鏡面惑星/ライズ・アンド・フォール

二市アキラ(フタツシ アキラ)

文字の大きさ
2 / 14
第1章 彼らの世界/誤謬

02: マスクの値段

しおりを挟む

    闇ファイトに選手として出場するには参加料が必要となる。
 闇ファイトの主な運営費用は、主にこの出場者達の参加費用で賄われる。
 試合の参加料が50グレロ、この世界の労働者のほぼ1ヶ月分の賃金にあたる。
 そしてリングに上がる参加料と引換に、主催者側から出場者へ手渡されるマスクは、出場者の好みで自由に選べる事になっている。
 同時に、このマスクが試合の勝敗を決める。
 つまり対戦相手のマスクをはぎ取った方が勝ちなのだ。

 例の噂話がまだ持ち上がらない頃には、受付場の老婆の背後にある陳列棚には、常に二十前後の素材もテーマもまちまちなファイター用マスクが置いてあった。
 今日はそれが一つしかなかった。
 しかし今夜、ファイター参加締切時刻ぎりぎりに受付に駆け込んだ蓮には、そのマスクの数の少なさについて老婆に文句を言う時間の余裕さえもなかったのだ。

 結果的に彼は、全てのファイターが選ぶ事をしなかった余りもののマスクを不承不承手にしていた。
 それは、おおよそファイターには似つかわしくないポニーテールの髪型を持つ東洋系女性の顔を形どった全頭型マスクだった。
 冗談やお遊びで使うには結構作り込まれた品物である。

 おそらく、主催者側がマスクの仕入れの出費をけちって、どこかの女装同性愛者達が使用する変態宿の廃棄備品をゴミ溜から拾って来たものに違いない。
 もちろん蓮達の住む世界に、そんな奇妙なマスクを造る余裕も、使う場所も、どこにもないから恐らくそれはマスター達の住む世界から、フォージャリー居留区にゴミとして流れてきたものだろう。
 つまりゴミの又、ゴミだった。


「クックッ、、。お若いの、そのマスク、お前さんによく似合うぜ。」
 控え室からリングへ抜ける、小便臭い通路近くに陣取っていたピエロマスクの男が、くぐもった声で言った。
 だが他の男達は、この控え室には自分しか居ないかのように沈黙を守っている。

 それで普通なのだ。
 彼らが、これから参加しようとするのは純粋なスポーツとしての試合ではない。
 更に闇ファイトに優勝したところで、この世界での恒久的な名誉や大金が約束されるわけでもない。
 そんな贅沢なものを、"金満チャンプ"を抱えられるような余裕のある世界ではないのだ。

 彼らが手にできる可能性は、一時の夢を見られるだけの小金か、あるいは「向こう側の世界」に行くチャンスと、その身体自体の買い取り金だった。
 しかも買い取り金がいくら積み上げられても、「向こう側の世界」での身分は限られているから、本人にとって、その金には大した意味がない。
 ただ「ここから逃げられる」だけなのだ。

 もっとも蓮のように、捨て身の覚悟で、困窮した家族の為、金を稼ぐ方法としてこのファイトに参加する人間もいる。
 だがこれらの理由以外で、闇ファイトに参加する人間はいない。
 つまり彼らは、戦いに生き甲斐を感じる様な人間達ではなかったのだ。
 これからのファイトは、彼らが彼らの住んでいる世界から抜け出られるかどうかの一か八かのチャンス、あるいは他の誰かを、貧困から救い出せる唯一のチャンスなのだ。
 だから彼らは、試合前に無用な駆け引きなどはしない。

 そして又、試合に負けて、ルール通り大勢の観衆の前でマスクを剥された後、素顔でこの世界を生きる事の困難さを思えば、誰もが無口になるのが通常だった。
 ピエロマスク男は、おのが勝利に恐ろしく自信があるのか、あるいは試合前の緊張に耐えられないほど精神力に欠けた人間なのだろう。

 蓮は挑発に乗らなかった。
 それがピエロマスクを、尚更に刺激したのかも知れない。

「判ったぜ。お前さん。試合じゃなくて、その汚い尻の穴で、召し上げられようってんだな?今日のVIP席に男色のマスターがいるといいよなぁ。」
 そう嘲るピエロマスクに対して、底冷えのするような声が返された。

「うるせぇなぁ、ネチネチと。たとえチャンピオンを十回続けてマスターに召し上げられようが、汚ねぇ尻を買われようが、しょせん奴隷は、奴隷なんだよ。」
 そう自嘲の響きを織りまぜながら口を開いたのは、蓮の正面にいた化鳥マスクの痩せ男だった。

 その言葉に、ピエロマスクの身体が瞬間、怒りで膨れ上がった。
 それは比喩ではない。
 ピエロマスクは、そんなリアルチャクラを身体に持っているのだ。
 しかし試合前に、自分の持っているリアルチャクラを、今夜の対戦相手になるかも知れない相手がごろごろいる控え室で披露する馬鹿がいるとは、、。

 今夜は、なにかが異常だった。
 それもこれも、街中に広がったあの噂が、原因なのかも知れない。
 彼らの住む世界が、マスター達の世界と完全に隔離されるのが、後三カ月以内だという、あの恐ろしい噂。

 そしてこの闇ファイトに、マスター達がこっそりやってくるのもあと数週間で、今が、彼らの世界に召し上げられる最後のチャンスだという噂が、男達の判断を狂わせているのだった。

「何を騒でやがる!次の出番だ!」
 灰色の作業服を着込んだ、蟹のような身体付きをした中年男が、リングの興奮を背中にしょって控え室に顔を覗かせた。

 先ほどまで高まっていた緊張を忘れて、控え室中の男達の視線が、レフリー兼雑用係のこの中年男の指先に集中した。
 次の試合の対戦相手は、この男が試合の演出を考えた上で勝手に決める。
    試合の裏で動く馬鹿にならない金額はこの男とは別のプロモーターが吸い上げている。
    男は単に軍鶏を掛け合わせているに過ぎない。
   ただこの軍鶏達にはそれぞれの人生がある。

   人の運命を左右しているというのに、レフリーはいい加減なものだった。
 爪先に黒い物が詰まった中年男のその太い指は、蓮の方向を指していた。
 選ばれなかった者の、羨望と失意の吐息があちこちで漏れた。

 参加資格のマスクを大枚を叩いて買いとっても、一晩に行われる試合の数は知れているのだ。
 いくら参加資格を得ても、次の闇ファイトまで下手をすると、数週間待たなければならない。
 闇ファイトに関するマスター達の噂が本物だとするなら、今夜試合に選ばれぬ男達の落胆はなおのことだろう。

「今夜のラッキーボーイは、、、チャイナレディ。お前だ。ただしお前の相手は連続チャンピオンのくせに、勝ち方に品がないって理由で未だに買い手も付かないクソ野郎だがな。」
 この中年男の選手選定理由は、ただ一つ、『観客を興奮させる噛ませ犬には、誰が最もふさわしいのか?』だった。

 中年男はいかにも楽しそうに、女性型マスクを付けた蓮に向かって、こぎたない指を数回曲げた。
 リングネームは、レフリーにどうコールされるかによって決まる。
 もちろんそれは、レフリーのその場の思いつきだ。

 つまりこれで蓮のリングネームは決まった、チャイナレディだ。
 そのネーミングは、蓮が顔に付けていた珍しいマスクを発見し、それを気にとめたレフリーのセンスにしか過ぎないが、ある意味、蓮はそのセンスによって、リングに上がれるチャンスを拾ったのである。

「早く来い。、、そうだな、その女のエロいマスクなら客も興奮するだろう。出来るだけリングにいる時間を稼げ。上手くやったら俺から特別に小遣いをやるよ。他でも使い回しが出来るからな。…まあチャンプ相手に、それが出来ればの話だが。」
 レフリーはそう言って楽しそうに笑った。
    蓮は黙ってゆっくりとベンチから立ち上がった。

    もう、ヤルしかないのだ…。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

恋愛リベンジャーズ

廣瀬純七
SF
過去に戻って恋愛をやり直そうとした男が恋愛する相手の女性になってしまった物語

リボーン&リライフ

廣瀬純七
SF
性別を変えて過去に戻って人生をやり直す男の話

ボディチェンジウォッチ

廣瀬純七
SF
体を交換できる腕時計で体を交換する男女の話

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

処理中です...