【完結】偽神外伝・番外【R18】

邦幸恵紀

文字の大きさ
2 / 8
偽神外伝/第〇話 黄昏の終わり

前編【1】*

しおりを挟む
 ふと顔を上げると、恭司はまだ悲しげな顔をして彼を見下ろしていた。
 こんなにも自分のことを哀れんでくれていると知って彼は陶然となった。恭司を選んでよかったと心から思った。
 手放したくない。どこにも行かせたくない。この美しい〝神〟は彼一人のもの。愁えるのは彼のことだけでいい。
 恭司の手をとったまま立ち上がり、ベッドに座っている恭司の左横にそっと腰を下ろす。恭司はやや怪訝そうな顔になったが、今の彼なら何もしないと安心しているのだろう、特に警戒した様子はなかった。

「どうした?」

 薄く恭司は笑った。
 ――魅惑。沈痛な哀れみの表情もいいが、やはりこの皮肉めいた笑みのほうが好きだ。特にその何もかも見透かしたような鳶色の瞳がたまらない。初めて見たあの雨の夜からずっと彼を魅了しつづけている。
 半ばその目に惹かれるようにして恭司の頬を捕らえた。いつも一つに束ねている髪は今はばらけて恭司の肩を流れている。

「おい、何する気だよ? まさか、このままここに押し倒そうとか考えてんじゃないだろうな?」

 もちろん、恭司は冗談でそう言ったのだろう。顔も少し笑っていた。だが、彼は真面目に受けて答えた。

「そうだ」

 恭司の顔から笑みが消えた。
 実は彼には何度か隙を見て恭司にキスしようとした前科がある。ちょっとした好奇心からだったのだがそれは恭司も勘づいていて、今まで一度として成功したことはなかった。
 しかし、その気になればいつでも思いのままにできた。それをあえてしなかったのは、彼には恭司が大事すぎたからだ。
 しばらく、恭司は悩むような顔をしてうつむいていた。すぐに拒むか不機嫌になるとばかり思っていた彼には意外な反応だった。
 だが、さらに意外なことが起こった。顔を上げた恭司が彼に笑いかけたのだ。

「いいよ」
「え」

 思わず声が出た。

「いいよ。やっても」

 あっさりそう言われて彼のほうがあせった。恭司がこれほど簡単に身を許してくれるとは、今までの経過からするととても考えられなかったのだ。
 よほど面食らった顔をしていたのだろう、恭司はさもおかしそうにくくっと笑うと彼に顔を近づけた。
 緊張した。
 恭司はあまり目鼻立ちのはっきりしたほうではなかったが、よく見ると実に繊細なつくりをしていて、これでどうしてあのようなきつい言葉ばかりが出てくるのだろうと思えるほど、可憐な感じの唇も持っていた。
 可憐――清純――無垢――純真。
 その性格とは裏腹に、なんとその手の形容が似合うことか。
 緊張しながらも、恭司の顔を今度は両手でそっと捕らえる。
 その鳶色の瞳を充分堪能してから、彼はようやく、しかしためらいがちに恭司の唇を塞いだ。が、すぐに火傷でもしたかのように唇を離し、まじまじと恭司を見つめた。

「何?」

 恭司のほうも驚いて彼を見ている。結局、ものの一秒も唇は重なっていなかった。

「いや、その……」

 不審そうな恭司を前に彼は言葉に詰まった。
 ――柔らかかったのだ。驚くほど。
 このまま自分のものにするのが怖くなるくらい。
 訊かれないから話さないが、彼は恭司と出会うまでにあまたの男女を犯し殺している。だが、彼は今、かつてないほどためらい、緊張していた。今この腕の中にいるのは、誰でもない、あれほど欲し焦がれつづけてきた恭司なのだ。
 その恭司は怪訝そうに彼の顔を覗きこんでいたが、彼の逡巡が伝わったのか、表情をゆるめて彼の首に腕を回してきた。もう言い訳するのも面倒だったので、彼は再び恭司と唇を合わせた。
 その感触はすでに一度味わったはずなのに、なぜかより新鮮に感じられた。まるで思春期の少年が初めて想い人と口づけを交わしたかのように、彼は胸を高鳴らせた。
 しかし、そのときふと、そういえば恭司はすでに女――男は想像するのも嫌だ――と寝たことがあるのだろうかという疑問が彼の頭に浮かんだ。
 そんなことは普通こうなる前に考えるものなのだろうが、何しろ彼の恭司に対するイメージは〝純真無垢〟であったし、実際本人を前にしてそんなことは訊けなかったから、今になってようやく気になりだしたのである。
 だが、彼はほどなく安堵した。
 彼が舌を入れると、恭司はあわてて顔をそむけて逃げたのだ。
 もっとも、これは今、彼が男の姿をしているからそれで抵抗があって――なのかもしれないが、逆に言えば、今まで男とこういうことをしたことはないということになる。それは彼にはとても喜ばしいことだった。
 いつだったか、恭司は真顔で、自分はそんなに男好きのする顔をしているかと彼に訊ねたことがある。男に襲われる回数があまりに多かったせいだろう。実際そんな顔があるのかどうか彼は知らないが、恭司を襲う男どもの気持ちはわからないでもない。むしろ、だから余計に腹が立つのだ。彼にはできないことをしようとする者どもが。
 焔の洞窟の年寄り二人を除けば、これまで恭司に手を出そうとした不届き者は彼自らことごとく抹殺した。が、それはあくまで彼が恭司を知ってからのことであって、それ以前がどうだったか――すべて水際で防がれていたのかどうか――は、悲しいかな、彼の関知の範疇外だったのである。
 せめて男では自分が恭司の〝初めて〟でありたいというのが彼のひそかな願望だった。後にも先にも、恭司の体を知る男は自分一人であればいい。そして、それは今かなりの確率で叶いそうだった。
 たぶん、恭司はまだ男を知らない。おそらくは女も。彼が恭司を無垢だと思ったのは、決して根拠のないことではなかったのだ。
 無理強いさせるつもりはなかった。ディープなキスが嫌ならそれでもよかった。彼はただ恭司を抱きしめたかった。あの細くてしなやかな体を己が腕で囲い、もうどこへも行けないようにしてしまいたかった。
 だが、彼が腕を伸ばすと、恭司は怯えたように身をすくませ、不安げに彼を見上げたのだった。
 こんな顔を見せられたのは初めてのことだった。正直言って彼は当惑した。してもいいと言ったのは恭司のほうではないか。
 しかし、こういうことは理屈ではないのだなと彼はすぐに思い返した。彼が恭司の唇にためらいを感じたように、恭司は彼の舌や腕に恐怖を覚えたのだ。――なんて可愛らしい彼の恭司! いつも何もかも悟りきったような顔をしているくせに、今はこんなにも稚く彼の前で震えている。

「そんな顔をするな」

 苦笑して恭司の頬に手を伸ばし、額に軽く口づける。

「おまえが望まぬことは我も望まぬ。嫌なら嫌と言え。すぐにやめる」

 恭司は安心したように笑った。だが、まだやはりどこかぎごちない。彼はともすれば顔からこぼれてしまいそうな笑みをこらえるのに必死だった。
 以前の彼は、そういうものを見ると、逆に嗜虐心を煽られ、容赦なく蹂躙した。
 しかし、今の彼には愛しさ以外の感情は湧き上がってこなかった。こみ上げくるのはどこまでも誠実に接しようという思いだけだった。
 そっとベッドに恭司を横たえる。栗色の長い髪が白いシーツに映えて美しかった。恭司はまだ不安そうに彼を見ている。

「続けても……大丈夫か?」

 一応、彼はそう確認を入れた。いくら彼自身が望んでいても、恭司が望まないならそれは禁忌だ。恭司はうなずくかわりに目を閉じた。続けても、よいのだ。

「恭司……」

 恭司の背中に腕を回して強く抱きしめる。ああ、この体だ。幾度か助けるために触れたことのある、およそ丸みや柔らかさといったものからは無縁の、細くてしなやかで弾力のあるこの体。ずっとこうして抱きしめたかった。自分だけのものにしたかった。愛しい愛しい――彼の恭司。
 譫言のように恭司の名を呼びながら、恭司の唇や首筋や胸元に軽く触れるくらいのキスを何度も繰り返す。まずは彼に対する恐れを和らげなければならない。
 さすがに目を開けた恭司は、ひどく戸惑った顔をしていた。彼にこういう芸当ができるとは思っていなかったようだ。失敬な、と言いたいところだが、彼自身、そんな自分に驚いているところもあった。彼はかつてないほど真剣であり、きちんとした人間の姿で行うのもこれが初めてだった。
 とにかく、恭司を脅かしたくなかった。まるで迷子になった子供のような顔をさせたくなかった。どうせするなら自分だけでなく、恭司も気持ちよくしてやりたい。この冴えた小さな顔は、あのときにはいったいどんな表情を浮かべるのだろう?
 少し恭司が慣れてきて、ためらいながらも自分から彼に身を寄せるようになってきた。彼は口づけながら実に器用に片手で恭司のシャツのボタンをはずし、ジーンズのファスナーを下げた。どさくさにまぎれて意識させないうちに手早くやってしまうのがポイントである。恭司以前はどうしていたか。皮膚ごと切り裂いていたのである。
 彼の服は彼の意識が構成したものであったから、念じれば一瞬のうちに消すことができたのだが、それではあまりにも人間離れしすぎている。いや、実際に人間ではないのだが、彼は恭司の前ではできるかぎり人間らしくあろうとしていた。そこがまた神は神らしくあれという恭司の癇に障っているのだろう。

「少し、待っていてくれ」

 そう恭司の耳許に囁いて、彼は恭司から名残惜しくも身を剥がした。恭司に背を向け、黒いスーツの上着を脱ぐ。

「変なの」

 彼の後ろで恭司がくすくす笑っていた。

「でも俺、今まで悩んでたんだよな。こういうとき、どうやって服脱ぐんだろうって。そうか、そうやって中断するわけね」
「最初から脱いでおくという手もある」

 ひそかに彼は笑んだ。どうやら不安や恐れはなくなってきたようだ。ようやく全部脱ぎ終えると、いささかあせって恭司を振り返った。
 一目見て、息を呑んだ。
 恭司はうつ伏せになって、その細い顎の下に腕を置き、体をシーツの海に沈めて、じっと彼を見つめていた。髪は乱れて恭司の顔にかかり、シーツからところどころ覗いている肌はかえって全裸よりも悩ましかった。
 それはまるで深い海の底から陸地に上がってきた人魚のようで、幻想的なまでに美しかったがどこか痛々しくもあった。人魚に地上は辛かろう。
 彼は決して顔で恭司を選んだつもりはなかったが、こういう恭司を見てしまうと、それはかなり怪しかった。
 裸になった分だけ、これまで以上に脅かさないよう気を遣わなければならない。彼はおそるおそる恭司に手を伸ばすと、そっと自分のほうに抱き寄せた。
 温かい。
 その温かさにわけもなく感動を覚えた彼は、そのまましばらく何もしないで恭司を抱きしめていた。
 最初こそびくっと身を震わせたものの、存外人間の男と変わらない――むしろ理想的と言えた――彼に、そのうち恭司は強ばりを解いていった。〝男〟と寝ること自体には、彼が思っていたほど抵抗はなさそうだった。
 初めて触れる恭司の肌を、彼は歓喜と誠意をもって丹念に愛撫した。東洋人は皆こうなのか彼は知らぬが、恭司の肌は肌理が細かく、体毛も薄くて、非常に触り心地がよかった。体臭ですら芳しく感じる。
 ところが、彼が恭司を含もうとすると、それまで従順に身を委ねていた恭司が血相を変えて足を閉じてしまった。

「嫌なのだな」

 恭司は決まり悪そうに彼を上目使いで見たが、しまいにこくんと一つうなずいた。

「よしよし、わかったわかった。おまえが嫌がることは絶対せぬから安心しろ」

 子供をあやすような調子で彼は言った。実際には子供をあやしたことなどまったくなかったが。
 恭司はさらに赤くなってうつむいた。こんな恭司を見るのも、無論今が初めてだ。見かけによらぬ恭司の奥手さ加減に、彼は心の中でへらへらしていた。なまじやりなれているより、こちらのほうが絶対可愛いに決まっている。だが、たとえその逆であっても、やはり彼はへらへらしているだろう。
 恭司はまだ恥ずかしそうな顔をしていた。そんな恭司を慰めるように抱きしめて、その唇に口づける。恭司はキスが好きだ。短い間にずいぶんうまくなった。今では舌を入れてもちゃんと応えてくれるまでになった。
 それだけで彼は充分すぎるほど満足していた。このまま終わりにしてもかまわないとさえ思っていた。
 しかし、その一方で、もっと深くより強く恭司とつながりたいと思った。恭司が自分のものであるという確かな手応えが欲しかった。

「無理にとは言わないが……」

 恭司と目を合わせないようにするために、彼は自分の胸の中に恭司を抱えこんだ。

「その……い、入れても――いいか?」

 言ってしまってから、これではあまりにも露骨すぎると思ったが、もう言い直しもできない。
 恭司と対するとき、彼は時々どうしようもなく不器用になる。甘言を弄することなど、彼にとってはたやすいことであるはずなのに。

「へえ。そんなこと、いちいち断るんだ?」

 顔は見えないが、恭司はかすかに笑ったようだった。

「当然だ」

 少しばかり彼はむっとした。

「さっきも言った。おまえが嫌だと思うことを我はしたくない」
「でも、やりたいんだ?」
「だ、だから無理にとは……」

 恭司の鋭い指摘に、彼は激しくうろたえたが。

「いいよ」

 簡単に恭司は言った。

「フェラはやだけど、それならいい」
「どうしてだ?」

 思わずそう訊ねると、恭司は小さな声で口早に答えた。

「フェラやった口でキスなんかされたくねえ」

 一理あるようなないような。もちろん、自分がそれをやるのは論外なのだろう。

「しかし、おまえ……たぶん、痛いぞ?」
「だったら、痛くないようにやれよ」
「おまえな……」

 つい先ほどまであんなに恥じらっていた恭司はいったいどこへ行ってしまったのだろう。恭司の羞恥基準は彼には計り知れない。

「……そんなに痛い?」

 ふと。恭司が不安そうに訊ねてきた。
 初めてなのだ。当然だろう。彼はくすりと笑い、恭司の細い腰をいとおしむように撫でた。

「個人差はあるが……普通は痛みを減らすために油を使って、指で慣らしてからするな」
「ちょっと待て」

 顔を上げた恭司が冷ややかに彼を見つめる。

「何でおまえ、そんなこと知ってるんだよ?」

 痛いところを突かれてしまった。

「それはまあ……いろいろとな」

 曖昧に言葉を濁した彼は、これ以上厄介な質問をされないよう恭司の唇を塞いだ。

「ん……」

 恭司が甘やかな呻きを漏らす。――たまらない。このまま強引にこの体の中に押し入ってしまいたい。
 本来なら、恭司にも言ったように、油や指で充分にほぐしておかなければならない。ことに、これが初めてならばなおさらだ。だが、まさかこういう展開になるとは夢にも思っていなかったから、事前に何の準備もしていなかった。かといって、今さら用意してするのも興醒めだ。
 彼は少し考えてから、恭司の汗に濡れた足から小さな尻へとゆっくり指を滑らせた。〝油〟のかわりになりそうなものはすでにある。それを絡めて、恭司の下肢の中に探るように指を突き入れた。

「あ」

 恭司が驚いて身を固くする。そのため、ただでさえ狭い入口も締まってしまい、そこから指を動かすこともできなくなった。

「恭司……少し力を抜いてくれないか?」

 苦笑を隠しながら、彼は恭司に囁いた。

「力抜けって……できるかよ、んなこと……」

 痛さからか恥ずかしさからか、恭司はうつむいてシーツに顔を押しつけていた。その様子がやはり初々しくて可愛くて、恭司の紅潮した胸に唇を這わせる。
 くすぐったそうに恭司が身動ぎした。その隙に、恭司の中に差し入れたままの指をさらに奥へと進める。また恭司が体を強ばらせたが今度は無視した。
 今まで誰にも許したことのないだろうその場所は、恭司が喘ぐたびにきつく彼の指を締め上げた。これはたまらないなと彼は笑い、すぐに眉をひそめた。男を知らないとはわかっていたが――そして、それは非常に彼を喜ばせたのだったが――この体が抵抗なく彼を受け入れるには、相当の時間と根気が必要だとわかったのだ。
 しかし、ここまで来てお預けというのもまた切なすぎる。恭司も感じていないわけではないのだ。彼が慎重に押し広げると、悩ましげに眉根を寄せて彼にすがりついてきた。
 普段なら絶対にありえないことだ。思わずにやついてしまうのを何とかこらえながら、彼はもう一本指を増やした。一瞬、恭司の顔に動揺が走ったが、心中で許せと呟いて続行する。
 それにしても、と彼は自分の腕の中の恭司を陶然と眺めた。いつもの涼やかな恭司も綺麗だが、こうして汗を浮かべて顔を歪めている恭司も変わらず綺麗だ。が、恭司は彼が自分を見ていることに気がつくと、恥ずかしそうに目を伏せてしまった。その仕草が可憐であるのにひどく艶っぽくて、彼は初めて多少無理をしてでも恭司が欲しいと思った。
 頃合いを見計らって、彼は恭司から指を引き抜いた。恭司はほっとしたように体から力を抜いた。それを確認してから、彼は恭司の両足を軽く持ち上げた。後背位では気づかれる。

「恭司」

 そっと彼は恭司に囁きかけた。

「深呼吸してごらん」

 恭司は不可解げに眉をひそめたが、素直に深く息を吸いこんで吐いた。その瞬間、彼は恭司の中へと押し入った。
 ――狭い。それが最初に感じたことだった。入れているものが違うのだから、当然と言えば当然のことだったが、これ以上進んだら無事では済まないことだけは確かだった。
 一方、恭司は一瞬茫然とし、反射的に彼から逃れようとした。しかし、そうすれば逆に自分が深手を負うことに賢明にも気づき、すぐに力を抜いた。

「痛いか?」

 痛くないはずはない。彼は恭司のやめてくれという言葉を待った。だが、恭司は声も出せないほど痛かったらしい。目にうっすら涙すら浮かべて小さくうなずいた。

「そうか。では、やめるか? 我はかまわぬ。どのみちおまえのこの体では、無傷で済みそうもない」

 今度も恭司はうなずくものだとばかり思っていた。しかし、恭司はそうせずに、濡れた淡い瞳で彼を見つめていた。
 ――耐えてくれるのか。
 痛切な思いで彼は恭司を見た。
 それはもはや、共に快楽を貪るための低俗な手段ではなく、互いに信頼を示しあう高尚な儀式だった。
 もしかしたら、それを確かめたくて恭司は彼を許したのかもしれない。彼のほうは単なるキスの延長で持ちかけたにすぎないのに。

「続けてもよいのか?」

 もう一度確認すると、恭司は困ったように笑い、目を閉じてうなずいた。

「わかった。……そのまま目を閉じていろ」

 恭司が覚悟を決めたようにシーツを握りしめる。その様子に思わず微笑を漏らしてから、彼はタイミングを計ってさらに奧へと進んだ。
 ――肉が裂けていく。
 恭司はきつく目を閉じて、汗で濡れた全身を小刻みに震わせていた。殺してしまうのではないか。本気でそう思った。
 彼にとって恭司は何より大切なものだ。その恭司をどうして自ら傷つけなければならないのか。彼は混乱し、吐き出すように叫んだ。

「恭司……もういい。これ以上続けたら、おまえが壊れてしまう。恭司、少しでいい、息を止めろ」

 すでにすすり泣くような声を漏らしていた恭司は、それでも彼の言うことを了解し、その可憐な唇を固く噤んだ。同時に、今まで彼をくわえこんでいた口がわずかにゆるむ。そこから彼が抜き去ると、恭司は脱力して荒く喘いだ。
 嫌な予感がしていた。彼は恭司の体を少し上にずらし、ちょうど尻が当たっていた場所を見た。
 赤かった。
 その色の鮮烈さと予想外の多さに、彼は思わず吐き気を覚えた。――人間の理解をはるかに超えた化け物であるはずの彼が。
 確かに、無理強いしたわけではない。恭司が断る機会はいくらでもあった。だが、本来なら彼のほうからやめるべきではなかったのか。こうなることはすでに予想がついていたはずだ。

「恭司……すまぬ」

 血を吐くような思いで言うと、恭司は薄く目を開き、気怠い仕草で彼の腕に寄りかかった。

「……死ぬかと思った」

 彼でなければ聞き取れないくらい小さな声だった。

「しばらく休んでいろ。体に障る」

 そう言いながら、彼は自分のそばから恭司を離さなかった。

「黙ってるとよけーいてーよー。こんなにいてーとは思わなかったー。俺ってそんなに使いもんにならないわけー?」

 呻くように恭司は言った。体とは違い精神はタフらしい。

「そういう問題でもあるまい。普通はこんなことはせぬ。……すまないことをした。やはりやめておけばよかった」

 汗に湿った恭司の髪を、彼はそっと撫でた。
 恭司の体は熱い。心臓も激しく脈打っている。結局、達するまでには至らなかったが、あのまま続けていたら取り返しのつかないことになっていただろう。
 慣れるまで、まだかなり時間がかかる。しかし、彼はそんなことはどうでもよくなっていた。恭司は自分からはやめてくれと言わなかったのだ。

「辛いか?」

 再び目を閉じてしまった恭司にそう声をかけると、恭司は億劫そうに小さくうなずいた。

「そうか。では、じっとしていろ。……すまなかったな、本当に」

 恭司の額にかかる髪を掻き上げ、軽く重ねあわせるだけの口づけをする。その唇が離れてから、恭司は目を開けて彼を見た。疲れきった顔をしていたが、何とも言えぬ穏やかさがあって、彼は胸が熱くなった。
 恭司の目には触れないよう、赤く染め抜かれたシーツを消し去り、それと入れ違うように真新しいシーツと毛布とを取り寄せてそっと恭司に掛けかける。

「少しは楽になってきたか?」

 恭司の頬に手を添えて訊ねると、恭司は小さくうなずいた。それを確認してから、彼はふっと笑った。

「好きなだけ眠れ。ずっとそばにいるから」

 一瞬、恭司は目を見張り、そして笑った。安心しきった子供のような笑顔。
 どうしようもなく切なくなって、彼はとっさに毛布ごと恭司を抱きしめた。彼の腕では恭司の細い体は余ってしまう。
 これほど細い体を、自分はついさっきまで痛めつけていたのだ。そう思うと、あのときの恐怖と後悔とが新たに甦ってきた。――白いシーツに滲む真紅の鮮血……苦痛に歪む恭司の顔……
 ふと我に返ると、いつのまにか恭司は軽い寝息を立てていた。
 寝ているときの恭司は、まるで無邪気な子供のようだ。彼は罪悪感に胸をくすぶられながらも、その様子に微笑した。腕の中の重みを感じながら、これが幸福というものなのだろうかとぼんやり思った。
 何もかもが初めてで、感情が麻痺していた。ただ一つ確かなことは、今この腕の中に恭司がいるということ。彼が今まで求めつづけた、あの恭司がいるということ――
 そう思ったとたん、自然に笑いがこみ上げてきた。嬉しすぎて喚きたくなる。恭司が好きだ。たまらなく好きだ。好きで、好きで、恭司のことしか考えられない。
 恭司の望むことならどんなことでも叶えてやろう。もう二度と自ら恭司を傷つけるような真似はしない。大事に大事に守って、自分以外の誰の目にも手にも触れさせない。恭司はもう彼のものだ。
 ――目が覚めたら何と言おうか。
 恭司のほつれた髪を撫でながら彼は思った。
 彼は眠ることがない。だが、今はずっとこうして恭司の寝顔を見守っていたかった。彼が初めて恋した人間のその安らかな寝顔を。
 恭司に掛けた毛布を自分のほうにも引き寄せ、今度は直接恭司の背中を抱きしめる。
 かつてない幸福感に〈這い寄る混沌〉は身も心も酔いしれていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ハンターがマッサージ?で堕とされちゃう話

あずき
BL
【登場人物】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ハンター ライト(17) ???? アル(20) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 後半のキャラ崩壊は許してください;;

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

処理中です...