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師匠の師匠

死神さん、落語家になる?

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 彼女の師匠は浅草の寄席の楽屋にいた。周りはバタバタと慌ただしく働いているが、当の本人は、地味な和服姿で畳にあぐらをかいてどっかりと座っている。年齢は70歳を過ぎているであろう。

 師匠は彼女が楽屋に入って来るのを見つけると、

「おう!相変わらず忙しそうだな」

 師匠は右手を少し上げ、嬉しそうに笑った。

「あまり忙しいと過労死しちまうぞ……んっ……」

 師匠は彼女の後ろの方をじっと見つめると、

「お前さん、もうすぐ死ぬんじゃねえか?後ろに死神がぴったりと憑いていやがる……」

「やっぱり師匠にも死神さんが見えますよね。それで師匠に相談が…」

「まだちっちぇガキだ。任せとけ!俺が引っ剥がしてやる…」

 師匠は威勢よく腕まくりをすると、立ち上がりかけた。それは落語の一場面のようだ。

「いえいえ師匠…これはいいんです」

 彼女は慌てて手を左右に振って制した。

「何言ってやがる…死神が憑いてて、良い訳ねえだろうが…」

「いえ、本当に師匠…」

 彼女はこれまでの経緯を話した。師匠は半信半疑の様子で僕の方をチラチラ見ながら彼女の話を聞いていた。

「しかし、おめえも死神を弟子にするなんて、余程のモノ好きだな」

「だって仕方ないよ。わざわざ、笑いの勉強に来たんだからサァ…」

「姫師匠の一番弟子が死神ってのも悪くないか…これでお前さんもいつ死んでもいいな…おう死神さんよ!その時はしっかり頼むぞ!」

 師匠はそう言うとおかしそうにハハハと笑った。どうやら彼女は姫と呼ばれているらしい。
 僕はいささか困惑した。

「しかし、本当に大きな鎌持ってるんだな。その鎌で自分の首を引っかいたりしねえのかい?」

師匠は立ち上がると、死神の方へ近寄り、鎌をまじまじと見た。

「なんだい、おもちゃじゃねえか」

 師匠は残念そうに、僕の方へ目を向けるとそう言った。

「それで修行はいつまでやるんだい?」

「サァ、早い方が良いとは思うんですけど…人間界も最近は高齢者が多くて、死神も人手不足気味です…ああ死神不足でした…」

 師匠に突っ込まれる前に僕なりに少しボケてみた。

「なんだい。煮え切らねえ返事だな。でも、今の死神不足なんてところはセンスあんじゃねえか?男なら潔くだぁ~んっ?死神さんに性別はあんのか?まぁとにかく姫に落語を教えてもらえ」

「あのぁ~、なんで僕が落語の勉強を…」

「この期に及んでなに言ってやがる。笑いの勉強をするというのは、こういうことなんだよ。まぁなんでもいいわ…とにかく姫からみっちり指導してもらえ」

「で師匠に相談なんですが…最初に教えるとなると、やっぱり“目黒のサンマ”か“寿限無”あたりですかね~」

「確かに…後は“饅頭怖い”もあるがな…」

 師匠は腕組みをして少し考える仕草をすると、

「でもせっかく死神が勉強するんだ、“死神”を教えたらどうだ。死神が“死神”を演じるんだ、これほど間違いねえことはないだろう…」

「“死神”ですか。三遊亭圓生師匠の“死神”は最高に素晴らしい演目ですよね。ウン、死神ちゃんは明日から“死神”の勉強だね…大丈夫、きっと上手くできるようになるよ。だって本人が演じるんだから…」

「死神ちゃん???」

(ちゃんづけで呼ばれたのは初めてだ…)

(それにしても、僕の意向はどこにいったのだろうか…)

(そして僕の本業はどうなるのだろうか…)


師匠の師匠 完

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