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その2
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「……そうですか、こちらには観光でいらっしゃったのですね」
赤目はにこにこ笑いながら相槌を打っている。ストンとした体型を隠す着物を着ており、体調を崩しているのか、この暑い時期に羽織りまで肩にかけている。華奢で小柄な姿は薄幸の美人といった風で、普通の男であれば庇護欲が湧くだろう。可憐で儚げで美しい、けれどもユーチューバーにはそのような感情は芽生えなかった。
「私の名前は香(こう)と言います」
私、生まれつき身体が弱くて、子供のころから外で遊ぶこともあまり許されてなくて、友と呼べるものも少ないんです。もしよかったら、少しだけ話し相手になってもらえたら嬉しいなって。
「……」
今、村人に悪い印象を与えてしまうのは得策ではない。瞬時に判断したユーチューバーはマスクで覆われていない目元だけで笑顔を作ってやり、こくりと頷く。
「わあ、うれしい! ありがとうございます!」
香は子供のように華やいだ声をあげると、嬉しくてたまらないといった様子でユーチューバーの腕にしがみついた。
華奢で白い指が彼の腕に絡みつく。女性らしい所作と少女のような無邪気さで少しばかり距離感が近いのも、赤目の魅力を底上げする道具でしかない。
きっと、普通の男であれば悪い気はしないだろう。けれども一見初心で無邪気そうな仕草は、どこか作られた演技のように見えた。しかし人を魅了する洗練された動きではあると、ユーチューバーにはそう感じられた。
良い時期に来られましたね、もうすぐ村の祭りが近いんですと香は笑みを浮かべる。村の中心部には盆踊りの時に見かける櫓が建てられていた。
櫓の周りでは子供たちが走り回り追いかけっこをしている。「こら」と子供たちを窘める年長者も畑仕事をする者たちも、普通であればのどかな景色の一部のはずなのに、彼の目にはそのように映ることがなかった。
この微量の違和感は何だろうか。夏だというのにキンと身体のどこかが冷えるような感覚、ユーチューバーはスウと一息大きく吸って、呼吸を整える。子供たちはTシャツに少し丈の短めなハーフパンツを履いている。運動靴も少し型が古いように思えるが、特段変わったデザインというわけでもない。
髪型もそれぞれ違っており、短髪の子やおかっぱぐらい髪の長い子もいる。
「……!」
ユーチューバーは香の顔をまじまじと見る。
「……やだ、あまり見つめないで、恥ずかしい」
着物の袖で口元を押さえながら恥じらう姿もどこか蠱惑的で男の情欲をそそるが、ユーチューバーは確認が終わると瞬時に香から視線を外し、次に子供や村の成人たちの方を向いて、そこでようやく違和感に気が付いた。
似ているのだ、村人と香が。
いや、村人が全員同じ顔立ちをしている。親族よりももっと近い、兄弟や二卵性の双子と言われたら頷くぐらいには皆同じ顔をしている。それぞれの顔立ちの整っている分、不気味さは増した。怯えを悟られぬよう、ユーチューバーはマスクの中でゆっくり呼吸を整えた。
「ゆうさん、ほらあそこ」
香はユーチューバーをゆうと呼んだ。親しみを込めたあだ名のつもりなのだろう。実際、ユーチューバーは友人や同業者にもユーちゃんやユー君と呼ばれていたのだから、それ自体に不快感はなかった。
けれども、香が彼の名を呼ぶとき、仄かに媚びたような蠱惑的な色を含んでおり、絡みつく視線や腕や声色が、ユーチューバーにとってはどこか不快だった。
「あそこが宿です」
白くて華奢な指が示す先には、古民家のような建物があった。このような状況でもなければ暖かみのある、懐かしさすら感じられる居心地の良い旅館となっただろうに。
趣のある宿もからりとした陽射しも空気も、この村に充満する肌がじめつくような仄暗く湿っぽい瘴気で掻き消されてしまうようだ。
閉鎖された空間から逃れることができず、狭苦しくて気持ちの悪い狂ったコミュニティのような、どこかが捻じれて歪んでいるようなこの場所から宿の中に逃げ込んだところで、それが解消されるとは思えなかった。
「梵字(そよぎじ)というものが営んでいる宿です」
珍しい名字だ。漢字だけでこの名を見たら、正しく発音することはできないだろうとユーチューバーは思う。そんな彼の心を読んだのか、少女のようにいたずらっぽい笑みを浮かべる。ふわりと仄かに香るのは、どこか藤の花に似ていた。
「でもね、このあたりの人はみんな、梵字さんなんです」
私も、そこで元気に遊んでる子供達も井戸端会議をしているご近所さんも、みんな梵字さん。うふふっと香は口元に両手を当て可愛らしく小さく笑う。
「……」
なるほど、とユーチューバーは合点がいったという風に頷く。おそらく村の人間たちの血は、他所よりも濃いのだろう。村人たちの顔が似ていたのもそこからかもしれない。閉鎖された村では他所との交流が取れず、命を次の世代に繋ぐために、もしかしたら近親交配も過去にあったのかもしれないと彼は考えた。
「遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました」
旅館の女将だろうか、柔らかな物腰ではあるが凛とした雰囲気で佇んでいる。着物から覗くほっそりした白い首や、紅も引いていないというのに薄っすらと色付いた唇は、香と似ていた。
少し低めの掠れた声は不快ではなく、聞いたものにぞくりとした甘い感覚を与える色香があった。彼女は労うように「お荷物をお運びしましょう、透(とう)こちらへおいで。お客様をお部屋に案内して」と、部屋の奥に声をかけた。
「ゆうさん。それでは、私はこの辺で」
すすっとユーチューバーの腕から身を引いた香は、一瞬彼の耳元に唇を寄せ「離れるのは寂しいけど、また後で」そう囁いてから旅館からゆったり去っていった。
「……お待たせいたしました、どうぞこちらへ」
入れ替わりに現れたのは黒髪で短髪の青年だった。平均的な男性としては華奢な身体つきではあるが、それでも首元や程よく引き締まった身体から男であるとわかる。
そう、この村の人間は皆どこか中性的で、背格好やその者の成長具合、服装によってはどちらか判断ができかねる者も数多いた。
旅館の中は、その外観よりも遥かに広く感じられ、今は離れと思われる部屋まで案内されている。ユーチューバーが歩くたびにギシギシと木が軋めく音を立てるが、目の前の男からは不思議とその音が聞こえない。
透と呼ばれた青年は、最初に言葉を発したきり無言で先を進む。
「……」
敷き詰められた畳に存外綺麗な白いふすま、誰かがやってくることが既に想定されていたかのように敷かれた布団を覗けば、何の変哲もない旅先の部屋であった。
突然の客人に対して、あまりにも準備が整いすぎているとユーチューバーは思ったが、そのまま中に入ろうとする。
「……あの」
声変わりが済んだばかりのたどたどしい低音で、透はユーチューバーに声をかける。
「早く、この村から立ち去った方がいい」
それからすぐに、誰にも聞かれてはいないだろうかときょろきょろ辺りを見渡してからユーチューバーに頭を下げると、透は足早にその場を去っていった。
「……」
帰れるものなら今すぐにでも帰りたい。ユーチューバーは村の入り口に広がる闇を思い出すと、ぶるるとその身を震わせた。
赤目はにこにこ笑いながら相槌を打っている。ストンとした体型を隠す着物を着ており、体調を崩しているのか、この暑い時期に羽織りまで肩にかけている。華奢で小柄な姿は薄幸の美人といった風で、普通の男であれば庇護欲が湧くだろう。可憐で儚げで美しい、けれどもユーチューバーにはそのような感情は芽生えなかった。
「私の名前は香(こう)と言います」
私、生まれつき身体が弱くて、子供のころから外で遊ぶこともあまり許されてなくて、友と呼べるものも少ないんです。もしよかったら、少しだけ話し相手になってもらえたら嬉しいなって。
「……」
今、村人に悪い印象を与えてしまうのは得策ではない。瞬時に判断したユーチューバーはマスクで覆われていない目元だけで笑顔を作ってやり、こくりと頷く。
「わあ、うれしい! ありがとうございます!」
香は子供のように華やいだ声をあげると、嬉しくてたまらないといった様子でユーチューバーの腕にしがみついた。
華奢で白い指が彼の腕に絡みつく。女性らしい所作と少女のような無邪気さで少しばかり距離感が近いのも、赤目の魅力を底上げする道具でしかない。
きっと、普通の男であれば悪い気はしないだろう。けれども一見初心で無邪気そうな仕草は、どこか作られた演技のように見えた。しかし人を魅了する洗練された動きではあると、ユーチューバーにはそう感じられた。
良い時期に来られましたね、もうすぐ村の祭りが近いんですと香は笑みを浮かべる。村の中心部には盆踊りの時に見かける櫓が建てられていた。
櫓の周りでは子供たちが走り回り追いかけっこをしている。「こら」と子供たちを窘める年長者も畑仕事をする者たちも、普通であればのどかな景色の一部のはずなのに、彼の目にはそのように映ることがなかった。
この微量の違和感は何だろうか。夏だというのにキンと身体のどこかが冷えるような感覚、ユーチューバーはスウと一息大きく吸って、呼吸を整える。子供たちはTシャツに少し丈の短めなハーフパンツを履いている。運動靴も少し型が古いように思えるが、特段変わったデザインというわけでもない。
髪型もそれぞれ違っており、短髪の子やおかっぱぐらい髪の長い子もいる。
「……!」
ユーチューバーは香の顔をまじまじと見る。
「……やだ、あまり見つめないで、恥ずかしい」
着物の袖で口元を押さえながら恥じらう姿もどこか蠱惑的で男の情欲をそそるが、ユーチューバーは確認が終わると瞬時に香から視線を外し、次に子供や村の成人たちの方を向いて、そこでようやく違和感に気が付いた。
似ているのだ、村人と香が。
いや、村人が全員同じ顔立ちをしている。親族よりももっと近い、兄弟や二卵性の双子と言われたら頷くぐらいには皆同じ顔をしている。それぞれの顔立ちの整っている分、不気味さは増した。怯えを悟られぬよう、ユーチューバーはマスクの中でゆっくり呼吸を整えた。
「ゆうさん、ほらあそこ」
香はユーチューバーをゆうと呼んだ。親しみを込めたあだ名のつもりなのだろう。実際、ユーチューバーは友人や同業者にもユーちゃんやユー君と呼ばれていたのだから、それ自体に不快感はなかった。
けれども、香が彼の名を呼ぶとき、仄かに媚びたような蠱惑的な色を含んでおり、絡みつく視線や腕や声色が、ユーチューバーにとってはどこか不快だった。
「あそこが宿です」
白くて華奢な指が示す先には、古民家のような建物があった。このような状況でもなければ暖かみのある、懐かしさすら感じられる居心地の良い旅館となっただろうに。
趣のある宿もからりとした陽射しも空気も、この村に充満する肌がじめつくような仄暗く湿っぽい瘴気で掻き消されてしまうようだ。
閉鎖された空間から逃れることができず、狭苦しくて気持ちの悪い狂ったコミュニティのような、どこかが捻じれて歪んでいるようなこの場所から宿の中に逃げ込んだところで、それが解消されるとは思えなかった。
「梵字(そよぎじ)というものが営んでいる宿です」
珍しい名字だ。漢字だけでこの名を見たら、正しく発音することはできないだろうとユーチューバーは思う。そんな彼の心を読んだのか、少女のようにいたずらっぽい笑みを浮かべる。ふわりと仄かに香るのは、どこか藤の花に似ていた。
「でもね、このあたりの人はみんな、梵字さんなんです」
私も、そこで元気に遊んでる子供達も井戸端会議をしているご近所さんも、みんな梵字さん。うふふっと香は口元に両手を当て可愛らしく小さく笑う。
「……」
なるほど、とユーチューバーは合点がいったという風に頷く。おそらく村の人間たちの血は、他所よりも濃いのだろう。村人たちの顔が似ていたのもそこからかもしれない。閉鎖された村では他所との交流が取れず、命を次の世代に繋ぐために、もしかしたら近親交配も過去にあったのかもしれないと彼は考えた。
「遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました」
旅館の女将だろうか、柔らかな物腰ではあるが凛とした雰囲気で佇んでいる。着物から覗くほっそりした白い首や、紅も引いていないというのに薄っすらと色付いた唇は、香と似ていた。
少し低めの掠れた声は不快ではなく、聞いたものにぞくりとした甘い感覚を与える色香があった。彼女は労うように「お荷物をお運びしましょう、透(とう)こちらへおいで。お客様をお部屋に案内して」と、部屋の奥に声をかけた。
「ゆうさん。それでは、私はこの辺で」
すすっとユーチューバーの腕から身を引いた香は、一瞬彼の耳元に唇を寄せ「離れるのは寂しいけど、また後で」そう囁いてから旅館からゆったり去っていった。
「……お待たせいたしました、どうぞこちらへ」
入れ替わりに現れたのは黒髪で短髪の青年だった。平均的な男性としては華奢な身体つきではあるが、それでも首元や程よく引き締まった身体から男であるとわかる。
そう、この村の人間は皆どこか中性的で、背格好やその者の成長具合、服装によってはどちらか判断ができかねる者も数多いた。
旅館の中は、その外観よりも遥かに広く感じられ、今は離れと思われる部屋まで案内されている。ユーチューバーが歩くたびにギシギシと木が軋めく音を立てるが、目の前の男からは不思議とその音が聞こえない。
透と呼ばれた青年は、最初に言葉を発したきり無言で先を進む。
「……」
敷き詰められた畳に存外綺麗な白いふすま、誰かがやってくることが既に想定されていたかのように敷かれた布団を覗けば、何の変哲もない旅先の部屋であった。
突然の客人に対して、あまりにも準備が整いすぎているとユーチューバーは思ったが、そのまま中に入ろうとする。
「……あの」
声変わりが済んだばかりのたどたどしい低音で、透はユーチューバーに声をかける。
「早く、この村から立ち去った方がいい」
それからすぐに、誰にも聞かれてはいないだろうかときょろきょろ辺りを見渡してからユーチューバーに頭を下げると、透は足早にその場を去っていった。
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