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第伍章

106話 傍を離れるな

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「——トリア、——ントリア」

 心地良い感覚だ。まるであの日みたい。あの日は一人で留守番していて、晴兄と遊んだ日のことを思い出しながら、遊んでいたけど。時間は経ってくれなくて。何もすることがなくなって日向ぼっこしていたらいつの間にか寝てしまっていた。
 優しい声が聞こえて目を覚ましたけれど、心地が良かったから寝たふりをした。いつ帰ってきたのか。俺は母さんの膝枕で眠っていたようだ。

 母さんの声が降ってくる、優しい手付きで髪を撫でられ、窓からはぽかぽかと暖かい光が入り、鼻いっぱいに母の優しい香りがする。

 もう少しこのままでいたい。心地が良い、このまま。あとほんの少しだけで良いから。一緒に居られるだけでいいから。


「かあ、さん……」
「ヴァントリア。俺は母親ではない……起きるんだ。ここを出るぞ。ヴァントリア」

 誰かに膝枕されているようだった。優しい声で名を呼ばれてハッと目覚める。

「ふ、ふあああああああああああいふぉえあ!? な、何で君に膝枕——って言うかさっき、す、すすす、好きって、あ、いや、何でもない! 夢だ、あれは夢だ妄想に違いない」

 いや、よく考えろ変な意味じゃない。子供に好きと言われるのは嬉しいことじゃないか。

 俺だって晴兄に散々好きだと言っただろ。シストお兄様にもたぶん言った。幼い頃は好きだったから幼い頃は。

「それにしたって……俺、さっき」

 ヒオゥネに言われたことが突然頭を過る。

 ——ヒオゥネは俺からキスしようとしたことないのか……って言ってたけど、俺、子供相手に何しようとしたんだろう。考えれば考えるほど、確実になる。俺は変態だったのかそうなのか。

 でも何でだ、初めて会ったばかりなのに、怖かったのに。あの表情を向けられると、名前を呼ばれると、不思議と心が落ち着く。そして変に、心が乱れる。

「こっちだ」

 彼は今度は手を取ろうなんてしない、背を向けて先へ行こうとする。——待って。咄嗟に手が出て彼の肩を掴んでいた。

「ま、待ってくれ、ラルフ達はどうなるんだ」
「過去の世界に干渉することは禁じられている」

 振り向いて目を合わせてくる瞳に酷く安心感を覚える。

「でも……他の門では博士と話せたんだ」
「門……オリオのことか。リンク先へ繋ぐ為の部屋だ。干渉していたなら、君は記憶の門からオリオへ戻って来たんだ」
「確かに。門を潜ってから変な部屋へ落ちたけど」

 彼の門が沢山あった部屋が彼の言うオリオだろうか。

「天井に記憶の門があっただろう」
「あれが記憶の門——それじゃあ、俺は博士の記憶の中にいたのか?」

 子供は首を縦に振り、手を机へ向かって伸ばした。しかし、机には触れずすり抜ける。

「記憶なら人物や物にも干渉することが出来る。特定の一人に話し掛けると周囲の者にも影響し彼らの記憶にもリンクして起きた出来事が刻み付けられる」

 確か、デュオンに話しかけた後に先生や生徒達に認識された。なら彼らの記憶にも俺の存在が残っていると言うことか。

「博士や生徒達の記憶では俺が存在したことになってるけど。本当は存在していないってこと?」
「ああ」

 博士の父親が侵入者の痕跡がなかったと言っていたが。現実では起きていないことだから俺が屋敷に侵入した痕跡などそもそもなかったのか。

「あれ、なら俺が渡した触手は? 干渉が出来ない世界でもちゃんと持っていたぞ」
「呪いで出来た空間に呪いを抑える代物を干渉させた。何が起きるか俺にも予測不可能だ。恐らくあの瓶は持ち込まれてからずっと、記憶と現実の狭間に存在していた。君が譲渡したことと博士とやらの記憶に、より強く刻まれたことによって現実への干渉禁止を跳ね除けたのだろう」

 む、難しい。つまり、どう言うことだ。

「そうなんだ。あれ、でも俺呪いを抑えるなんて一言も……」
「ずっと君を見て来たからな。何でも知っているさ」

 当たり前のように宣言されても……。ちょっと怖いんだけど。

「何処まで知ってるんだ」
「そうだな。君が誰とキスしたか……とか」

 もともと冷酷な瞳がひと睨みで世界を滅亡させそうなくらいの眼力になる。青い瞳がより青く輝いて不気味だ。

 ——て言うか、誰とキスしたって。知ってる訳ない。俺だって思い出したくもないし語りたくもないのに。どう知る由があるって言うんだ。

「ルーハン・メリットス、ヒオゥネ・ハイオン、そしてシストにゼクシィル、サイオン、ディスゲル、ロベスティウ……そしてウラティカシェハニエル含む雌共。奴らには死よりも恐ろしい苦しみを——」
「ちょっと待って! キスされた覚えない人の名前も出たけど!?」

 それより何より今ゼクシィルって!

 両肩を掴み身体を無理矢理こちらへ向けようとするがビクともしない。戸惑っていると意図を汲み取ったのか子供はこちらに身体ごと振り返った。

「君はゼクシィルを知ってるのか?」
「ああ」

 こんな子供が知っているだなんて。それとも初代の弟として有名なんだろうか。少なくとも前作のゲームでは出て来なかった気がする。

 シスト達と名前を並べるあたり、読み聞かせで名前が出て来た、と言う感じではないだろう。

「……まあ、いいや。今は」

 今は、ラルフを助ける方法を考えなくちゃ。

「絶対に干渉出来ないのか?」
「ああ」
「じゃ、じゃあ!」

 思わずずいっと顔を近付けても反応を見せる様子はない、ジノやイルエラなら睨んでくる。博士も睨む、ウォルズは喜ぶ。何でなのかわかんないけど。嫌なのかも、今度から気をつけよう。

 でもこの子は見つめてくるだけで——いや、異常な位の熱視線だから反応を見せていると判断していいか?

「記憶の門へ戻って、博士に侵入するなと警告するのは? 俺のことを覚えてるってことは、間接的に干渉が可能なんじゃないか?」

 いやしかし。もし可能でもイルエラとジノを連れ出すことがなくなってしまう。

 ぐるぐるとどうにか出来ないかと考え込んでいると、子供は一ミリもずらさないと言いたげな熱視線と俺を見ること以外何にも興味がなさそうな表情を変えずに答えた。

「……間接的でも干渉することは禁止されている」

 冷たく言い放たれたが、必死に懇願して顔を近付けると押しが強過ぎたのか身体を仰け反らせる。

 ……気のせいか? 雪みたいに白く冷たそうな肌がほんのり赤く色づいているような……。

「お願いだ。ラルフを助けたい……ずっと見てたなら知ってるだろうけど、イルエラやジノも助けたいんだ。どうしたらいい、どうやったら助けられる? 禁止されていない行為以外なら何でもしていい? 助けられる方法があるんじゃないのか?」

 凍て付くような瞳に訴えかけると、子供も顔を近づけて来るから思わずこちらが仰け反った。バランスを崩し、後ろに倒れそうになると小さな手に腰を掴まれて支えられる。何て力だ。ビクともしない。

「…………仕方がない。昔から君の頼みは断れないんだ。ここは俺の創造した空間だ。過去を変えることを禁止したのも俺だ。だが君の為なら世界が崩壊しようと正直どうだっていいのさ」

 そんなバカな。

 思わず突っ込んだが。

 それよりも気になるのは、昔から……という単語だ。俺はこの子に会ったことがあるのか?


 見た目は小学生なんだけどな。会ったとしたら、昔……と言われたし、もっと幼い姿で対面しているわけだが、これ以上若い頃って、どんな姿なんだ、想像出来ない……。

 随分と大人びているし、まさか、見た目以上の年齢なのか? あり得る。だって魔法も亜人も呪いだって存在する世界だもん。

「ここを出るぞ。君の言う通り記憶の門なら——」

 ドォンッ——と彼の直ぐ後ろの壁が爆発する。直後大小様々な瓦礫が飛散して俺達の身体を擦り抜けていった。

「何だ……っ」
「傍を離れるな」

 砂煙が立ち込めて周囲の様子が確認出来ない。先刻は部屋と呼べない状態になっていたが、今は洞窟と呼ぶべきか。よく崩れないな。

 ゲームでも崩壊した地面の下——つまり地下室を冒険するシーンがあったが、これも新作で追加されたステージの一部かも知れない。

 煙が落ち着いて、周囲から浮いた黒髪と美しい青の瞳を見つけてもっと傍に寄る。

 微動だにしない彼の背後を恐る恐る覗き込めば、薄い茶髪の少年がボロボロになって倒れていた。


「ラルフ……!」

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