【完結】Doctor Master

邦幸恵紀

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閑話 宣戦布告――あるいは、なぜウォーンライトは翌朝若林宅に電話をかけたか?

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 そのままその喫茶店を出、大学へ戻り、自分の個人研究室のドアをくぐったとたん、若林はどっと疲れを覚えて、仮眠用のソファ(なぜか正木がよく使っていた)に長身を投げ出すようにして横になった。

(また、あんな勝負を受けちまった)

 たぶん、自分は今度こそ無事では済まないだろう。教授職剥奪どころか、この大学にもいられなくなるかもしれない。
 しかし、それよりも何よりも、若林が今、気になっていることは――

(正木……ゲイだったんだ……)

 どうしても、それが若林には信じられない。男嫌いを自称して、実際男をよせつけず、そのかわり女にはとことん甘かったのに。それとも、あれはゲイだということがバレないための演技だったのか?
 いや、とてもそうは見えなかった。だいたい、正木は自分の好き嫌いには嘘のつけない男である。本気で男は嫌そうだった。――自分以外の男は。
 そこまで考えて、若林は深い溜め息をついた。
 そうだ、わかっていた。あの正木が、自分だけには好意的という言葉では収まりきれないほど好意的であったことを。だが、それがウォーンライトのいうような種類の好意だったかというと……若林にはよくわからない。
 しかし、正木が本当にゲイであろうがなかろうが、過去、ウォーンライトとそういうことがあろうがなかろうが、若林にはどうしても譲れないことがある。

(あの男に正木をとられるのは、何があっても絶対に嫌だッ!)

 たとえ十年前、プロポーズを断っていたとしても、またよりが戻ってしまう可能性はゼロではない。ならば、あの馬鹿げた勝負を受けて勝利し、ウォーンライトを確実に排除するしかない。勝負なしにあの男に勝利できる自信は、若林にはまったくないのだから。

(それにしても……)

 若林はソファに沈んだまま、ぼんやりと天井を眺めた。

(俺ってほんとに馬鹿だよなあ……)

 自分の地位や名声よりも、正木のほうが大事だなんて。
 そうしてもし自分が勝ったとしても、正木には何も言うつもりはないくせに。
 もう、指一本動かすのも億劫だった。正木ならこういうとき、何の迷いもなく休講にして早退してしまうのだろうが、あいにく若林はそういうことのできない性分をしていた。

(ああ、会いたいなあ……正木)

 あの綺麗な顔を見たい。あの顔に合わないべらんめえ調を聞きたい。馬鹿だなあ、休講にするのも給料のうちだぜ、なんて言われながら、コーヒーを淹れてもらいたい。
 今年の三月までは正木は本当にそうしてくれていたのに、自分は何て贅沢をしていたのだろう。おまけに、今さらそのことに気がつくなんて。本当に――大馬鹿だ。
 結局、昼休みが終わるまで、若林はソファから動くこともできなかった。

 ***

 その後。
 大学教授の意地で何とか午後を乗り切った若林は、家に帰って夕夜と美奈が外出していることを知り、その日に限って腹を立てた。
 彼らが二人そろっていないとき。それはたいてい正木に会いにいったときだ。
 しかし、若林は携帯電話をかけて二人を呼び戻すことはせず、帰る途中で買った缶ビールを乱暴に開けた。
 若林は酒に弱い。それもものすごく。コップ一杯で記憶喪失に陥るほど。
 勝負のことを忘れてしまうのは後々問題になるかもしれないが、一応予定表には書きこんだことだし、せめて今日だけは何もかも忘れてしまいたかったのだ。正木が昔、ウォーンライトとつきあっていたこととか……それしかないか。

(畜生! 飲んでやる! 徹底的に飲んでやる!)

 ほどなく、若林は望みどおり記憶を失った。
 そして、翌朝。
 若林は望みどおり、正木に再会できたことを知るのである。
 一方。
 それを知らないウォーンライトは、前日若林に正木のことをどう思っているのか訊きそびれた――というより、訊くまでもないことだったから、あえて突っこまなかったのだが――ことを思い出してしまい、千世子に言われるまま、若林が出かけた後の若林宅へと電話をかけ、勝負の賞品が勝負の相手の家にいるという衝撃の事実を知ってしまったのだった。

「チヨコ! 若林の家に向かってくれ! 早く!」

 勝負の結果はもう目に見えていた。――若林以外には。

  ―了―
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