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第一節
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会社組織は会社勤《づと》めを知らぬ者からすれば良く分からぬ物になりがちだ。例えば、芝居の中にて、いわゆるサラリマンが打ち合わせをしたり資料を作ったりしている場面が出てきても具体的な内容が良く分からぬ。大雑把《おおざっぱ》に想像できなくもないが、やはり綿菓子のように掴《つか》み難い。分からぬものと云えば、妖怪のような物だろうか。
さて、ここに岡上神株式会社《おかうえがみかぶしきがいしゃ》と云う物が存在しているとしよう。社員は本部だけで千人を超えており、事業の多角化に成功している全国的あるいは世界的な大企業なのだが、当社の本部には塩漬課と云う島流しのために作られたような異常な部署が在る。こんなものが有ったら即座に官公庁のどこかから査問されそうなものだが、実際には、なぜか何も指摘されていない。作る側もわざわざそんな名前を付けるとは愚かと思われるが、それをあえて行っているとなれば、何らかの意図が有るのか、あるいは、官公庁を全く恐れていないかのどちらかではないか。どのみち、背筋が寒くなりそうな妖怪じみた会社のようだ。
ともあれ、塩漬課の業務内容はひたすら会議だ。しかも、大抵、絶妙に価値の薄そうな議題ばかりが用意される。賽《さい》の河原《かわら》のような地獄だと云える。
さて、そんな塩漬課に新人がやってきた。その男については課長が朝礼を開いて皆に紹介したが、普段、ふてぶてしい態度をしている彼が妙に腰の低さを見せるものだから、一同、不審がったようだ。その新人自体には特に不審な所は無いのだが、それがかえって不気味なのだ。あえて云えば、あまりにも普通すぎるのが不審か。彼はそこそこ若そうな痩《や》せた男であり、黒の背広をきっちり着こなしている。なにより、目に輝きが宿っているのが普通すぎて逆に気持ち悪い。塩漬けにされた魚が生気の有る目をしているのを想像すれば良い。それはもはや妖怪だろう。
その飾らない男、と呼ぶべきか。彼の髪型は自然の黒い総髪ではあるが、自然の総髪を綺麗に整えた状態で保つには相応の美容師の手を煩《わずら》わせる事になるだろうから、その実、相当しゃれた男なのかもしれない。一見、普通に見える彼の背広だって、実際には最上級の品質を隠しているのかもしれない。そう勘ぐらせるほどには、その男はあまりにも普通を保ち過ぎていた。まるで墓場の中へ着飾った王族が紛《まぎ》れ込んできたようだ。
自己紹介によると、男の名は茂木報武《もぎほうぶ》と云うらしい。
さて、二十人ほどの使用者を想定したような小さな会議室にて、塩漬課による会議を始める事になったのだが、開始直後、茂木が、まるで自分がこの場の主催者であるかのように颯爽《さっそう》と立ち上がり、
「まずは、皆様方におたずねしたい。塩漬課の仕事とは何かと」
と、オペラ歌手のような張りの有る声で叫《さけ》んできたので、会議室の面々は面食らうのが当然だろう。左遷《させん》によってすでに魂がほとんど抜けたような者らばかりだからなおさらだ。そんな訳で、誰も何も答えず、また、わざわざ叱《しか》る事もせず、ただ、漫然と沈黙していると、茂木はなぜか妙に満足げに首を縦《たて》に振り、
「すばらしい。その完全に牙《きば》を抜かれ、気負いも野心も消え失せ、守るものすら無くなったかのような無惨《むざん》なご様子。皆様、充分に熟成なさったようだ。これならお屋形様《やかたさま》のご期待に添《そ》えそうです」
と、良く分からないと云うか、頭がおかしいとしか思えない事を口走った。しかし、その発云を聞いた課長が露骨に狼狽《ろうばい》し、
「茂木君、そのお名前をむやみに口にしては……!」
と、何やら時代劇めいた事を云い始めた。対して、茂木は落ち着き払った様子で口を開く。
「課長。お屋形様は独裁者でも抑圧者でも無いのですよ。とても心のお優しい慈悲にあふれるお方です。貴方のご反応こそ無礼と云うべきものだ」
そう、茂木が云い終えると、課長はそのいかつい顔をさらにこわばらせ、手を何やら無駄に動かしつつ、
「いや、私はそのような事を云いたい訳では。どうぞ、あのお方にはよろしくお取り計らい願いたく……」
と、要領を得ない事をつらつらと述《の》べた。これではどちらが上司か分からない。
その時、出席者の一人である、紫色のちょっとしゃれた眼鏡《めがね》をかけた、おでこをさらした黒髪の若めの女が、茂木に対して、
「で、オヤカタ様って誰? 社長のコト?」
と、いわゆるギャルみたいな軽い口調で訊《たず》ねた。すると、茂木は自分のひげ無しのあごへ手を当てつつ、彼女の方へ異様に優しげな眼差《まなざ》しを向けてきた。
「やはり、君が最初に興味を持ったようだね、柳井《やない》君。だが、お屋形様はお屋形様以外の何物でも無いよ。ただ、一つだけ云っておくべきだろう。お屋形様こそがこの塩漬部を設置し、これまでずっと君たちの会議内容について報告を受けてきたと。ああ、もう一つ云っておくと、お屋形様を社長なんて小さな存在と同列に語ってはいけない。それだけは注意しておくよ。優秀な君ならそれだけ云えば説明としては充分すぎるのではないかな」
そう大きな事を云われても、柳井としては、
「はあ」
と、間の抜けた声を返すしか無い。
ともあれ、今度は、柳井の斜《なな》め前くらいの席へ座っている、四十過ぎくらいの外見の男が、面倒《めんどう》くさそうに、
「そない訳の分からん事をゆうてどないなるんか。お前は誰で、何がしたいんか。さっさと話せ」
と、投げやりな感じで叫んだ。この男は城田と云う名前であり、小太りだが粋《いき》な雰囲気をしている。イケてるホストをだらしなくしたらこんな雰囲気になるだろうか。
一方、茂木は全く落ち着き払った様子で城田を一瞥《いちべつ》した後、一同をゆったり眺《なが》めつつ、話し始めた。
「皆様には、日本の未来について話し合ってもらいたい」
その後の、一同による沈黙は、ひどく重苦しかった。[続く]
さて、ここに岡上神株式会社《おかうえがみかぶしきがいしゃ》と云う物が存在しているとしよう。社員は本部だけで千人を超えており、事業の多角化に成功している全国的あるいは世界的な大企業なのだが、当社の本部には塩漬課と云う島流しのために作られたような異常な部署が在る。こんなものが有ったら即座に官公庁のどこかから査問されそうなものだが、実際には、なぜか何も指摘されていない。作る側もわざわざそんな名前を付けるとは愚かと思われるが、それをあえて行っているとなれば、何らかの意図が有るのか、あるいは、官公庁を全く恐れていないかのどちらかではないか。どのみち、背筋が寒くなりそうな妖怪じみた会社のようだ。
ともあれ、塩漬課の業務内容はひたすら会議だ。しかも、大抵、絶妙に価値の薄そうな議題ばかりが用意される。賽《さい》の河原《かわら》のような地獄だと云える。
さて、そんな塩漬課に新人がやってきた。その男については課長が朝礼を開いて皆に紹介したが、普段、ふてぶてしい態度をしている彼が妙に腰の低さを見せるものだから、一同、不審がったようだ。その新人自体には特に不審な所は無いのだが、それがかえって不気味なのだ。あえて云えば、あまりにも普通すぎるのが不審か。彼はそこそこ若そうな痩《や》せた男であり、黒の背広をきっちり着こなしている。なにより、目に輝きが宿っているのが普通すぎて逆に気持ち悪い。塩漬けにされた魚が生気の有る目をしているのを想像すれば良い。それはもはや妖怪だろう。
その飾らない男、と呼ぶべきか。彼の髪型は自然の黒い総髪ではあるが、自然の総髪を綺麗に整えた状態で保つには相応の美容師の手を煩《わずら》わせる事になるだろうから、その実、相当しゃれた男なのかもしれない。一見、普通に見える彼の背広だって、実際には最上級の品質を隠しているのかもしれない。そう勘ぐらせるほどには、その男はあまりにも普通を保ち過ぎていた。まるで墓場の中へ着飾った王族が紛《まぎ》れ込んできたようだ。
自己紹介によると、男の名は茂木報武《もぎほうぶ》と云うらしい。
さて、二十人ほどの使用者を想定したような小さな会議室にて、塩漬課による会議を始める事になったのだが、開始直後、茂木が、まるで自分がこの場の主催者であるかのように颯爽《さっそう》と立ち上がり、
「まずは、皆様方におたずねしたい。塩漬課の仕事とは何かと」
と、オペラ歌手のような張りの有る声で叫《さけ》んできたので、会議室の面々は面食らうのが当然だろう。左遷《させん》によってすでに魂がほとんど抜けたような者らばかりだからなおさらだ。そんな訳で、誰も何も答えず、また、わざわざ叱《しか》る事もせず、ただ、漫然と沈黙していると、茂木はなぜか妙に満足げに首を縦《たて》に振り、
「すばらしい。その完全に牙《きば》を抜かれ、気負いも野心も消え失せ、守るものすら無くなったかのような無惨《むざん》なご様子。皆様、充分に熟成なさったようだ。これならお屋形様《やかたさま》のご期待に添《そ》えそうです」
と、良く分からないと云うか、頭がおかしいとしか思えない事を口走った。しかし、その発云を聞いた課長が露骨に狼狽《ろうばい》し、
「茂木君、そのお名前をむやみに口にしては……!」
と、何やら時代劇めいた事を云い始めた。対して、茂木は落ち着き払った様子で口を開く。
「課長。お屋形様は独裁者でも抑圧者でも無いのですよ。とても心のお優しい慈悲にあふれるお方です。貴方のご反応こそ無礼と云うべきものだ」
そう、茂木が云い終えると、課長はそのいかつい顔をさらにこわばらせ、手を何やら無駄に動かしつつ、
「いや、私はそのような事を云いたい訳では。どうぞ、あのお方にはよろしくお取り計らい願いたく……」
と、要領を得ない事をつらつらと述《の》べた。これではどちらが上司か分からない。
その時、出席者の一人である、紫色のちょっとしゃれた眼鏡《めがね》をかけた、おでこをさらした黒髪の若めの女が、茂木に対して、
「で、オヤカタ様って誰? 社長のコト?」
と、いわゆるギャルみたいな軽い口調で訊《たず》ねた。すると、茂木は自分のひげ無しのあごへ手を当てつつ、彼女の方へ異様に優しげな眼差《まなざ》しを向けてきた。
「やはり、君が最初に興味を持ったようだね、柳井《やない》君。だが、お屋形様はお屋形様以外の何物でも無いよ。ただ、一つだけ云っておくべきだろう。お屋形様こそがこの塩漬部を設置し、これまでずっと君たちの会議内容について報告を受けてきたと。ああ、もう一つ云っておくと、お屋形様を社長なんて小さな存在と同列に語ってはいけない。それだけは注意しておくよ。優秀な君ならそれだけ云えば説明としては充分すぎるのではないかな」
そう大きな事を云われても、柳井としては、
「はあ」
と、間の抜けた声を返すしか無い。
ともあれ、今度は、柳井の斜《なな》め前くらいの席へ座っている、四十過ぎくらいの外見の男が、面倒《めんどう》くさそうに、
「そない訳の分からん事をゆうてどないなるんか。お前は誰で、何がしたいんか。さっさと話せ」
と、投げやりな感じで叫んだ。この男は城田と云う名前であり、小太りだが粋《いき》な雰囲気をしている。イケてるホストをだらしなくしたらこんな雰囲気になるだろうか。
一方、茂木は全く落ち着き払った様子で城田を一瞥《いちべつ》した後、一同をゆったり眺《なが》めつつ、話し始めた。
「皆様には、日本の未来について話し合ってもらいたい」
その後の、一同による沈黙は、ひどく重苦しかった。[続く]
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