あたたかな鳥籠を君に、優しい口づけをあなたに

サイ

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第1章

7.逃げて、行き着いた先(過去)

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 ユリアは走った。目立ちたくはなかったが走って、道行く人に孤児院の場所を聞いた。
 ひたすらに走り、孤児院を見つける。
 ルイスはすぐに見つかった。
 遠くからでもわかる。孤児院の庭で一人膝を抱えてうずくまっていた。
「ルイス!!」
 ルイスもこちらに気づき、急いで駆け寄ってくる。足がもつれて倒れ込む。二人で転がりながら抱き合った。
「りあ、りあー!!」
 ルイスは顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくった。
 再会を喜んでいる暇はない。そのままルイスを抱えて、ユリアは孤児院を後にした。
 どこに逃げていいかわからなかった。
 何も持たず、ぼろぼろの衣服で。
 それでも、今にも追っ手がかかりそうで。すべての人が自分を捕まえに来ているような気がする。
 ユリアは走り始めた荷馬車に飛び乗った。
 世闇に紛れ、どこに行くともしれない馬車で、二人は抱き合ってお互いの体温を確かめた。
 


 馬車が止まったのを感じ、ユリアは御者が後ろに来る前に慌てて降りた。
 そこは巨大な城壁の内側だった。
 見覚えのある城門。
 ――首都だ。
 馬車に乗って首都まで来てしまった。
 
 ユリアは職を探したが、今のユリアはボロボロの服を着ているうえに、誰がみても汚い浮浪児である。以前の町と違い、一切仕事は見つからなかった。会話をしようとすることさえ難しかった。
 首都の人間は皆忙しそうに動いていた。
 それでも、ユリアはルイスと二人ならいいと思った。
 明日は生きていないかもしれない。
 それでも……引き離されて、地獄を生きるよりはよっぽどいい。

 ある日は一日中、道端で物乞いをした。
 またある時は、ごみ箱をあさった。
 汚いと殴られる日もあった。
 特に理由なくものを投げるけられる日も。
 それでも、腕にルイスを抱いているだけで、ユリアはもういいと思った。
 空腹になってもルイスは泣くことをしなくなった。
 そうか、あれは元気な証拠だったんだなと、あまり働かなくなった頭で考える。
 何も持たず、何も望まず、そんな生活がいつまで続くのか……。
「――君たち、うちにくるかい?」
 突然上から声を掛けられ、ユリアはゆっくりと上を向いた。
 雨の降っている日だった。雨宿りできるところは力の強い者たちに占領されているため、ユリアはルイスと共にほとんど屋根のない、路地裏にいた。
 ルイスを膝の間に入れ、自分の身体と毛布で雨をしのぐ。まだ小さいルイスが雨に体力を奪われないようにしていたため、ユリアの背中と頭はびしょぬれだった。
 声をかけてきたのは紳士風の男だった。艶のある、真新しい黒い傘を差している。
 くすんだ薄茶色の髪を無造作にくくって横に流している。
 その笑顔は優し気にユリアを見下ろしていた。
「もう秋も近い。濡れたまま夜になれば冷えてしまう」
 ユリアは首を振った。
 そうやってついて行けば、きっとひどいことになるとこれまでの経験で分かっている。
 もう大人の手を借りるのは懲りた。――何より、怖かった。
「そう……」
 男はそれだけ言って、小銭を置いていった。
 ユリアはそれでパンを買って、ルイスと共に分け合って食べた。
 次の日もその男はやってきた。
「君、熱があるじゃないか。私は医者なんだ、見てあげるよ」
 ユリアはまた首を振った。煩わしくて、目を合わせることもしなかった。
 その後も男は何度か誘ってきたが、ユリアは応じることはなかった。



 ふと、ユリアはベッドの上で目を覚ました。
 ベッドに寝たのは何日ぶりだろうか。
 そう思って、飛び起きた。
 ――ここは……。
 どこかの家の中。部屋にはベッドと机と椅子しかない。けれど清潔感のある部屋だった。
 ルイスは足元で眠っていた。ユリアはそっと引き寄せて抱きしめた。
 自分は意識を失っていたらしい。
「あ、気が付いた?」
 廊下から顔を出したのは、何度か会っていたあの男だった。
「昨日見に行ったら、君、熱で倒れていたから。運んだんだ。その子は弟?君から離れないから、まだ何も食べてないんだ」
「――甥です」
「そう。起きたら食事にしよう。二人抱えてもすごく軽かったよ」
「いえ……出ていきます」
 ユリアはルイスを抱きかかえ、立ち上がった。
「それは無茶だよ。また倒れるよ」
「大丈夫です」
 男はうーん、と腕を組んだ。
「そんなに警戒しなくても。ここは救護院みたいなところだから。食事と治療を提供して回復したら、君はいつでも出ていっていいんだよ。鍵も掛かってない」
 ユリアは首を振った。
 そうやって食事に睡眠薬を仕込まれ、ひどい目にあったのはまだ記憶に新しい。
「じゃあ、食事だけでもしていきなよ」
「いりません」
「困ったな。数日前から私の通り道に君たちを見つけて以来、どうも気になっていけないんだよ。そんな小さな子を抱えたこれまた小さな子供が、身を寄せ合ってるのを見たら、寝覚めが悪くてさ」
 ルイスが起きてじっとユリアを見上げた。
「りあ?おきた?」
「――うん、起きたよ。ごめんね、びっくりしたね」
「りあ……」
 ルイスは細く小さな腕をユリアに回し、ぎゅっと抱き着いてきた。
 大きな声で泣くこともしない。静かにくっついてくるばかりになったルイス。
「――君も感じているんでしょう?あのままあそこにいたら、君たちは長く生きられない」
 ユリアの迷いを読み取ったかのように男は言った。
「警戒するだけのことがあったんだろうけど。何とか信じてもらえないかな。食事は同じものを私も食べる。ドアはいつでも開けておく」
 ユリアは目を閉じて、考えた。
 あの地獄に戻るのは嫌だ。
 でもこの状況で自分たちはあとどれくらい生きられるのだろうか。
 ルイスが自分から少しも離れない。ユリアが倒れた時、この子はどれほど恐ろしかっただろう。
「――いただきます」
 ユリアは男に頭を下げた。
 男は嬉しそうな顔を見せた。こんな汚れた子供二人に食事を施すことの何が楽しいのだろうと思うが、その笑顔に嘘がないことを祈るしかなかった。
「よかった。私はヒリス。心配なら、一緒に食事を作るかい?」
「ユリアです。この子はルイス。――お手伝いします」
「病み上がりだから、無理しないようにね。こっちにおいで」
 ヒリスと名乗った男はユリアを台所へ誘った。
 一緒に作るかと聞かれたが、実際ヒリスは野菜の皮をむくこともできなかった。
 とりあえず切って入れたら何とかなると思った、と言われユリアはびっくりした。
「普段は手伝いの人に作ってもらっているんだ。私は研究に忙しくてね」
 きっと育ちがいいのだろう。いくらなんでも、食事をつくらないまま大人になるのは、平民ではあまりない。普通は親が働いているから、子供が家事を担う。
 簡単なスープを作った。ベーコンも使わせてもらえた。ルイスが離れなかったので背負いながら作ったが、こんな食材を触るのも久しぶりだ。ルイスがきっと喜ぶ。
 かなり久しぶりに食べた料理だった。
「おいち、ね。おいち」
 ルイスがそういって必死で食べるのを見ると、涙が出てきた。
「――うん。ごめんねルイス。お腹、すいてたもんね。いっぱい食べてね」
 そんな二人を見て、ヒリスはまた嬉しそうにしていた。
「ルイ君、明日も、明後日もおいしいもの食べようね。――ね、ユリア君」
「は……でも……」
「とりあえず、体力が回復するまではここにいなよ。その後のことは、それから考えよう」
 ヒリスは本当に何もしなかった。
 食事と寝床、それに風呂を提供し、衣服も新しいものをくれた。
 しかしその他は何もなかった。
 ユリアはどうしていいのかわからなかった。
 信じていいんだろうか。安心してしまっていいんだろうか。
 わからない。どうして行けばいいのか。
 


 出ていくタイミングを逃したまま、1日、また1日と過ぎていく。
 一週間たつ頃に、ようやくルイスはユリアから離れるようになった。
 ヒリスは研究室という部屋にこもったままほとんど出てこなかった。
 時折、患者という人がやってきて薬や治療を施すが、それも数人だった。ユリアとルイスがいるから、と手伝いの人は休んでもらっていると聞いた。
 ユリアとルイスは掃除をしたり料理洗濯をしながら過ごした。
 ある夜、食器を片付け、ヒリスにお茶を出すと、ヒリスの方から座るように言われた。
「これからのことを相談しようと思ってね」
「はい」
 緊張が伝わったのか、ヒリスは急いでつけ加えた。
「ああ、もちろんまだいてくれていいんだよ。でも、今後の事が不安なんじゃないかと思ってね」
「――はい」
「ここ首都はね、あんまり子どもが生きていくには向かない都市なんだよね。大人になれば働き口はそれなりにあるんだけど。――それでも、小さな子を抱えて働くのは難しい」
 それはわかっていた。そもそも、まともに働いて暮らせるとは、もう思っていなかったから。
「ユリアとルイスはいくつ?」
「僕は十四です。ルイスは二歳です」
「成人まで四年か……うん、ちょっと考えてみるね」
「あの……」
 話が終わったようだったので、ユリアは勇気を出して聞いてみた。
「どうして僕たちを拾ったんですか」
「お腹がすいてそうだったからだけど?」
 即答だった。他に意図はないと。
「でも……僕たちは子どもで、何もお返しできません。ヒリス様は、僕たちになにかを期待されていたんじゃないんですか」
「期待ねえ……」
 路傍でぼろ雑巾のようになっていた二人に?そう言われているようだった。
 でも、大きな施しには見返りがあるものだ。今まではずっとそうだった。
「ユリア、持つものが、持たないものに分けるのは当然のことなんだよ。私は偶然恵まれて多くを持っている。だから、持っていない人に幾つかをわかる。それはこの世の決まりみたいなものなんだよ。――だからあの時倒れていたのがユリアでなくても、私はきっと手を差し伸べていたと思うよ」
「僕は……でも、いままでは」
「もちろん、そう思う人間ばかりじゃないし、君が今までどんな目に合ったかなんて想像することもできないけどね。――できれば、話せる範囲で話してくれないかな。君がどうして物乞いをするようになったのか」
 ユリアの挙措を見ていれば、ある程度教育を受けた人間だというのはわかっていた。お茶を入れる手つき、フォークを握る手。――だが物乞いに転落するまでの経緯をすべて聞くには、まだ出会って日が浅すぎる。
「今すぐでなくていいよ。ゆっくり教えてくれ。できればそうしてから、君に最適な居場所を考えてあげたいからね」
 ヒリスはにこりと笑って話を終えた。
「持てる者が、持たざる者へ――」
 それは生まれてから誰も教えてくれなかった、全く新しい言葉だった。
 そんなものが現実に存在するんだろうか。そんな都合のいい話が……。



 ユリアが元の家名を名乗ったのは、一月ほどたってからの事だった。
 何となく察していたのか、ヒリスはそれほど驚かなかった。
「基本的な教育を受けているなら、やっぱりここにいるのはもったいないね」
 ヒリスは数日考えて、ユリアに言った。
「紹介状を書くよ。古い知り合いが領主をしているから、そこで働くといい。ただお金を稼ぐためだけじゃなく、人のためになる仕事をする喜びを、君はきっと知りたいと思うから」
 ユリアは公爵領へ行くだけの体力の回復を待って、ヒリスの家を後にした。
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