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第伍章
121話 自分が大嫌いだった
しおりを挟む身体の芯は冷え切っているのに、外側には焦りで汗が滝のように吹き出始める。今度は目の前が歪んで見え出した。どよめく周囲の人の喧騒がノイズのように頭に響き渡り、脳が揺さぶられるように酷い頭痛に襲われる。
目の前の大きく見開かれた瞳にだけ集中して、震える唇を必死に動かす。
「……どうも」
……どうもはないだろ。俺の口。
相手からの返事はない、突然自分が目の前に現れたのだから無理もないけど。何も言わないでいられるのは途轍もなく不安だ。
「……だ、」
「え……」
14歳ヴァントリアの瞳が光を帯びて潤む。ちょ、な、泣くほど驚いたのか!?
今にも泣き出しそうな自分に動揺していたら、彼の口からとんでもない言葉が飛び出した。
「なんて、綺麗なんだ……」
「え。」
「俺の顔……」
うっとりと俺の両頬を撫でるように触れてきて。それにぞあっと鳥肌が立つ。
「このナルシストめ……っ!」
「冗談だ。俺の顔で間抜けな顔をするな」
「本気っぽかったぞ!?」
「まあ大人になった俺もマジイケメンなのは仕方のないことだ」
「お前な……」
「冗談だ。簡単に間に受けるな」
ヴァントリアの毅然とした態度に、不思議と周囲の人のざわめきが収まっていく。みんなの視線は14歳の方のヴァントリアへ注がれていた。みんなが動揺する中、一番驚いてもいい人物が自然体で話しているのだ。そりゃ、気にならない訳がない。
「驚かないのか?」
「驚いたさ。まさか自分に惚れかけたとは——……まあ仕方のないことだな」
「お前なぁ……」
「そうじゃない。俺の考えを分かってくれた、俺なんだから当たり前だ。お前になら話しても大丈夫だと思えたのは、相手が自分だったからか」
平然と話しているが、瞳を見つめれば見つめるほどその奥では寂しがっているような気がして、相手の両頰を同じように挟む。肌触りの良い頰を潰すとむくれっ面になる。
「おい、なにほふる、はなへ——」
向こうからもぐにっと俺のほっぺたをつまんでくるので、こちらもつまみ返す。
「おひ」
ウォルズの前で自然な笑顔が出ていた、と言ったけれど。それ以外の場面では下卑た笑顔くらいしか見せなかった。
俺の前で笑ったのも、俺に心を許したからなのか。14歳のガキのくせに……いつからこんな事をしているんだ。こいつは。
「俺はお前が嫌いだよ」
「…………」
本当に莫迦野郎だったんだな、ヴァントリアって。
そんなこと言ったっけ、そんなことしたっけ――全ての記憶が残る訳じゃないんだ、そう思うことだってたまにある。けれど、後悔したことについては強く頭に残り、思い出しては自分に苛立ちを覚える。
そんな自分が具現化して目の前にいたら、そりゃ腹が立つ。昔の自分なんか嫌いだ。後悔の塊なんか。
14歳ヴァントリアは抵抗せずされるがままにハムスターみたいになって頰をつねられている。そんなされるがままの自分の頰に一筋の光が伝っていくのが見えて、泣かせてしまったかと一瞬焦ったが、ヴァントリアの顔がぼやけていって。
目を擦ってみたら、拳の上に湿った感触がする。泣いていたのは俺の方か。
「俺の方が泣きたいんだが」
「散々泣いてたくせに」
「お前言われたくない!」
ごしごしと相手の袖で拭われて痛い、顔を離そうとすると、襟首を掴まれて引き寄せられる。
「俺はお前に惚れたことは後悔しない」
「……さっきから、惚れるとか惚れないとか、何言ってるんだ?」
「はあ?」
ヴァントリアの片眉が歪に曲がり不機嫌ですと主張する。
「だって、男同士ってだけじゃなくて……自分相手にそんな感情……」
「知るか。好きになったんだからしゃーないだろ」
んなの、潔すぎるだろう。
それにアゼンとは違ってさらりと言うものだから、つい流してしまいそうになる。
ヴァントリアにとって特別な存在になってしまったのは、彼を分かってやれる唯一の人物だと認識されたからだろう。俺も晴兄が傍にいてくれた時はめちゃめちゃ嬉しくて大好きになったんだもんな。
俺が消えたら、こいつはどうなるんだろう。
「……なあヴァントリア。さっきの話どうするつもりだ?」
「さっきの話?」
「お前が強姦したと偽装していた話だよ」
そう言うと、ヴァントリアの顔がサッと青ざめる。辺りのざわめきと一緒に彼の顔はどんどん余裕が剥がれて言った。
「なんで…………言うんだよ、こんな大勢の前でそんなこと、俺のしてきたこと、全部泡にするつもりかっ!?」
「良かったな、いつもみたいに平然と悪者を演じて俺の言葉を否定していればお前は誤解されたままだった」
しまった、とヴァントリアの表情が明らかに言っていた。周囲の人々が再び大きくどよめく、ヴァントリアは大量の汗を吹き出し、周りを見るのが怖いのか俯いて震えるだけだ。
「お前は間違ってるよ、ヴァントリア。19歳の俺だからそう思うのかもしれないけど」
だが次の瞬間。
14歳の自分は――くくく、と腹の底からの笑い声を上げて、――直後、悪魔の様な嘲笑を浮かべて空を仰いだ。
「違う! 俺は好きなものを好きに扱っただけだ! 間違ったことなんてしていない、強姦? 愛し合っただけだろう、例えどんな姿になろうと俺を愛してるならあいつには良かったのさ!」
醜い遠吠えだった、周囲のざわめきが冷たく刺すように痛くなっていく。これが演技などと考えられない。
ただ、演技だと知った者の目にはその姿は痛々しい。まるで荊棘に囚われていると分かっているのに、自分の身がどれだけ傷つこうとも、どうにかしようともがき続けているみたいだ。
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