リクゴウシュ

隍沸喰(隍沸かゆ)

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ヴァラヴォルフ

11

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 胚邪は躾の身体を揺する――――自分が少女一人に恐れおののいていることに酷く動揺していた。
 躾の真っ赤な身体は導や縛よりも大きく全長8米もある。
これから先成長すればもっと大きくなるだろうが、全体の力の抜けた重たい身体を揺するのには骨がいる。
 胚邪は一瞬、彼女から逃れるために彼を置き去りにしてしまおうかと言う思考が発生した。
そう考えたことに驚愕するしかない。
自分は自分の恐怖から逃れるために長の息子である大事な人物を、忠誠を誓った相手を裏切ろうとしている。
 ――胚邪は部屋を飛び出し、廊下の窓を開け放った。
 その下にいるだろう人物に向けて悲鳴に近い声で叫ぶ。
「稟終! 手を貸せ! 早く!」
 落ち着きを取り戻していた稟終が、何ごとだと胚邪のいる二階を見上げる。
「助けてくれ!」
 自分を頼るどころか蔑み、対抗し、更には自分を頼るなら死んだ方がマシだと考えているようなあの胚邪が、恐れを前面に見せて助けを求めていた。
 異常な事態であることをすぐに把握し、彼は獣の姿になり、二階の扉へ飛び上がった。胚邪もそれに続いて焦げ茶の狼姿へと変身する。同じ大きさの青狼が隣に着地すると、胚邪は躾の首根っ子を噛んで揺すった。
 稟終の目は胚邪の尾を捉える。
 彼の尾は腹にくっ付き、怯えるように足はガクガクと震えている。時折、服従の体制を取りそうになりながら、必死に躾を起こそうとしていた。

 稟終も自分が同じような状態になっていたことに気付いた。

 そして、その先にある瞳を見て、自分は地面にひれ伏していた。

 胚邪も稟終の瞳に映った自分を見て、自分がティーネに服従している姿勢を、既に取っていることに気が付いた。
 胚邪は、ティーネの歯に何度も角度を変えられて噛まれ続けている鵺トの姿を見た。
 彼の腕はだらりと垂れ下がっている。あのままでは死んでしまう、もしくは既に死んでいるだろう。

『彼女が僕の首を食い千切ろうとしたら止めてあげて』

 脳裏に彼の言葉が響く。

 胚邪の目がカッと見開かれる。

 口を大きく開けてティーネへと飛び掛った。

 ――稟終がまるで本能の如く飛び起きる。

 彼も胚邪に続くように彼女に襲い掛かるが、胚邪の腹にティーネの腕が入り込み、彼はくの字に曲がり壁へ目掛けて吹っ飛んだ。
 壁に背中から大の字に叩き付けられ、身体を歪に曲げて床へ引きずり落ちる。ビクビクと筋肉が痙攣し、やがて動かなくなった。
 稟終は目の前から消えた胚邪を見て、恐れを見せ、一旦身を引こうとするが既に遅い。
 稟終は何が起きたか分からないまま、地面へのたうち回った。キャインキャインと苦しみ悶える声だけが森に響いた。
 ティーネの手の中には、彼の左足がぶら下げられていた。
 その左足を興味なさげに投げ捨てる。彼女の投げ捨てた先は、躾の身体の上だった。
 ――真っ赤な毛が炎の如く逆立てられ、金の瞳が見開いた。
 一瞬にして起き上がり、周囲を確認するが、突然の状況に判断が追い付かなかった。
 のたうち回り鳴き声をあげる稟終と、歪に身体を曲げて床に伸びたままピクリとも動かない胚邪。そして。
 鵺トと呼ばれた少年の首を獣の如く貪り噛み続ける美しい少女の姿。
 ――一体何が起きている。
 鵺トの唇が微かに動いた。


『連れて行って』

『彼女はお腹を空かせているんだ』

『君の敵の元へ。彼女はウイルスには感染しない』



獲物ぼくを彼女から奪い取るんだ』



 躾は鵺トの身体を咥えて彼女の腕から奪い取り、部屋の窓に突っ込んだ。
 壁ごともぎ取り、外の草むらへ降り立つ。鵺トは完全に気を失ってしまったようだった。最後の力を振り絞ったのだろう。
 ティーネは叫び声をあげた。最初に聞いた獣の唸り声よりも高らかな、轟然たる獣の咆哮だった。

 自分の獲物を、私の獲物を捕ったな。

そう威嚇されているようだった。
 躾はティーネの七色に変化する瞳を見て畏怖を覚えた。

 化け物である自分が、相手を化け物だと判断を下したのだ。

 鵺トを咥えたまま、匂いを頼りに自分の敵の元へティーネを誘導する。誘導する、と言うよりは自分の敵よりも怖い彼女から、逃げることの方が優先だった。
 背後の木々が自分の前に降り注いでくる。それを上手くかわしながら彼女から逃走し続けた。


 ――背後の音が怖かった。振り向くことが出来なかった。


 先には闇が見える。引きずり込まれそうな位邪悪な闇だ。

 自分の目に。闇が映ることなんてないと考えてきた。

 正にその通りだった。

 今自分の前に広がる闇は恐怖で作り出された幻覚であると理解していた。

 しかし、足を止めることは出来ない。一瞬でも立ち止まれば、奴に追いつかれる。

 殺される。

 もうすぐ俺は殺される。

 ――この闇は自分で作り出したもの、奴の視界は朝の光で照らされている。そもそも俺は〝女神〟へ助けを求めるために来たと言うのに。

 無人島として世間に認知されているこの島の名は、今では〝隔離島〟として我々には認知されている。自分達や他の生物を隔離しておくための島だ。

 人の住まない無人島。

 事実なのかもしれない。

 人の姿をしていても、あれは、人間ではない。

 恐怖の塊だ。

「グルッ」

 木の根に足を取られ、顔面から地面へ叩きつけられた。

 巨体は重力に逆らえぬまま横転し、開けた場所へと投げ出される。

 咥えていた少年も吹っ飛んで、視界からは消えてしまった。

 ああ。俺はここで終わるのか。

 父の仇を取りたかった。父を静かに眠らせてあげたかった。女王に逢えたなら、彼女が長となったなら、自分を父の討伐部隊に入れて欲しいと心願する筈だった。

化け物に喰われるための肉として、俺はここに来たのではない。

 鳴き声にならない声を上げて、折れた足を庇いながら地面を這う。奴は俺の右足を押さえ、俺の逃げ惑うさまを見て嘲笑している。

 目眩と頭痛。

 視界が霞む。

「アウウウ……」

 やっと鳴き声になったそれは、森の中へ静かに溶けていった。







『グアガウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ――――ッ!!!!』



 その姿は美しかった。


 あらゆる物の混在した異形な姿の化け物を想像していた俺の目に。
 彼女の美しさだけが映っていた。


 白く輝く黄金の毛。

 七色に輝く濃艶な瞳。


 全長約60米の巨体。

 化け物を超え、神そのもののような存在感。



 ――神。

 イグニシヴルと呼ばれる、ヴァラヴォルフの王。彼女はヴァラヴォルフの、狼の王だ。


 神のイダを貰い、神に例えられ、神となった存在。


 躾の身体は弱り意志に関係なく人型の姿へ戻される。金色の瞳が彼女の姿だけを捉えていた。



「め、がみ……君が。ティーネ」


 けたたましい遠吠えが空を蹂躙し大地を揺るがす。
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