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審問が終わって数日後、王太子レオナード殿下は公の場にあまり姿を現さなくなったという噂が広まっていた。ソフィア・エバンズの不正疑惑が浮上し、殿下自身が婚約破棄の正当性を揺るがされているのだから、無理もないだろう。
「セレナ様、最近は都の空気も少し落ち着いたように見えますね」
侍女のエリスがそう声をかけながら、私の部屋へお茶を運んできた。私は窓から中庭を見下ろしながら、小さく息をつく。
「ええ。ソフィア様の虚像が崩れたことで、私が悪役令嬢だという風評は一時的に弱まったわ。でも、それだけでは終わらないと思う。彼女の背後にはまだ何かあるはずだから」
エリスはうなずき、トレイをテーブルの上に置いた。甘い香りを立ち昇らせる紅茶が、心を和ませてくれる。それでも、ここ最近の忙しなさから、私の神経はなかなか休まらない。
「セレナ様、評議会の日程が正式に決まりましたね。あと数日のうちに開催だとか」
「そう、アレクシス殿下から連絡があったわ。父が間に合うかどうか微妙なところだけれど、兄さまが私とともに出席する予定よ」
王太子を中心とした王家のこれからを議論する評議会。それは、私たち貴族にとっても重大な意味を持つ。ソフィアやその背後の派閥が、王太子をどう利用しようとしているのか――その全貌を知る手がかりになるはずだ。
エリスがお茶を勧めようとしたとき、ドアの外でノックが響く。許可の声をかけると、現れたのは騎士サイラスだった。
「セレナ様、王太子殿下がこちらにお見えです」
その報せに私は少し驚く。同時に、心の奥底に鈍い痛みが走った。審問のあと、殿下とはほとんど顔を合わせていない。どんな話を持ちかけられるのか、見当もつかないが――逃げるわけにもいかない。
「わかりました。サロンに通してください」
サイラスが一礼して出ていくと、エリスは心配そうに私の顔を覗き込む。
「セレナ様、大丈夫ですか。殿下はあの審問で、かなり取り乱しておられたようですし」
「平気よ。私はもう冷静に話をするだけ。……エリス、あなたは私が呼ぶまで控えていて」
部屋を出てサロンへと向かい、その扉を開けると、そこには深緑色のマントを身にまとったレオナード殿下が立っていた。以前より少しやつれたように見える顔には、確かに迷いの色がうかがえる。
「セレナ……いや、ベルナール公爵令嬢」
殿下は私を見て、複雑そうに目を伏せた。私は静かに一礼する。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
少しの沈黙の後、殿下は重々しく口を開いた。
「まずは、先日の審問のことを謝りたい。お前を悪役だと決めつけたまま、ソフィアを信じてしまっていたこと……そして、婚約破棄の経緯についても」
「謝罪を受ける義理はありませんわ。殿下があのとき決めたこと、それは私にとっても解放でしたから」
私の言葉に、殿下の瞳が苦しげに揺れる。あの日、私が言った「自由」という言葉が脳裏によぎっているのだろうか。けれど、私にはもう婚約者という立場で殿下を責める権利はない。
「それでも、私は知りたいんだ。お前が“本当はどんな女性なのか”を」
「今さらですか」
少しだけ冷たい口調になってしまう。殿下はそれを受け止めるように深く息を吐いた。
「そうだ。遅いのはわかっている。ただ、俺の傲慢さがすべてを狂わせていたのだと……今になって理解したんだ。お前が冷たく見えるのは、決して悪意や野心からじゃない。むしろ、周囲を気遣うあまり感情を出せないんだろう」
私は答えず、黙って彼を見つめる。殿下の言葉は、確かに私の本質に近いところを突いていた。だが、それを気づかずに私を“悪役”と呼んだのもまた殿下自身だ。
「過去を取り戻したい、なんてわがままは言えない。しかし、評議会が終わったら、改めて……お前と向き合いたい。そう思っている」
殿下はそう言いながら苦しげに微笑む。私は心の底にうずまく感情を抑え込み、ただ静かに返事をする。
「お気持ちはわかりました。ですが、私の答えは評議会までお待ちください。……今はそれ以上、何も言えません」
殿下は小さくうなずき、名残惜しそうにサロンを後にした。その背中を見送りながら、胸に湧き上がる複雑な思いを振り払うように息をつく。
「今さら、私とどう向き合うというの……」
呟きは誰にも聞かれず、ただ静寂の中に溶けていく。婚約破棄から始まった歯車は、もう止まらないまま次の舞台へと進もうとしていた。
「セレナ様、最近は都の空気も少し落ち着いたように見えますね」
侍女のエリスがそう声をかけながら、私の部屋へお茶を運んできた。私は窓から中庭を見下ろしながら、小さく息をつく。
「ええ。ソフィア様の虚像が崩れたことで、私が悪役令嬢だという風評は一時的に弱まったわ。でも、それだけでは終わらないと思う。彼女の背後にはまだ何かあるはずだから」
エリスはうなずき、トレイをテーブルの上に置いた。甘い香りを立ち昇らせる紅茶が、心を和ませてくれる。それでも、ここ最近の忙しなさから、私の神経はなかなか休まらない。
「セレナ様、評議会の日程が正式に決まりましたね。あと数日のうちに開催だとか」
「そう、アレクシス殿下から連絡があったわ。父が間に合うかどうか微妙なところだけれど、兄さまが私とともに出席する予定よ」
王太子を中心とした王家のこれからを議論する評議会。それは、私たち貴族にとっても重大な意味を持つ。ソフィアやその背後の派閥が、王太子をどう利用しようとしているのか――その全貌を知る手がかりになるはずだ。
エリスがお茶を勧めようとしたとき、ドアの外でノックが響く。許可の声をかけると、現れたのは騎士サイラスだった。
「セレナ様、王太子殿下がこちらにお見えです」
その報せに私は少し驚く。同時に、心の奥底に鈍い痛みが走った。審問のあと、殿下とはほとんど顔を合わせていない。どんな話を持ちかけられるのか、見当もつかないが――逃げるわけにもいかない。
「わかりました。サロンに通してください」
サイラスが一礼して出ていくと、エリスは心配そうに私の顔を覗き込む。
「セレナ様、大丈夫ですか。殿下はあの審問で、かなり取り乱しておられたようですし」
「平気よ。私はもう冷静に話をするだけ。……エリス、あなたは私が呼ぶまで控えていて」
部屋を出てサロンへと向かい、その扉を開けると、そこには深緑色のマントを身にまとったレオナード殿下が立っていた。以前より少しやつれたように見える顔には、確かに迷いの色がうかがえる。
「セレナ……いや、ベルナール公爵令嬢」
殿下は私を見て、複雑そうに目を伏せた。私は静かに一礼する。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
少しの沈黙の後、殿下は重々しく口を開いた。
「まずは、先日の審問のことを謝りたい。お前を悪役だと決めつけたまま、ソフィアを信じてしまっていたこと……そして、婚約破棄の経緯についても」
「謝罪を受ける義理はありませんわ。殿下があのとき決めたこと、それは私にとっても解放でしたから」
私の言葉に、殿下の瞳が苦しげに揺れる。あの日、私が言った「自由」という言葉が脳裏によぎっているのだろうか。けれど、私にはもう婚約者という立場で殿下を責める権利はない。
「それでも、私は知りたいんだ。お前が“本当はどんな女性なのか”を」
「今さらですか」
少しだけ冷たい口調になってしまう。殿下はそれを受け止めるように深く息を吐いた。
「そうだ。遅いのはわかっている。ただ、俺の傲慢さがすべてを狂わせていたのだと……今になって理解したんだ。お前が冷たく見えるのは、決して悪意や野心からじゃない。むしろ、周囲を気遣うあまり感情を出せないんだろう」
私は答えず、黙って彼を見つめる。殿下の言葉は、確かに私の本質に近いところを突いていた。だが、それを気づかずに私を“悪役”と呼んだのもまた殿下自身だ。
「過去を取り戻したい、なんてわがままは言えない。しかし、評議会が終わったら、改めて……お前と向き合いたい。そう思っている」
殿下はそう言いながら苦しげに微笑む。私は心の底にうずまく感情を抑え込み、ただ静かに返事をする。
「お気持ちはわかりました。ですが、私の答えは評議会までお待ちください。……今はそれ以上、何も言えません」
殿下は小さくうなずき、名残惜しそうにサロンを後にした。その背中を見送りながら、胸に湧き上がる複雑な思いを振り払うように息をつく。
「今さら、私とどう向き合うというの……」
呟きは誰にも聞かれず、ただ静寂の中に溶けていく。婚約破棄から始まった歯車は、もう止まらないまま次の舞台へと進もうとしていた。
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