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第2話 チルドレン
4 風
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「いいかげん、上がったらどうだ?」
茫然としている鬼頭に、雅美がぶっきらぼうに声をかけてきた。
「あ、ああ……」
鬼頭は我に返って歩き出しかけたが、そのとき、半ば沈みかかった状態で浮いているあの人形が目に入った。何となくそのままにしておけなくて、再びそれを川から拾い上げる。
雅美は鬼頭より先に川から出ていたが、黙って引き返してくると、鬼頭の手からその人形を取り上げた。何をするかと思いきや、突如、人形は白い炎に包まれて、一瞬後には雅美の手のうちから消え失せてしまった。まるで手品を見ているようである。
しかし、鬼頭はそれに驚くよりも、少女の思い出の品を何のためらいもなく消失させた雅美に対して憤りを感じた。
「おい!」
非難しようとした鬼頭をちらりと見やってから、無表情に雅美は言った。
「これで、向こうにも持っていける」
言葉をなくした鬼頭を尻目に、雅美はさっさと階段を上がっていってしまった。
雅美は靴を履いたまま川の中へ入ったはずだが、今その足元を見ると、まったく濡れていなかった。ある意味、あの子供たちよりもこの少年のほうが、はるかに不気味な存在であるかもしれなかった。
「おい。俺の靴、どこやった?」
鬼頭も川から上がろうとして、きょろきょろと周囲を見回す。
「ここだ」
柵ごしから、雅美が顔を覗かせて、鬼頭の靴をぶらさげた。
「力まかせに上へ投げたからな。ここまで届いたらしい」
仕方なく、鬼頭は裸足のまま階段を上がった。
「ひゃー、すっかりドブ臭くなっちまったな」
柵に腰かけ、ハンカチで足を拭う。雅美はそのすぐ横の桜の木に腕組みをして寄りかかり、そんな鬼頭の様子を眺めていたが、急に腹立たしげな表情をした。
「あんた、いつもこんなことをしているのか?」
「へ?」
「――幽霊を成仏させるのが趣味か?」
「冗談じゃない!」
語気も荒く、鬼頭は否定した。
「俺には霊感なんて全然ないぞ。幽霊なんて、こないだまで見たこともなかった」
「単に、幽霊と人間の見分けがついていなかっただけじゃないのか」
これには反論しがたいものを感じて、黙って靴下を履きはじめる。雅美は鬼頭を一瞥すると、淡々と呟くように口を切った。
「昔、この川べりに孤児院があった」
今度は何だ。鬼頭は怪訝に雅美を見た。
「ある夜、火事が起こって、その孤児院は全焼した。入っていた子供は全員焼け死んだそうだ」
「……それって……」
「あとでわかったことだが、その火事は放火だった。しかも、その孤児院の院長が保険金めあてで自分で火をつけた。経営難だったらしい。調べがついてそいつは逮捕されたが、火の気もないのに獄中で焼死したそうだ」
「そんなこと、なんでおまえが知ってる?」
このとき、初めて鬼頭の中に雅美に対する疑惑というものが生じた。とっくの昔に疑っているべきであったのに、なぜかそれまで雅美の正体をはっきりさせたいとは思わなかったのだ。
「おまえ何者だ? 予備校生なんてデタラメだろう!」
それを裏づけるかのように雅美は傲岸に鬼頭を見下ろし、あの妖しい微笑を見せた。
「俺はもうこの街はずいぶん長いからね。あんたの知らないこともたくさん知っているよ。だから、あんたに改めて忠告する。今回はたまたま助かったが、あまり自分を過信しないことだ。今夜だって、俺がいなかったらあんた、今頃焼死体になってたぜ」
「だったら助けなけりゃいいだろうが!」
むっとして鬼頭は言い返した。結局、雅美にいいようにはぐらかされたことになるのだが、そのことには鬼頭は気づいていない。それに雅美がさらに追いうちをかける。
「俺の目の前で死なれていては寝覚めが悪い」
「てめえ……!」
すでに靴も履き終わっていた。鬼頭は立ち上がって、悔しまぎれに煙草を吸おうとしたが、ライターを手にした時点で思い直し、また元どおりにしまった。
「前に言いそびれていたが」
その様子を横目で見ていた雅美が平坦な声で告げる。
「俺は煙草は嫌いだ」
「あーそうかよ。そりゃ悪かったな」
おざなりに鬼頭は答えたが、ふと子供たちの楽しげな笑い声が聞こえたような気がして、背後を振り返った。
だが、そこには子供はおろか誰一人おらず、ただ街灯が白々と路地の一角を照らし出しているだけだった。
「あれでよかったのかな、あの子たちは」
独り言のように鬼頭が言うと、雅美はくるりと彼に背を向けた。
「少なくとも、憎みつづけるよりはいいだろう」
驚いて目で追えば、雅美はすでに街灯の光の届かない闇の中へと溶けこんでいくところだった。
二人の間を、まだ冬の気配を残している風が、桜並木の花びらを宙に舞い散らせながら吹き抜けていった。
―END―
茫然としている鬼頭に、雅美がぶっきらぼうに声をかけてきた。
「あ、ああ……」
鬼頭は我に返って歩き出しかけたが、そのとき、半ば沈みかかった状態で浮いているあの人形が目に入った。何となくそのままにしておけなくて、再びそれを川から拾い上げる。
雅美は鬼頭より先に川から出ていたが、黙って引き返してくると、鬼頭の手からその人形を取り上げた。何をするかと思いきや、突如、人形は白い炎に包まれて、一瞬後には雅美の手のうちから消え失せてしまった。まるで手品を見ているようである。
しかし、鬼頭はそれに驚くよりも、少女の思い出の品を何のためらいもなく消失させた雅美に対して憤りを感じた。
「おい!」
非難しようとした鬼頭をちらりと見やってから、無表情に雅美は言った。
「これで、向こうにも持っていける」
言葉をなくした鬼頭を尻目に、雅美はさっさと階段を上がっていってしまった。
雅美は靴を履いたまま川の中へ入ったはずだが、今その足元を見ると、まったく濡れていなかった。ある意味、あの子供たちよりもこの少年のほうが、はるかに不気味な存在であるかもしれなかった。
「おい。俺の靴、どこやった?」
鬼頭も川から上がろうとして、きょろきょろと周囲を見回す。
「ここだ」
柵ごしから、雅美が顔を覗かせて、鬼頭の靴をぶらさげた。
「力まかせに上へ投げたからな。ここまで届いたらしい」
仕方なく、鬼頭は裸足のまま階段を上がった。
「ひゃー、すっかりドブ臭くなっちまったな」
柵に腰かけ、ハンカチで足を拭う。雅美はそのすぐ横の桜の木に腕組みをして寄りかかり、そんな鬼頭の様子を眺めていたが、急に腹立たしげな表情をした。
「あんた、いつもこんなことをしているのか?」
「へ?」
「――幽霊を成仏させるのが趣味か?」
「冗談じゃない!」
語気も荒く、鬼頭は否定した。
「俺には霊感なんて全然ないぞ。幽霊なんて、こないだまで見たこともなかった」
「単に、幽霊と人間の見分けがついていなかっただけじゃないのか」
これには反論しがたいものを感じて、黙って靴下を履きはじめる。雅美は鬼頭を一瞥すると、淡々と呟くように口を切った。
「昔、この川べりに孤児院があった」
今度は何だ。鬼頭は怪訝に雅美を見た。
「ある夜、火事が起こって、その孤児院は全焼した。入っていた子供は全員焼け死んだそうだ」
「……それって……」
「あとでわかったことだが、その火事は放火だった。しかも、その孤児院の院長が保険金めあてで自分で火をつけた。経営難だったらしい。調べがついてそいつは逮捕されたが、火の気もないのに獄中で焼死したそうだ」
「そんなこと、なんでおまえが知ってる?」
このとき、初めて鬼頭の中に雅美に対する疑惑というものが生じた。とっくの昔に疑っているべきであったのに、なぜかそれまで雅美の正体をはっきりさせたいとは思わなかったのだ。
「おまえ何者だ? 予備校生なんてデタラメだろう!」
それを裏づけるかのように雅美は傲岸に鬼頭を見下ろし、あの妖しい微笑を見せた。
「俺はもうこの街はずいぶん長いからね。あんたの知らないこともたくさん知っているよ。だから、あんたに改めて忠告する。今回はたまたま助かったが、あまり自分を過信しないことだ。今夜だって、俺がいなかったらあんた、今頃焼死体になってたぜ」
「だったら助けなけりゃいいだろうが!」
むっとして鬼頭は言い返した。結局、雅美にいいようにはぐらかされたことになるのだが、そのことには鬼頭は気づいていない。それに雅美がさらに追いうちをかける。
「俺の目の前で死なれていては寝覚めが悪い」
「てめえ……!」
すでに靴も履き終わっていた。鬼頭は立ち上がって、悔しまぎれに煙草を吸おうとしたが、ライターを手にした時点で思い直し、また元どおりにしまった。
「前に言いそびれていたが」
その様子を横目で見ていた雅美が平坦な声で告げる。
「俺は煙草は嫌いだ」
「あーそうかよ。そりゃ悪かったな」
おざなりに鬼頭は答えたが、ふと子供たちの楽しげな笑い声が聞こえたような気がして、背後を振り返った。
だが、そこには子供はおろか誰一人おらず、ただ街灯が白々と路地の一角を照らし出しているだけだった。
「あれでよかったのかな、あの子たちは」
独り言のように鬼頭が言うと、雅美はくるりと彼に背を向けた。
「少なくとも、憎みつづけるよりはいいだろう」
驚いて目で追えば、雅美はすでに街灯の光の届かない闇の中へと溶けこんでいくところだった。
二人の間を、まだ冬の気配を残している風が、桜並木の花びらを宙に舞い散らせながら吹き抜けていった。
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