童貞村

雷尾

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その7

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「……良いの?」

「いいの」

 香の細い首に両腕を絡ませて、透は小首を傾げながら訪ねる。香はそんな透の額や鼻先、そして唇に自身の唇を落とす。この村にもう義理はない。父ももう死んだんだと悲し気な眼差しを向ける。

 ユーチューバーが泊まった部屋の本棚にあった日記は、香と透の父親が記したものであった。父親といっても腹違いと言えばいいだろうか、彼らを産んだものはそれぞれ別の村人であった。
 透が、この村に彷徨った人間に早くこの村の異常性に気づいてもらえるように、逃げられるようにとこっそりおいているヒントのようなものだった。

「本当に、この村は終わりかもしれない」

 種付けされることで子を産めるはずだった村の人間も、徐々に子を宿しにくい身体になっていた。それは香だけではなく他の村人も同様で、これもナワスジの呪いだろうかと香は思う。
二人の父は村の仕打ちで頭は狂っていたが、それでも香と透二人を愛した。けれども愛というには憎悪が強すぎて、憎しみと呼ぶにはあまりにも慈しみがあった。
父はこの村を滅ぼすために火を放とうとして座敷牢を逃げ出し、実行に移そうとした最中、村人たちに見つかり殺されてしまった。鉈で一思いに頭を割られたのは、彼にとってせめてもの救済になっただろうか。

「……父さん」

 父を殺めた鉈は、今は息子の透が持っている。呪われた形見は、今度は息子が反抗的なよそ者を処理するために使われている。

「透」

 二人は唇を重ね舌を絡め合い、唇に吸い付いては離れてを繰り返す。今年は一緒の場所で花火見れたね。一緒に祭、行けたね。距離は離れていたけれど、二人は一緒に見た花火を思い出す。ゆうの奴、お前に気づいてたみたい。……知ってる、でもあの人いい人だよきっと。それも知ってる。もうどちらがどちらの言葉かもわからないぐらい、二人は身体が溶けてしまいそうになるまで絡め合い、クスクス笑いながらちろちろ舌の先でくすぐったいような感覚を与え合う。

「香、もういかなくちゃ」

「うん」

 名残惜しそうに二人は唇を離すと、もはや村には何の執着も残してはいないといった風で、その場を後にした。

「……」

 ユーチューバーは静かに絶望していた。約束時間の少し前。やはり村の入り口は夜のとばりとは異なる、完全な闇で埋め尽くされていた。
 何かのトリガーが足りなかったか、とユーチューバーは思慮する。彼はまるでゲームの世界のように、ここから逃れるための条件というものを考えていた。

「……?」

 朝はまだやってこない。けれどもオレンジ色の光が村全体を覆いつくす。それは新しい朝の始まりではなく、藁葺き屋根や、木材や、布や、本や、そして人に燃え移る。くすぶった黒い焦げは悪臭を放ち、煙は生きとし生けるもの全ての喉を焼く。ゆらりとした蜃気楼のような熱はすべてを溶かしてしまいそうだ。
 何者かが、村に火を放った。このままでは火の手はすぐこちらまでやってくるだろう。けれども村の入り口は閉鎖されている。逃場はどこに。

「おい」

「待たせた、行こう」

 火の中から二人の人影が現れた。香と透はどこか晴れ晴れとした表情で穏やかな笑みを浮かべている。煤で顔が汚れても、火に照らされた二人の顔は美しかった。
 
「……!」

 振り返ると、闇は消えていた。まるで火で溶かされたかのように、目を凝らせば砂利道が遠くまで見える。動揺するユーチューバーを尻目に二人は村から出てゆくので、彼も二人を見失わぬように後に続く。
 ブラックホールのような闇が消えたとしても夜道なのだ。電灯も無い獣道を見失わずに歩くのは容易なことではないと思っていたのだが。先頭の二人が道しるべになっているうちは、道はぼんやりと白く明るく光っている。

 必死に二人の後を追ううちに、空は白みがかり火事ではない朝の光に満たされる。二人はぴたりと足を止め、こちらを見つめていた。
 香と透の横には、神社があった。

「ゆう、お前はこのまま道を下れ。すぐ阿嘉黒に行ける」

 お前たちはどうするんだとユーチューバーは訊ねる。村は燃えたが、生き残りが二人を探しに来るだろうと考える。そして、捕まれば村の者たちからの制裁があるだろう。

「俺たちは、ここで祝言をあげる」

 二人は手をつなぎ、指を絡め合わせる。透は香に甘えるように肩に頭を乗せ、香はそれを嬉しそうに受け入れてやっている。透き通るような肌のせいではなく、二人の足元は薄っすら消えかかっていた。

「……」

 ああ、ここまでなのだろう。きっとこの村は現在には存在していないものだった。捻じれた空間が時折どこかに接触してしまい、彷徨った人間はあの村に捕らわれる。彼らは現在に来ることができない。村の時間はループして、あの火事だって過去に何度も繰り返された出来事なのかもしれない。それが廃村になった理由なのかは、今となってはわからないが。

「お前は嫌いじゃなかったよ、ゆう」

「お前は、香に対して誠実だった」

 香に欲情するわけでもなく、けれども嫌悪であからさまに避けることもせず自然体に接していたユーチューバーに、二人は少しばかり好感を抱いたのだろう。
 彼は軽く手を上げると、そのまま振り向かずに山を降りて行った。振り返るとまた村に捕らわれてしまいそうだったのもあるが、二度と会えない二人の友に対して、これが一番誠実な対応だと思ったからだ。

「行こう、透」

「うん、香」

 二人は横道にそれ、手をつなぎながら神社に向かった。
 ここは、救いを求めたくても求められない哀れな村人たちのために建てられた場所だ。父の遺志を継ぎ村を焼き、腹違いの兄弟だというのに夫婦になりたい二人が祝言を上げるには、相応しい場所とも言える。

「でも」

「ん? どうした、透」

「でも神様。本当に罪深いことでしょうか」

 添い遂げたい者との子が欲しいと願うことは、子が叶わなくとも好いている者同士で体温を伝え合うということは、本当に罪深いことなのでしょうか。異形の者となった俺達にはそんな資格すらもうないんでしょうか。透はやり場のない思いを、どこにいるかもわからない神にぶつける。

「透」

 そっと、香は透の手を握る。それを決めるのは神様ですらない。オレ達だよ。こんな形であったとしても、透と一緒になれて嬉しい。透は違う? 困ったように微笑む香は少女のような容貌であるにもかかわらず、愛する者を慈しむ頼もしさで満ち溢れている。

「ううん」

 俺も嬉しい。透はより一層握りしめられた手に力を込める。香は優しげな眼差しで透を見つめたまま頬に手を添える。
 透は村の暗部の仕事を与えられたが、よそ者と身を交わすことだけは回避できた。その代わり、子を成す為に透の代わりに役割を一身に受けたのが香だ。そのようなことはおくびにも出さず、香はこの歳まで透の身体が汚れずにいられたことに対して安堵している。

「香は綺麗だ」

 透は、よそ者の処理などの汚れ仕事を一身に受けた。血に塗れるのは自分だけで良いと殺人や死体処理をすべて請け負った。香の綺麗な手が血で汚れることもなく、これまで生きてゆけたことに安堵している。

 きっと二人が村から逃げ延びることは難しいだろう。どこか知らない地で生きてゆくには、二人はあまりにも脆く世間を知らなかった。
 そして生き残りの村人に捕まったのなら、二人はその先も生きていられるかわからない。
 二人が一緒にいられるわずかな時間、唇を重ね、永遠の愛を誓うにはそれでも十分だった。

「……」

 涼しかった朝の空気も日光で焼かれ、うんざりするような夏の一日がまた始まる。村がある山の入り口、ユーチューバーは二人を待ったが降りてくる気配はない。
 そもそもあの村が、二人が存在したかすらも、もう夢の中の出来事のようだった。
諦めたユーチューバーは、本数は少ないくせに早朝から走っているバスに乗り込むと、このバスが日常へたどり着くことを切に願った。

○○県△△市阿嘉黒町のさらに奥地、周囲から拒絶され山奥に追いやられるようにしてできたその村には、名前がない。
名前はないが、山奥に村があったという記録は残されており、廃村になった理由は単なる過疎化とも流行病とも言われているが。当時の地方紙の小さな切り抜きには、山奥で火事があったと記載があった。村は全焼し、山も燃えたであろうに村の途中にある神社だけは焼け落ちることもなく無事であったという。
霊験あらたかということで、一時期はその神社に参拝する者もいたそうだ。

「……」

ユーチューバーは戦慄していた。命からがら村から抜け出し家に戻れたのはめでたいことだが、あの日に撮影した動画の編集をしようと再生をかけたところ、そこには自分が見て来たものとは全く異なる映像が映っていたからだ。

映像には、雑草や石で蹂躙された荒地に、辛うじて何かがあったと思われる廃村の残骸しか映っていなかった。手入れが行き届いた村の入り口も藁葺きの家も見る影がない。祭りが近いということで建てられていたはずの櫓は、一本の大樹になっていた。
趣のある旅館は動画内では平地になっており、ユーチューバーは自身が持ってきたテントを設営して、寝袋を敷いて寝ようとしていた。記憶にない自分が、記憶にないことをしている。 

それでは、あの神社はどうだろう。香と透が二人で祝言を上げると言っていたあの神社だ。ユーチューバーは村に入る前に立ち寄った、神社の動画を再生させる。

「……!」

 神社だけは、ユーチューバーの記憶の通りだった。廃神社と呼ぶにはあまりにもしっかりとした鳥居が、凛として映っている。
小さな社殿の前には、二人の人影があった。ユーチューバーが目視した時は小さい子供だった二人は、画面越しではあの時に会った二人の姿のままだった。
銀髪の少女のような姿の香と、黒髪短髪で青年らしい体型の透。二人は手をつないだまま社殿の前に立ち、そのまま唇を重ねると消えてしまった。

「……」

 この映像だけは使えないなとユーチューバーは思った。
 友人たちの祝言を不特定多数の人間の目に晒すのは、あまりにも野暮というものだ。彼は残った他の動画をどう編集していいものか悩みながら、作業に没頭していった。
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