氷の令嬢は、婚約破棄の先で微笑う

東山りえる

文字の大きさ
21 / 30

21

しおりを挟む
審問が終わって数日後、王太子レオナード殿下は公の場にあまり姿を現さなくなったという噂が広まっていた。ソフィア・エバンズの不正疑惑が浮上し、殿下自身が婚約破棄の正当性を揺るがされているのだから、無理もないだろう。

「セレナ様、最近は都の空気も少し落ち着いたように見えますね」

侍女のエリスがそう声をかけながら、私の部屋へお茶を運んできた。私は窓から中庭を見下ろしながら、小さく息をつく。

「ええ。ソフィア様の虚像が崩れたことで、私が悪役令嬢だという風評は一時的に弱まったわ。でも、それだけでは終わらないと思う。彼女の背後にはまだ何かあるはずだから」

エリスはうなずき、トレイをテーブルの上に置いた。甘い香りを立ち昇らせる紅茶が、心を和ませてくれる。それでも、ここ最近の忙しなさから、私の神経はなかなか休まらない。

「セレナ様、評議会の日程が正式に決まりましたね。あと数日のうちに開催だとか」

「そう、アレクシス殿下から連絡があったわ。父が間に合うかどうか微妙なところだけれど、兄さまが私とともに出席する予定よ」

王太子を中心とした王家のこれからを議論する評議会。それは、私たち貴族にとっても重大な意味を持つ。ソフィアやその背後の派閥が、王太子をどう利用しようとしているのか――その全貌を知る手がかりになるはずだ。

エリスがお茶を勧めようとしたとき、ドアの外でノックが響く。許可の声をかけると、現れたのは騎士サイラスだった。

「セレナ様、王太子殿下がこちらにお見えです」

その報せに私は少し驚く。同時に、心の奥底に鈍い痛みが走った。審問のあと、殿下とはほとんど顔を合わせていない。どんな話を持ちかけられるのか、見当もつかないが――逃げるわけにもいかない。

「わかりました。サロンに通してください」

サイラスが一礼して出ていくと、エリスは心配そうに私の顔を覗き込む。

「セレナ様、大丈夫ですか。殿下はあの審問で、かなり取り乱しておられたようですし」

「平気よ。私はもう冷静に話をするだけ。……エリス、あなたは私が呼ぶまで控えていて」

部屋を出てサロンへと向かい、その扉を開けると、そこには深緑色のマントを身にまとったレオナード殿下が立っていた。以前より少しやつれたように見える顔には、確かに迷いの色がうかがえる。

「セレナ……いや、ベルナール公爵令嬢」

殿下は私を見て、複雑そうに目を伏せた。私は静かに一礼する。

「本日はどのようなご用件でしょうか」

少しの沈黙の後、殿下は重々しく口を開いた。

「まずは、先日の審問のことを謝りたい。お前を悪役だと決めつけたまま、ソフィアを信じてしまっていたこと……そして、婚約破棄の経緯についても」

「謝罪を受ける義理はありませんわ。殿下があのとき決めたこと、それは私にとっても解放でしたから」

私の言葉に、殿下の瞳が苦しげに揺れる。あの日、私が言った「自由」という言葉が脳裏によぎっているのだろうか。けれど、私にはもう婚約者という立場で殿下を責める権利はない。

「それでも、私は知りたいんだ。お前が“本当はどんな女性なのか”を」

「今さらですか」

少しだけ冷たい口調になってしまう。殿下はそれを受け止めるように深く息を吐いた。

「そうだ。遅いのはわかっている。ただ、俺の傲慢さがすべてを狂わせていたのだと……今になって理解したんだ。お前が冷たく見えるのは、決して悪意や野心からじゃない。むしろ、周囲を気遣うあまり感情を出せないんだろう」

私は答えず、黙って彼を見つめる。殿下の言葉は、確かに私の本質に近いところを突いていた。だが、それを気づかずに私を“悪役”と呼んだのもまた殿下自身だ。

「過去を取り戻したい、なんてわがままは言えない。しかし、評議会が終わったら、改めて……お前と向き合いたい。そう思っている」

殿下はそう言いながら苦しげに微笑む。私は心の底にうずまく感情を抑え込み、ただ静かに返事をする。

「お気持ちはわかりました。ですが、私の答えは評議会までお待ちください。……今はそれ以上、何も言えません」

殿下は小さくうなずき、名残惜しそうにサロンを後にした。その背中を見送りながら、胸に湧き上がる複雑な思いを振り払うように息をつく。

「今さら、私とどう向き合うというの……」

呟きは誰にも聞かれず、ただ静寂の中に溶けていく。婚約破棄から始まった歯車は、もう止まらないまま次の舞台へと進もうとしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

婚約破棄された氷の令嬢 ~偽りの聖女を暴き、炎の公爵エクウスに溺愛される~

ふわふわ
恋愛
侯爵令嬢アイシス・ヴァレンティンは、王太子レグナムの婚約者として厳しい妃教育に耐えてきた。しかし、王宮パーティーで突然婚約破棄を宣告される。理由は、レグナムの幼馴染で「聖女」と称されるエマが「アイシスにいじめられた」という濡れ衣。実際はすべてエマの策略だった。 絶望の底で、アイシスは前世の記憶を思い出す――この世界は乙女ゲームで、自分は「悪役令嬢」として破滅する運命だった。覚醒した氷魔法の力と前世知識を武器に、辺境のフロスト領へ追放されたアイシスは、自立の道を選ぶ。そこで出会ったのは、冷徹で「炎の公爵」と恐れられるエクウス・ドラゴン。彼はアイシスの魔法に興味を持ち、政略結婚を提案するが、実は一目惚れで彼女を溺愛し始める。 アイシスは氷魔法で領地を繁栄させ、騎士ルークスと魔導師セナの忠誠を得ながら、逆ハーレム的な甘い日常を過ごす。一方、王都ではエマの偽聖女の力が暴かれ、レグナムは後悔の涙を流す。最終決戦で、アイシスとエクウスの「氷炎魔法」が王国軍を撃破。偽りの聖女は転落し、王国は変わる。 **氷の令嬢は、炎の公爵に溺愛され、運命を逆転させる**。 婚約破棄の屈辱から始まる、爽快ザマアと胸キュン溺愛の物語。

これで、私も自由になれます

たくわん
恋愛
社交界で「地味で会話がつまらない」と評判のエリザベート・フォン・リヒテンシュタイン。婚約者である公爵家の長男アレクサンダーから、舞踏会の場で突然婚約破棄を告げられる。理由は「華やかで魅力的な」子爵令嬢ソフィアとの恋。エリザベートは静かに受け入れ、社交界の噂話の的になる。

婚約破棄された公爵令嬢エルカミーノの、神級魔法覚醒と溺愛逆ハーレム生活

ふわふわ
恋愛
公爵令嬢エルカミーノ・ヴァレンティーナは、王太子フィオリーノとの婚約を心から大切にし、完璧な王太子妃候補として日々を過ごしていた。 しかし、学園卒業パーティーの夜、突然の公開婚約破棄。 「転入生の聖女リヴォルタこそが真実の愛だ。お前は冷たい悪役令嬢だ」との言葉とともに、周囲の貴族たちも一斉に彼女を嘲笑う。 傷心と絶望の淵で、エルカミーノは自身の体内に眠っていた「神級の古代魔法」が覚醒するのを悟る。 封印されていた万能の力――治癒、攻撃、予知、魅了耐性すべてが神の領域に達するチート能力が、ついに解放された。 さらに、婚約破棄の余波で明らかになる衝撃の事実。 リヴォルタの「聖女の力」は偽物だった。 エルカミーノの領地は異常な豊作を迎え、王国の経済を支えるまでに。 フィオリーノとリヴォルタは、次々と失脚の淵へ追い込まれていく――。 一方、覚醒したエルカミーノの周りには、運命の攻略対象たちが次々と集結する。 - 幼馴染の冷徹騎士団長キャブオール(ヤンデレ溺愛) - 金髪強引隣国王子クーガ(ワイルド溺愛) - 黒髪ミステリアス魔導士グランタ(知性溺愛) - もふもふ獣人族王子コバルト(忠犬溺愛) 最初は「静かにスローライフを」と願っていたエルカミーノだったが、四人の熱烈な愛と守護に囲まれ、いつしか彼女自身も彼らを深く愛するようになる。 経済的・社会的・魔法的な「ざまぁ」を経て、 エルカミーノは新女王として即位。 異世界ルールで認められた複数婚姻により、四人と結ばれ、 愛に満ちた子宝にも恵まれる。 婚約破棄された悪役令嬢が、最強チート能力と四人の溺愛夫たちを得て、 王国を繁栄させながら永遠の幸せを手に入れる―― 爽快ざまぁ&極甘逆ハーレム・ファンタジー、完結!

『龍の生け贄婚』令嬢、夫に溺愛されながら、自分を捨てた家族にざまぁします

卯月八花
恋愛
公爵令嬢ルディーナは、親戚に家を乗っ取られ虐げられていた。 ある日、妹に魔物を統べる龍の皇帝グラルシオから結婚が申し込まれる。 泣いて嫌がる妹の身代わりとして、ルディーナはグラルシオに嫁ぐことになるが――。 「だからお前なのだ、ルディーナ。俺はお前が欲しかった」 グラルシオは実はルディーナの曾祖父が書いたミステリー小説の熱狂的なファンであり、直系の子孫でありながら虐げられる彼女を救い出すために、結婚という名目で呼び寄せたのだ。 敬愛する作家のひ孫に眼を輝かせるグラルシオ。 二人は、強欲な親戚に奪われたフォーコン公爵家を取り戻すため、奇妙な共犯関係を結んで反撃を開始する。 これは不遇な令嬢が最強の龍皇帝に溺愛され、捨てた家族に復讐を果たす大逆転サクセスストーリーです。 (ハッピーエンド確約/ざまぁ要素あり/他サイト様にも掲載中) もし面白いと思っていただけましたら、お気に入り登録・いいねなどしていただけましたら、作者の大変なモチベーション向上になりますので、ぜひお願いします!

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ

しおしお
恋愛
四歳で婚約破棄された“天才幼女”―― 今や、彼女を妻にしたいと王子が三人。 そして隣国の国王まで参戦!? 史上最大の婿取り争奪戦が始まる。 リュミエール王国の公爵令嬢セリカ・ディオールは、幼い頃に王家から婚約破棄された。 理由はただひとつ。 > 「幼すぎて才能がない」 ――だが、それは歴史に残る大失策となる。 成長したセリカは、領地を空前の繁栄へ導いた“天才”として王国中から称賛される存在に。 灌漑改革、交易路の再建、魔物被害の根絶…… 彼女の功績は、王族すら遠く及ばないほど。 その名声を聞きつけ、王家はざわついた。 「セリカに婿を取らせる」 父であるディオール公爵がそう発表した瞬間―― なんと、三人の王子が同時に立候補。 ・冷静沈着な第一王子アコード ・誠実温和な第二王子セドリック ・策略家で負けず嫌いの第三王子シビック 王宮は“セリカ争奪戦”の様相を呈し、 王子たちは互いの足を引っ張り合う始末。 しかし、混乱は国内だけでは終わらなかった。 セリカの名声は国境を越え、 ついには隣国の―― 国王まで本人と結婚したいと求婚してくる。 「天才で可愛くて領地ごと嫁げる?  そんな逸材、逃す手はない!」 国家の威信を賭けた婿争奪戦は、ついに“国VS国”の大騒動へ。 当の本人であるセリカはというと―― 「わたし、お嫁に行くより……お昼寝のほうが好きなんですの」 王家が焦り、隣国がざわめき、世界が動く。 しかしセリカだけはマイペースにスイーツを作り、お昼寝し、領地を救い続ける。 これは―― 婚約破棄された天才令嬢が、 王国どころか国家間の争奪戦を巻き起こしながら 自由奔放に世界を変えてしまう物語。

婚約破棄されて自由になったので、辺境で薬師になったら最強騎士に溺愛されました

有賀冬馬
恋愛
「愛想がないから妹と結婚する」と言われ、理不尽に婚約破棄されたクラリス。 貴族のしがらみも愛想笑いもこりごりです! 失意どころか自由を手にした彼女は、辺境の地で薬師として新たな人生を始めます。 辺境で薬師として働く中で出会ったのは、強くて優しい無骨な騎士・オリヴァー。誠実で不器用な彼にどんどん惹かれていき…… 「お前が笑ってくれるなら、それだけでいい」 不器用なふたりの、やさしくて甘い恋が始まります。 彼とのあたたかい結婚生活が始まった頃、没落した元婚約者と妹が涙目で擦り寄ってきて―― 「お断りします。今さら、遅いわよ」

処理中です...