【完結】とばっちり復讐ゲームには異世界人が紛れ込んでいる

雷尾

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その1

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 これが出来の悪い映画や漫画であればどれほどよかっただろう。李流伽たちは、恐らく自分の両親や血縁者が柳城悟(りゅうじょうさとる)を苛めたことによる復讐に巻き込まれている。

 被害者にしてみれば、自身は人生を滅茶苦茶にされ生きたまま貪られ無責任に打ち捨てられたというのに、いじめっ子は親となり真っ当に生きており、その子供たちは元気に心身共にまっすぐに育ち人並みの幸せを得ている。
子供に罪はないけれど、心にどす黒い憎しみを煽り立てる要素でしかないのかもしれない。

「…………」

 生徒たちは、凛成を見つめ、それから李流伽の方をチラ見し、また凛成に視線を当てる。

「やだぁ、そんなに見つめられるとりんりん照れちゃう」

 モジモジとわざとらしく身を捩らせて照れるイケメンに対して、周囲の目線は実に冷ややかだ。生徒たちは「誰が異世界人であるか」について思案を巡らせており、今のところこの世の者とは思えない美貌を持った変人である三峰凛成が一番の有力候補であり、次点が山野内李流伽というわけだ。

「一発ぶん殴りたいけど、お前がどこから来た異世界人なのか考えなきゃいけねえ」

 芳樹の言葉に、田中と花山も同感のようだった。大河や小春なども李流伽に対して仲間意識があり、凛成が異世界人であると信じて疑っていないようだ。
 他の一部の生徒が李流伽を疑っている点は、速読と記憶力、そして突拍子もない行動が結果的に彼女の生存率を上げているところなどだ。
けれどももし彼女が異世界人であれば、何かの推理小説の登場人物などといわれてしまえばもうお手上げだ。書籍は星の数ほど出版されているしWeb小説や同人誌まで行ってしまえば特定はほぼ不可だろうから。

「恐らく、そこまでは指定してやらなくてもいいはず」

 「なんの」世界の人間か、だけを当てればよいという点に李流伽は着目している。彼女は一見飄々としている凛成に対して早くも少しばかり違和感を抱いていた。

「凛成さん」

「なあに?」

 凛成は、李流伽たちにとってはこれ以上ないぐらいフィット感で、着け心地の良さすら感じるチョーカーをしきりに弄っては煩わしそうに首を捩じらせている。よっぽどこの首輪が気に入らないらしい。
 気に入らないというよりも「自分が首輪をつけるのはおかしい」という風で、まるで彼が穿きなれないスカートを無理やり穿かされているような、とにかく凛成にとって首輪というものはそれぐらい不自然で違和感しかない物体なのだろう。

「このゲームですが、私たちは異世界人を当てれば復讐ゲームから解消されるという終了条件があります」

「そうだね」

「これ、異世界人側には何かメリットがあるんでしょうか」

「うーん、お家に帰れるとか?」

「メリットじゃなくて理不尽に巻き込まれてまた戻されるだけじゃないですか」

「じゃあ、ばれたら殺されちゃうとか?」

「……」

 凛成の言葉に、大河や小春は表情を暗くさせる。
それはそうだろう。自分たちですら理不尽と感じている復讐ゲームに、本当に何の罪もない異世界の民が召喚され、ゲームのコマとして扱われて、そして参加者に攻略されてしまえば死ぬだけなど、理不尽であり酷い所業と言える。

「……それは、このゲームの主催にとっても筋が通らないと思うんです」

 黒板に書き綴られた血塗られた文字は支離滅裂で主張もおかしいところがあったが、全く関係ない人間がゲームに参加させられることは考えにくいと李流伽は考えた。
 そして、彼だけ全裸で突然現れたことと勉強机に置かれていた保健体育の教科書、もしくはその中に入っていた「復讐」のメモは、李流伽たちもしくは異世界人にとっての何らかのヒントになったのではないかと推測する。

「うーん、そうだな。図書室に行ってもいいですか」

 ぴんっと優等生のように手を挙げたのは凛成だ。数秒しても反応がないことを確認すると「いこっか」と彼は李流伽や大河、そしてついて来た数名の生徒たちを引き連れて図書室へと向かう。ほかの生徒は食料や水の確保のため水飲み場や購買部などへ向かうようだ。

「頭の中で考えてても、しかたないでしょ?」

 特に君は情報収集に関して強い武器があるんだから、とにっこり笑ってウインクを飛ばす規格外イケメンの姿に、李流伽は忘れかけていたイケメン性アレルギーを少しだけ発症させた。

「李流伽ちゃん、一緒にいこ?」

「え、うん。いいよ」

 おずおずと身を寄せて来た小春に対して頷くと、小春は李流伽の手を当たり前のように繋いで横に歩き始めた。人見知りかと思えば一度心を許した人間に対しては懐く性質なのだろうか。
けれども、互いの指を絡める手のつなぎ方は李流伽も経験したことがなかった。いくら同性とはいえ恋人持ちの小春に対して内心少しばかり動揺した李流伽は、小春の彼氏である大河の方に目線をやる。
 大河は、とても微笑ましそうに笑みを浮かべて二人を容認していた。

「……」

 心の広い彼氏だと思うには、小さな棘でつんと突かれた程度のおかしさ、つまりは「普通ではなさ」を覚える。そんな彼女の思いなどどこ吹く風で小春はるんるんと、とても嬉しそうにつないだ手を振って図書室へ向かう。

「芳樹」

「……あ?」

「いや、こうして並んで歩くのなんて久しぶりだなと思って。俺……」

「……どの面下げて、んなこと言うんだ」

「……ごめ、ん」

 大河と芳樹のよそよそしいやり取りに対し、ぱちぱちと目を瞬かせて二人の男の後ろをついてゆく凛成は「痴話喧嘩?」と小首を傾げてすぐさま芳樹に頭を叩かれていた。

「だってぇ、どう見ても南条君、生沼川君のことラブじゃん」

 馬鹿がと一蹴された凛成は自分の頭を撫でているが、大河の表情が一瞬だけ固まり強張っていたのは、幸いにも誰にも見られていなかったはずだ。
偶然を装って距離感を見誤った風で芳樹の手の甲に自分のそれを少し当てたことも、それを振り払わなかった芳樹の優しさなのか哀れみなのかについても。
……学校内に仕掛けられた監視カメラ以外は。

図書室に到着した凛成は、他の生徒たちはそのままに自身は備え付けられているPCの元へと向かう。旧式で分厚いデスクトップパソコンに電源を入れると、起動からログインまでの間、隣に居た李流伽に「ここ、エロ本とかないの」と問いかけていた。李流伽からの返事もエロ本も当然なかった。

「このPCは検索用だから、ネットが繋がってないとただの箱だと思うけど」

 大河の忠告を気にすることなく、凛成は迷うことなくブラウザを開きサイトアクセスを試みたところ、すんなり検索エンジンから掲示板サイトへと飛んでしまった。

「……どうして、スマホもポケットWi-Fiだってつながらなかったのに……?」

「ああ、有線接続ですか」

「うん」

 スマートフォンやタブレットなどの端末は基本的にWi-Fiか、端末内にあるSIMカードでの接続となり無線が妨害されてしまえば使えないが、このPCについては主催側のミスか或いはわざと用意してくれたのか、有線でのネット接続が可能なようだ。突然回線が切断され使えなくなる可能性も考慮し、凛成は自分が調べたいワードなどをざっと検索してゆく。

『二次元エロ、BL、GL、女性向け、フタナリ、カントボーイ、獣人、男性妊娠……』

「何調べてんだお前」

 芳樹からの二度目の暴力をひらりと躱し「見切った」とムカつく爆イケどや顔を披露してやると、今度はケリが飛ぶ。再度ひらりと芳樹渾身のケリを回避しながら、凛成はネットサーフィンを続けている。
有線の安定した回線速度と凛成の素早い画面確認とタイピングで、しばらくした後に「なるほど」とまた、彼の中で何かの情報を得られたようだ。

「何がなるほどだ、お前」

「やぁん芳樹君、いじめないで?」

 両手を頭部に置いてわざとらしくか弱く身を守って見せるが、一瞬だけ見せた目線は存外鋭い。芳樹は芳樹で、たとえ喧嘩慣れしている自分と言えども、このイケメンとまともにやりあえば無傷ではすまないという考えが瞬時によぎった。

「……」

 周囲が呆れている最中、李流伽だけは凛成の動きを注意深く見つめていた。彼にとっての弱点になるのか、或いはこのゲームからの解放条件となるのか。
凛成も常人より遥かに文章や画像を脳内で処理把握する時間が早く、李流伽の速読とほぼ同程度といっていいだろう。
 そんな彼が、あるキーワードを検索した時だけ、数秒程度時間の遅れが見られた。熟考している風に見え、マウスの指先が少しばかり震えていたのは流石に気のせいだろうか。

 彼はこの世界の人間ではない。そして「どこの世界の人間であるか」という点についても八割程度の確証が持てたが、李流伽はまだそれを公表するタイミングではないと判断する。
残りの二割の確率で首輪が暴発して死にたくもなかったし、R学園と柳城悟の闇についてもう少し探りたいと思ったからだ。
これは復讐ゲームの会場に連れられてきた彼女の初めての意志であり、知的好奇心以上のなにかが彼女の心を揺さぶっているようにも感じられた。

「凛成さん」

「なぁに?」

「私は、もう少しだけあなたと一緒に居たいです」

 突然の告白めいた言葉に大河は純粋に驚きの表情を浮かべ、芳樹は「趣味がわりい」と吐き捨て、そして何故か小春は李流伽の腕にしがみ付いて可愛い顔を歪ませ、精一杯悪意のある顔つきでぎろりと凛成を睨み付けた。

「小春さん」

「だめ、李流伽ちゃん」

「……」

 そして凛成はというと。これまでのふざけ倒しまくり取っ散らかったような態度はどこへ行ったのか。彼は、李流伽に自身の弱みを握られたようだと瞬時に判断をする。

「……俺だけで図書室に来ればよかったかなぁ」

 にっこりと笑ったその顔は極上で、これが普通の場面であれば男女問わず全ての者を魅了し、その何人かはあっけなく恋に落ちてしまっただろう。

「いいよ、もう少しだけここに居てあげる」

 凛成は思わせぶりに耳元で、けれども周囲にもそれが聞こえるように言葉を紡いで、それから李流伽の頬に自身の長い指をそっと滑らせた。
 極上の美形にこのような態度を取られても、何故かいつものイケメン性アレルギーは発症しない。その原因を解明するには時間が足りなかったし、それ以上に今は彼を留まらせた理由のほうが重要だった。

「調べものが終わったのなら、次は私『たち』がPCを使いたいんですが」

 凛成は「いいよ」とあっさりPCの椅子から立ち上がる。入れ替わりに座ったのは李流伽で、彼女は掲示板サイト内にいくつかのキーワードを打ち込み、そしてそこにたどり着いた。

『【いじめ】R/学/園裏サイト・暴行事件【胸糞】』

 スレッド冒頭のテンプレなるものを読むに、R学園の事件については話題に上がっては異例の速さで削除され、削除されてはまた新しいスレッドが立ち上がりと、当時としてはかなりの攻防戦がこの狭い電子世界で繰り広げられていたようだ。

「これからスレッドを読み進めますが、皆さんは大丈夫ですか」

 情報の取捨選択は当然必要だが、ここから先は李流伽含めてその家族が非難される内容で埋め尽くされているであろうことは、想像に難くないからだ。
 誰からの返事も聞こえなかったが、反対という空気でもなさそうだ。李流伽はマウスのホイールを下へ下へと滑らせた。重要そうなところだけぴたりと止めて、大河や他のメンバーはそれを写真に収めてゆく。

 掲示板の書き込み上限はそれぞれのタイトルにつき1000スレッドまでと決まっているようで、その数を超えるようであれば次の板を立てる必要があるらしい。それを彼らの言葉を借りると「スレ立て」と呼ぶそうだが、次のスレッドが立っても話が追えるようにテンプレートなるもので、最初から数スレッド程度が並ぶのがここでのお決まりのようだった。

 つまり、R学園のイジメの概要だけであればテンプレートを読めばおおよそ情報が掴めてしまうのだが、その内容がここに集められた生徒たちにとっては目を覆い、耳を塞ぎたくなるような内容だった。

 田中と花山の伯父と叔母は柳城悟を苛めていた。クラスのカースト上位に媚を売るためか、或いは自身もいじめの標的にされたくなかったのだろう。無視や揶揄いに乗る取り巻きや腰ぎんちゃく程度の関わりのようだと書き込まれていた。

岸本みなみ(きしもとみなみ)は南条の旧姓であり、大河の母親だ。美しい容姿を持つ彼女はクラスのカースト上位者で、悟に対しては言葉の暴力の他、取り巻きに物を破壊させたり紛失させたりしていた。

生沼川重行(おいぬまかわしげゆき)は芳樹の父親で、岸本みなみの取り巻きであり
 靴を隠したり教科書を破いたりしていた。

宇良響(うらひびき)は小春の父親で、彼は暴力の主犯であり悟に対して性暴力をしていた。

「H……Hか」

古新聞に載っていた少年院に送られていた生徒「H」が宇良響であることを、李流伽は瞬時に思い出した。暴力によって悟の左目の視力を落としたり、人工肛門形成手術を受けさせるほどの酷い傷跡を残したのは彼なのだろう。
そして記事に記されていたMは大河の母親である岸本みなみ、Sは生沼川重行、芳樹の父親と理解した。

「っ……」

 小春は顔色を紙のように真っ白くさせて、口元を押さえていた。震える姿は庇護欲をそそるが、周囲からの目線はどこか冷たく、けれども同時に哀れみや怯えすら入り交じった複雑なものだった。大小の差はあれど、ここにいる生徒たちの血縁者は皆いじめに加担した加害者なのだから。
 
 この図書室にたどり着くまでの間、主犯格の子供たちは皆生存しており、田中や花山の伯父叔母よりもいじめに関わっていないであろう、第三者よりの生徒たちが惨殺されたのだ。
 或いはいじめに関連の薄い生徒たちが瞬殺されたのは、ある種の慈悲だったのかもしれない。ギロチンは一見残酷で惨たらしいやり方に思えるかもしれないが、瞬時に囚人をあの世に導くという点で言えば最後の救済処置とも言える。
 いじめの主犯格と近い生徒たちが、このようにあっさりと殺してもらえるのだろうか。

「……読み進めます」

 テンプレートだけで胸がいっぱいだが、情報を得るためには次へ進まなければならない。荒らしと呼ばれる意味不明の文字の羅列やただ掲示板上で喧嘩したい人、意味不明の板への誘導などあるがそれらは飛ばし、必要と思われる情報だけを見てゆくとトータルで『主犯が掴めない』という特定班の嘆きが綴られている。

『Hが暴力行為に及んだのは間違いないけれど、絶対にそれをやらせてた主犯がいるはず』

『H、頭良くないし』

『Mは?』

『アイツも怪しいけど、なんか悟君に嫉妬もしてたらしい』

『なんで?』

『悟君って美青年ってぐらい顔立ちが整ってて勉強もできたんだって。女より男に好かれそうな感じらしくて』

『うわ』

『そもそもさ、Hも別にホモじゃなかったんだろ?なんで悟君のケツ掘る必要あった』

『……そう。暴力だけのはずが、誰かの『真似』してそれが癖になっちゃったんじゃないって話』

『時には複数で廻されて、写メに取られてたって』

『うわ最悪、でもそれで金稼いでたってわけじゃないの?変態に売りつけるとかさ』

『出回ってたら画像もこっちに流れてくるでしょ。ないんだよ、それっぽいアングラサイトとか掲示板見ても』

『いじめに理由なんてないんだろうけど、これはそれだけじゃない何かを感じる』 

『そういえば、悟君のクラスにもう一人目立つのがいるって』

『加害者かどうかわからないから名前は出さないけど、ものすごい美形で好青年だって話だよ』

『Mが相当のぼせ上がってたみたいで、美男美女って言われたくてアプローチも酷かったらしいけど』

『フラれてやがんの、ざまあねえな。ナイス美男子君』

『やめようよ。関係ないかもしれない人まで話題に出すの、スレチだし』

「……」

 李流伽の父は、どの角度から見ても完璧と言わざるを得ないほどには整った顔立ちをしており、同じく美形ではあるものの、まだ母親のほうが李流伽と似ている部分があった。
 そんな両親を眩しく思ったのか、幼い頃より李流伽は自分の身を美しく飾るということに対して関心が持てず、むしろ周囲の目線を遠ざけるように身なりは乱雑だった。

 内向的で本が大好きな子、両親はそれでも李流伽を愛してくれたが何かの感情を向けられる度にぞわりと腹の底から沸き起こる何とも言い難い不快感は、誰にも相談することができなかった。

 初恋は幼稚園の先生だった、或いは同じクラスメイトの男子であったなどの仄かで甘酸っぱい桃色の感情は、李流伽にとっては感知することのできない感情だ。同じ年の子が手を繋いで歩く微笑ましい光景に対しても、そんな二人を周囲やその親たちがきゃーきゃーカメラを向けて我が子の成長を見届けている様もどこか他人事であった。

 李流伽の母は愛情深い人だったが、父とはどこか隔たりがあったように思える。反対に李流伽にとってはその距離感がありがたくもあった。
 李流伽が人を愛せないのは先天的なものだと自己分析をしていたが、今この時にネットの情報量の洪水を浴びているうちに、いくつか記憶を取り戻した。

 この世には胎内記憶というものがあるらしい。嘘か誠かはその記憶がある者にしか確かめることすらもできないだろうが、李流伽には確かにそれがあった。

「……あの人は、本当の意味で私を愛していない」

 くぐもった声で誰にも聞こえないように、いや自分の子供にだけは聞こえるように感情を吐露するその声は母だった。子守歌のように「自分は愛されていない」と嘆く母の気持ちはどのようなものだったのだろう。
 祖父祖母や親族の話を耳にするに、李流伽の父と母は恋愛結婚というもので、父からの猛アプローチで母はすっかり心を奪われてしまい、炎のような大恋愛の末に結婚をしたと言われている。
 それでは、あの呪詛のような或いは子守歌のような「私を愛していない」は一体何だったのだろうか。

 次に思い出したのは、李流伽が小学校に上がったばかりの頃の記憶だ。体調不良で早退した李流伽は自室に戻ろうとして父の書斎の前を通過しようとした。
 普段は鍵まで付けられて閉ざされている書斎のドアが開いていたので、体調不良よりも好奇心が勝り彼女はそっと中の様子を伺った。

 書斎には父と、見慣れない青年がいた。青年は高校生ぐらいだろうか、白い肌と黒い髪のコントラストが目に痛いぐらい眩く、薄くも淡い桃色に色づいている唇は性別問わず、何かの欲を持つには十分な色香を放っている。

『せんせぇ』

 頬を上気させ惚けたように甘えた声を出し、父の首にするりと細い腕を絡める姿は雌のそれだった。

『言っただろう?先生じゃなくて』

『あっ……義人(よしひと)くん』

『そうだ、そう。ああ、悟、悟!』

 乱雑にボタンを外され、白い肌が露わになりズボンのベルトも余裕がなくがちゃがちゃといじられる。「ひどい」だとか「僕を誰の代わりにしてるの?」という青年の悲しそうな嫉妬の声も、次第に嬌声と共に掻き消されてゆく。
 父は、青年を通して誰か別の……恐らくは「さとる」という人物を思っているらしい。

動物めいた交尾は、李流伽の心の成長をひとつ、凍てつかせ停止させた。
そしてこれが彼女の父に対する反発と、母に対する良心だったのかもしれない。
『バタン』と大きな音を立てて書斎のドアを閉めた。息を飲むような音が聞こえ、何かがまぐわう音が、消えた。

未成年に手を出していたのが問題か、以前からこのようなことがあったのか。両親たちの「離婚」だとか「慰謝料」だとか、不穏な言い争いを熱に浮かされた李流伽は朦朧とした意識の中で耳にしたが、いつのまにかその話は消え失せたようだ。
父は女性に興味のない人だったのだろうか。いや、男性に興味があるというわけでもなさそうだと、これまで封じてきた記憶を取り戻してしまった李流伽は思う。

「さとる」なのだろう。父はさとるという者に対して執着し、昔も今も清らかではない感情を抱いているのではないか。李流伽にとってそれは愛や恋といったものではなく、おぞましく地の底からどろりと湧き上がる黒くてコールタールのようにべったりした不快なものだった。

その気持ちの悪さの対象がもし「自分」であったのならば。とても正気を保つことはできないかもしれない。李流伽は「それ」を名前すらも知らない「さとる」になすりつけることにした。「それ」は李流伽には不要だ。「それ」を抱くぐらいなら、向けられるぐらいなら、李流伽は恋はいらなかった。

パチンッと両手を叩く音が響き、李流伽ははっと気を取り戻す。彼女の目の前で手を叩いてやり覚醒させてやったのは、先ほどまで図書室のPCで二次エロワード検索をしていた絶世の美男子だ。

「どうしたの、ぼーっとしちゃって」

「……ちょっと、集中力が途切れたかも」

「そっか、じゃあこれあげる」

 凛成から手渡されたのは個梱包のチョコレートだ。一口サイズのそれを素直に受け取ると口に放り込み「ありがとう」とお礼をする。
 「どういたしまして」と微笑む彼を目にして、じんわりと胸に広がるこの感情が、李流伽のどす黒いそれを少しだけ溶かしてくれるような気がした。

「大丈夫か?」

「無理しないで、休みたくなったら言ってね?」

 大河と小春の言葉に、李流伽はありがとうとぎこちない笑みを浮かべる。同じように李流伽を気遣ってくれる優しい気持ちだというのに、なぜ大河の笑みに対しては拒否反応が出てしまうのだろうと李流伽は思う。

 李流伽は今、何故自分が恋愛と苦手とするのか、そして何故イケメンが苦手なのか少しばかり理解した。それは父だった。彼女は在りし日の父を思い出すものがすべて苦手になった。男性的な美しい顔も恋という感情も「自分に向けられるのが」いやで、父と青年との浮気現場がそのトリガーだったのだろう。
 父のもつどす黒い執着と感情が、反吐が出るぐらいに嫌いだったのだ。

 スレッドを流し読み遡るうちに、唐突にそれは現れた。

『糞!いじめの主犯格っぽい奴がR学園から別の学校に転校したらしい』

『特定班、わかる?』

『どうやら最近転校したのはあの美青年のようだな……K高に転校したらしい』

『あのR学園で好成績を収めていたやつがK高に?臭う……臭うな』

 李流伽は目の前が真っ暗になった。彼女は無関係な異世界人ではなく、柳城悟を苛めた主犯格の娘だったのだ。いじめの内容までは特定されていなかったが、恐らく父は悟に歪んだ感情を向けて甚振り、きっと彼を犯したのだろう。いつかの書斎の青年のように。

「……これで、私が異世界人じゃないことははっきりしましたね。私は父、山之内義人(やまのうちよしひと)……柳城悟を虐めた人物の娘です」

 李流伽の呆然とした様子に、周囲の人間はだれも咎めることはできなかった。知らなかったのだろう、他の生徒と同様に。初めて他の生徒と同じスタート地点に立たされた李流伽は本当の意味で、ここにいる生徒たちの仲間となった。なんとも最悪のタイミングで。

「……これ以上は情報も得られないだろう、PCの電源を落とそうか」

 大河の気遣いによりPCをシャットダウンさせた瞬間、図書室にいた生徒2名の首が飛んだ。「へっ?」という何もわかっていない表情のまま、男女二人の生徒が首と胴体を切り離されて、苦痛に歪む間もなく地面に崩れ落ちる。
 図書室の床は絨毯なので、グレーの床にはどす黒い血が滲みじわじわと広がっていった。

「どう、して」

 心がどこかに行ってしまいそうなほどに摩耗させた小春を咄嗟に支えたのは、大河ではなく芳樹だった。しっかりしろ、見るなと肩を抱き背中を擦ってやるその姿は、どうみても憐憫だけではない何かが感じられた。
 大河はそんな小春の様子を心配そうに見つめているが、時折その目線は芳樹の方にも彷徨っている。

「PC」

「うん?」

「私達、PCを何時間使っていました?」

「……二時間ぐらいかな」

「そう、ですか」

 凛成は厳しい顔のまま「まさか」という表情を浮かべる。仮説として重い浮かんだ内容に信じられないと思いながらも、おおよそ李流伽と同じような考えに至ったのだろう。

「PCの利用代金……ネット使用料、だったのかも……しれません」

 ふざけるなと机に拳を叩きつけたのは田中だ。それを落ち着かせようと背中にしがみついているのは花山だ。

「人の命を、なんだと思って……くそっくそがぁ!」

「やめろ、やめろって!これでもしあいつの機嫌を損ねたら、お前まで!」

 友の拳が痛むのを見ていられないという気持ちも当然あるが、不用意な主催にとって良くない行動を取ってしまい田中の首まで捥がれてしまったのならば、花山は生涯己を呪うかもしれない。

「……一時間の代金が人ひとりの命。ちょっと高すぎやしませんかね」

 凛成の挑発めいた言葉にも、彼の首輪は何も反応しない。

「いや、引き出せる情報をすべて引き出したから、その情報料ということかもしれません」

 李流伽が言葉を発した瞬間、図書室の窓ガラスが一斉にすべて割れた。ガシャンと耳障りに鳴り響いたそれは脅しのようにも受け取れるし、李流伽の答えが正しかったからとも思える。
 その光景を目の当たりにした生徒たちはバタタと激しい足音を立てて、李流伽たちを残してどこかへ走り去ってしまった。去り際にちらりとこちらに向けられた目線は、恐怖と憎悪が入り交じったよくないものだった。

「このまま教室に戻るのは得策ではない気がします」

「どういう意味だろう」

 大河の言葉に李流伽は珍しく表情を曇らせている。凛成だけは何かに気付いたかのように、腕を組んで壁にもたれかかり、李流伽の発言を大人しく待っている。

「私たちは、復讐ゲームの主催以外にも殺される可能性が高くなってしまった」
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