で降りて引き返すか……
 所持金残高からしても、次のバス停を越えたら引き返すことが出来なくなる。

 そうこうしているうちに、ポーンという軽い音が鳴り響いた。

『次、停まります』

 マオが降車ボタンを押したわけでは無かったが、これで決断が付いた。

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