【R18】碧色社長の溺愛はイチョウの下で

紫堂あねや

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18話*性癖

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 『家族』とは何か。血が繋がっていればいいのか、愛情があればいいのか、何を以て『家族』といえるのか。答えが見えないことを漠然と考えてしまうのは自分が『家族』になる線まできているからだ。


「あ、ノア……そこじゃ……」
「じゃあ、アオがしろ。ちゃんと俺に見せろよ?」
「っ……い、いいよ」
「…………アンタら、朝っぱらから何してんの?」
「「折り紙」」

 ノアの両親が住む神奈川県川崎市のマンションに宿泊した翌朝六時。
 暖房が入ったリビングに顔を出した昌子は眠た気でパジャマのままに対し、ソファに座る葵は朱色のセーターに白のロングスカート。眼鏡を掛けているノアも好きだと聞いたせいか買ったばかりの青藍の着物だ。
 その手には折り紙があり、テーブルには定番の鶴やヨットはもちろん細やかな動物が並んでいる。もはや小さな動物園に口笛を吹く昌子を他所に葵の肩に寄り掛かるノアは眉を顰めたまま手を進めた。

「暇してたとこにアオが端紙で始めてな。感動したDadが会社に飾りたいからって折り紙を買ってきたんだ……くっ、なぜそうなる」
「だてに資格持ってませんから」
「暇してたって……」

 呆れた視線に手の込んだ兜をノアの頭に乗せる葵も苦笑するしかない。
 オフシーズンに入ったとはいえ『蒼穹』での起床は朝五時。朝食後は掃除や宿泊者の確認、問い合わせなど忙しなく動き、休日も徒歩二分のせいか『蒼穹』で過ごすことが多いため何をしたらいいのかサッパリわからないのだ。

「若いのに悲しいこと言ってんじゃないわよ」
「でも『蒼穹』だとノアとあまり会えないから、今の時間がすごく嬉しいです」

 家も職場も同じとはいえ、すれ違いが多いせいか昨夜から離れずいられるのが心地良い葵は照れながら笑う。落ちた兜を受け留めたノアも碧色の瞳を丸くさせながらもすぐ口元を綻ばせると頬や耳に口付けた。既に止めるのは諦めたのか、くすぐったいと笑っては口付けも受け入れる甘い空気を昌子は手で払う。

「充実してるようでなにより。で、ディックは?」
「電話中」
「一緒にシェパーズパイ焼いたので、ディックさんがきたら朝御飯にしましょうね」
「あらやだ。料理が一番面倒なあたしにピッタリじゃない。婿にならない?」
「「No, no!!!」」

 感激する昌子の一言に父子の発狂が響く。
 電話を終えたディックは涙目で、ノアは睨みながら自身の愛しい女性に抱きつくが、互いを見合う葵と昌子は肩で息をするだけ。だが、不貞腐れると面倒なのも知っているせいか、なだめるように撫でれば芳ばしい匂いを漂わせるオーブンの音が響いた。


* * *


 楽しい朝食もお喋りも束の間、今回の上京目的である葵の実家に車で向かう。眼鏡からコンタクト、和装から洋装に着替えたノアと運転するディックの表情は冴えない。

「ホントにアオさんひとりで行くですか? ゴアイサツなら親子がキホンでは?」
「ノアが父親に喧嘩売ってんのよ? 場合によってはややこしくなるだけでしょ」
「俺じゃなくて向こうが売ってきたんだ! アオの父親と知ってれば…………」
「ノア、大多数が嫌いだから大丈夫だよ。あと、今日いない人を考えるのは無駄」
「「「娘が一番酷い」」」

 淡々とした答えに絶句する一家に構わず葵は半年振りの景色を流し見する。
 小言がうるさい父と反論しない母から離れるため大学に入ってから会社が倒産するまで一人暮らししていたが、十数年振りに戻っても信じられないほど二人は変わっていなかった。逆に夫婦が続いていることに感服するほどに。

「仲の善し悪しはともかく、それだけ長くいれば離婚するより楽だったりするし、見せかけ夫婦もザルでいるわよ」
「Oh、二人にはもうLoveがないのですか?」
「愛……というか、依存な気がします」

 口元に手を寄せる葵が浮かぶのは父を見つめる母。人形のような人だが、その目は憎しみとは違う。むしろ縋っていたように思えたと話せば、眉根を寄せる昌子はバックミラー越しに息子を捉えた。

「ノアが例だけど、依存も面倒くさいわよ」
「おいっ、面倒くさいとはなんだ。そもそも俺は執着だ」
「アオちゃんと巨木《イチョウ》に依存してたじゃない。買い取るため、あたしらとコリーにまで頭下げて」
「か、金は返しただろ! アオの前で汚い話をするなっ!!」

 昌子に頷くディックの後ろから顔を出すノアは見栄かプライドか耳まで真っ赤にする。初耳に葵は目を瞬かせるが、くすりと笑うと彼の手を握った。

「ありがとう、ノア」
「アオ……」
「私、お給料返すね」
「what!?」

 衝撃発言と発狂に車内が笑いで包まれる。それは葵にとって体験したこともなければ幼心に憧れた他愛のない家族の団欒。もはや叶わないと気付いているせいか、一時間もかからず到着した自宅を見上げても何も感じなかった。

 東京都世田谷区の住宅街に建つ一軒家。
 持ち家というだけで立派なのに門は錆びれ、葬儀に行くまでは小綺麗だった庭も荒れているように見える。『天空』とは違い虚無感しかない葵はひと息つくと車のドアを開けるが、ノアに腕を掴まれた。外気のように冷たい手と揺らぐ碧の瞳に、夫妻含め案じているのが伝わる。

「……大丈夫、今度は二十七年もかからないから」
「当たり前だ……そうなる前に乗り込んでキレ散らかしてやる」

 ぶう垂れながらも渋々手を離したノアは自身のマフラーを葵の首に巻く。まるで“あの日”のようで、彼のぬくもりと匂いに笑顔になると昌子が口を挟んだ。

「アオちゃん。せめて録音するか、すぐ連絡できるようノアの番号を表示したまま携帯をポケットに入れてなさい」
「なんかすみません。ディックさんも、お仕事だったんでしょ?」
「No Problem。好きホーダイできるのがシャチョーですから」

 楽し気に指を振る様と職務乱用に改めて血筋を感じた葵は笑うと、いまだ不安気なノアの頬を包み、そっと口付けた。“おまじない”を込めたキスを。

「……いってくるね」
「……待ってる」

 すぐ離れても唇は熱く、抱き返される腕も強い。それでもざわついていた動悸は和らぎ、ドアを閉めた葵は玄関を開けた鍵を郵便ポストに入れた。笑顔で手を振ればスモークガラスのように曇っていたノアの表情も柔らかくなり、車が発進する。住宅街なのもあり、長く停車していては不審がられるため近くの店で待つ手筈になっているからだ。
 コートポケットに入れた携帯あわせ大袈裟だと思う反面、悪い気もしない葵はマフラーを握ると玄関を開ける。

「ただいまー」

 自然と出るのはまだ家だと認識しているのか、熊本での習慣かはわからない。確かなのは笑顔で迎えてくれる人もいなければ昼過ぎなのに薄暗く息苦しいこと。マフラーのせいではない、本能が拒絶しているのだ。
 会社が倒産してから二ヶ月ほど戻っていたが、よく住めたものだと感心しながらスリッパに履き替えると階段から覚えのある足取りが近付く。リズムよく、それでいて殆ど足音を立てない歩き方が自動運転に思えるのは、下りてきた女性が無表情だからか。

「……ただいま、お母さん」

 振り絞って言えば、ハーフアップされた黒髪。真っ暗のワンピースに白の上着を肩に掛けた母=明奈の視線が上がるが、同じ背丈なのに交じあうことなく伏せられた。

「……葵、誰と来たの?」
「へ?」
「車……誰かと一緒だったでしょ」

 か細くても静寂のなかではよく聞こえ、和らいでいた動悸も激しさを取り戻す。ノアたちと来ていたのを見られた焦りではない、怒りだ。

「……私が誰と来ても関係ないでしょ。文句のために呼び出したなら熊本に帰る」
「? どうして? 葵の家は私たちがいる場所でしょ?」
「…………へ?」

 踵を返す身体が止まった葵は呆気に取られる。対して明奈は無表情のまま小首を傾げた。

「子供が親元に帰ってくるのは当然のことでしょう? なかなか帰ってこないから困っちゃったわ」
「ま、待って、お母さん。何を言ってるの? 子供って、私もう三十過ぎた大人だよ?」
「だから何? 私たちからすれば葵は永遠に子供。変わらないわ」

 自分の子供は一生子供。正しいといえば正しいが、成人したら大人と思っていた葵と認識違いを起こしている。そもそも百歩譲って母の娘なのは間違いないが、だから親元に帰るは横暴だ。

「私、熊本で働くって言ったよね? お母さんも『そう』って言ったよね? なら、この家に戻るはずないでしょ?」 
「……でも、お父さんが葵を怒るからダメなのよ」

 いったい何を言っているのか、一ミリも理解できなくなっていた。母に聞いているのに、なぜそこに父も出てくるのか、なぜ自分が父に怒られてはダメなのか。痛む頭を押さえる葵を他所に明奈は淡々と続ける。

「お義母さんのペンションや塾に行きたいと言った時も家を出たいと言った時もお父さんは葵じゃなくて私を怒ってくれた。でも……熊本に残ってから葵に怒ってばかり」
「怒ってくれた……って、お母さん、なに。お父さんに怒られるのが好きなの? だから私に嫉妬してるの?」

 眩暈さえ覚える葵は投げやりに問うと、僅かに口を開けたまま明奈が固まる。と、ゆっくり弧を描いた。瞬間、背筋に走る悪寒に葵は咄嗟に身体を抱きしめる。

「そう……葵が電話にも出ない、あの男と楽しくやってるんだって聞くのが私は嫌なの。だって、怒ってくれるのがお父さんからの愛だから」
「お母さん、それおか……いや、人の性癖に文句は言わないけど、私完全にとばっちりだよ! 怒られたいならお父さんにお願いして二人で楽しんで!! 私を巻き込まないで!!!」

 普段無口な母が饒舌に語っているのだから嘘ではないだろうが、もはや理解する気もなければくだらない戯れ言に発狂する他ない。こんな母を少しでも心配していた自分に吐き気さえ覚えるが、切望など届いていない明奈は足を進めた。

「ダメよ。散々好きにさせてたんだから、私の言うことも聞きなさい」
「言うことって何? お父さんにお母さんを叱ってもらうよう言えばいいの? 私に何をさせたいの?」

 育ててくれたことに感謝はすれど、お金以外で親らしいことをしてもらった記憶も楽しい思い出も何ひとつない葵にとっては困惑しかない。これが春先までの自分なら言う通りにしただろうが、ノア一家や麦野夫妻と関わった今は間違いだと、当たり前ではないとわかる。わかっているのに、聞く耳を持たない明奈はリビングの扉を開いた。

「何もしなくていいわ。何も喋らず、ただ私と座って聞いてればいいのよ……お父さんの気が済むまで」
「へ……っ!?」

 抑揚が篭った声よりも扉が開いた先。電気も点いていないリビングのテーブルには数本の徳利が置かれ、ソファに座る父に葵の手から鞄と土産袋が落ちる。業を煮やしているように見えて嗤笑する姿に視界が揺らぐが、鞄のポケットから落ちた扇葉のしおりに震える手をポケットに入れた。

 振り絞るように携帯をタップした先は誰よりも心配し、愛してくれた人──。



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