邪霊駆除承ります萬探偵事務所【シャドウバン】

二市アキラ(フタツシ アキラ)

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第八章

『極東ファンタジア 魔法使いの弟子達』#38 ネズミの穴と猫

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「私の名前は只野マリー、もちろん本名じゃないけど……もう本名なんて忘れちゃったわ。」
 微苦笑を口元に浮かべながらマリーと名乗った女が、俺の右肩から上腕にかけてを、包帯で手際よく巻いていく。
 マリーの身体からは、サーファーの女の子達が良く付けているボディコロンの匂いがした。

 俺はその手元を眺めながら、自分の事を、アクション映画の中の傷ついた主人公のようだと間抜けた事を考えていた。
 本来なら看護士並のその手際から、マリーの素性を推理すべき所なのだろうが、探偵家業を忘れかけた手負いのチンピラに過ぎない今の俺にはそれが出来ない。

『あんたは、傷ついた人間を助けるヒロインみたいだ。』
 しかしそんな感想を、彼女に喋りかけるわけにはいかないので、俺は先ほどマリーの部屋に担ぎ込まれた時に感じた別の事をマリーに伝える事にした。

「あー、俺、、轟 聖。あっ、それって噛髪さんから聞いてますよね。・・でも本当だったんですね。」
「えっ、何が?」

「あれですよ。夜城じゃ、窓を裏から目張りしてるって。」
 俺は顎をしゃくって段ボールを張り付けてある窓を示して見せた。
 昼間見る難波森城の住居区階の窓は偏光ガラスが使用されている為、濃いブルーグリーンで内部の様子は分からない。
 それでも、夜になって内部からの照明が漏れていれば、人の気配は分かる。
 だから裏夜城では窓を裏から封鎖してるって話が、人々の間でまことしやかに交わされていたのだ。

「ああ、あれね。このビルの居住区には人が住んでいない事になってるから、、夜になって灯りが外に漏れてちゃ困るって聞いたわ。実際はそんなの外から誰も気にしてないから、建前もいいとこだけど何故か此処では、みんなそれに従ってる。」

 難波森城の別館は地下4階から地上10階まではショッピングゾーンになっているが、途中でタワー状の形状に変化する11階から25階は、オフィスと住居用に使われていた。
 本当に、それらの窓の裏側が全部、こんな裏張りがしてあるのかと思うと俺は笑えそうになるのと同時に、ある疑問を感じた。

「従う?・・それって命令ってことですよね、すると夜城にはボスみたいな人間がいるですかね?」
 マリーは何処からか男物の白いシャツを持ってきて俺の肩にかけてくれる。
 噛髪のものらしく、かなり大きなサイズだった。
 クリーニングしたてのシャツと、マリーの動作の優しい感触を感じながら、俺は自分の痛みが随分落ち着いて来ているのを知った。

「ボスって言い方でいいのか、わかんないけど、ミッキーがいるわね。貴方をあのヤクザ達から救い出せたのは、半分、ミッキーのお陰だし。」
「そうなら是非、そのミッキーさんに会ってお礼をしたいものだ、、。」

 噛髪の依頼を遂行するためにも、裏難波森夜城の有力者とは、ぜひ繋がっておく必要がある。
 もちろん最後には、その人物を裏切る事になるのだろうが、探偵の仕事というものは元来そういったものだ。
 一人の依頼者の信頼を得るのに、何人もの人間の不信感を刺激する。
 最後には、その依頼者にさえ嫌われる事もある。
    もちろんそれは、俺のせいじゃなく、依頼者の為に探り当てた"真実"が依頼者自身を苦しめる為だが。

 マリーは丸くて滑らかな肩をすくめながら「でも彼にあっても、吃驚しないでね。」と言った。

「吃驚する?」
「会えば解るよ。」


    ・・・・・・・・


「壁だよ。そこにネズミは、自分が通れるだけの穴を開ける。猫はネズミを追いかけたくとも、その穴を潜れない。せいぜいが中を覗き込むだけだ。大きさがモノを言うんだ。猫は大きいから穴を潜れない。ネズミにしちゃ自分の大きさなのにな。」

 マリーがミッキーにあっても驚くなと言った主な原因、、、つまりそれは、男が顔に付けているミッキーマウスの立体仮面の口元がもぐもぐと動いていた事だ。
 仮面はシリコンで出来ていて、それを直接顔の皮膚に貼り付けているのか、採寸がピッタリなのか、それにしても凄い技術だった。

 俺とミッキーの会見の雰囲気は、ディズニー映画にアニメキャラと実写を混ぜた作品が時々あるが、それを思わせるものだった。
 もっとも目の前のアームチェアーにふんぞり返って座っているのは、長身の痩せたリアルなミッキーマウスで、2次元の生き物なんかでは、なかったのだが。

 そしてその姿は、単なるコスプレというにはレベルが高すぎた。
 舌を噛みそうな言い方だが「ミッキーマウスマン」といったところか。
 ちなみに関係はないけれど、俺はTDLにろくな思いでがない、、。

「、、なんだ、納得してないって顔だな。今の説明じゃ不満足かね。こっちにして見りゃ、オタクがどうして、こっちと向こうの行き来について、拘ってんのかが判らんのだがね。ここに逃げ込んで来たのなら、もう向こうの世界には未練はあるまい?」
 それにしてもミッキーマウスマンの声は渋かった。
 なんだか深夜放送ラジオの男性アナウンサーみたいな感じだ。

 俺はミッキーマウスマンの質問に答える為の時間を稼ぐために、この部屋の奇妙さに今気付いたと言わんばかりに、肩の痛みを堪えて周りを見回した。
 長身の立体ミッキーマウスが座っている椅子の後ろの壁一面には、百に近い数のディスプレィがはめ込まれており、そのそれぞれが、夜城のありとあらゆる場所をリアルタイムでモニターしていた。
 ミッキーの部屋は、この巨大ビルの元・総合管理室だったようだ。

 『さあ轟、どう誤魔化す?ミッキーマウスマンは俺が裏難波森夜城に来た理由を、もう疑い始めてる。』

「調子のいい奴だと思われるかも知れませんが、俺は向こうの世界に整理しておくべきだった事案を幾つか積み残してあるんですよ、結構沢山ね。だから俺はどうしても、こっちと向こうを行き来する必要がある。」

    もちろん俺は、マリーに頼み込んで管理人に合わせて貰っているだけの話で、俺には彼に何かを要求出来るような立場じゃないのは分かっている。
    しかも俺の真の目的は夜城を崩壊させることだ。
     ここではダメ元で、ただ夜城が駆け込み寺であるという性質にかけているだけの話だ。

「ふふん、そりゃ、お前さんの勝手だろ。匿ってやっているとは言わないが、ここの住人の殆どは、向こうの世界を捨てた者ばかりだ。ここに来て、自分のお袋さんの死に際を諦めた人間だっているんだよ。ここのルールは、そんな奴らに合わせてある。」

 ミッキーマウスマンの黒くて大きな瞳が、この部屋の入り口に近い壁際で佇んでいるマリーの方を向く。
 マスクの上にペイントされた瞳の中に、覗き穴が上手くはめ込んであるのだろうが、これほど細工が完璧だと、本当にミッキーマウスが「お前、この男にルールを伝えていないのか?」と、マリーを目で詰っているように見える。

「じゃ、聞き方を変えます。裏難波森夜城の住人で、外との行き来をする人間は一人もいないって事ですか?で俺は、その人間にはなれない?」
 ミッキーは、そこだけは誇張されていない白い手袋の人差し指で、黒い鼻を挟むようにしながら考える素振りをして見せた。
 たぶん本心では、イライラしている筈だ。

 『なんで俺が、こんな新入りに、こんな細かい説明をしてやる必要がある。それにこいつはなんとなく怪しい。』
 そんな所だろう。
 ただミッキーマウスマンは、やはり裏難波森夜城の、受け入れた人間は面倒を見るという流儀と、マリーの手前、その苛立ちを抑えているのだろう。
   恐らく、その背景には俺のまだ知らない、もっと大きな力や理由があるのだろう。

「ここは水と電力を含め、かなりの率で自給自足が出来る世界だ。ここの地下水を利用したシステムや自家発電は相当なものだよ。一体どういうつもりで、此処の行政区がこんなものを作ったのかは謎だがな。ただし人工の建築物が都市の中にあるという現実は変わらない。夜城の住人といえど、絶海の孤島でのロビンソンクルーソーみたいな生活は続けられないってことだ。主な外部との交流は、下のショッピングゾーンと、そこの住人が受け持っているが、住居区に逃げ込んだ人間の中にも、ここの独立体制を維持する為に、外部社会に深く食い込こむ役割を持つ人間がいる。そういった連中は、ここと外界を自由に行き来が出来る。」

    ありがたい事に、ミッキーマウスマンが俺の誘いに少しだけ乗ってくれた。

「あなたの言う自由に出入り可能なその人間が、外の世界で触法行為を働き泡銭を稼いでるって話を聞いた事がある。そんな悪党でも、治外法権である裏難波森夜城に逃げ込まれると、何故か向こうではお手上げになるらしい。ですよね?」
 もちろん俺は、今此処で調子に乗ってあの噂話を仕掛ける様な馬鹿じゃないし、鬼猿の名前も出すつもりはなかった。
    少しばかり、目の前の風変わりなビルの管理人を、もう少し揺さぶって見たかっただけだ。

「そんな奴もいるかも知れないな。だがそんな事は私の知ったことではない。私はこの世界が順調に運営される事だけを願っている人間だ。だから、私から答えを聞き出したいんなら、少し、頭を使ってくれ。、、、時々、此処に視察に入りたいとか、言い出す馬鹿な役人や政治家がいる。もちろん私は、この部屋にいて、やつらを簡単に騙し追い返す事が出来る。物理的にな。しかしそれ以上は無理だ。それ以上の防御は難しいんだよ。第一そんな事をすれば後味が悪いし、後始末が面倒だ。要は、そんな状況自体を作り出さない事が一番重要なんだよ。その為には、何が必要だ?それを満たし生み出す者には特権が与えられる。」

 つまり夜城の独立性を維持するには、莫大な裏金が必要だと言う事だ。
 裏と表を自由に行き来する人間たちの中には、裏金を稼ぐ役目を負っている者もいる、って事だ。

「あなたは、俺をここにいるマリーと一緒になって救ってくれた。その理由はなんです?単に、俺が拳銃を持ったヤクザに追いかけられていたから?」

 マリーの話によれば、夜城のあらゆるドアやシャッターの開閉は、この管理室からコントロールが可能で、俺を助け出したあの瞬間も、ミッキーがビル管理用の隠し通路とモニター装置を巧く操って、彼女を手助けしてくれたのだという。

「それは勿論、マリーが私に力を貸してくれと言ったからだ。マリーは、ここに5年以上も住んでいるし、マーケットゾーンで外貨を稼いでいてくれる。」
    ああそうか、この風変わりな管理人は個人的にマリーに好意を抱いているって訳だ。

「マリーは信頼できる人物だ。あんたは、ここに入るのに特別な入居資格がいるように思っているようだが、そんなものはない。例えあったとしても、それは私が発行してるわけじゃい。ここじゃ人間としての"信用"が全てなんだよ。」

『嘘だ、お前達は何かの基準で人間を選別してる。俺は何度もここに入ろうとして入れなかった。あの緋虎組でさえ工夫をしても無理だったんだ。そして俺は殺され掛かって、ようやく入居が認められたんだ。』
 俺はそう言いたいのを、ぐっと堪えた。

「もし俺が、ここを出ていって又、金目を持って戻って来ることになったら、、特別な事をしなくても夜城は俺を迎え入れてくれる可能性が少しはあるってことですか?」

「さっき言ったろう。ねずみが開けた穴なら、そのねずみは自由に行き来が出来る。だが猫は入れない。のぞき込めるだけだ。あんたが猫じゃなくて、ずっとネズミであることを願うよ。」

「もういいです、、。ありがとう。あなたは、俺がいくら粘っても本当の正解をおしえてくれそうもない。この話は堂々巡りだ。」
 俺は肩をすくめながらそう言った。

「ご愁傷様。こちらこそ、楽しい時間をありがとう。」
 その言葉の裏側には『私がここまでつき合ってやっただけでも感謝しろ』という感情がありありと見えた。

「ああ、そうだ。これは裏情報なんだけど、終点の北野灘駅からもう三区間、延伸されるのが、本決まり見たいですよ。」
 私鉄の終点である北野灘駅は、難波森城に一番近い駅だった。

 ミッキーが不思議そうな顔をする。
 いや、いくら良く出来たマスクでも、そこまで表情を動かせないだろうから、それは俺の思い込みだろう。
 私鉄延伸の話の真偽は、知らない。
 それは、噛髪が裏十龍に入り込んで困った時には流せばいいと言った「噂話」のおまけの1つだった。

「この話、まだ誰も知らないと思いますよ。ホントの裏の情報だ。外の世界からの手土産代わりですよ。信用が大事なんでしよう?」
 俺は、ミッキーが首を傾げたのを見届けてから、彼に背を向けた。

     ・・・・・・・

 12階にあるミッキーの管理室を出て、マリーの部屋に上がるエレベーターが下ってくるのを待ちながら、俺はいらついた調子で言った。

「なんで奴は、浦安ネズミのマスクなんかを顔に付けてんだ?」

「さあ、顔に問題があるんじゃないかしら。本人はそういうの克服してるけど、他人に不快感を与えない為に顔を隠すっていう場合もあるわ。ここは裏夜城なのよ。ましてミッキーは管理人よ。過去に色々あったに決まってるわ。」
 マリーが俺を、なだめるように言った。

「そうかね。俺には問題があるのは、ヤツの顔じゃなくて、性格のような気がするがね。」

「ねえ、聖。そんなに、苛つかないで、あの人が頼んだ仕事なんて、失敗しちゃえばいいのよ。やって見て無理な事は、この世に一杯あるわ。」
 マリーは噛髪の協力者の筈なのに、言っている事は正反対だった。
 しかしマリーの性格は極めて良い。
 リョウや噛髪の事がなければ、惚れていたくらいだ。
 それが又、俺を、苛つかせた。

「結局、どういう事なんだ、、。夜城のマーケットエリアから住居ビルに移るには10階にあるセキュリティゾーンを通過して、専用エレベーターにのる必要がある。あそこが、物理的な関門なのか?でも、規模が大きいから不思議に思うが、普通のマンションにだってある当たり前の仕掛けだ。しかしそれだけの事が、関門だというなら、裏夜城の住人となったからには、誰もが自由に外と内とを行き来出来るんじゃないのか。でも外から見てる限りには、裏夜城に逃げ込んだ人間の姿は一切見えなくなっている。」

 エレベーターは上の階で何をやっているのか、未だに降りてこない。

「聖は勘違いしてる。此処は凶悪な犯罪者を匿う場所じゃないのよ。もちろん追い詰められて犯罪を犯した者や、この国の価値観に過激に対立した人間もいる。でも彼らを含めて、出れないんじゃなくて、みんなはここから出ていこうとしないの。それだけのことなのよ。それに、ここに隠れたら、姿が見えなくなるんじゃなくて、外の世界の人達が、ここの住人の事を見たくないのよ。」

 エレベーター前のフロアに、マリーの声が頼りなく響く。
 このフロアーは広すぎる上に、人通りがまったくないのだ。

「そんな情緒的な話だけじゃ説明がつかない。ここは実際に駆け込み寺みたいな機能を果たしているんだぜ。ネズミ野郎もそれらしい事を言ってたが、ここには追っ手を、シャットダウンさせる有形無形の防護壁があるんだ。つまり誰かが意識して、守るべき者と、追い払うべき者を峻別してるってことになる。だが外からは、そのからくりが見えない。」

 俺は唐突に「シュレーディンガーの猫」の話を思い出した。
 俺は頭が悪いから、シュレーディンガーって学者が他の理論を批判する為に持ち出した、あの思考実験自体がよく判らない。
 ただネズミ野郎のミッキーを事を考えていたら、鼠繋がりで猫を思い出しただけだ。

 つまりシュレーディンガーが想定した箱がこの夜城で、中にいるのがアウトサイダー達って事だ。
 実際、ここにいるアウトサイダー達は外から見ている限りは、死んでいるのか生きているのかが判らないんだから。

 俺はエレベーターの昇降ボタンの表面に仕込んである指紋認識のセンサーを睨みつける。
 今、こうしている時も、ミッキーには俺の動向がリアルタイムで掴めているという事だ。

「からくりね、、。法律上、今はここには人は住んでいないってことが一つ。法律上ってところが重要。さらに加えて、諸々の事情が複雑に交差して、そとの世界の中にあって裏難波森夜城だけに一種の治外法権的な空間が発生しているのも大きいわよね。でも、何度も言うようだけど、そんな事は大きな要素じゃないのよ。私達の裏夜城を形成してるのは、人の心のありようだけなの。」
 そうマリーが言った時、エレベーターのドアが開いた。
 心のありよう?都合のいい解釈だと、俺はその時思った。





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