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第2話 THREE(スリー)
3 妖魔ハント(前)
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宿泊先の高級ホテルというものに、俊太郎は何の期待も抱いてはいなかったが、実際行ってみると、そこは屋上にヘリポートもある、それなりに大きなホテルだった。
用意されていた部屋はさすがにスイートルームではなかったが、一人にもかかわらずツインルームで、こんなところで金を遣ってこの市の財政は大丈夫なのだろうかと、他人事ながら心配になった。
細田の説明と渡された資料によると、今回の犠牲者は小島由佳。二十三歳。地元の会社で事務員をしていたごくごく普通の女性で、両親と共に三人で暮らしていたが、その死体は五日前の早朝、自宅近くの路上で新聞配達員――妖魔が登場してからは、日が昇ってからでないと配達してはいけないことになった――によって発見された。
その殺害者が人間ではなく妖魔と断定されたのは、死体が食い散らかされており、かつ死体に残されていた体液――具体的には唾液――が人間を含むどの動物のDNAとも一致しなかったからだった。
また、そのDNAは、警察に登録されている妖魔のDNAのどれとも一致しなかった。つまり、この妖魔はまだ人間を殺したことがない、あるいは殺したことがあってもその死体が今まで発見されたことがないということになる。
両親によると、由佳が夜中に外出するようなことはまったくなく、その夜も自分の部屋で寝ていたはずだという。現に由佳はパジャマ姿だった。だが、由佳の部屋の窓の鍵はきっちりかかっていて、何者かに侵入された形跡もまったくなかった。
そのことから考えて、由佳は両親の知らない間に玄関から外へ出て、玄関のドアを施錠し――ただし、その鍵はまだ見つかっていない――自宅から離れた場所で妖魔に襲われたということになる。
この時代の人間なら、それがどれほど危険な行為かわからないはずがない。両親も由佳は妖魔をとても恐れていたと証言している。
いったい由佳の身に何が起こったのか。それを知っているのは殺された由佳と、彼女を殺した妖魔だけだ。そして死者である由佳からは何も訊き出せない以上、残された人々はその妖魔を捜し出して狩るしかない。
妖魔ハントでもっとも難しいのは、実は妖魔を殺すことではなく、妖魔をどうやって見つけ出すか、または誘い出すかである。
――大別して方法は三つある。
かつて、俊太郎の師匠は言った。
――一・被害者が襲われた状況を再現して妖魔が現れるのを待つ。二・昼の間に妖魔の根城を探し出して踏みこむ。三・妖魔が嫌がることをして妖魔をおびき出す。
どの方法がいちばんいいのかと師匠に問うと、彼は無精髭を生やした顔をにやりとさせた。
――まあ、ケース・バイ・ケースだな。でも、これだけは言える。一を選ぶ奴は三流だ。
その師匠自身はどうしていたのかというと、三番目のいわゆる〝嫌がらせ〟をしていた。妖魔の出現ポイントを巡って、妖魔の乾燥血液や死体の粉――妖魔ハンターたちはこれを〝パウダー〟と呼ぶ――をばらまくのだ。おそらく、妖魔ハンターの間ではこの方法が定番なのではないだろうか。
まだ一人しか犠牲者が出ていないというのは市にとっては不幸中の幸いだったが、妖魔ハンターにとっては不幸そのものだった。パウダーを置ける出現ポイントがまだその場所一つしかないということだからだ。この場合、妖魔ハンターは妖魔が通りそうな道を自分なりに選び出して、パウダーをばらまかなければならない。
俊太郎は資料の中から市街地図のコピーを取り出すと、ざっと目を走らせた。
一般に、妖魔の行動範囲は根城を中心に半径十キロメートル以内といわれる。意外に狭い印象だが、都会ならば餌となる人間はひしめきあっている。そもそも妖魔は月に一人でも食らえば充分活動できるのだという。無理に行動範囲を広げる必要もないのだ。
俊太郎は鉛筆を手にとると、セオリーどおりに、被害者の死体が発見された地点を中心に半径二十キロメートルの円を描いた。こうすれば、たとえその地点が縄張りの端であったとしても、根城が円の中に入ることになる。
その円を、さらに東西南北に四分割する。いくら俊太郎が若く健脚であっても、たった一人で半径二十キロメートルにも及ぶエリア内をくまなく回ることは不可能だ。東南西北の順に一日ごとに巡る。それが俊太郎が師匠から学んだやり方だった。
妖魔の主な活動時間は、真夜中から未明にかけて。この時間さえうまくやりすごせば、人間は妖魔には殺されないはずなのだが、実際には日が暮れた直後に殺された者もいるし、家の中にいても俊太郎の両親のように殺された者もいる。今や人間は、どこへ行っても、妖魔の脅威からは逃れられないのだ。
「広いな……」
地図を見て、俊太郎は溜め息をついた。
これからこのエリア内を実際に歩いて、適当な地点にパウダーをばらまいていく。ただでさえパウダーの量は少ないのだ。妖魔の通り道に効果的に配置しなければならない。この作業のとき、俊太郎はいつもゴキブリ退治をしているような気分になる。あれもゴキブリの通り道に毒餌を置かなければ効果がない。
パウダーのばらまきは日中に済ませておかなければならない。俊太郎は地図を折りたたむと、上着の内ポケットにしまいこんだ。
たぶん今頃、他の妖魔ハンターたちも自分と同じことをしているはずだ。なるべく彼らとはかぶらないように行動しなければ。確かに報酬は欲しいが、自分たちのうちの誰か一人が妖魔を倒せればそれでいい。俊太郎はそう考えていた。
(まずは、被害者が襲われたところに行ってみるか)
俊太郎は夜よりは軽装備で外に出た。
***
エリア内を車やバイクで移動する妖魔ハンターもいるが、師匠は徒歩派だった。
――そもそも、自分の存在を妖魔に知らせるためにうろついてるんだろうが。時間をかけて歩いたほうが、それだけ臭いも広がりやすいってもんだろ。
それが正しいかどうかは俊太郎にはわかりかねたが、知らない街を自分の足で歩き回るのは、散歩気分で好きだった。日のあるうちは妖魔はまず動かない。妖魔ハンターがほどほどに気を抜いていられる時間帯だ。
田舎と都会を足して二で割ったようなこの市では、移動手段はもっぱら自家用車のようで、道路を歩く人の姿は案外少なかった。
由佳の死体発見現場は住宅街の一角にあった。そこには由佳への手向けの花束が山のように積み重なっていたが、そのそばには灰色のパウダーが盛塩よろしく置かれていた。
妖魔は死ぬと砂状に分解して消えてしまうので、死体の回収はかなり難しい。これは、貴重な妖魔の死体の粉をこれほど惜しげもなく使えるほど自分は妖魔を狩っているのだという、同業者に対してのアピールでもある。どの妖魔ハンターがやったのかはわからないが、悪趣味きわまりない。
俊太郎はしゃがみこむと、あくまで花束のほうに向かって手を合わせてその場を後にした。ここに自分のパウダーを置いても意味がない。
四月も半ばを過ぎた今、桜はすでに散り去ってしまっていたが、道路の端にはまだその花びらが残雪のように固まっていた。それを目で追いながら、俊太郎は時々地図を取り出して、いま自分が歩いている道を確認し、鉛筆で印をつけた。一度通った道はもう通らないようにしなければならない。無駄はできるかぎり省かなければ。
肝心のパウダーを置く場所はなかなか決められなかった。師匠もこれには本当にセオリーというものはなくて、自分の勘しかないと言っていた。逆に言えば、そこが妖魔ハンターの優劣の差なのかもしれないと。
――俺は自分がふと足を止めたくなったとこに置くことにしてるけどな。
月平均三体の妖魔を狩っていた師匠は、そんなことを言っていた。
――妖魔だって、夜の間中走り回ってるわけじゃないだろ。たまには足を止めて、月を見上げることもあるかもしれないぜ。
師匠について各地を飛び回るようになってから知ったが、どこへ行っても住宅街は似たり寄ったりだ。そこの角を曲がったら、三年前まで俊太郎が住んでいた家が現れるのではないかとさえ思う。
しかし、いくら外観は似ていても、中に住んでいる人間は別人なのだ。呼び鈴を鳴らしても、そこから俊太郎の両親が出てくるはずもない。
俊太郎は嘆息すると、懐から手の中に入るほど小さな真空パックを取り出した。その中には大きめの白いカプセルが一つ入っている。このカプセルは空気に触れると十二時間後に溶け崩れるという特別製で、中にはパウダーが入っている。
妖魔の嗅覚は犬以上だといわれている。あれほど大量に置かなくとも、本来はごく微量で充分なのだ。俊太郎は真空パックを開封すると、そのカプセルを塀の角に無造作に投げ捨て、地図に印をつけた。
夜には今度は妖魔を狩るために外を出歩かなくてはならない。その前に仮眠をとっておきたいから、夕方前にはこの作業を終了させておきたい。
本来なら、妖魔ハンターが四人もいるのだから、持ち場を決めて巡回したほうが効率がいいのだ。だが、今回のメンバーは誰一人、そのような提案をしなかった。
妖魔ハンターの三分の一が妖魔に殺されるというのは、こういう連携のなさも原因ではないだろうか。そう考えたとき、俊太郎は自分もまた一緒に組まないかという友部の申し出を断ってしまったことを思い出した。
(でも、あれは……)
妖魔ハンターである前に、友部だったから。
三年前、自分のために妖魔を狩ることはしてくれなかった、友部だったから。
今のところ、友部も含めて他の妖魔ハンターとは出くわしていなかった。例のパウダーも、死体発見現場で見たのが最初で最後だ。
自分の足で歩き回ることの利点の一つに、道を覚えられるというのがある。妖魔ハンターは妖魔と対峙したとき、できるだけ一般人のいない場所に妖魔を追いこみ、狩らなければならない。妖魔を狩るために一般人を犠牲にする妖魔ハンターなど、本末転倒だ。
そのため、たいていの契約書には、妖魔をしとめるまでに新たな犠牲者(妖魔ハンターを除く)が出れば、そのつど報酬を減額するという条項がある。今回の契約書にもしっかりそれは明記されていた。
(少し、休憩するか)
さすがに歩き疲れてきた俊太郎は、自販機で缶コーヒーを買い、その近くにあった公園のベンチに座ってプルタブを開けた。平日の昼間ということもあり、公園には俊太郎一人しかいなかった。
平和だった。
妖魔など、この世界にはいないのではないかと思えるくらい。
車の走行音は聞こえるものの、何だか今世界には自分一人しかいないような気分になった。
そういえば、三年前に師匠と出会ってからは、単独で行動することはほとんどなくなっていた。
心細いというより、心寂しい。
しかし、これからはこうして一人で行動しなくてはならないのだ。無理にでもこの状態に慣れていかなくては。
(そろそろ行くか)
飲み終えた缶コーヒーを持って立ち上がりかけたとき。
後ろから、いきなり首に腕を回された。
妖魔では無論ない。だが、それだけが妖魔ハンターの敵ではない。
(畜生、油断した!)
俊太郎は自分のうかつさを呪いながら、自分の首を抱く相手の腕に爪を立てた。が、その腕は俊太郎の首を絞め上げたりはしなかった。
「昼でよかったな」
耳許で、笑いを含んだ若い男の声がした。
聞き覚えのありすぎる、あの低い声。
「夜だったら、もっと違うことしてる」
思いきり顔をしかめて背後を見やると、友部が長身を屈めてベンチの後ろに立っていた。
この腕に噛みついてやろうかと考えたところで、友部はそれを察知したように俊太郎の首から腕を離し、すばやく前に回って俊太郎の隣に腰を下ろした。すぐに俊太郎は立ち上がろうとしたが、友部は彼の腕をつかんで強引に引き戻した。
「離せよ」
自分の腕を握ったままの友部に、吐き捨てるように言うと。
「離しても、座ったままでいるって誓えるか?」
まったく怯んだ様子もなく、逆にそう訊ねてきた。
そんなことを誓わなければならない義理はなかったが、友部の表情にひたむきなものを感じて、俊太郎は不承不承うなずいた。それを確認してから、友部は俊太郎から手を離した。
「悪かったよ」
むっつりとしている俊太郎に、友部は苦笑いした。
「どうしても、おまえと話がしたかったんだ。直接部屋を訪ねてもよかったけど、相手が俺だってわかったら、おまえ、会ってくれないだろ?」
当然だった。しかし、俊太郎はうなずくかわりにそっぽを向いた。
「やっぱり、俺と組む気はないのか?」
「そうだって、さっき言っただろ」
「もし、俺以外のハンターに組まないかと言われたら、どうなんだ?」
俊太郎は思わず友部を振り返った。
友部の美しい顔は俊太郎ではなく、前方にある無人のブランコのほうを向いていた。
「今回の場合だったら、たぶん組むと思う」
ためらいながらそう答えても、友部は俊太郎を見なかった。
「おまえのほうから、声をかける気はないのか?」
「今はない」
「どうして?」
「俺一人の力でどこまでやれるのか、試してみたいから」
しばらく、友部は何も言わなかった。
昔、こんな公園で、この友部と一緒によく遊んだ。友部が両親と共に俊太郎の前からいなくなってしまう前までは、放課後は友部としか遊んでいなかったような気がする。
あの頃はあんなにも楽しかったのに、今はそばにいるだけでこんなにも息苦しい。それもこれも三年前、あれがあったから。あれさえなかったら、きっと今頃は。
「わかった」
唐突に、友部はベンチから立ち上がった。
「そこまでおまえが言うんだったら、俺ももう何も言わない。おまえの好きなように、気の済むようにやってみろ。ただし、これだけは言っておく。他のハンターとは絶対に組むな」
まだ小学生だった頃の友部は、俊太郎が自分以外の者と親しくすることをひどく嫌った。
だが、それは二人が小学生のときの話である。成人した今になってもそんな子供じみたことを言うとは思わなかった。
「そんなの……俺の勝手だろ!」
俊太郎は自分もベンチから立ち上がると、友部より先に公園を立ち去った。
一度も友部を振り返らなかった俊太郎は、彼が自分の後ろ姿を切なそうに見送っていたこともまったく知らなかった。
用意されていた部屋はさすがにスイートルームではなかったが、一人にもかかわらずツインルームで、こんなところで金を遣ってこの市の財政は大丈夫なのだろうかと、他人事ながら心配になった。
細田の説明と渡された資料によると、今回の犠牲者は小島由佳。二十三歳。地元の会社で事務員をしていたごくごく普通の女性で、両親と共に三人で暮らしていたが、その死体は五日前の早朝、自宅近くの路上で新聞配達員――妖魔が登場してからは、日が昇ってからでないと配達してはいけないことになった――によって発見された。
その殺害者が人間ではなく妖魔と断定されたのは、死体が食い散らかされており、かつ死体に残されていた体液――具体的には唾液――が人間を含むどの動物のDNAとも一致しなかったからだった。
また、そのDNAは、警察に登録されている妖魔のDNAのどれとも一致しなかった。つまり、この妖魔はまだ人間を殺したことがない、あるいは殺したことがあってもその死体が今まで発見されたことがないということになる。
両親によると、由佳が夜中に外出するようなことはまったくなく、その夜も自分の部屋で寝ていたはずだという。現に由佳はパジャマ姿だった。だが、由佳の部屋の窓の鍵はきっちりかかっていて、何者かに侵入された形跡もまったくなかった。
そのことから考えて、由佳は両親の知らない間に玄関から外へ出て、玄関のドアを施錠し――ただし、その鍵はまだ見つかっていない――自宅から離れた場所で妖魔に襲われたということになる。
この時代の人間なら、それがどれほど危険な行為かわからないはずがない。両親も由佳は妖魔をとても恐れていたと証言している。
いったい由佳の身に何が起こったのか。それを知っているのは殺された由佳と、彼女を殺した妖魔だけだ。そして死者である由佳からは何も訊き出せない以上、残された人々はその妖魔を捜し出して狩るしかない。
妖魔ハントでもっとも難しいのは、実は妖魔を殺すことではなく、妖魔をどうやって見つけ出すか、または誘い出すかである。
――大別して方法は三つある。
かつて、俊太郎の師匠は言った。
――一・被害者が襲われた状況を再現して妖魔が現れるのを待つ。二・昼の間に妖魔の根城を探し出して踏みこむ。三・妖魔が嫌がることをして妖魔をおびき出す。
どの方法がいちばんいいのかと師匠に問うと、彼は無精髭を生やした顔をにやりとさせた。
――まあ、ケース・バイ・ケースだな。でも、これだけは言える。一を選ぶ奴は三流だ。
その師匠自身はどうしていたのかというと、三番目のいわゆる〝嫌がらせ〟をしていた。妖魔の出現ポイントを巡って、妖魔の乾燥血液や死体の粉――妖魔ハンターたちはこれを〝パウダー〟と呼ぶ――をばらまくのだ。おそらく、妖魔ハンターの間ではこの方法が定番なのではないだろうか。
まだ一人しか犠牲者が出ていないというのは市にとっては不幸中の幸いだったが、妖魔ハンターにとっては不幸そのものだった。パウダーを置ける出現ポイントがまだその場所一つしかないということだからだ。この場合、妖魔ハンターは妖魔が通りそうな道を自分なりに選び出して、パウダーをばらまかなければならない。
俊太郎は資料の中から市街地図のコピーを取り出すと、ざっと目を走らせた。
一般に、妖魔の行動範囲は根城を中心に半径十キロメートル以内といわれる。意外に狭い印象だが、都会ならば餌となる人間はひしめきあっている。そもそも妖魔は月に一人でも食らえば充分活動できるのだという。無理に行動範囲を広げる必要もないのだ。
俊太郎は鉛筆を手にとると、セオリーどおりに、被害者の死体が発見された地点を中心に半径二十キロメートルの円を描いた。こうすれば、たとえその地点が縄張りの端であったとしても、根城が円の中に入ることになる。
その円を、さらに東西南北に四分割する。いくら俊太郎が若く健脚であっても、たった一人で半径二十キロメートルにも及ぶエリア内をくまなく回ることは不可能だ。東南西北の順に一日ごとに巡る。それが俊太郎が師匠から学んだやり方だった。
妖魔の主な活動時間は、真夜中から未明にかけて。この時間さえうまくやりすごせば、人間は妖魔には殺されないはずなのだが、実際には日が暮れた直後に殺された者もいるし、家の中にいても俊太郎の両親のように殺された者もいる。今や人間は、どこへ行っても、妖魔の脅威からは逃れられないのだ。
「広いな……」
地図を見て、俊太郎は溜め息をついた。
これからこのエリア内を実際に歩いて、適当な地点にパウダーをばらまいていく。ただでさえパウダーの量は少ないのだ。妖魔の通り道に効果的に配置しなければならない。この作業のとき、俊太郎はいつもゴキブリ退治をしているような気分になる。あれもゴキブリの通り道に毒餌を置かなければ効果がない。
パウダーのばらまきは日中に済ませておかなければならない。俊太郎は地図を折りたたむと、上着の内ポケットにしまいこんだ。
たぶん今頃、他の妖魔ハンターたちも自分と同じことをしているはずだ。なるべく彼らとはかぶらないように行動しなければ。確かに報酬は欲しいが、自分たちのうちの誰か一人が妖魔を倒せればそれでいい。俊太郎はそう考えていた。
(まずは、被害者が襲われたところに行ってみるか)
俊太郎は夜よりは軽装備で外に出た。
***
エリア内を車やバイクで移動する妖魔ハンターもいるが、師匠は徒歩派だった。
――そもそも、自分の存在を妖魔に知らせるためにうろついてるんだろうが。時間をかけて歩いたほうが、それだけ臭いも広がりやすいってもんだろ。
それが正しいかどうかは俊太郎にはわかりかねたが、知らない街を自分の足で歩き回るのは、散歩気分で好きだった。日のあるうちは妖魔はまず動かない。妖魔ハンターがほどほどに気を抜いていられる時間帯だ。
田舎と都会を足して二で割ったようなこの市では、移動手段はもっぱら自家用車のようで、道路を歩く人の姿は案外少なかった。
由佳の死体発見現場は住宅街の一角にあった。そこには由佳への手向けの花束が山のように積み重なっていたが、そのそばには灰色のパウダーが盛塩よろしく置かれていた。
妖魔は死ぬと砂状に分解して消えてしまうので、死体の回収はかなり難しい。これは、貴重な妖魔の死体の粉をこれほど惜しげもなく使えるほど自分は妖魔を狩っているのだという、同業者に対してのアピールでもある。どの妖魔ハンターがやったのかはわからないが、悪趣味きわまりない。
俊太郎はしゃがみこむと、あくまで花束のほうに向かって手を合わせてその場を後にした。ここに自分のパウダーを置いても意味がない。
四月も半ばを過ぎた今、桜はすでに散り去ってしまっていたが、道路の端にはまだその花びらが残雪のように固まっていた。それを目で追いながら、俊太郎は時々地図を取り出して、いま自分が歩いている道を確認し、鉛筆で印をつけた。一度通った道はもう通らないようにしなければならない。無駄はできるかぎり省かなければ。
肝心のパウダーを置く場所はなかなか決められなかった。師匠もこれには本当にセオリーというものはなくて、自分の勘しかないと言っていた。逆に言えば、そこが妖魔ハンターの優劣の差なのかもしれないと。
――俺は自分がふと足を止めたくなったとこに置くことにしてるけどな。
月平均三体の妖魔を狩っていた師匠は、そんなことを言っていた。
――妖魔だって、夜の間中走り回ってるわけじゃないだろ。たまには足を止めて、月を見上げることもあるかもしれないぜ。
師匠について各地を飛び回るようになってから知ったが、どこへ行っても住宅街は似たり寄ったりだ。そこの角を曲がったら、三年前まで俊太郎が住んでいた家が現れるのではないかとさえ思う。
しかし、いくら外観は似ていても、中に住んでいる人間は別人なのだ。呼び鈴を鳴らしても、そこから俊太郎の両親が出てくるはずもない。
俊太郎は嘆息すると、懐から手の中に入るほど小さな真空パックを取り出した。その中には大きめの白いカプセルが一つ入っている。このカプセルは空気に触れると十二時間後に溶け崩れるという特別製で、中にはパウダーが入っている。
妖魔の嗅覚は犬以上だといわれている。あれほど大量に置かなくとも、本来はごく微量で充分なのだ。俊太郎は真空パックを開封すると、そのカプセルを塀の角に無造作に投げ捨て、地図に印をつけた。
夜には今度は妖魔を狩るために外を出歩かなくてはならない。その前に仮眠をとっておきたいから、夕方前にはこの作業を終了させておきたい。
本来なら、妖魔ハンターが四人もいるのだから、持ち場を決めて巡回したほうが効率がいいのだ。だが、今回のメンバーは誰一人、そのような提案をしなかった。
妖魔ハンターの三分の一が妖魔に殺されるというのは、こういう連携のなさも原因ではないだろうか。そう考えたとき、俊太郎は自分もまた一緒に組まないかという友部の申し出を断ってしまったことを思い出した。
(でも、あれは……)
妖魔ハンターである前に、友部だったから。
三年前、自分のために妖魔を狩ることはしてくれなかった、友部だったから。
今のところ、友部も含めて他の妖魔ハンターとは出くわしていなかった。例のパウダーも、死体発見現場で見たのが最初で最後だ。
自分の足で歩き回ることの利点の一つに、道を覚えられるというのがある。妖魔ハンターは妖魔と対峙したとき、できるだけ一般人のいない場所に妖魔を追いこみ、狩らなければならない。妖魔を狩るために一般人を犠牲にする妖魔ハンターなど、本末転倒だ。
そのため、たいていの契約書には、妖魔をしとめるまでに新たな犠牲者(妖魔ハンターを除く)が出れば、そのつど報酬を減額するという条項がある。今回の契約書にもしっかりそれは明記されていた。
(少し、休憩するか)
さすがに歩き疲れてきた俊太郎は、自販機で缶コーヒーを買い、その近くにあった公園のベンチに座ってプルタブを開けた。平日の昼間ということもあり、公園には俊太郎一人しかいなかった。
平和だった。
妖魔など、この世界にはいないのではないかと思えるくらい。
車の走行音は聞こえるものの、何だか今世界には自分一人しかいないような気分になった。
そういえば、三年前に師匠と出会ってからは、単独で行動することはほとんどなくなっていた。
心細いというより、心寂しい。
しかし、これからはこうして一人で行動しなくてはならないのだ。無理にでもこの状態に慣れていかなくては。
(そろそろ行くか)
飲み終えた缶コーヒーを持って立ち上がりかけたとき。
後ろから、いきなり首に腕を回された。
妖魔では無論ない。だが、それだけが妖魔ハンターの敵ではない。
(畜生、油断した!)
俊太郎は自分のうかつさを呪いながら、自分の首を抱く相手の腕に爪を立てた。が、その腕は俊太郎の首を絞め上げたりはしなかった。
「昼でよかったな」
耳許で、笑いを含んだ若い男の声がした。
聞き覚えのありすぎる、あの低い声。
「夜だったら、もっと違うことしてる」
思いきり顔をしかめて背後を見やると、友部が長身を屈めてベンチの後ろに立っていた。
この腕に噛みついてやろうかと考えたところで、友部はそれを察知したように俊太郎の首から腕を離し、すばやく前に回って俊太郎の隣に腰を下ろした。すぐに俊太郎は立ち上がろうとしたが、友部は彼の腕をつかんで強引に引き戻した。
「離せよ」
自分の腕を握ったままの友部に、吐き捨てるように言うと。
「離しても、座ったままでいるって誓えるか?」
まったく怯んだ様子もなく、逆にそう訊ねてきた。
そんなことを誓わなければならない義理はなかったが、友部の表情にひたむきなものを感じて、俊太郎は不承不承うなずいた。それを確認してから、友部は俊太郎から手を離した。
「悪かったよ」
むっつりとしている俊太郎に、友部は苦笑いした。
「どうしても、おまえと話がしたかったんだ。直接部屋を訪ねてもよかったけど、相手が俺だってわかったら、おまえ、会ってくれないだろ?」
当然だった。しかし、俊太郎はうなずくかわりにそっぽを向いた。
「やっぱり、俺と組む気はないのか?」
「そうだって、さっき言っただろ」
「もし、俺以外のハンターに組まないかと言われたら、どうなんだ?」
俊太郎は思わず友部を振り返った。
友部の美しい顔は俊太郎ではなく、前方にある無人のブランコのほうを向いていた。
「今回の場合だったら、たぶん組むと思う」
ためらいながらそう答えても、友部は俊太郎を見なかった。
「おまえのほうから、声をかける気はないのか?」
「今はない」
「どうして?」
「俺一人の力でどこまでやれるのか、試してみたいから」
しばらく、友部は何も言わなかった。
昔、こんな公園で、この友部と一緒によく遊んだ。友部が両親と共に俊太郎の前からいなくなってしまう前までは、放課後は友部としか遊んでいなかったような気がする。
あの頃はあんなにも楽しかったのに、今はそばにいるだけでこんなにも息苦しい。それもこれも三年前、あれがあったから。あれさえなかったら、きっと今頃は。
「わかった」
唐突に、友部はベンチから立ち上がった。
「そこまでおまえが言うんだったら、俺ももう何も言わない。おまえの好きなように、気の済むようにやってみろ。ただし、これだけは言っておく。他のハンターとは絶対に組むな」
まだ小学生だった頃の友部は、俊太郎が自分以外の者と親しくすることをひどく嫌った。
だが、それは二人が小学生のときの話である。成人した今になってもそんな子供じみたことを言うとは思わなかった。
「そんなの……俺の勝手だろ!」
俊太郎は自分もベンチから立ち上がると、友部より先に公園を立ち去った。
一度も友部を振り返らなかった俊太郎は、彼が自分の後ろ姿を切なそうに見送っていたこともまったく知らなかった。
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キャラ文芸
妖狩りにより両親を奪われ、囚われの身となった半妖の少女・鈴音は浄化の狐火を利用するだけの道具のように扱われていた。呪いにより成長は止まり、容姿も思考も幼いまま、感情が消え失せてもなおただ生かされるままに生きていた。
しかし妖保護部隊本部第一部隊との出会いにより、鈴音の止まっていた時間が動き出す。
掴みどころはないが頼れる氏神・雅仁、兄には厳しいが弟妹には優しい狼の妖・千里、人間嫌いだが人当たりの良い振りが得意な人間・遥杜、可愛いもの好きで元気いっぱいの猫又・鴇羽、大人しいが思いやりに溢れる猫又・瑠璃。
五人の兄と過ごす時間の中で、無いものだらけだった鈴音にもやがて大切なものが増えていく。
妖×家族の心温まる和風ファンタジー。
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