魔術師長様はご機嫌ななめ

鷹月 檻

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第四章

37 別れ

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 私がこのお屋敷に来て二月が経っていた。
いつになったら父神様は私を迎えに来てくれるんだろう? 本当に来てくれるの?
来られるの?
最後に神通信をした後、いくらハンドベルを鳴らしても父神様と神通信が出来なくなっていた。
もしかして、何かあって、私のいる時代に来られないのかも知れない……そう考えると凄く怖かった。
もうレイジェス様と会えないかも知れない、そんな事を考えてはその考えを打ち消す様に頭を振った。
ただ、こっちの世界にもレイジェス様はいる。私より4歳年下の可愛らしい男の子。
もし、帰れなかったら……こちらのレイジェス様と私は恋愛関係になる?
レイジェス様は可愛いし、愛しいし、守ってあげたくなるけど、小さなレイジェス様を普通に恋愛対象として見れるかと言うと難しいし、レイジェス様からしたって今は『リアお姉ちゃん大好き』なんて言ってくれるけど、今は良くても二人共成長した時に4歳も年上の女なんて恋愛対象になるのかな? と疑問に思った。

 この世界では年下との結婚が普通だ。愛人とか愛妾でたまに年上の女の人がいるけれど、基本、本命が若い女なのは子供を産ませるには若い女の方が良いと言われているからだ。30歳過ぎた女は需要が無く、平民の女でもお嫁に行く先が無くて自分の力で暮らすか修道院に入るしか無いらしい。
ちなみに平民の場合、女性の労働力への給料はかなり低く、金銭的に一人で暮らす事は相当困難で、家族と一緒に暮らしている30代女性も結構いるらしい。
これが貴族の女性となるとまた話が違う。貴族の女性の場合、高学歴である場合が多く、城や、国の関係機関に勤務する事が多いからだ。国の関係機関はそこそこのお給料が貰えるので一人で暮らしていくことも出来る。





 話は変わるけど、今、私は公爵様と変な関係になっている……。
公爵様に『愛の告白』をされて、プロポーズもされた。
最初は冗談かと思っていたけど、どうやら本気らしくてフォスティーヌさんやエラさんと別れるとまで言い出している。
公爵様曰く、『妻とは別れて君と結婚する、君を愛してる』とのこと。
何だか愛人にでも言うセリフに似ている気がするのは気のせいだろうか?

 特別な事は何もしてないはずなのに、何故こうなったか分からない。
心当たりがあるとすれば、よく色々な事をお話したり、(公爵様の性癖の事も)絵のモデルをしたりと、一緒に過ごす事が多いから?
私は居なくなるのに、本気で妻二人と離婚するのか聞いたら、もともと男と女の関係にないし、いいんじゃないかと言っていた。それに、フォスティーヌさんは公爵様と別れたらオーギュストと付き合う予定になっているらしい。
オーギュストは奥さんを早くに亡くしているので付き合うのも問題無い。
ただ、エラは顧問弁護士が言うには条件で揉めているらしい。公爵様は面倒なので詐欺罪で訴えろと言っていたけど、エラは闇組織の人間とも仲が良いらしく、恨まれると面倒な事になるから、詐欺罪で訴えるのは止めた方がいいと、顧問弁護士に止められていた。

 正直、公爵様は私にローズさんの面影を抱いていて、それで私の事を好きなのでは? と多々思う。本人はそれに気付いているのかよく分からない。
けど、困った事に私は公爵様の事を嫌いじゃない。
かと言って好きなのかと言うと……レイジェス様に対する感情とは違うって言うのは分かる。
ただ、その感情を何と言い表せばいいのか分からない。
同情に似ている様で同情では無い様な? 愛情? それも何だか違う様に感じる。
公爵様への私の気持ちは、一言で分類するのは難しい。
それに、公爵様に触られても嫌じゃないのが困る。
何でだろう? レイジェス様と似てるからかな?
ちょっと前に振り向き様にキスをされた時もびっくりしたけど、いたずらっぽく微笑まれて怒る気にもなれなかった。

 公爵様は少し勝手で強引な所があるけど、私の事も考えてくれているのは分かる。私に魅了されているなら、普通の人間にとってそれは地獄の様に苦しいはずだ。
それを理性で抑え付けている所を見ると、かなり精神力の強い人なのかなぁ? と思った。一応、公爵様にミドルキュアを日に何回も掛けているけど、効いてるのかどうか良く分からない。私と一緒に居すぎるからだ。

「アリア、もうちょっとこっちを向いて、目線をこちらに」

 言われた通り私は公爵様を見る。
私は今、書斎のリラックスチェアにだらしなく座って、公爵様の油絵のモデルをしている。最近は絵のモデルをする事が凄く多い。公爵様の描くキャンバスのサイズは小さい。あの革の旅行鞄に入るサイズにしたいからだ。公爵様はあれを『宝箱』と呼んでいる。
本当にロマンチシストで少年の様な人だ。

 二月も経つと4月も終わって、今は6月、終春節じゃないのに何故か公爵様はずっとお屋敷にいる。お城の仕事もしているとレイジェス様に聞いた様な気がするが、出仕しなくて大丈夫なのかな? お屋敷にいると公爵様は絵を描いたり、レイジェス様と羽打ちやボール遊びをしたりする。私はそれを見て過ごす。

 フォスティーヌさんは前は公爵様の事を睨んだり怒ったりしていたのに最近は落ち着いている。
オーギュストと仲良くしているせいかな? ちょっと前は揉めていたのに不思議だ。
レイジェス様も最近はお父様とお母様が遊んでくれると喜んでいる。公爵様とフォスティーヌさんが言うには私のせいだと言う。
私が『一緒に遊びましょう』とレイジェス様を連れてくると何だか断れないらしい。
それで断るとレイジェス様が悲しそうな顔をして、私がそれを慰めるので、親としていたたまれない気持ちになるらしく、それで遊んでくれてる様だ。

 まぁ、私としては親がどんな気持ちだろうが、レイジェス様が親と遊んでもらって、愛されたって記憶が残れば良いと思っている。
ああ、でも、記憶……消されちゃうのか。
私がしていた事は無駄だったのかな? そう、ぼんやりと考えていた。
気が付くと公爵様は絵を描き終えて『宝箱』に仕舞い終わっていた。
ふいにリーン、リーンと音がした。
私は慌てて空間収納を開いてハンドベルを出した。

『待たせたな、アリア』
『もう月が替わりましたよ? 今6月10日ですよ? あれから二月経ってますよ、もうお迎えが来ないかと思いました』
『そうか、あれから何もやってないだろうな?』
『一応何もやってないつもりですが、公爵様と奥様二人が離婚しそうです』
『取り合えず、制御装置でゲートを中庭に開く、そなたに関わった者達を集めよ』
『はい』

 私は通信を切った。
公爵様が不思議そうな顔をする。

「アリア様、今のは何だ? 何をしていた?」
「えっと、お迎えが来ます。お別れをするので、私に関わった方全員を中庭に集めて欲しいのですが。顧問弁護士さんやエラさんとエラさんの弁護士も、お願いします」
「何のために他の者を呼ぶ? 顧問弁護士など君は二回くらいしか会ってないじゃないか」
「……父神様に言われたので。中庭に行きますね」
「待て! まだ話が終わってない」
「話?」
「私達全員の記憶を消すつもりか?」

 私を睨むその青い瞳は鋭く、私を刺すように見つめていた。

「私にそれは出来ませんから……父神様がやると仰ってます」
「……そうか」

 公爵様は肩を深く落とした様に見えた。
酷く落胆したその顔を見ると、私の胸の中にもやもやした物が浮かび上がって来た。
公爵様は中庭に行く途中に食堂に寄り、オーギュストにアルフォード公爵家の顧問弁護士とエラとエラの弁護士を中庭に呼ぶように言った。そして屋敷で私に関わった全ての者を中庭に集めて欲しいと伝えた。
オーギュストは訝しげに思いながらも公爵様の言う通りにしていた。
公爵様は少し沈んだ顔をしながらも私のお願いを聞いてくれ、私に関わった者達を中庭に集めるように協力してくれた。
私はもやもやした気持ちで一杯だった、でもお礼を言わないと……。

「……公爵様、人を集めるのを協力してくれてありがとうございます」
「君は本当に行ってしまうのか? お願いだ……行かないでくれ……。私を一人にしないでくれ……」
「……」
「……無理か」

 中庭の芝生の上に崩れる落ちる様に公爵様は膝を付いた。そして私を見上げ泣きそうな瞳で私を見つめ、その腕は私の腰に縋り付く様に絡められた。

「君はこんなにも温かいのに……ちゃんと生きているのに……離れたく無い!」
「……ごめんなさい」

 暫くして屋敷の者が集まる中、ブゥーンと機械音がしてゲートが開いた。
中から現れたのは父神様とネルガル様だった。
私には二人共普通に顔が見えるけど、多分、他の人の目には光り輝いて顔までは見えないんだろう、中庭に集まった人達は芝生の上で平伏していた。

「……神よ! お願いだ、私からまた愛する者を奪わないでくれ!」

 公爵様が涙を零しながら叫ぶと父神様が公爵様の前に立った。

「お前か……フェリシアンとは?」
「……はい」

 公爵様は袖で涙を拭いてから父神様に跪いた。

「アリアはこの時代の者では無い、……お前は分かっているよな?」
「……はい……」
「アリアはレイジェスと元の時代で婚約している、それは知っているのか?」
「はい……」
「……」

 公爵様の瞳は涙で赤味を帯びていた。父神様は黙ってそれを見ている。
レイジェス様がとととっと私に歩み寄った。

「どういう事? リアお姉ちゃん?」
「レイ君、お姉ちゃんね、これからお家に帰るの」
「……お父さんとお兄さんがお迎えに来たんだね?」

 レイジェス様が父神様とネルガル様を見ていた。
公爵様は私の腕を掴んで口を開いた。

「……君にここに残って欲しい……」

 それは力の抜けた掴み方で、いつでもそれを振りほどけるくらいだった。
レイジェス様と同じ様な口調、声でここに残って欲しいと言う彼に私は動揺して父神様を見上げた。

「……父神様……わたくし……」
みなまで言うな」

 父神様は私の額に自分の額をくっ付けた。
少しして額を離すと眉間に皺が寄っている。
前にもされたその行動は、私の心の中を全て読まれてしまったらしい。
父神様は顔を歪ませて私を睨んだ。

「……アリア、そなたは無意識に傷ついた者に寄り添おうとする傾向がある。自分自身気付いて無いだろうがな……私から見るとレイジェス、あいつもそなたに癒された一人に過ぎんし、それが愛なのかどうかは微妙だと思っている。……だが、フェリシアンだけはダメだ。こいつを選んでそなたがこの世界に残るとしても……レイジェスが成長するたびにそなたは後悔し、傷つくだろう。その選択は我がそなたの父である限り許すわけには行かない……。ノルンが幸せな結末を見たいと言っていたのが今なら理解できる。我もそなたの幸せな結末が見たい、父としてな……」

 父神様は私の頭に手を置いてくしゃっと撫でた。

「……でも……!」

 私の顔が訳の分からない感情で歪む。
父神様は公爵様に体を向けた。

「フェリシアン」
「……はい」
「……アリアの心を読んだ。お前と一緒に居たいと考えていた。だが……お前はそれで本当に良いのか? 本当にアリアを愛していると言うのか? 何故お前はアリアにスキルを使った……?」

 ……スキル?
公爵様は私を怯えた様な目でちらりと見た。

「もう一度聞く……。何故スキルを使ったんだ?」
「私がした事で彼女を苦しませたく無かった……からです」
「自分の気持ちや欲よりも……アリアの気持ちを優先させたのであろう? なら分かるはずだ。彼女はここにいられない、いる訳にはいかない。お前の悲しみも分かるが……すまない」

 父神様が謝ると後方から人の騒ぐ声が聞こえた。

「なんでこんな急に呼ばれなきゃいけないのよ! わたくしは絶対に公爵様と別れないわよ!」

 エラとエラの弁護士にアルフォード公爵家の顧問弁護士だった。

「な、何です!? この大きな光は!?」

 顧問弁護士が驚いて周りを見ると皆が平伏していたのを見て自分も平伏した。続いてエラの弁護士、エラも平伏して行った。

「全員揃いました」

 とオーギュストが言って、父神様が頷いた。

「アリア、別れの挨拶をしなさい」

 そう言われても喉が詰まって言葉が出なかった。
何を言えばいいのか分からなくなっている。
私が俯いていると小さな手が私の手を握った。

「リアお姉ちゃん、……また会える?」

 レイジェス様が涙を堪えて私に笑いかけていた。
私は頷いた。

「うん。また会えるよ、絶対」

 レイジェス様は私にぎゅっと抱きついた。

「リアお姉ちゃん、さようなら……またね!」

 レイジェス様がそう言って離れた後、公爵様が私の前に跪いた。
その顔は苦々しく微笑んでいる。

「君は、私を選んでくれていたんだね……?」
「選んでなんて……いません」
「じゃあ、何故ここに居たいと思ってくれたんだ……?」
「貴方がひとりぼっちに見えて……寂しそうだったから……」
「君は優しいね……大好きだよ、アリア」
「……わたくしは優しくなんかないし、貴方なんて嫌い、フェリシアン」

 私が涙目で睨むと公爵様は笑顔になった。
私の頬を両手で包むようにしてそのまま舌を入れるキスをした。
その感触に私は驚いた。
以前にもこうして公爵様とキスをした事があった様な気分になったからだ。

「……どういうこと?」
「君は何も知らなくていい、私は君の事を忘れないよ……ありがとう」

 ぎゅっと私を抱きしめて泣き続ける公爵様にそれ以上の事は聞けなかった。
私が父神様を見上げると父神様は小さな杖を手にしていた。

『イファシレミモアージ』

 父神様が神呪を唱えると皆ぱたぱたと芝生の上に倒れて行った。
私を抱きしめていた公爵様のその体も崩れ落ちて芝生の上に倒れた。
横たわった公爵様の頬に流れる涙を指で掬い取って、その痕を拭いた。

「……さようなら、フェリシアン。いつか貴方にも『唯一人の愛する人』が現れると思う……貴方のその人はわたくしでは無いけれど、きっと、……きっと現れるわ……」

 その言葉は願いでもあり、祈りでもあった。フェリシアンにひとりぼっちで寂しく過ごして欲しくなかった。
私は最後に公爵様の青味を帯びた銀髪をそっと撫でた。

「所で皆大丈夫なのですか?」

 私が心配して父神様に聞くと眠っているだけだと言った。
呪文で眠り、暫くして起きると私の事は忘れるらしい。

「さぁ、戻るぞ」

 父神様が私に声を掛ける。
私はネルガル様に抱き上げられ、父神様と一緒にブゥーンと機械音のするゲートを通った。
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