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バレンタインデイ・キル

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 バレンタインデイ。

 本来はバレンタイン牧師とやらが愛を説いた日として有名な日だが、無神教という名のお祭り大国・日本では女性が好意を抱く男性にチョコレートを渡す日として定着している。どうしてこうなった。

 日本の首都、東京都心ではそんなバレンタインデイに乗っかった様々な店が、大量のチョコレートを巧みな売り文句とともに売りさばいていた。俗に言うバレンタイン商戦である。

 そんな街を、一人の少女が奇怪なメロディを口ずさみながらスキップするように歩いていた。

「バレンタインデイ・キル♪」

少女は嬉しそうに体を弾ませながら、同じフレーズをあと二回繰り返して歌った。そのままの調子で、少女は自分の覚えている最後のフレーズをこれまた楽しそうに歌い上げた。

私怨しおんをかけ~て♪」

 物騒だ。日本でも有名な昔なつかしのアイドルの曲に乗せて、とんでもない歌詞を歌う少女の姿がそこにはあった。

 顔立ちはなかなか良い方で、黙っていれば男達は嫌でも振り向くレベルだ。しかしその服装は一言で言うと毒々しい。

 色彩の視覚攻撃しかくこうげきとも言える服装は、一目見ただけで誰もが別の意味で振り向く。

「おーあれは♪」

 少女が見つめる目線の先には、今時の女子たちが列を作ってとあるチョコレートショップの開店を待っていた。今少女がいる街の中で、最も有名なチョコレートショップだ。

 店が開店すると同時に、その列は一瞬にして意味の成さないものになった。先ほどまで和気藹々わきあいあいとしていた女子達は、まるで獣のようにチョコレートショップになだれ込んだ。店内で行われる、血で血を洗うような醜いチョコレート争奪戦を見つめていた少女は、何か思いついたかのように店内に入る。

(こんなに酷い光景が繰り広げられるのだもの!絶対美味しいチョコレートがここにはあるはず!)

 遠くから見ていたよりも、店内は殺伐としていた。漂うチョコレートの甘い香りに、微かに鉄のような匂いも混じっていた。女子達はお互いの肉がえぐれるほどに取っ組み合い、稀に断末魔のような叫び声も店内にこだました。しかしそれを無視するかのように、少女は店内を見渡す。きらびやかに光るチョコレートの包装に、赤い水玉模様が付着する。その中から一際ひときわ綺麗なチョコレートの箱を見つけると、少女はその箱に手を伸ばした。

「グゴガァァ!ゾゴバゴギグゲグゥギャゲェ(訳:クソアマァ!その箱に触れるんじゃねェ!)」

 自身に投げかけられた罵声に気づき、少女は振り向く。『バケモノ』。まるで虎のような女子達が、殺意をむき出しにして少女を睨みつけていた。しかし、そんなものには目もくれず、手に取ったチョコレートをレジへ持って行こうとしたが、瞬間一人の女子が少女に襲いかかった。

「ギべェ!(訳:死ネェ!)」

 次々と女子達が群れをなして一人の少女に襲いかかる。一人は少女の首に手をかけ思い切り締め上げ、何人かは足や腕に噛み付いていた。その後も何人もの女子が一人の少女に牙を向ける。

 しかし、少女は普通ではなかった。

「どいて!」

 少女が叫んだ瞬間、辺りの光景は一変した。

 店内にいた女子達は、店の壁まで吹き飛ばされめり込んでいた。それどころか、先ほどまで少女を襲っていた数名の女子がどこにもいない。まるで蒸発じょうはつしたかのように。

「ぐっ、へっ?う、うぎゃぁああああ!」

 正気を取り戻した一人の女子が、自身の惨状を認知すると叫び声を上げて意識を失った。彼女の体は、四分の一が文字通り消し飛んでいた。

「あれ?みんな大人しくなっちゃった。まぁいいか♪」

 少女は気に入ったチョコレートをレジへと持って行くも、当たり前だがレジにいた店員も口から泡を吹きながら直立不動の状態で気絶している。少女が力任せに店員の肩をガクガク揺らすと、ポキポキと気味の悪い音が滅茶苦茶になったチョコレートショップの店内に響き渡り、その肩から腕がだらしなく外れる。

「起きてくれないや………店員さん、ここのお店のチョコレートぜーんぶもらっていい?」

 店員は深く頷いた。実際は頷いたのではなく、首の骨が折れ、支えがなくなった頭が偶然縦方向に落ちただけなのだが。しかしそんなこと少女にとっては全く関係のないことだ。了承を得られた少女は、どこからともなく巨大な麻袋を引っ張り出すと、店の中にあるチョコレートを全てその中に突っ込み、店員に向かって一礼してその店を後にした。

「あれ?お金払ってなかったっけ?まぁいいか♪」


 その頃、世界を裏から支配するとある秘密結社の本部は、今までにない殺伐とした空間に変わっていた。白衣を着た研究員がところせましと駆け巡り、スーツを着た老人たちが会議という名の罵声の浴びせ合いに講じていた。

大総統だいそうとう!ヤツの居場所がわかりました!」

 大総統と呼ばれた二十歳ほどの若い青年が、声をかけた研究員の方を見る。その額には、冷や汗がしたたっていた。彼も他の人々同様、かなり焦っているようだ。

「そこは何処だ?」

 聞かれた研究員は、ホッチキスで留められた書類を乱雑にめくる。その間に指を三、四回紙で切るも、あまりの慌ただしさに気づいてすらいないようだ。項目を見つけた研究員は、自身の乾いた喉をズタズタに引き裂くような大声で大総統に告げる。

「東京都心!チョコレートショップを次々に襲っています!」

「わかった。すぐ特殊部隊を出動させろ」

「はっ!」

 指示された研究員が、躓きながらもかけて行った。依然慌ただしく動く自分の部下たちを眺めながら、彼は誰にも聞こえないような小声で、一人つぶやいた。

「やはり……私のせいなのだろうか…………。私のせいで…………『乙女』ザ・ガールは………」


 そんなこと知ってか知らずか、少女は都心にあるチョコレートショップを次々に潰していく。あまりにも非現実的な出来事に、周囲を歩く人々は、脳が麻痺してその真実を認知できないでいた。その時、ビルに設置してある巨大な画面に、一人のパティシエが映る。パティシエは世界で認められたチョコレートパティシエで、バレンタインデイが近いということもあり、画面いっぱいに自分の作った作品を見せながら自身の店の宣伝をしていた。

「あの人…………すごい!」

 瞬間、彼女の背中から鋼鉄製の翼が強烈な駆動音と共に出現した。その翼についたノズルに真っ赤な火が付くと、周囲に巨大なクレーターを残しながら亜音速で飛び立った。周りを歩いていた人は、カップルも会社員もみんなまとめて消し飛んでいた。

 加速に加速を加え、音速を超えたスピードでパティシエを探し回る少女。その横を数機の戦闘機が飛行していた。しかし、その戦闘機少女が破壊される寸前まで、その存在にすら気づいていなかった事は先に語っておこう。

「目標、高度一万三千メートル上空を音速で飛行中!大総統、どうされますか?」

 無線越しに大総統に指示を煽るエースパイロット。彼は数分後に自身が塵になることを今だに知らない。

「君も知っていると思うが、太陽に放り投げられてもそれは壊れん。気休めにしかならんと思うが、全火力を用いてそれを止めよ」

 大総統の言葉に覚悟を決めたエースパイロットが、覚悟を決めて他のパイロットにも無線を飛ばす。

「はっ!みんな聞こえたか!総員全火力を持ってオトメを足止めしろ!」

『ラジャ!!』

 無線機に他のパイロット達の声が届く。エースパイロットは先陣を切って少女の目の前を旋回する。目くらましのつもりだろうか?

(相手に普通の戦闘の常識は通用しない……ならば己で模索するのみ…………!)

 するとどうだろうか?少女の非行がフラフラとぎこちなくなっているではないか。すかさず気がついたエースパイロットが無線で他のパイロット達に指示を出す。

「今だ!ヤツに照準を合わせろ!」

『了解!』

 周囲を飛行していた戦闘機から轟音を上げてミサイルが発射されると、すかさず少女に向かって機銃が放たれる。一機、また一機と弾切れになるまで発射しつくされる。たった一つのターゲットにここまでする前例は今まであっただろうか?しかしここまでしなければ少女を足止めすることはできないと全パイロットは察していた。

「目標、沈黙しました!」

 爆炎の中にあった少女の反応が確認できなくなり、一人のパイロットが機内でガッツポーズを作った。その油断が、彼らの命取りとなった。

 突然、爆炎の中から水色に光る光線が放たれた。と同時に少女の反応が復活した。水色の光線は一機の戦闘機を跡形もなく消し去ると、辺りの煙をぎ払った。

「復活した……!?そんな!?死人は絶対に復活しない!それがこの世の定めだ!」

 一人のパイロットの声が無線越しに全ての戦闘機に送られる。そのパイロットは発狂して特攻した。しかしその行動も虚しく、再び少女から放たれた光線によって、パイロットごと戦闘機がまた一機消し炭になった。

「もうっ!何するのよ!!」

 少女は頬を膨らませて、まるでぷんぷんと音が聞こえてくるような愛くるしい表情で怒った。しかしそんな少女と対峙するパイロット達の表情は、まさしく恐怖の表情だった。

「たっ……退避いぃぃぃっ!!」

 少女を中心として旋回を続ける戦闘機が、エースパイロットの命令をきっかけに、まるで蜘蛛の子を散らすように散り散りになって逃げ出した。

「逃がすかぁ!」

 突如、少女を中心に強烈な閃光が周囲に放たれると、その光の中にいた戦闘機が自然発火を起こして制御不能になり、墜落する。その光はたちまち広がっていき、次々と戦闘機は墜落していった。パイロットたちは緊急脱出を図るも、服どころか肉体が発火していく。彼らは灼熱の中絶叫し、絶命した。

 ひとり閃光から逃げ切ったエースパイロットは、完全に狂乱状態な陥っていた。無茶苦茶な飛行を繰り返し、ギリギリの理性を持って基地へと帰還しようとしていたが、しかしその希望すらも即座に消え去った。

「さっきはよくもやってくれたね~っ!仕返ししてやるんだから!」

 例え無茶苦茶な飛行をしているとはいえ、戦闘機は音速で飛んでいる。にもかかわらず、少女はそんな戦闘機と並ぶように飛んでいた。少女の手元は、先ほどとは違う薄紅色に光る閃光が見て取れた。

「うがぁぁああ!」

 エースパイロットは、戦闘機が空中分解する寸前のスピードでその場から逃げ出そうとした。しかしそんな努力も泡沫うたかたの中に消えた。瞬時に少女の手から放たれたあかい光線が、エースパイロットの乗る戦闘機を真ん中から削り取るように破壊した。僅かに残ったのは、光線の範囲から外れた両翼の残骸だけだった。

「ったくもう。ちょっかい出さないでよね?」

 全ての戦闘機を消し炭へと変えた少女が、少し呆れたようにつぶやいた。今も煙が立ち込めるこのこの上空には、少女を除いて一人も生者せしじゃなどいなかった。

 その光景を大総統は、少女の瞳に取り付けられたカメラ越しに見ていた。大総統はなおも空を飛行する少女を観察し、次に行うべき行動を考えていた。その時、再び研究員に彼は呼ばれた。

「何だ?」

 不機嫌そうに大総統は返事をした。研究員はその威圧に怯えながらも、大総統に話しかけた。

「そ、その!ある方からお電話です!」

「……誰からだ?」

「『乙女』が探し回っているパティシエです!」

 その言葉を聞くや否や、大総統は椅子から跳ぶように立ち上がると、研究員に向かってそれが真実かどうかを問い詰めた。研究員は更に怯えながらも、その質問に首を縦に振って答えた。

 大総統はすぐさま目の前にあるモニターを電話回線に切り替え、通話した。その間、周りには通話が見られないように不可視バリアが張られた。

「ハーイ!あなたが大総統サン?」

「あぁそうだが」

 その後、会話の声すらも周りには聞こえなくなった。中ではどんな会話が行われているのかは分からなかったが、その周りでは数名の研究員が固唾を呑んで反応を待った。

「……本当に貴方はそれでいいのか?」

「大丈夫ヨー!ジブンにまかせなサーイ!」

 不可視バリアが解かれ、大総統の姿が見えると、周囲の人々は彼の行動に注目した。その期待に応えるように、大総統は鶴の一声を発した。

「全員、現在行っている行動をやめ、私の言葉を聞いてくれ」

 その声に、先ほどまで口論をしていた老人たちも、慌ただしく走り回る研究者も、全員が行動を止め、大総統の言葉に全神経を傾けた。

「我々は、『乙女』への攻撃を中断する。追跡もしなくて良い」

 大総統の一言に、全員が愕然とした。

「それではヤツはどうするつもりだ!これ以上ヤツを放置し続ければ、被害は更に大きくなるぞ!」 

 一人の小太りの老人が、大声で大総統に罵声を浴びせる。しかしその声に全く怯みもせずに彼は続ける。

「世界的パティシエ、フェイルノートから電話が来た。『乙女』が探しているパティシエだ」

 大総統の言葉に結社の全員がざわめいた。

「彼はこの結社の一般会員だ。我々の行動を見て、協力を申し出てくれた。そのためこれからは彼のバックアップに回れ」

 ちなみにこの結社は比較的誰でも入ることができる。名目だけ入り、活動を少しだけ共にする会員を『一般会員』と呼び、結社で働き、結社に骨を埋める覚悟のある会員などは『特別会員』となる。世界中の有名人は、大体がこの一般会員に所属していると言っても過言ではないのだ。

「それでは、作戦開始だ」

 大総統の号令で、結社は大きく動き出した。

 数分後、少女はアメリカはニューヨークのメインストリートにいた。少しでもパティシエの情報を手に入れるためだ。その時、ビルに埋め込んである広告用の巨大モニターに、パティシエの映像が映った。それは彼女が探しているフェイルノート本人だった。

「ドーモ!ジブンの名前はフェイルノート。しがないスイーツショップのパティシエやってマース!」

 突然の登場に、少女どころか周りの一般人たちもモニターに釘付けになった。モニターの中のパティシエは、少女をモニター越しに指差して話しかけた。

「オトメちゃん?君がミーのことを探しているのは知っているよ!ミーは今、ニッポンのキッチンスタジオにいマース!要件はちゃんと聞いてあげるから、誰も傷つけずにここまで来てネー!」

 言い終えると、モニターは普段通りの広告を流し始めた。そして少女はというと、再び鋼鉄の翼を肩甲骨から生やし飛び立った。しかし先ほどとは違い、周囲には全く被害は出なかった。

 十秒もしないうちに、少女は日本にたどり着いた。そして指示されたキッチンスタジオに向かうと、そこには世界中を飛び回って探した相手、パティシエのフェイルノートがそこにいた。

「ヤァッ!君がオトメちゃん?」

 翼を体内に隠すと、少女は元気よく頷いた。そんな彼女にパティシエは微笑みかけると、そのままパティシエは少女に要件を聞いた。

「えと、バレンタインてあるじゃないですか!私、どうしても心のこもったチョコレートを渡したい相手がいて、そんなチョコレートと、作れる人を探していたんです!」

「それがミーってこと?ははっなるほど!じゃあ、一緒に作ろうか!」

「はい!」

 少女は抱えていた袋の中から、幾つもの高級そうなチョコレートを出した。そのチョコレートは偶然にも、全部がパティシエのデザインしたチョコレートショップの商品だった。

 どうやらお金は払っていなかったらしいが、パティシエがその事を少女に言うと、少女は財布から大量のお札をパティシエに手渡した。

(自分のデザインしたチョコレートを湯煎してチョコレートを再び作る……ふふっ、なんだか不思議だなぁ)

 少女の手の上に自身のてを重ね、一緒にチョコレートを作りながらパティシエは思った。少女の手は、まるで恋い焦がれる少女のように熱くなっていた。実際は体の中の機械を冷やすための排熱に過ぎないのだが。

 少女は湯煎を終えたチョコレートを、巨大なハート形に形作った。それをパティシエはにこやかな表情で眺めると、固まるまでの数時間を、少女と共に過ごした。少女から、チョコレートを渡したい人の驚愕の正体や、彼女の本名を聞いたパティシエは、少しラッキーだと思えた。

 チョコレートが固まると、パティシエはピンク色の豪華な包みでそのチョコレートを包装し、赤いリボンで結んでやった。少女はそれを嬉しそうに受け取ると、結社の本部へと元気よく飛び立った。

 少女をを見送ったパティシエは、大総統へと再び電話をかけた。

 少女が本部に着くまで、何秒もかからなかった。少女が中に入ると、そこには巨大なバリケードの後ろに隠れる結社の会員たちと、その前で悠然と仁王立ちをしながら彼女を待つ大総統の姿だった。

「だいそーとー!!」

 少女は思いきり大総統に抱きついた。大総統はすこし驚いたが、まるで恋人や我が子を見るような眼差しで彼女を見ていた。

「だいそーとー!こ、これ受け取って!」

 そう言って少女が手渡したのは、先ほどパティシエと作ったハート形のチョコレートだった。大きなチョコレートを大総統が受け取ると、ため息を交えながら彼は語りかけた。

「その、ありがとう……だが、お前に二つほど言いたいことがある」

「はい?なんでしょう?」

「今回の被害、どうするつもりだった?」

 途端に少女は押し黙ってしまったが、それもまたため息交じりに頭を撫でて許した。結社ではすでに全てのテクノロジーを駆使した証拠隠滅が開始されており、死者は全て復活し、破壊された建物や乗り物も全て破壊される前の姿へと戻っていた。

「お前は世界機密なんだから、そんなに暴れ回っちゃだめだろ?」

「ううっ……ごめんなさい…….」

 少し泣きそうになっている少女を、大総統は一層優しく頭を撫でながら慰めた。少女はくすぐったそうに首を左右に振りながらそれを楽しんだ。

「あと一つ」

「はい?」

「バレンタインは明日だ」

 少女は赤面した。

 こうして、世界の命運がかかった『バレンタイン前日殺戮デイ・キル未遂騒動』の幕は降りた。次の日、改めて少女はチョコレートを大総統に手渡した。大総統はそのチョコレートを少女の目の前で食べてみせ、普段の冷たい表情を少し緩めて微笑んだ。その表情を見て、少女も満面の笑みを浮かべた。

 二人は末永く楽しく過ごすのだが、それはまたいつか、別の話で。
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