リクゴウシュ

隍沸喰(隍沸かゆ)

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リョウゲ

33

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 真黒の水月に右腕の肘を入れて吹っ飛ばせば、廊下をのたうち回って柵のない危険区域へ自分で転がっていき、姿を消した。一瞬、間抜けなほど周りが見えなくなって、亡我から戻り、部屋の外へ駆け出そうとした途端、腕を捕まれて阻止される。
「に、兄さん? ま、真黒……落ち、た」
「大丈夫だ。あいつはドラゴンもどきだぞ。飛べる」
「いや、でも、私の右腕で、だから呼吸困難。泡吹いてたし」
「大丈夫だ。下には水がある」
「濁流だけど?」
 しんとする室内。兄さんは私の腕を離し、自ら足場の悪い死の廊下へ出て下の様子を見に行った。
「大丈夫だ。吊り橋にいた銀王に受け止めて貰ってる」
「そ、そっか。安心した。初めて親族を殺害する処だった」
「…………」
「…………」
 また、静寂が戻る。
 静寂と言っても、外から聞こえる水の音は騒音でしかないけれど。
 他の音を打ち消して、その音しか聞こえないのだから静寂と言っても良いだろう。
「……本当にそれだけか。黄泉」
「兄さん?」
 ぼそりと呟いた兄の目が、下へ向けられているのは分かった。この人は上ばかり向いている人だと思ったけれど、よく考えれば人を見下す姿はお似合いだ。
「真黒のことが、好きなのか?」
「そりゃ。まあ。キョウダイだし……」
 様子が変だ。そう思ったのは、高飛車なあいつの拳が震えているからだ。
 どんな出来事にもヘラヘラ笑ってる空気の読めない天然馬鹿ナルシストなのに、ナルシストは何処へやら、天然馬鹿は何処へやら、ヘラヘラは何処へやら。
「キョウダイは、全員好きか?」
「まあ。キョウダイだけじゃなく親族の皆さんも?」
「俺様は嫌いだ。親族の奴等も、キョウダイも」
「あっそう」
 だから何だ。親族が嫌いな奴もキョウダイが嫌いな奴も知っているんだから両方嫌いな奴がいたって今更驚かない。
「びっくりした」
「何に?」
「お前が皆を好いていることに」
「はあ。まあ。私はストレスとか感じたことなかったし刺客送られたこともないし」
 いやこの間あったな。あれっきりだが。
「そうじゃない。お前、俺様達が化け物に見えるンだろ?」
 頭の中が真っ白になった。
こいつはいつナルシストからエスパーに乗り換えたんだ。
 目を見開いて硬直していると、奴は私の目の前までやって来て足を止めた。持ち腐れの綺麗な顔面を傾けて、私の顔を覗き込んでくる。
「俺様のことも、好きか?」
「…………は?」
「キョウダイを好いてるなら、俺様も好きだよな?」
「まあ。そりゃあ、ね?」
「なら、何してもいいよな?」
「……………………は……?」
 こいつ、今なんて言った。
 考えようとしても、頭の回転が悪くて何も考えられなくなる。こいつは頭のネジまでブッ飛んだのか、いやもともとか、なら他に何をブッ飛ばしたんだ。私もネジがブッ飛んだらしい、ゆっくりと近付いてくる兄の顔を見ているだけで、何が起こっているのかさっぱりわからん。えっ、とぉ……?
 口の上にそっと触れてきた湿っぽい感触が、いつからか何度も当てられては離れ、角度を変えて吸い付いてくる。
 何これ。
 蛸の吸盤?
 茹で蛸青海さん?
 え、何。
 何これ。
 私。
 は、え?
 ん?
 あん?
 目の前がぐるぐる回っている間に、唇の間を抉じ開けて何かが通っていく。口の中で蠢くそれと、後頭部に回されるそれが、さらに混乱に拍車を掛ける。髪をくしゃりと撫でては口の中に肉厚のある物体を押し込んでくるこの莫迦は張り倒してもいいのだろうか。
 何これ。
 何これ、舌、だよな?
 待って、嘘。
 だって。
 ほら、なら、何で、


 二つある?

「ひっ……」
 ──赤い瞳と黒目。透けた血管と内蔵、脳ミソ あの気持ちの悪いあいつの姿が浮かぶ。私の口の中に入ってきて、いる。吐き出した時と、同じ感触。
「──ッやめろ!!」
 ヒステリックに叫んで、兄の胸を叩き突き放した。右腕に力を込めたからか、兄は勢いよく離れる。しかし弟もどきのように見苦しい姿を見せることはない。のうのうと私の前に立った儘である。全く可愛い気のない奴だ。
「ウッ……エッ、オエッ……ぅ、ふぅっ……ハッお、え、ああ、ハッア、」
 喉に入ってきた虫の感覚を吐き出したくて喉をがむしゃらに掻きながら畳へ咥内から湧き出る液体を吐く。畳の目が数えられそうな位必死に、いつしか額を押し付けるほど怖くなって。あのまま、抵抗していなかったら、私も化け物の住処に……──そう考えたら、喉だけでなく身体中に虫が這うような感覚がして悪寒がする。
「そんなに、俺様とのキスが嫌だったのか、黄泉……?」
 声が降ってきた方向で、兄さんが私の目の前に立った儘、私を見下ろしているのが分かる。
「……はっ、う、ぐ」
 本当に吐きそうだ。悪心が起こって、胃液が喉まで上がってきて焼け付くような熱さに襲われる。苦いし痛いし気味が悪いし、最悪だ。
「黄泉……」
 膝を付き背中を擦られて、少し楽になる。生理的に出た涙を拭って、兄さんを見上げると、何一つ表情が変わっていない。ナルシストの兄さんなら、「照れてるんだな黄泉」ってドヤ顔する。イカれてる兄さんなら、怒り狂って私の身体の心配なんかしない。
 こいつは本当に、白馬か?
「よ、み」
「な、何だ」
「もう一回だ」
「は?」
「次は上手くするから、だから」
 上手いとか、下手とか、好きとか、嫌いとか、そんな問題じゃない。例え好きな相手にキスされたとしても、舌の上に気味の悪いモノを転がされたら誰だって拒絶するだろう。
「ま、待って」
「黄泉……俺は、お前のことが……」
「ま、て。兄さ……」
 喋る兄さんの口の間から、あいつがこちらを見ている。だから、そんなモノ、寄越さないで、近づかないで、欲しい。
「黄泉……、黄泉。……きだ」
 怖い。怖い。分かれよ。何でこんなこと、私を化け物にするつもりなのか。そうか、そうなんだ、それしか、考えられない。
 私が後継者候補になってから、どこか兄さんは変わった。ただのナルシストが力に取り憑かれて、そして赤鳥姉さんの件で私を殺すことに没頭した。けれど、それだけじゃ足りなかったのか。兄さんを化け物にした私も、化け物にしてやろうと考えたのか。だから、私に、その化け物を寄越そうとしているのか。
 私を、恨んでいるのか。
「黄泉……」
「兄さん、なんか、」
「好き、だ」

 ………………………。…………。
 ………………………。
 ……………、……は……?
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