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第9話 タクシー
4 いつかまで
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その後も運転手の口は休みなく動きつづけたが、幸いなことに運転が疎かになることはなかった。
いつからタクシーの運転手をしているのかは言わなかったが、始めてもう長いのだろう。
だが、ふと彼は言葉を切ると、左に方向指示器を出し、路肩に車を寄せて止めた。
「どうしました?」
前方にはごく普通の交差点があるだけで、交通事故で渋滞しているわけでも道路工事が行われているわけでもない。しかも信号は青だった。
「いやあ、すいません。申し訳ないんですが、ここで降りてもらえませんか? そのかわり、お代はいりませんから」
運転手は本当に申し訳なそうな顔をして頭を下げたが、鬼頭の返事は聞かずにドアを開け、外へ出るよう促した。
「ちょ、ちょっと……」
あわてる鬼頭に対して、雅美はさっさと外へ出てしまった。別段、驚いた様子もない。
「こんなところで降ろされても……だいたい、どうして駄目なんですか?」
「自分でもよくわからないんですがね……」
運転手はほろ苦い笑みを浮かべて肩をすくめた。
「このままお客さんたちを乗せてたら、大変なことになりそうな気がして……」
「はあ……」
どうにも納得できない理由だが、金はいらないというのだから、あきらめるしかないだろう。鬼頭は首をひねりながらもタクシーから降りた。
「ほんとに申し訳ありませんね」
運転手は恐縮してもう一度頭を下げると、ドアを閉めて発車した。
「こんなこともあるんだな……」
交差点を渡るタクシーを、鬼頭は怒るよりもあっけにとられて見送っていた。
と、右手から白いセダンが信号無視をして走ってきた。
そして、まったく速度をゆるめることなく、あのタクシーの運転席側に突っこんでいく。
――鋼鉄が一瞬で壊れる音。
鬼頭は茫然と現場を見つめていたが、我に返って駆け寄ろうとした。
「鬼頭さん。よく見てみろ」
雅美の声に止められて、鬼頭は彼を振り返ってから、再び交差点に目を戻した。
何もなかった。
あの陽気な運転手のタクシーも。そのタクシーにぶつかったはずの白いセダンも。
信号は青から黄、赤へと変わっていた。
「あれは、〝記憶〟だ」
車の行き交う交差点を眺めながら、淡々と雅美は言った。
「あの男はあの交差点で、今のように事故に遭って死んだんだろう。俺たちをここで降ろしたのはそのせいだ。あの男にはあの道を渡ることはできないから」
「じゃあ、あの人、自分がもう死んでるってことわかってなくて……」
そこまで言いかけて、ようやく気づいた。死んでいることをわからなかったのは、自分もではないか。
そして、雅美は最初からあの運転手(とタクシー)が死者であることを知っていた。だから、あのタクシーに乗ろうとしたとき、『それに乗るのか?』と鬼頭に確認した。それならそうと言ってくれればいいものを。
「最初はそうだったかもしれないが、今はもう薄々勘づいている。自分は忘れているつもりでも、魂に〝記憶〟は残っていて、あの道を通るたび、そのときのことを思い出すんだ。たぶん、明日の夜になれば、またどこかで車を走らせているだろう。自分が死んでいることに気づくまで」
「だったら、それまでずっとあの人は走りつづけなきゃならないのか?」
あんなに田舎に帰ることを楽しみにしていたのに。
家族に会いたがっていたのに。
「この世に終わらないものはない」
雅美の口から出たその言葉は、救いではなく呪いのように鬼頭には聞こえた。
「いつかは気づき、いつかは終わる。ただ、それが今夜ではなかっただけのことだ。それより、鬼頭さん。ここから先はどうやって帰る?」
***
タクシーに乗る幽霊はよくいるが、タクシーを運転している幽霊はそうはいない。
その後もタクシーを使う機会は何度もあったが、鬼頭があの幽霊運転手と再会したことは一度もなかった。
もしかしたら、真実に気づいて消えてしまったのかもしれない。
しかし、今でも彼はタクシーを走らせつづけているような気がしてならない。
いつか、田舎へ帰る日を心待ちにしながら。
―END―
いつからタクシーの運転手をしているのかは言わなかったが、始めてもう長いのだろう。
だが、ふと彼は言葉を切ると、左に方向指示器を出し、路肩に車を寄せて止めた。
「どうしました?」
前方にはごく普通の交差点があるだけで、交通事故で渋滞しているわけでも道路工事が行われているわけでもない。しかも信号は青だった。
「いやあ、すいません。申し訳ないんですが、ここで降りてもらえませんか? そのかわり、お代はいりませんから」
運転手は本当に申し訳なそうな顔をして頭を下げたが、鬼頭の返事は聞かずにドアを開け、外へ出るよう促した。
「ちょ、ちょっと……」
あわてる鬼頭に対して、雅美はさっさと外へ出てしまった。別段、驚いた様子もない。
「こんなところで降ろされても……だいたい、どうして駄目なんですか?」
「自分でもよくわからないんですがね……」
運転手はほろ苦い笑みを浮かべて肩をすくめた。
「このままお客さんたちを乗せてたら、大変なことになりそうな気がして……」
「はあ……」
どうにも納得できない理由だが、金はいらないというのだから、あきらめるしかないだろう。鬼頭は首をひねりながらもタクシーから降りた。
「ほんとに申し訳ありませんね」
運転手は恐縮してもう一度頭を下げると、ドアを閉めて発車した。
「こんなこともあるんだな……」
交差点を渡るタクシーを、鬼頭は怒るよりもあっけにとられて見送っていた。
と、右手から白いセダンが信号無視をして走ってきた。
そして、まったく速度をゆるめることなく、あのタクシーの運転席側に突っこんでいく。
――鋼鉄が一瞬で壊れる音。
鬼頭は茫然と現場を見つめていたが、我に返って駆け寄ろうとした。
「鬼頭さん。よく見てみろ」
雅美の声に止められて、鬼頭は彼を振り返ってから、再び交差点に目を戻した。
何もなかった。
あの陽気な運転手のタクシーも。そのタクシーにぶつかったはずの白いセダンも。
信号は青から黄、赤へと変わっていた。
「あれは、〝記憶〟だ」
車の行き交う交差点を眺めながら、淡々と雅美は言った。
「あの男はあの交差点で、今のように事故に遭って死んだんだろう。俺たちをここで降ろしたのはそのせいだ。あの男にはあの道を渡ることはできないから」
「じゃあ、あの人、自分がもう死んでるってことわかってなくて……」
そこまで言いかけて、ようやく気づいた。死んでいることをわからなかったのは、自分もではないか。
そして、雅美は最初からあの運転手(とタクシー)が死者であることを知っていた。だから、あのタクシーに乗ろうとしたとき、『それに乗るのか?』と鬼頭に確認した。それならそうと言ってくれればいいものを。
「最初はそうだったかもしれないが、今はもう薄々勘づいている。自分は忘れているつもりでも、魂に〝記憶〟は残っていて、あの道を通るたび、そのときのことを思い出すんだ。たぶん、明日の夜になれば、またどこかで車を走らせているだろう。自分が死んでいることに気づくまで」
「だったら、それまでずっとあの人は走りつづけなきゃならないのか?」
あんなに田舎に帰ることを楽しみにしていたのに。
家族に会いたがっていたのに。
「この世に終わらないものはない」
雅美の口から出たその言葉は、救いではなく呪いのように鬼頭には聞こえた。
「いつかは気づき、いつかは終わる。ただ、それが今夜ではなかっただけのことだ。それより、鬼頭さん。ここから先はどうやって帰る?」
***
タクシーに乗る幽霊はよくいるが、タクシーを運転している幽霊はそうはいない。
その後もタクシーを使う機会は何度もあったが、鬼頭があの幽霊運転手と再会したことは一度もなかった。
もしかしたら、真実に気づいて消えてしまったのかもしれない。
しかし、今でも彼はタクシーを走らせつづけているような気がしてならない。
いつか、田舎へ帰る日を心待ちにしながら。
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