冷たいあずきぜんざい

宝狩 わいと

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冷たいあずきぜんざい

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「ご主人、そろそろ休んだ方がいいんじゃない?」

 小豆色の割烹着を着用した小柄な少女が、短めの無精髭を生やした甚平姿の男に緑茶を渡しながら、半ば呆れたような目で声を掛けた。
 すっと伸びた手には黒く柔らかな毛が手首から指先にかけて生えており、縁側に設置された風鈴を鳴らす風に合わせて、朝露に濡れる草原の如く獣毛がなびく。

「大丈夫だよあずき。それにもうちょっとで仕上がりそうなんだ」

「そう言って、さっきから一文字も進んでないじゃない」

「いやぁ……なはは」

「今日の夜明け前からずっと原稿用紙とにらめっこ、頼もしいけどご主人が倒れたら私はどうするの?」

 畳張り六帖間の座布団の上に胡座あぐらをかき、目の前のちゃぶ台に原稿用紙を散らかしている『ご主人』と呼ばれた男は、申し訳無さそうに引きつった笑みを浮かべた。
 その様子から察するに、彼はどうやら物書きらしく、今時では珍しいパソコンを使用しない何とも出版社に手間をかける作家であるようだ。

「昨日は先に寝ちゃったけど、結局何時に寝たのよ?」

「……午前二時、くらい?」

「それで……夜明け前に起きたと」

「う、うん!」

「馬鹿じゃないの!? 」

 主人である男を罵倒しながら、あずきは桃色がかった鼻をひくつかせ、原稿用紙の散らばるちゃぶ台を強く叩く。
 その音に男は心底驚き、砕けるように腰を引いてしまった。

「私は毎朝四時には起きるわ! ご主人の朝食を作るためにね! その時には既に貴方は起きてたという事は、四時前には起きてたって事じゃない!」

「ほ、ほら! ナポレオンだって三時間しか睡眠を取らなかったって言うじゃない? だから――」

「だ・か・ら・何?」

「…………スミマセン」

 男はその場で三つ指をつき、粛々とあずきにむかって頭を下げる。
 その様を見た彼女は、猫の耳が生えた艶のある自身のおかっぱ頭を手櫛で軽く撫で、引け腰になっている彼の前へと正座した。

「それに、私は昔ナポレオン様に会った事があるけど、あの人だってきっちり三時間しか寝ていない訳じゃなかったわよ? 稀に客人の前でも頭が船を漕いで……居眠りしていたもの」

「そうなの?」

「ええ。エジソン様も同じ、彼も四時間以上眠ると気分が悪くなると言っていたけど、昼寝したり微睡んだり大変だったわ」

「ほうほう……何かのネタになるかな?」

「それに比べてアインシュタイン様は本当によく眠っていらっしゃったわ……って、まだ聞きたい? 私の昔話」

「うーんどうだろう。あずきが何を言いたいのかにもよるな~」

 悪戯めいて男がそう言うと、呆れた表情のままあずきはすくと立ち上がり、彼の背後へと静かに回り込んだ。
 そして彼の油断しきった肩に小さな両手をかけ、彼女なりの渾身の力を使って男の体を引き、その頭が自身の膝の上へと乗るように倒す。
 そして、まるで夜更かしをする子供を優しく叱るように、一言。

「寝なさい?」

「眠れないよ、終わってないんだし」

「すぐに起こすわ。さっきはああ言ったけど、どちらかと言えばご主人は短い眠りを繰り返すタイプの人間よ。だから少し休めばきっと良い案が浮かぶわ」

「……そう、なら寝てみる」

「ええ、おやすみなさい」

 彼は睡魔に飲み込まれながらも一言だけ言い残し、彼は安らかに目を瞑った。

 しかし。

「眠れない」

「そうだと思ったわ」

 瞼こそ重く感じ目の下に薄く隈を作る男であるが、流石に突然眠れと言われても眠れる訳が無く、体と脳がバラバラに働いているようだった。

「何とか寝かせてあげないとね……何かして欲しいことはある?」

「そりゃ、いやらし――」

「もし貴方に母親がいたとして、それを頼む? 貴方を幼少から育て続けたのは一体誰だと思っているのかしら?」

「だって俺、母親って何なのか知らないもん」

 男は悪戯のようにそう言うが、それを聞いたあずきは自らの薄い唇を噛み、己のみが知る悲しみに撃たれる。
 彼女は愛おしそうに膝の上にある男の頭を眺め、その白魚のように細い指で、無防備な彼の頬を撫ぜた。

「私だって、人になる前に自分の子供を育てただけ。人間を育てたのは長すぎる私の人生の中でも、あなたが初めてよ」

「あずきの場合は“人生”じゃなくて“猫生”じゃない?」

「……そうね」

 本来は人ならざるものであるあずきとて、その肉体は母の愛に育まれながら生まれ、母の愛に満たされて幼少を過ごし、母の強さとそれに対しての尊敬を知っている。
 そんな彼女にとってこの男の存在というのは、あまり出してはいないつもりであるものの、心の底では少しばかり「哀れだ」と思ってしまい、そしてそんな自分の事を許せなかった。

「ってそうじゃないの! ご主人には寝てもらわないと!」

「え~? あずきと話すの楽しいのに」

「ダメよ、一刻も早く休んでもらわないと」

「でも眠れないんだよ」

「――全く、仕方無いわね」

 ここであずきは何百年と生き蓄えた知識を総動員し、眠れないと嘆く自分の主人を癒すための策を練る。
 こうして思い付いた一つの案。それを元にあずきは一度、男の頭を近くにあった座布団に乗せ直し、自分は男から離れて立ち上がると、彼の体をうつ伏せの形になるように反転させた。

「わ、わっ……なにすんだよぉ」

「安眠への導入よ、リラックスしなさい?」

「導入?」

「そっ、上に乗っかるから覚悟しなさい」

 一言だけ忠告をすると、あずきは男の腰上に体重をなるべくかけないようにと跨り、華奢な手を広い彼の背中へと軽く押し当て、ぐっ……と指を入れた。
 背骨を左右から挟み込むようにぐいっ、と獣毛の生えた指で重点的に押し込みながら、その腕を上へ下へとさすり、凝り固まった箇所を和らげる。
 彼を安眠へと誘う為に行ったあずきの行動、それは所謂リラクゼーション・マッサージといったものであった。

「おっ……おほっ……これは…………」

「気持ち悪い声を上げないの。やめちゃうわよ?」

「だってキモチイ~んだよ? あずきだって爪を切ってあげてる時、ゴロゴロ喉を鳴らしてるじゃないか」

「そ、それは……人の形になる前の名残よっ! 今だって手はむくじゃら、足なんて完全に猫の足のままなんだから!」

「そこが可愛いのに……」

 男にからかわれ、心無しかあずきが背中を押す力も強くなるが、本能的にその力も抑制され良い塩梅の力となって男に伝わる。
 普段から背中を丸めて原稿用紙と真っ向から向き合い、通常の生活とあずきとの交流以外では朝から晩まで執筆を続ける彼の体は、彼女の思っている以上にカチカチに固まっていた。
 そんな彼の背中を、彼女は水気の飛んだ粘土を捏ねるかの如く、痛みを感じないようにただひたすらに快感を得る事ができるようにと指を押し入れる。

「あずきはそう言うけど、好きなんだよ? 勿論ラブな意味で」

「……私も、好きよ。でもご主人はご主人だもの」

「脈はあるのに届かない。むずかゆいねぇ」

 うつ伏せのまま調子良く軽口を叩く男に少々の苛立ちを覚えたのか、あずきは彼の腰骨のあたりにに両手を掛け、上半身の体重を全てかけるような勢いでその手を沈み込ませる。
 瞬間に関節が鳴る音が響き男は小さく呻き声を上げるが、それによって彼の凝り固まり少し歪みが生じていた腰骨は矯正され、心なしか体が軽くなったような感覚に彼は浸った。

「体を起こしてっと……次は肩ね」

 うつ伏せで横になっていた男を一度仰向けにさせ体を起こし、少しずつ眠気に飲まれ始めている彼の肩をぐいと掴んだ。
 そして肩口から腕にかけて、ゆるゆると筋肉をほぐしていくように揉み解き、固くなっていた彼の商売道具である腕を癒す。

「今度さ、あずきの話を取り入れた作品を書こうと思ってるんだ」

「私の? ご主人も物好きね」

「だって面白いんだもの、流石は何百年と生きてきただけの事はあるよね」

「……お世辞を言っても、何も出ないわよ」

 独特の褒め方にあずきは少し恥じらいながら、柔く揉み解いた肩を今度は軽く握り込んだ手でリズム良く叩く。所謂叩打法こうだほうというマッサージの一種だ。
 常人以上に精密な筋力を持つあずきにとって、この叩打法というマッサージは最早おはこであり、男もこの叩打法で幾度となく夢の世界へとノックアウトさせられている。

「このマッサージは叩いた後いかに早く引くか、が大事なのよ」

「へぇ~、何で?」

「あまり深く入れすぎると、それはもうただのパンチになっちゃうのよ。軽い刺激を連続させるような感じで、ね」

「あー、ニュアンス的には分かったかな~」

 丁度良いスナップを効かせながら男の肩を満遍なく叩くこと数分、とうとう彼の頭は船を漕ぎ始め、口数も少なくなる。
 ここてトドメとばかりに、あずきは彼の頭を地震の膝の上へと再び誘い、仰向けに寝かせた。

「どう? 眠れそう?」

「うん、良い塩梅」

「なら、仕上げね」

 す……と、あずきの両手は男の頭を左右から挟み込むように軽く添えられ、親指の関節を駆使して彼のこめかみをぐり、ぐり、と捏ねるように回す。
 目を酷使する仕事のためか、やはり彼も眼精疲労の気があるようで、心地良い痛みを伴うこのマッサージは彼にえにも言えぬ快感を与えた。

「…………貴方は良いの? 私にいいように利用されて」

「利用? 何の事さ」

「貴方を大人になるまで育てて、お金が稼げるようになったらそこに寄生する。それが私の目的だったのよ?」

 普段は冷静に少し間の抜けた男を支えるあずきが、その日に限ってまるで悪い夢でも見たかのように不安気で、マイナスな言葉ばかり呟く。
 しかし男にとって、彼女のそれは取るに足らない問題だった。

「あずき、君は言葉を間違えているよ。君との関係は一方的な『寄生』じゃなくて、お互いを支え合い『共』に『生』きる――『共生』だよ」

「共生……でも、私はご主人に何も…………」

「何も? 君はいろいろしてくれているじゃないか。ご飯を作って、お風呂を沸かして……今だって、こうやって奉仕をしてくれている」

「そうね……洗濯は苦手だけど」

 ここで男は、先ほどから幾度となく交わされあしらわれている言葉を、凝りもせずにまた話し始める。
 しかし今回は今迄と一線を画し、おちゃらけた様子は一切見せずに、真面目な声の調子に整え彼女の瞳を膝の上からまっすぐと見つめ……

「あずき、結婚してく――」

「嫌よ」

「何でさぁ……」

 腹を据え覚悟を決めた告白も、あずきの前にことごとく撃沈した。
 しかしそんな辛辣な言葉を覆すかのように、彼女は続けるようにして語り出す。

「いいじゃない、別に結婚なんてしなくたって」

「え~? 相思相愛なんだし、長年一緒に居たんだからさ」

「だからこそ、結婚しなくたっていいのよ。私と貴方はもう、たった二人だけの家族よ?」

「……そうだね」

 一言だけで彼女の言葉に答えると、男は微睡んだ瞳をゆっくりと閉じ、少しずつ、少しずつ眠りに落ちていく。

「三時ごろには起こしてよ? 一眠りしたら、本当に良案が浮かびそうだから」

「ええ、それならおやつでも用意しておくわ。何がいいかしら?」

「うーん……ぜんざいかな?」

「ぜんざい? こんなに暑いのに?」

「うん……だから、冷たいあずきぜんざいを…………」

 男は最後の言葉を言いかけたまま意識が途絶え、やがて静かな寝息を立てながらあずきの膝の上であどけない表情を浮かべたまま眠りに就いた。
 その様子を見計らい座布団をまくらにして彼女は脱出すると、近くにあった薄手で肌触りの良いタオルをふわりと男に掛け、自分は彼に頼まれたおやつの準備を早速開始する。

「冷たいぜんざいなんて、無理難題を言ってくれたものね…………あら?」

 ふと彼女は、男の近くに転がっていた布製のいかにも高級そうな小さな箱に気がつき、そのままひょいと拾い上げる。
 刹那的に彼女はその箱の正体に気づいていたが、心の中でそれに気づいていないと思い込み、その箱を開ける。
 すると案の定、箱の中には光を反射してキラリと輝くプラチナ製のエンゲージリングが入っていた。

「……ふふっ、こんなに本気だったなんて」

 あずきはその箱からリングをひょいとつまみ上げ、ほんの戯れに自身の左手薬指をそのリングへと差し入れた。
 するとどうだろうか? リングはまるで彼女の手に生えた獣毛も計算に入れたかのように、まるで体の一部になったかのようにぴったりと収まったのだ。

「…………愛しているわ、ご主人。主従として、育てた子として、家族として――貴方を、愛してる」

 独り言をつぶやくと彼女は顔をほんのりと赤く染め、薬指にはまったリングを外して箱にしまい元の場所へと戻し、元々の目的であったおやつの制作をするために台所へと向かった。
 心から愛する男に、冷たいあずきぜんざいを作るために。
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