鏡面惑星/ライズ・アンド・フォール

二市アキラ(フタツシ アキラ)

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第1章 彼らの世界/誤謬

02: マスクの値段

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    闇ファイトに選手として出場するには参加料が必要となる。
 闇ファイトの主な運営費用は、主にこの出場者達の参加費用で賄われる。
 試合の参加料が50グレロ、この世界の労働者のほぼ1ヶ月分の賃金にあたる。
 そしてリングに上がる参加料と引換に、主催者側から出場者へ手渡されるマスクは、出場者の好みで自由に選べる事になっている。
 同時に、このマスクが試合の勝敗を決める。
 つまり対戦相手のマスクをはぎ取った方が勝ちなのだ。

 例の噂話がまだ持ち上がらない頃には、受付場の老婆の背後にある陳列棚には、常に二十前後の素材もテーマもまちまちなファイター用マスクが置いてあった。
 今日はそれが一つしかなかった。
 しかし今夜、ファイター参加締切時刻ぎりぎりに受付に駆け込んだ蓮には、そのマスクの数の少なさについて老婆に文句を言う時間の余裕さえもなかったのだ。

 結果的に彼は、全てのファイターが選ぶ事をしなかった余りもののマスクを不承不承手にしていた。
 それは、おおよそファイターには似つかわしくないポニーテールの髪型を持つ東洋系女性の顔を形どった全頭型マスクだった。
 冗談やお遊びで使うには結構作り込まれた品物である。

 おそらく、主催者側がマスクの仕入れの出費をけちって、どこかの女装同性愛者達が使用する変態宿の廃棄備品をゴミ溜から拾って来たものに違いない。
 もちろん蓮達の住む世界に、そんな奇妙なマスクを造る余裕も、使う場所も、どこにもないから恐らくそれはマスター達の住む世界から、フォージャリー居留区にゴミとして流れてきたものだろう。
 つまりゴミの又、ゴミだった。


「クックッ、、。お若いの、そのマスク、お前さんによく似合うぜ。」
 控え室からリングへ抜ける、小便臭い通路近くに陣取っていたピエロマスクの男が、くぐもった声で言った。
 だが他の男達は、この控え室には自分しか居ないかのように沈黙を守っている。

 それで普通なのだ。
 彼らが、これから参加しようとするのは純粋なスポーツとしての試合ではない。
 更に闇ファイトに優勝したところで、この世界での恒久的な名誉や大金が約束されるわけでもない。
 そんな贅沢なものを、"金満チャンプ"を抱えられるような余裕のある世界ではないのだ。

 彼らが手にできる可能性は、一時の夢を見られるだけの小金か、あるいは「向こう側の世界」に行くチャンスと、その身体自体の買い取り金だった。
 しかも買い取り金がいくら積み上げられても、「向こう側の世界」での身分は限られているから、本人にとって、その金には大した意味がない。
 ただ「ここから逃げられる」だけなのだ。

 もっとも蓮のように、捨て身の覚悟で、困窮した家族の為、金を稼ぐ方法としてこのファイトに参加する人間もいる。
 だがこれらの理由以外で、闇ファイトに参加する人間はいない。
 つまり彼らは、戦いに生き甲斐を感じる様な人間達ではなかったのだ。
 これからのファイトは、彼らが彼らの住んでいる世界から抜け出られるかどうかの一か八かのチャンス、あるいは他の誰かを、貧困から救い出せる唯一のチャンスなのだ。
 だから彼らは、試合前に無用な駆け引きなどはしない。

 そして又、試合に負けて、ルール通り大勢の観衆の前でマスクを剥された後、素顔でこの世界を生きる事の困難さを思えば、誰もが無口になるのが通常だった。
 ピエロマスク男は、おのが勝利に恐ろしく自信があるのか、あるいは試合前の緊張に耐えられないほど精神力に欠けた人間なのだろう。

 蓮は挑発に乗らなかった。
 それがピエロマスクを、尚更に刺激したのかも知れない。

「判ったぜ。お前さん。試合じゃなくて、その汚い尻の穴で、召し上げられようってんだな?今日のVIP席に男色のマスターがいるといいよなぁ。」
 そう嘲るピエロマスクに対して、底冷えのするような声が返された。

「うるせぇなぁ、ネチネチと。たとえチャンピオンを十回続けてマスターに召し上げられようが、汚ねぇ尻を買われようが、しょせん奴隷は、奴隷なんだよ。」
 そう自嘲の響きを織りまぜながら口を開いたのは、蓮の正面にいた化鳥マスクの痩せ男だった。

 その言葉に、ピエロマスクの身体が瞬間、怒りで膨れ上がった。
 それは比喩ではない。
 ピエロマスクは、そんなリアルチャクラを身体に持っているのだ。
 しかし試合前に、自分の持っているリアルチャクラを、今夜の対戦相手になるかも知れない相手がごろごろいる控え室で披露する馬鹿がいるとは、、。

 今夜は、なにかが異常だった。
 それもこれも、街中に広がったあの噂が、原因なのかも知れない。
 彼らの住む世界が、マスター達の世界と完全に隔離されるのが、後三カ月以内だという、あの恐ろしい噂。

 そしてこの闇ファイトに、マスター達がこっそりやってくるのもあと数週間で、今が、彼らの世界に召し上げられる最後のチャンスだという噂が、男達の判断を狂わせているのだった。

「何を騒でやがる!次の出番だ!」
 灰色の作業服を着込んだ、蟹のような身体付きをした中年男が、リングの興奮を背中にしょって控え室に顔を覗かせた。

 先ほどまで高まっていた緊張を忘れて、控え室中の男達の視線が、レフリー兼雑用係のこの中年男の指先に集中した。
 次の試合の対戦相手は、この男が試合の演出を考えた上で勝手に決める。
    試合の裏で動く馬鹿にならない金額はこの男とは別のプロモーターが吸い上げている。
    男は単に軍鶏を掛け合わせているに過ぎない。
   ただこの軍鶏達にはそれぞれの人生がある。

   人の運命を左右しているというのに、レフリーはいい加減なものだった。
 爪先に黒い物が詰まった中年男のその太い指は、蓮の方向を指していた。
 選ばれなかった者の、羨望と失意の吐息があちこちで漏れた。

 参加資格のマスクを大枚を叩いて買いとっても、一晩に行われる試合の数は知れているのだ。
 いくら参加資格を得ても、次の闇ファイトまで下手をすると、数週間待たなければならない。
 闇ファイトに関するマスター達の噂が本物だとするなら、今夜試合に選ばれぬ男達の落胆はなおのことだろう。

「今夜のラッキーボーイは、、、チャイナレディ。お前だ。ただしお前の相手は連続チャンピオンのくせに、勝ち方に品がないって理由で未だに買い手も付かないクソ野郎だがな。」
 この中年男の選手選定理由は、ただ一つ、『観客を興奮させる噛ませ犬には、誰が最もふさわしいのか?』だった。

 中年男はいかにも楽しそうに、女性型マスクを付けた蓮に向かって、こぎたない指を数回曲げた。
 リングネームは、レフリーにどうコールされるかによって決まる。
 もちろんそれは、レフリーのその場の思いつきだ。

 つまりこれで蓮のリングネームは決まった、チャイナレディだ。
 そのネーミングは、蓮が顔に付けていた珍しいマスクを発見し、それを気にとめたレフリーのセンスにしか過ぎないが、ある意味、蓮はそのセンスによって、リングに上がれるチャンスを拾ったのである。

「早く来い。、、そうだな、その女のエロいマスクなら客も興奮するだろう。出来るだけリングにいる時間を稼げ。上手くやったら俺から特別に小遣いをやるよ。他でも使い回しが出来るからな。…まあチャンプ相手に、それが出来ればの話だが。」
 レフリーはそう言って楽しそうに笑った。
    蓮は黙ってゆっくりとベンチから立ち上がった。

    もう、ヤルしかないのだ…。


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