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プロローグ
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「……っ!やめ……、……ね…が……っ」
幼い女の子の声が、小さなアパートの一室から漏れ聞こえる。同時に何かをぶつけるような音。大人の男の叫び声。その声は、何を言っているのかは分からなかった。時折その声の合間に、女の人の庇うような声も聞こえる。
だが近所に住む人たちは、女の子がまた悪さをして叱られてると、感じていたのだ。
朝になるとその声は止み、女の子は傷だらけでひとりで外で遊んでる。女の子の母親は、仕事に出掛けて普段はいない。父親は仕事をしていないので、家にいる。
「あら。栞ちゃん」
近所の奥さんが、女の子に声をかける。
「あまりお父さんを困らせるんじゃないよ?」
奥さんはそう女の子に言った。女の子は悲しそうな顔を、その奥さんに向けた。
「……しおり、わるいこと、してないもん」
小声で言ったその言葉に、奥さんはしかめっ面をする。
「悪いことしてなきゃ、お父さんは怒らないでしょ。ほんとに栞ちゃんはダメな子ね」
その奥さんは女の子にそう言って、どこかへ行ってしまった。
女の子の名前は田津栞。近所の人は栞の話を信じてはくれない。栞の母親の話も信じてはくれない。それは父親の外面がよく、近所の人には評判が良かったからだった。
だが栞の話が本当だと分かったのは、それからしばらくしてからだった。栞の母親は、栞を連れて家を出た。その後の父親は、毎晩お酒を飲んでは家にいない栞たちに怒鳴っていたのだ。
栞を連れて母親の実家に逃げ込んでからは、誰にも殴られることはなく、平和だった。
祖父の家に来てしばらくしてから、栞は田津栞から大山栞へと変わった。両親の離婚が決まった為だった。それから栞は、祖父母の家で暮らすことになった。
栞が大山栞になって2年後。滝沢栞になった。母親が再婚したのだ。今度の父親はとても優しく誠実だった。栞に対しても優しかった。
「栞ちゃん」
そう差し伸べる手が温かくて、栞は大好きだった。だが、時折思い出してしまう。実父からされた事を。大きくて温かいその手が、冷たく非情な手に変わるのではないかと、いつも不安に思っていた。その思いは、栞が成長しても変わらなかった。いつも心のどこかでそれを感じていたのだ。
それを養父は感じ取っているのか、無理に栞を抱いたりはしなかった。いつか本当の親子のようになれるように、願っていた。
そうするしか、その時は方法は見つからなかった。
母親は再婚相手である夫に、申し訳なさそうにしていた。栞は夫に懐いていないわけではない。だがたまに見せる笑顔が、怯えているのを知っている。
「ごめんなさい、本当に……」
そう告げると、笑って安心させようとする。それが栞の養父だった。
「仕方ないよ。それほど、栞ちゃんの心に傷があるってことだよ。俺は父と認めてもらえるように、頑張るだけだよ」
そう言った養父は、栞の母にとってもとてもいい相手だった。
栞が小学校で、父の日の絵を描いてきた。まだ母親が再婚したての頃は、父の絵に黒のクレヨンで、顔が塗りつぶされていた。だがその日はちゃんと、顔を描いてきていた。
母親と養父が再婚してから、2年後の出来事だった。
その日を境に、栞は養父を「お父さん」と呼ぶようになった。養父が差し伸べた手を、握り返すこともした。
それが養父にとって、とても嬉しいことだった。
栞は優しい養父に見守られ、優しい女の子に成長していった。養父と母親の間に生まれた妹と一緒に、よく出かけるくらい、仲のいい親子になっていた。
だが、中学に入った頃。栞の笑顔が消えた。それがなんなのか、聞いても頑なに話そうとはしなかった。
幼い女の子の声が、小さなアパートの一室から漏れ聞こえる。同時に何かをぶつけるような音。大人の男の叫び声。その声は、何を言っているのかは分からなかった。時折その声の合間に、女の人の庇うような声も聞こえる。
だが近所に住む人たちは、女の子がまた悪さをして叱られてると、感じていたのだ。
朝になるとその声は止み、女の子は傷だらけでひとりで外で遊んでる。女の子の母親は、仕事に出掛けて普段はいない。父親は仕事をしていないので、家にいる。
「あら。栞ちゃん」
近所の奥さんが、女の子に声をかける。
「あまりお父さんを困らせるんじゃないよ?」
奥さんはそう女の子に言った。女の子は悲しそうな顔を、その奥さんに向けた。
「……しおり、わるいこと、してないもん」
小声で言ったその言葉に、奥さんはしかめっ面をする。
「悪いことしてなきゃ、お父さんは怒らないでしょ。ほんとに栞ちゃんはダメな子ね」
その奥さんは女の子にそう言って、どこかへ行ってしまった。
女の子の名前は田津栞。近所の人は栞の話を信じてはくれない。栞の母親の話も信じてはくれない。それは父親の外面がよく、近所の人には評判が良かったからだった。
だが栞の話が本当だと分かったのは、それからしばらくしてからだった。栞の母親は、栞を連れて家を出た。その後の父親は、毎晩お酒を飲んでは家にいない栞たちに怒鳴っていたのだ。
栞を連れて母親の実家に逃げ込んでからは、誰にも殴られることはなく、平和だった。
祖父の家に来てしばらくしてから、栞は田津栞から大山栞へと変わった。両親の離婚が決まった為だった。それから栞は、祖父母の家で暮らすことになった。
栞が大山栞になって2年後。滝沢栞になった。母親が再婚したのだ。今度の父親はとても優しく誠実だった。栞に対しても優しかった。
「栞ちゃん」
そう差し伸べる手が温かくて、栞は大好きだった。だが、時折思い出してしまう。実父からされた事を。大きくて温かいその手が、冷たく非情な手に変わるのではないかと、いつも不安に思っていた。その思いは、栞が成長しても変わらなかった。いつも心のどこかでそれを感じていたのだ。
それを養父は感じ取っているのか、無理に栞を抱いたりはしなかった。いつか本当の親子のようになれるように、願っていた。
そうするしか、その時は方法は見つからなかった。
母親は再婚相手である夫に、申し訳なさそうにしていた。栞は夫に懐いていないわけではない。だがたまに見せる笑顔が、怯えているのを知っている。
「ごめんなさい、本当に……」
そう告げると、笑って安心させようとする。それが栞の養父だった。
「仕方ないよ。それほど、栞ちゃんの心に傷があるってことだよ。俺は父と認めてもらえるように、頑張るだけだよ」
そう言った養父は、栞の母にとってもとてもいい相手だった。
栞が小学校で、父の日の絵を描いてきた。まだ母親が再婚したての頃は、父の絵に黒のクレヨンで、顔が塗りつぶされていた。だがその日はちゃんと、顔を描いてきていた。
母親と養父が再婚してから、2年後の出来事だった。
その日を境に、栞は養父を「お父さん」と呼ぶようになった。養父が差し伸べた手を、握り返すこともした。
それが養父にとって、とても嬉しいことだった。
栞は優しい養父に見守られ、優しい女の子に成長していった。養父と母親の間に生まれた妹と一緒に、よく出かけるくらい、仲のいい親子になっていた。
だが、中学に入った頃。栞の笑顔が消えた。それがなんなのか、聞いても頑なに話そうとはしなかった。
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