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第三章
春香の事情 2
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そんなこんながあり、ようやくわたしもいつもの快活さを取り戻せつつあった。
人間、心に余裕がないと、ああも心が荒むものかと、数日前の自分を思い浮かべて反省する。
それを思い出させてくれたリコエッタには感謝しかない。
ふとした拍子に、店内でこちらを窺っていたリコエッタと目が合い、お互いに照れ笑いを浮かべる。
今でも彼女はこうして、さり気なくわたしを見守ってくれている。本当にありがたいことだろう。
「今日は、ハルカをいいところに連れて行ってあげる!」
そう切り出されたのは、昼時を過ぎて客足も落ち着いてきたと思った矢先のことだった。
「リコ? いいところって?」
わたしはリコエッタを『リコ』と呼ぶことにしている。
友人に『理子』という名の子がいるので呼び慣れていることもあったけど、なによりその呼び方だと日本ふうで気が休まるのだ。
「珍しい飲み物が飲めるところなの。なんてったって近場で無料なんだから!」
わざと悪戯っぽく言うので、思わず楽しくなって噴き出してしまう。
リコは満足げに頷いてから、腕を引いてきた。
「早く、行こ行こ!」
「待って。エプロンくらい外さないと」
「そんなのいいから! あたしなんて、いつもエプロン常備だよ? じゃあ、ママー! いつものお向かいさんに、ハルカと行ってくるからー!」
リコは厨房の奥にいる彼女のお母さんに声を掛けると、返事も待たずに店を飛び出した。
腕を組まれたわたしもなすがまま、外に連れ出されることになる。
正直、わたしにはまだ外が怖い。
店の中ならどうにか慣れたけど、最初のイメージが悪すぎた。
本来、わたしがいるべき場所と違う景観は、いやでも自分が異物であることを思い知らされる。
きっとリコにも、それがわかっているからこその荒療治なのだろう。リコらしいといえばらしい。
リコの目的地は、本当に言葉通りのすぐ近所だった。
大通りの向かい側、距離として20メートルも離れていない。
店の前に出された看板の文字が読めないでいると、リコが『シラキ屋』だと教えてくれた。
奇遇にもわたしの名字と同じだったため、親しみを覚える。
「こんちわ~!」
「お、お邪魔しま~す……」
どーん!、という勢いでドアを開けて飛び込むリコに続いて、わたしは中の様子を窺いつつ、こそこそと店内に入った。
落ち着いた雰囲気の店だった。
壁紙や内装、陳列棚の商品の配置が、見慣れた日本の雑貨屋を髣髴させる。
店内には、椅子に腰かけた男性がひとりだけいて、ひらひらと手を振っていた。
「いらはい~」
「あれ? ナツメだけ?」
「あんちゃんは、ちょっと裏の倉庫までお出かけ中っす~、すぐ戻るんじゃないっすかね~?」
「で、あんたは毎度のごとく、ここに入り浸ってるわけね……あんた、いい加減に親父さんに絞められるわよ?」
「ま、そんときはそんときってことで。運命と思って諦めるしかないっすねぇ」
リコとはお互いに気安く親しげなので、少し安心した。
これだけ心を許して接しているからには、悪い人ではないのだろう。
馴れたふうの掛け合いに見える歓談を済ませた後、リコがわたしを紹介してくれた。
「お店を手伝ってくれている子でね、名前をハルカって言うの。どう、可愛い子でしょ?」
「リコ、最後はよけいでしょ。春香です、よろしく」
初対面の相手に変な紹介をするものだから、気恥ずかしさに赤面してしまった。
「このゆるそ~なのが、ナツメって名前のバカね。近くの鍛冶屋のぐうたら息子なの」
「ども。『酔いどれ鍛冶屋』のナツメっす~。エッタの扱いが酷い」
3人で思わず声を合わせて笑い合う。
「まま、立ち話もなんすから、どぞどぞ座って。今、準備するっすから」
そう言い残して、店のカウンター奥へと消えていく。
少しして戻ってきたときのその両手には、湯気立つカップがふたつ握られていた。
「さんきゅ、ナツメ。で、これがさっきハルカに言ってたやつね。どう、珍しい飲み物でしょ?」
「あ、これ、珈琲……」
「あれ? なんだ、知ってたの?」
リコが不思議そうな表情を見せる中、カップから湧き立つ香りに目を細めた。
白木家は一家全員が昔からの珈琲党で、わたしも漏れずに大の珈琲好きだ。
1日に平均5杯は飲むし、朝と夜はエスプレッソ、昼はカフェラテと決めている。
ほんの数日とはいえ、口にしなかったどころか香りも嗅いでなかったので、とても懐かしく感じられる。
ここには無いものと諦めていただけに嬉しさと、同時に膨れ上がった懐郷の念とで涙が零れそうになった。
しかし、ここで泣いてしまっては、せっかく元気づけようとしてくれたリコを落胆させてしまう。
わたしはそそくさと席から立ち、店内を見渡すふりをして顔を背けてごまかした。
「ここって、すごく色々な種類の商品が置いてあるけど、何屋さんなの?」
「『素材屋』さんよ。うちのパン屋もお世話になっているの。ちなみに、今ハルカが着ている服を縫った糸もここで買ったの」
「そうなんだ」
「オープンからまだそんなに日には経ってないすけど、自分的にはかなりお勧めのお店っすよ? なんせ、珈琲がタダで飲める!」
「あんたはまたそんなことばっかり! あくまで珈琲はお客へのサービス品なんだからね、ったく」
そのやり取りに、本気でおかしくなってきて、つい笑ってしまった。
この店に連れてくるとき、珈琲無料を強調していたのはリコもだったはずだ。
「けど、それ抜きにしても、この店はすごいと思うっすよ? これだけの分野で種類を揃えようとしたら、仕入先もいくつも押さえとかないと無理すからね~」
「あ! それは、あたしも思った! 少量ずつの仕入れって購入単価が上がりそうだけど、そんな感じでもないし! どうやり繰りしてるんだろ?」
ふたりが会話の中で、ふと垣間見せた表情に少し驚いた。
さすがは商売人の子供ということだろう。
「そっか。じゃあ、こういった『素材屋』さんって珍しいんだ?」
「珍しいどころか、この商人の街って呼ばれてるカルディナでも、一軒きりじゃないすかね?」
「カルディナ?」
聞き慣れない名称が出てきたので、鸚鵡返ししてしまった。
「ハルカは知らなかった? この街の正式名称よ。まあ、皆『街』としか呼ばないし、意味も通じるからわざわざ言う人もいないけどね」
「なるほど。カルディナって言うんだ」
そんなときだった。
遠くからの爆発音とともに、地面が揺らいだのは。
人間、心に余裕がないと、ああも心が荒むものかと、数日前の自分を思い浮かべて反省する。
それを思い出させてくれたリコエッタには感謝しかない。
ふとした拍子に、店内でこちらを窺っていたリコエッタと目が合い、お互いに照れ笑いを浮かべる。
今でも彼女はこうして、さり気なくわたしを見守ってくれている。本当にありがたいことだろう。
「今日は、ハルカをいいところに連れて行ってあげる!」
そう切り出されたのは、昼時を過ぎて客足も落ち着いてきたと思った矢先のことだった。
「リコ? いいところって?」
わたしはリコエッタを『リコ』と呼ぶことにしている。
友人に『理子』という名の子がいるので呼び慣れていることもあったけど、なによりその呼び方だと日本ふうで気が休まるのだ。
「珍しい飲み物が飲めるところなの。なんてったって近場で無料なんだから!」
わざと悪戯っぽく言うので、思わず楽しくなって噴き出してしまう。
リコは満足げに頷いてから、腕を引いてきた。
「早く、行こ行こ!」
「待って。エプロンくらい外さないと」
「そんなのいいから! あたしなんて、いつもエプロン常備だよ? じゃあ、ママー! いつものお向かいさんに、ハルカと行ってくるからー!」
リコは厨房の奥にいる彼女のお母さんに声を掛けると、返事も待たずに店を飛び出した。
腕を組まれたわたしもなすがまま、外に連れ出されることになる。
正直、わたしにはまだ外が怖い。
店の中ならどうにか慣れたけど、最初のイメージが悪すぎた。
本来、わたしがいるべき場所と違う景観は、いやでも自分が異物であることを思い知らされる。
きっとリコにも、それがわかっているからこその荒療治なのだろう。リコらしいといえばらしい。
リコの目的地は、本当に言葉通りのすぐ近所だった。
大通りの向かい側、距離として20メートルも離れていない。
店の前に出された看板の文字が読めないでいると、リコが『シラキ屋』だと教えてくれた。
奇遇にもわたしの名字と同じだったため、親しみを覚える。
「こんちわ~!」
「お、お邪魔しま~す……」
どーん!、という勢いでドアを開けて飛び込むリコに続いて、わたしは中の様子を窺いつつ、こそこそと店内に入った。
落ち着いた雰囲気の店だった。
壁紙や内装、陳列棚の商品の配置が、見慣れた日本の雑貨屋を髣髴させる。
店内には、椅子に腰かけた男性がひとりだけいて、ひらひらと手を振っていた。
「いらはい~」
「あれ? ナツメだけ?」
「あんちゃんは、ちょっと裏の倉庫までお出かけ中っす~、すぐ戻るんじゃないっすかね~?」
「で、あんたは毎度のごとく、ここに入り浸ってるわけね……あんた、いい加減に親父さんに絞められるわよ?」
「ま、そんときはそんときってことで。運命と思って諦めるしかないっすねぇ」
リコとはお互いに気安く親しげなので、少し安心した。
これだけ心を許して接しているからには、悪い人ではないのだろう。
馴れたふうの掛け合いに見える歓談を済ませた後、リコがわたしを紹介してくれた。
「お店を手伝ってくれている子でね、名前をハルカって言うの。どう、可愛い子でしょ?」
「リコ、最後はよけいでしょ。春香です、よろしく」
初対面の相手に変な紹介をするものだから、気恥ずかしさに赤面してしまった。
「このゆるそ~なのが、ナツメって名前のバカね。近くの鍛冶屋のぐうたら息子なの」
「ども。『酔いどれ鍛冶屋』のナツメっす~。エッタの扱いが酷い」
3人で思わず声を合わせて笑い合う。
「まま、立ち話もなんすから、どぞどぞ座って。今、準備するっすから」
そう言い残して、店のカウンター奥へと消えていく。
少しして戻ってきたときのその両手には、湯気立つカップがふたつ握られていた。
「さんきゅ、ナツメ。で、これがさっきハルカに言ってたやつね。どう、珍しい飲み物でしょ?」
「あ、これ、珈琲……」
「あれ? なんだ、知ってたの?」
リコが不思議そうな表情を見せる中、カップから湧き立つ香りに目を細めた。
白木家は一家全員が昔からの珈琲党で、わたしも漏れずに大の珈琲好きだ。
1日に平均5杯は飲むし、朝と夜はエスプレッソ、昼はカフェラテと決めている。
ほんの数日とはいえ、口にしなかったどころか香りも嗅いでなかったので、とても懐かしく感じられる。
ここには無いものと諦めていただけに嬉しさと、同時に膨れ上がった懐郷の念とで涙が零れそうになった。
しかし、ここで泣いてしまっては、せっかく元気づけようとしてくれたリコを落胆させてしまう。
わたしはそそくさと席から立ち、店内を見渡すふりをして顔を背けてごまかした。
「ここって、すごく色々な種類の商品が置いてあるけど、何屋さんなの?」
「『素材屋』さんよ。うちのパン屋もお世話になっているの。ちなみに、今ハルカが着ている服を縫った糸もここで買ったの」
「そうなんだ」
「オープンからまだそんなに日には経ってないすけど、自分的にはかなりお勧めのお店っすよ? なんせ、珈琲がタダで飲める!」
「あんたはまたそんなことばっかり! あくまで珈琲はお客へのサービス品なんだからね、ったく」
そのやり取りに、本気でおかしくなってきて、つい笑ってしまった。
この店に連れてくるとき、珈琲無料を強調していたのはリコもだったはずだ。
「けど、それ抜きにしても、この店はすごいと思うっすよ? これだけの分野で種類を揃えようとしたら、仕入先もいくつも押さえとかないと無理すからね~」
「あ! それは、あたしも思った! 少量ずつの仕入れって購入単価が上がりそうだけど、そんな感じでもないし! どうやり繰りしてるんだろ?」
ふたりが会話の中で、ふと垣間見せた表情に少し驚いた。
さすがは商売人の子供ということだろう。
「そっか。じゃあ、こういった『素材屋』さんって珍しいんだ?」
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聞き慣れない名称が出てきたので、鸚鵡返ししてしまった。
「ハルカは知らなかった? この街の正式名称よ。まあ、皆『街』としか呼ばないし、意味も通じるからわざわざ言う人もいないけどね」
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