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第八章

182話 好きな人

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 焦燥感でもう何も考えられない。ゆっくりと、目の前の映像がスローモーションのようにゆっくりと流れていく。

 浮遊感と人の視線が怖くて、ぎゅっと目を瞑る。

 しかし、ドサッと言う音がしてからと言うもの、自分の身体に何の痛みも伝わってこないので、戸惑いながらそっと目を開く。目を開いた先にはこちらを覗き込むようにしている見知った顔があった。

「……エル、デ」
「お怪我は?」

 …………どうしてエルデが。そ、そうか、彼の身体能力なら追い付ける。舞台から落ちた俺を見て、エルデが助けに来てくれたんだ。

 エルデの腕に抱かれながら、慌てて舞台の上を確認する。

 踊り子達は笑顔で踊っている。お客さん達は不安そうにこちらの様子を窺っていた。

 ――このままじゃ、ダメだ。

 暴走して自分勝手に踊り、みんなの踊りの邪魔をして、しかも踊り子が舞台からも落ちてしまうと言う最悪の結果をお客さんに見せてしまった。このままじゃ、彼女達の舞台を台無しにしてしまう。せめて、舞台の上でみんなと同じ踊りで、最後まで踊らないと。今までの練習が無駄になってしまう。

 踊り子の皆もきっと動揺していた、なのに顔に出ていない、踊りに出ていない。俺は? 俺はどうだった?

 シストやヒオゥネなんかに気を取られて、全く集中出来ていなかった。出来ていなくても笑顔でいないといけなかったんだ、なのに俺は、笑えてなんかいなかった。踊れてすらいなかった!

「もしかして、お怪我を?」

 ずっと腕の中で黙り込んでいた俺を見て、エルデが冷静に尋ねてくる。そのエルデに向かって、気持ち、声を高くして、言った。

「……エルデ、……様、頼みがあります」
「はい?」
「俺、いや、私を、舞台に放り投げていただきたいんです」
「分かりました。貴方を放り投げ……ま、す………………放り投げるッ!?」
「お願いします!!」
「いやしかし!」

 俺達の会話は聞こえていないようだが、舞台にすぐ上がらない俺を見て客席がざわついている。

「お、お願いします、このままには出来ません、みんなの為にも!」

 顔を近づければ、ビクッとエルデが震える。

「エ、エルデ? ……様?」
「わ、分かりました」
「お願いしますっ!」

 エルデは頷いて、俺を横抱きにして立ち上がると、「では、いきます」と言う。投げられる前にお礼を言おうと思っていたのに、すぐにポイッと投げられて、空中で言う羽目になってしまった。

「――ありがとうございます……!」

 笑顔で舞台に戻らなくちゃ。

 そう思ってエルデに笑い掛ける。舞台の上に着地して、踊り出せば、歓声が沸く。

 よし、元気なところを見せるぞ!

 笑顔を意識して、何より楽しんで踊ることを意識すれば、びっくりするほど簡単に、ランシャの踊りが踊れてしまう。

 ふとした時、ヒオゥネへと視線がいってしまったが、さっきからずっと注目を浴びていたからか、交わらなかった視線が重なる。

 ――――ドキン。

 また、心臓が変になってしまったけれど、でも、もう大丈夫だ。落ちた時の焦りの方が強かったからだろう、緊張も解けて練習通りに踊れている。

 何より、やっとみんなと踊れて、緊張も解けて、初めて、舞台と祭りの雰囲気を感じることが出来ている気がする。

 あんなに怖かったお客さんの視線が、今ではキラキラと輝いて見える。歓声が沸く度に目の前が明るく照らされるような、なんて、暖かいんだろう。なんて、楽しいんだろう!

 そうか、初めからみんなが言っていた。きっとバレない、堂々として踊るんだ。そして、楽しむことだけ考えて踊ればよかったんだ……!

 そこから先は練習通りの完璧な形でフィナーレを迎えることが出来て、踊り子達は順番に舞台裏へはけて行く。次の出演者が出るのでここはスピーディーだ。

 彼女達ランシャが開催するイベントの時は自己紹介をして質問を受けたり握手をしたりするらしいんだが、今回はゲストで呼ばれたこともあるし、他の出演者も大勢いるからこの1度だけで出番は終わりだ。

 舞台裏に集まった時に、皆から「あほんだらー!」と怒られる。

「ビックリするじゃないあんな踊りはじめてみたわ! 見惚れちゃったじゃないどうしてくれんのよ!」
「ランシャの名前よりオチリスリの方が有名になっちゃいそうだよーどうしよー改名しちゃう?」
「ごめんねぶつかっちゃって、落ちたのが見えてゾッとしたわ! 助けられなくてごめんなさい、ほんとエルデ様ありがとう! うちの可愛いヴァントリア様を守ってくれて!」
「私達も落ちた時心臓飛び出るかと思ったわよ! 怪我してない? もー、あの舞台高すぎよね、エルデ様がいて良かったわ。て言うかエルデ様かっこよすぎよ! 私もあの逞しい腕に抱き止められてみたい! わざと落ちちゃおうかって考えちゃったもの!」
「色っぽかったわヴァントリア様、どうしたらあんな踊りできるの、指先どうなってるの? そこに心でもあるの? なんであんな表現できるの? 好き好きって気持ちがいっぱい溢れてたわー」

 え? すき……? 確かに、踊りは好きな方だけど……。

「あの足の爪先でベール掴む振り付けどうやるの!?」

 あれ飾り布じゃなくてベールだったのか。

「伝説のオチリスリの踊りが踊れるなんて聞いてないよ!」
「教えて! 教えて! オチリスリの振り付け教えてー!」
「舞台の上で他のことに気を取られるなんてあああー! 客席盛り上げ役に回ればよかったあー!」

 舞台で踊った熱が冷めないままテントに戻る。テントで質問づくしにされてしまったうえ、ランシャのリーダーであるハートさんに捕まって長々と説教されてしまった。そりゃそうだ。皆の舞台なのに、ランシャの華であるヒュウヲウンまで引っ込めさせちゃったし。

 しかし説教はされたものの、是非オチリスリの踊りを教えて欲しいと言うことと、どうやらランシャに伝説のオチリスリの華がいると早速噂になってしまったらしく、今後も踊って欲しいと頼み込まれてしまった。
 ハートさんの話を聞いた踊り子達がオチリスリの華の振り付けに合わせたランシャの振り付けを考えると張り切ってしまったので断るにも断れない。

 良かった。失敗はあったものの、聞いた限り踊り子達やお客さんには満足してもらえたらしい。あんなに失敗したのに……なんて優しい人達なんだ。涙出そう。

 あそこの振り付けが好き、私はあそこ、伝説の踊り子の血を引いてるだけあるわよね、とワイワイ騒いでいた踊り子達が、ヒュウヲウンの言った「求愛の振り付けって何?」のセリフでしんと静まり、一斉にこちらに振り返る。

「誰に向かってやったんですか!?」
「王様!? 王様なの!?」
「向き違ったじゃない」
「いやいや、そこじゃないわよ。ヴァントリア様は今は女の子だけど本当は男の子でしょ? 王様じゃ相手が違うじゃない」
「あ、そっか」

 そもそも求愛の振り付けだったなんて知らなかったんだけど……ん? そう言えば、唇に触ったよな、あれ、それをヒオゥネに向けたよな、あれって、投げキス……なんじゃ? 俺が、ヒオゥネに、投げキッス……

「ち、ちがうから!」
「――て言うことは好きな人がいるってこと!?」

 ギグッとする。

 な、何故違うと言って好きな人につながるのか……っ!

 だ、だから、身体が自然に動いただけで……ウラティカのお気に入りってことは、俺が教えたってことだよな。なら、振り付けの一部として覚えてしまっていたんだと思う。

「でもヴァントリア様は王族なのよ? 結婚どころかお付き合いってできるのかしら? それに婚約者のウラティカ様もいらっしゃるでしょう?」

 それにはお客様にお酒を継ぐ役だった踊り子が答えた。

「さっき客席で聞いたんだけど、求愛の振り付けって、ゼクシィル様に求婚された後にメフィリアルローン様が自分で考えた踊りらしいわよ!」
「アドリブってこと?」
「オチリスリの華ってみんなに好かれてたから、注目度も高いし、振り付けを覚えてる人も沢山いたんだけど、アドリブで入ってきたあの振り付けでみんな悟るわけよ!」
「踊りで承諾したって言うこと?」
「だからあのお客さん承諾って叫んでたのね」

 やっぱりそうだ。両親の思い出なら母親がその振り付けを教えていてもおかしくはない。それを説明しようとするが、踊り子達のきゃぴきゃぴはもう止まらない。

「……だから、つまり! 相手の想いに答える踊りってことよ」

 しん、ともう一度静まり返って、バッとこちらに振り返る。

「「「「ヴァントリア様は誰かに求婚されてたってことッ!?」」」」
「されてないからな!?」

 いやまあ色んな人にされてはいるけど断って来てる。……全員男だけど。

 ……で、でも、あれ、相手の思いに答える踊りって、つまり、つまり。

 あ、あのセリフに対して、承諾してるみたいになるんじゃ。

 ……生涯って、プロポーズに聞こえなくもないのかもしれない。――って、俺は何を考えてるんだ! そんな訳あるか!

 い、いや、抵抗を誘惑だと考える奴だぞ、変な誤解をしていてもおかしくはない! ヒオゥネを追いかけないと! 誤解を解かないと!

「ちょ、ちょっと俺行ってくる!」
「え、行くってどこに!?」
「片付けは私達だからゆっくりしてきていいわよー!」

 そっか、皆がお祭りを楽しんでいる間にヒュウヲウンとテントで待っていたから、今度は俺達が回っていい番なんだっけ。

 テントを出ていく際に、ついでにテイガイアを捕まえて、頼んで瓶を二本貰っていく。……あ、イルエラ置いてきちゃった。いや、まあ、ヒオゥネの所に連れていく訳には行かないし、誤解を解いたらすぐ帰ってくるから大丈夫だ。それから一緒に祭りを回ろう。

 目立ったばかりだし、舞台の横を突っ切る訳にも行かず、遠回りしてヒオゥネのいた路地裏へ向かう。ずっと走りっぱなしだったが、もはや走れていないかもしれない。

「ひぃ、ひぃ……もう無理、無理。死んじゃう、ヒオゥネ、どこ」

 ヒオゥネのいた路地裏に着いたが、もう既に去った後だったようだ。端まで行き、舞台の方を覗いてみるが、客席にもその後ろの屋台にも姿は見えない。建物で見えないけれど大通りには屋台がズラリと並んでいる筈、もしかしたらそっちにいるかもしれない。

 それか、俺が回ってきたのは路地裏だから、ちゃんとした道を歩いてたら入れ違いになるかもしれないし……。とりあえず何処かの道に出てみよう。

 目立たないように行動してたみたいだし、やっぱり路地裏の方なのかな、路地裏も注意深く見ないと……。

 そうやって探し続けること30分。

「ど、どこにいるんだ……」

 もしかして、あのヒオゥネは分身でもう随分と前に姿を消したとか……ありうる。

 あああっ、どうすればいいんだ、ヒオゥネのあの言葉に答えたって誤解されてたとしたら、つまり、俺がヒオゥネのこと好きみたいじゃないか!

 お付き合いしてることになるのか!? プロポーズだったなら婚約者!? 俺ウラティカとヒオゥネの二人を婚約者にしてるのか!? 二人って、しかも一人は男だしウロボス帝だしウラティカは地上のエルフの国のお姫様だし! ヴァントリアお前権力目当てだな!?

「って、そんなこと考えてる場合じゃないのに……」

 少し休もうと、賑やかな大通りを避けて、別の通り――暗い夜道をとぼとぼと歩いていれば、少し先の広場に人影が見える。噴水の傍に立って空を眺めるシルエット。

 お祭りがあるからだろう、天井の空の設定は満月の夜らしい。人影を闇で隠していた雲が通り過ぎて、月明かりの下にその姿を現した。

 肩で息をしながら、相手にゆっくりと近付く。気配を感じたのか、相手がこちらにゆっくりと振り返った。


「ヒ、ヒオゥネ……」


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