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第1章
24.平穏へ
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ヒリスは朝昼晩と、定期的にユリアを訪ねてくれた。
パーティの時のことを聞かれるのかと思ったらそういうわけでもなく、しかしユリアの話を聞きたがった。
どんな仕事をしていたのか、ヘルマンや屋敷の人達はどんな様子か。
「シェフが、よく声をかけてくれます。これを食べたら背が伸びるとか、色々気を遣ってくださって。――残念ながらあまり伸びなかったんですが」
「シェフって、もしかしてブラム?」
「そうです、ブラムさんです」
「オーブン料理が得意だよね。私も補佐官時代はお世話になったよ。忙しい時には夜食を作ってくれたりしてね」
そんな他愛もない話をしたり、ヒリスの若い時の話も聞いた。
「私が補佐官をしていたのは、結局十年ほどなんだ。私は子爵の生まれなんだけど、実家はホールディとの国境でね。貿易でそれなりに財を成しているから、頑張って働く必要はなかったんだけど。――ヘルマン様の母君に目をつけられてしまって。ヘルマン様が一人前になるまで仕えたら、あとは子爵を継がずに研究だけして暮らしていい、って言ってくださって」
「じゃあ、ヒリス様のお家は今は」
「弟が継いでるよ。長らく帰ってないなあ。――私は変わり者だからね。よくわからないことを研究してる、謎の人だって」
確かに、数えるほどだが帳簿付けを手伝った時、巨額収入が定期的にあり、使途不明の研究材料が湯水のように使われていた。
ヒリスの話すことはどれも新鮮だった。体力も徐々に回復して、ヒリスは毎日楽しく話をしてくれて。ユリアは段々と気力を取り戻して行った。
色々と話をしていると、自然と話はルイスのことになることが多かった。
「ユリア君は本当にルイス君を大切にしてるんだね」
「そうですね。たった一人の家族ですから」
「いいねえ。――ルイス君に今日こそは会えるかな」
なかなかタイミングが合わなくて会えていなかった。久しぶりに帰ってきたヒリスは何かと忙しいらしく、ユリアに会いにくる以外にも仕事をしたりしているようだった。
本人は趣味のようにあちこち顔を出してるだけだから、と言っているが、きっと何かと頼られているのだろう。
そうこうして話していると、ノックの音がする。ヒヤリと冷たいものが走るような感覚はあるが、恐怖はほとんどなくなった。返事をするとルイスだった。
「リアー、きたよー」
すっかり慣れて、一人でドアを開け、勝手に入ってきてベッドに潜り込んでくる。
膝の上の定位置に収まり、まずはぎゅっと抱擁の時間だ。
「おかえり、ルイス。今日は誰に連れてきてもらったの?」
外の冷たい空気と、秋の草や土の香りを纏っている気がして、心地よさに抱き締めながらつい匂いを嗅いでしまう。
「今日はねー、マリアベル」
寮に住んでいる、施設のお手伝いさんである。ルイスは日替わりで色んな人に屋敷まで送ってもらい、門のところからは一人でここまでくるようになった。しかし誰かしらが声をかけ、結局このドアの前まで抱っこされて運んでもらっているようだ。
「そのあと、デニス」
大抵名前は二人出てくる。
「デニス……さん?」
「執事見習いの子だね」
なるほど。
声をかけたので初めてヒリスに気付いたようだった。ルイスがじっとヒリスを見上げた。
「ルイス、僕をみてくれてる、先生の、ヒリス様だよ」
「こんにちは、ヒリスです。昔会ったんだけど、覚えてないかな」
「……知らない」
当時は2歳だ、無理もない。
「会えて嬉しいよ。いやあ、ユリア君の成長にも驚いたけど、ルイス君がこんなに大きくなるなんて。人の子は早いって言うけど……早すぎて怖いよ」
「ルイス、ご挨拶して」
「ヒリスさま、はじめまして。ルイスです。もうすぐ六歳です」
膝には乗ったままだったが、ルイスの挨拶にヒリスも笑顔で返してくれる。
ユリアはルイスのふわふわの髪の毛を触りながら聞いた。
「今日はベン君は?」
「きのこ狩りに行くって」
「きのこ……へえ、取れるんだ」
「学校の横の林。昨日雨だったから、いっぱい生えてるはずだって」
「一緒に行かなくてよかったの?」
「あそこ、食べれるキノコないよ」
「食べられないのに、取るの?」
「本当に食べれないかどうか、食べて調べるんだって」
「えっ、危なくない?」
「大丈夫。先生に言っといた」
なんでもないように言って、ルイスはようやくユリアの膝から降りた。
いつもの椅子を引っ張ってきて、ベッドの横に座る。
何か飲む?と聞くと、水、と答える。水はいつも用意してある。
「フェルナンド様のおうちはどう?」
「楽しいよ。おもちゃいっぱいで」
「ごめんね、長くなっちゃって。早く帰りたいよね」
ルイスは金色の瞳でまじまじと見つめてきた。
「だいじょうぶ。サンドラさま、やさしいから」
「男爵夫人?そうだね、可愛がってくれてるらしいね」
「お母さんってよんで、っていわれてる」
「そ、そうなんだ」
養子にしたいと言っていたな。冗談だと思ってたけど。
「よばないよ」
ルイスはテーブルの水に手を伸ばし、一気に飲み干した。
「かぞくは、リアだけ」
「そっか……」
たった一人の家族なのに。側にいてやれないから、つらい。
「ルイス君も、ユリア君が本当に好きなんだねえ」
ヒリスがにこやかに尋ねて、ルイスは大きく頷いた。
その後ヒリスは退室してしばらくルイスと過ごしてから、迎えにきたフェルナンドと共にルイスと別れる。
しばらくすると夕食をもってヘルマンがやってきた。
「――今日はどうだった?」
近頃定番の質問である。
ヘルマンは朝と夜にここへ寄ってくれる。
朝食と夕食をユリアが食べているのを見てから、少し話してまた出て行く。
たまった仕事も片付いてきたようで、疲労の色も消えてきたように思うから、ユリアもほっとしていた。フェルナンドの方もルイスと毎日夕食前に帰っているから、どちらかというといつもウキウキしている。
「変わりないです。お昼のリンゴがとてもおいしくて。全部いただきました」
「ああ、旬だな。領地のものが出てきた」
「出来が良いようで、よかったです」
「そういえば、リンゴの生産地への支援はユリアが担当していたな」
「はい。夏の豪雨の時、被害が大きくて。でもこれだけ出来が良かったら、一安心です」
「そうだな。――元気になったら、直接見てくるといい」
「あ……行きたいです」
ユリアが嬉しそうに言うので、ヘルマンも穏やかな顔になる。
夕食はサラダとスープに手を付けて、あとは残した。
「もう少し食べられないか」
ヘルマンはユリアの手を取った。
「折れそうだ。もう少し太らないと、視察には送り出せないぞ」
「は……、い」
視察という目標をぶら下げられて、ユリアは苦笑する。
欲しいと思わない料理を口に運ぶのは、なかなかに努力がいることだった。
躊躇うユリアの代わりに、ヘルマンは魚を一切れ器用にフォークで切り分けて取り、口の前まで持ってきた。
「ほら、蒸してあるから消化にはいいはずだ」
ユリアはちょっと照れながらそれを口に入れた。
少し前、状態が悪い時には、スプーンを持つのもしんどくて。ヘルマンがこうして口に運んでくれた。ヘルマンはその時の延長で世話をしてくれているのかもしれないが、元気になってからそれをされるのは少し照れる。
ヘルマンは気にしないようで、少しずつ魚を食べさせてくれた。結局、半分食べたところでようやくお許しが出た。
合間にパンを一切れ千切って口に持ってこられた時はさすがに遠慮しようとして、後込みしたせいかヘルマンの指が唇に触れた。顔が自分でも真っ赤になったのが分かる。ヘルマンはそれを見て面白そうに笑っていた。
食事が済めばヘルマンはいつものようにユリアの手に保湿剤を塗ってくれた。そうやって手を重ね、触れ合っているとユリアは満たされた気持ちでいっぱいになる。
「気分が悪くなることはもうないか?」
「はい。そろそろ寮に戻って、仕事に復帰できたらと思うんですが」
「そうだな。――ヒリスは何と言っているんだ」
「傷がそれとわからなくなるまではゆっくりしたら、って言われました。耳と首なので、みんなびっくりするんじゃないかって」
「そうだな。いいんじゃないか。繁忙期は過ぎて、冬ごもりの休み期間に入っている。急ぐ必要はない」
そう言われると、ユリアもどこかほっとした。早くルイスと一緒に家に帰らないとと思う反面、こうしてヘルマンの庇護下で守られているのが安心できる。
いつまでもこうしているわけにはいかないが。あと少しだけ。
ここを出て行く前には、どうしても現実に目を向けないといけない。
あの時。何があって、その後彼らがどうなったのか。
その話を聞く勇気はまだなかった。
ヘルマンに手を揉まれながら、いつの間にかユリアは眠っていた。
一人でいるとあまり眠れないようで、いつも眠そうにしている。一方で、ヘルマンがいるときには安心するせいかすぐに眠くなる。この頃はヘルマンがユリアを寝かしつけるようにしていた。
規則的で穏やかな寝息を聞いて、ヘルマンはそっと部屋を出た。
そのままヒリスの部屋まで行きノックをする。ヒリスはすぐにヘルマンを迎え入れた。
夜、一連の世話を終えてヒリスのもとへ来るのは最近のパターンでもあった。
「こんばんは」
「ああ。――今日はどうだった」
ユリスの容態についてである。
「今日はルイス君が来てましたね。なかなか……危なげな兄弟、あ、叔父と甥でしたか。だな、という印象です」
「危なげ?」
仲のいい関係に思えたが。
「それは、まあ、まだ印象ですから。――今のところは、五歳というには、聞きわけがよすぎるところが、ちょっと心配なくらいですね」
ヒリスはテーブルに誘い、お茶を入れた。
「ユリア君は順調に回復していますよ。ヘルマン様も実感なさっているのでは」
「補佐官の仕事への意欲はあるようだが。実際できるのかは……」
「そうですね。もうすこし様子を見たほうがいいでしょう。今回の事件の決着がつかないことには落ち着きませんし。ユリア君からは何か言ってきましたか?」
「いや。何も聞かれない」
ユリアからは、あの後現場がどうなったとか、あの時何が起きたのかとか、そういった話は一切なかった。気にならないはずはないが、まだ思い出すのもつらいかと思い特に触れていない。
ヒリスに対しても、怪我を見に来たという体でいる。
「ヒリス。ユリアを数日見て、どうだった」
「そうですね……とても強い子です。ああ、それは以前一緒に住んでいた時から思っていたんですが。ものすごく強い子ですね」
「そうか……」
ヘルマンの中では、どちらかというとか弱く守ってやらないと折れてしまいそうな印象だったが。ヒリスから見るとまるで違うらしい。
「どれほどの苦境にあろうと、自分自身の力で回復していく子ですよ。過度に助けてやる必要もない。――なので、そう遠くないうちに自分で助走をつけて、飛び立っていくと思いますよ。もう少し待ってやってみましょう」
きっともう少し休んだら、気持ちの整理をつけて、ヘルマンに事の顛末を聞いてくるだろう。
それまでは今のようにヘルマンが安全な場所であり続けられればいい、それが活力になるだろう。
ヒリスの見立ては概ねそういうことだった。
ヘルマンはそれなら、と安心した。
安心したはずなのに、どこか引っかかるところがあった。
――自分で助走をつけて、飛び立っていく……。
その言葉が妙にわだかまる。
心がざわつき、その正体もわからないまま、日は過ぎていった。
パーティの時のことを聞かれるのかと思ったらそういうわけでもなく、しかしユリアの話を聞きたがった。
どんな仕事をしていたのか、ヘルマンや屋敷の人達はどんな様子か。
「シェフが、よく声をかけてくれます。これを食べたら背が伸びるとか、色々気を遣ってくださって。――残念ながらあまり伸びなかったんですが」
「シェフって、もしかしてブラム?」
「そうです、ブラムさんです」
「オーブン料理が得意だよね。私も補佐官時代はお世話になったよ。忙しい時には夜食を作ってくれたりしてね」
そんな他愛もない話をしたり、ヒリスの若い時の話も聞いた。
「私が補佐官をしていたのは、結局十年ほどなんだ。私は子爵の生まれなんだけど、実家はホールディとの国境でね。貿易でそれなりに財を成しているから、頑張って働く必要はなかったんだけど。――ヘルマン様の母君に目をつけられてしまって。ヘルマン様が一人前になるまで仕えたら、あとは子爵を継がずに研究だけして暮らしていい、って言ってくださって」
「じゃあ、ヒリス様のお家は今は」
「弟が継いでるよ。長らく帰ってないなあ。――私は変わり者だからね。よくわからないことを研究してる、謎の人だって」
確かに、数えるほどだが帳簿付けを手伝った時、巨額収入が定期的にあり、使途不明の研究材料が湯水のように使われていた。
ヒリスの話すことはどれも新鮮だった。体力も徐々に回復して、ヒリスは毎日楽しく話をしてくれて。ユリアは段々と気力を取り戻して行った。
色々と話をしていると、自然と話はルイスのことになることが多かった。
「ユリア君は本当にルイス君を大切にしてるんだね」
「そうですね。たった一人の家族ですから」
「いいねえ。――ルイス君に今日こそは会えるかな」
なかなかタイミングが合わなくて会えていなかった。久しぶりに帰ってきたヒリスは何かと忙しいらしく、ユリアに会いにくる以外にも仕事をしたりしているようだった。
本人は趣味のようにあちこち顔を出してるだけだから、と言っているが、きっと何かと頼られているのだろう。
そうこうして話していると、ノックの音がする。ヒヤリと冷たいものが走るような感覚はあるが、恐怖はほとんどなくなった。返事をするとルイスだった。
「リアー、きたよー」
すっかり慣れて、一人でドアを開け、勝手に入ってきてベッドに潜り込んでくる。
膝の上の定位置に収まり、まずはぎゅっと抱擁の時間だ。
「おかえり、ルイス。今日は誰に連れてきてもらったの?」
外の冷たい空気と、秋の草や土の香りを纏っている気がして、心地よさに抱き締めながらつい匂いを嗅いでしまう。
「今日はねー、マリアベル」
寮に住んでいる、施設のお手伝いさんである。ルイスは日替わりで色んな人に屋敷まで送ってもらい、門のところからは一人でここまでくるようになった。しかし誰かしらが声をかけ、結局このドアの前まで抱っこされて運んでもらっているようだ。
「そのあと、デニス」
大抵名前は二人出てくる。
「デニス……さん?」
「執事見習いの子だね」
なるほど。
声をかけたので初めてヒリスに気付いたようだった。ルイスがじっとヒリスを見上げた。
「ルイス、僕をみてくれてる、先生の、ヒリス様だよ」
「こんにちは、ヒリスです。昔会ったんだけど、覚えてないかな」
「……知らない」
当時は2歳だ、無理もない。
「会えて嬉しいよ。いやあ、ユリア君の成長にも驚いたけど、ルイス君がこんなに大きくなるなんて。人の子は早いって言うけど……早すぎて怖いよ」
「ルイス、ご挨拶して」
「ヒリスさま、はじめまして。ルイスです。もうすぐ六歳です」
膝には乗ったままだったが、ルイスの挨拶にヒリスも笑顔で返してくれる。
ユリアはルイスのふわふわの髪の毛を触りながら聞いた。
「今日はベン君は?」
「きのこ狩りに行くって」
「きのこ……へえ、取れるんだ」
「学校の横の林。昨日雨だったから、いっぱい生えてるはずだって」
「一緒に行かなくてよかったの?」
「あそこ、食べれるキノコないよ」
「食べられないのに、取るの?」
「本当に食べれないかどうか、食べて調べるんだって」
「えっ、危なくない?」
「大丈夫。先生に言っといた」
なんでもないように言って、ルイスはようやくユリアの膝から降りた。
いつもの椅子を引っ張ってきて、ベッドの横に座る。
何か飲む?と聞くと、水、と答える。水はいつも用意してある。
「フェルナンド様のおうちはどう?」
「楽しいよ。おもちゃいっぱいで」
「ごめんね、長くなっちゃって。早く帰りたいよね」
ルイスは金色の瞳でまじまじと見つめてきた。
「だいじょうぶ。サンドラさま、やさしいから」
「男爵夫人?そうだね、可愛がってくれてるらしいね」
「お母さんってよんで、っていわれてる」
「そ、そうなんだ」
養子にしたいと言っていたな。冗談だと思ってたけど。
「よばないよ」
ルイスはテーブルの水に手を伸ばし、一気に飲み干した。
「かぞくは、リアだけ」
「そっか……」
たった一人の家族なのに。側にいてやれないから、つらい。
「ルイス君も、ユリア君が本当に好きなんだねえ」
ヒリスがにこやかに尋ねて、ルイスは大きく頷いた。
その後ヒリスは退室してしばらくルイスと過ごしてから、迎えにきたフェルナンドと共にルイスと別れる。
しばらくすると夕食をもってヘルマンがやってきた。
「――今日はどうだった?」
近頃定番の質問である。
ヘルマンは朝と夜にここへ寄ってくれる。
朝食と夕食をユリアが食べているのを見てから、少し話してまた出て行く。
たまった仕事も片付いてきたようで、疲労の色も消えてきたように思うから、ユリアもほっとしていた。フェルナンドの方もルイスと毎日夕食前に帰っているから、どちらかというといつもウキウキしている。
「変わりないです。お昼のリンゴがとてもおいしくて。全部いただきました」
「ああ、旬だな。領地のものが出てきた」
「出来が良いようで、よかったです」
「そういえば、リンゴの生産地への支援はユリアが担当していたな」
「はい。夏の豪雨の時、被害が大きくて。でもこれだけ出来が良かったら、一安心です」
「そうだな。――元気になったら、直接見てくるといい」
「あ……行きたいです」
ユリアが嬉しそうに言うので、ヘルマンも穏やかな顔になる。
夕食はサラダとスープに手を付けて、あとは残した。
「もう少し食べられないか」
ヘルマンはユリアの手を取った。
「折れそうだ。もう少し太らないと、視察には送り出せないぞ」
「は……、い」
視察という目標をぶら下げられて、ユリアは苦笑する。
欲しいと思わない料理を口に運ぶのは、なかなかに努力がいることだった。
躊躇うユリアの代わりに、ヘルマンは魚を一切れ器用にフォークで切り分けて取り、口の前まで持ってきた。
「ほら、蒸してあるから消化にはいいはずだ」
ユリアはちょっと照れながらそれを口に入れた。
少し前、状態が悪い時には、スプーンを持つのもしんどくて。ヘルマンがこうして口に運んでくれた。ヘルマンはその時の延長で世話をしてくれているのかもしれないが、元気になってからそれをされるのは少し照れる。
ヘルマンは気にしないようで、少しずつ魚を食べさせてくれた。結局、半分食べたところでようやくお許しが出た。
合間にパンを一切れ千切って口に持ってこられた時はさすがに遠慮しようとして、後込みしたせいかヘルマンの指が唇に触れた。顔が自分でも真っ赤になったのが分かる。ヘルマンはそれを見て面白そうに笑っていた。
食事が済めばヘルマンはいつものようにユリアの手に保湿剤を塗ってくれた。そうやって手を重ね、触れ合っているとユリアは満たされた気持ちでいっぱいになる。
「気分が悪くなることはもうないか?」
「はい。そろそろ寮に戻って、仕事に復帰できたらと思うんですが」
「そうだな。――ヒリスは何と言っているんだ」
「傷がそれとわからなくなるまではゆっくりしたら、って言われました。耳と首なので、みんなびっくりするんじゃないかって」
「そうだな。いいんじゃないか。繁忙期は過ぎて、冬ごもりの休み期間に入っている。急ぐ必要はない」
そう言われると、ユリアもどこかほっとした。早くルイスと一緒に家に帰らないとと思う反面、こうしてヘルマンの庇護下で守られているのが安心できる。
いつまでもこうしているわけにはいかないが。あと少しだけ。
ここを出て行く前には、どうしても現実に目を向けないといけない。
あの時。何があって、その後彼らがどうなったのか。
その話を聞く勇気はまだなかった。
ヘルマンに手を揉まれながら、いつの間にかユリアは眠っていた。
一人でいるとあまり眠れないようで、いつも眠そうにしている。一方で、ヘルマンがいるときには安心するせいかすぐに眠くなる。この頃はヘルマンがユリアを寝かしつけるようにしていた。
規則的で穏やかな寝息を聞いて、ヘルマンはそっと部屋を出た。
そのままヒリスの部屋まで行きノックをする。ヒリスはすぐにヘルマンを迎え入れた。
夜、一連の世話を終えてヒリスのもとへ来るのは最近のパターンでもあった。
「こんばんは」
「ああ。――今日はどうだった」
ユリスの容態についてである。
「今日はルイス君が来てましたね。なかなか……危なげな兄弟、あ、叔父と甥でしたか。だな、という印象です」
「危なげ?」
仲のいい関係に思えたが。
「それは、まあ、まだ印象ですから。――今のところは、五歳というには、聞きわけがよすぎるところが、ちょっと心配なくらいですね」
ヒリスはテーブルに誘い、お茶を入れた。
「ユリア君は順調に回復していますよ。ヘルマン様も実感なさっているのでは」
「補佐官の仕事への意欲はあるようだが。実際できるのかは……」
「そうですね。もうすこし様子を見たほうがいいでしょう。今回の事件の決着がつかないことには落ち着きませんし。ユリア君からは何か言ってきましたか?」
「いや。何も聞かれない」
ユリアからは、あの後現場がどうなったとか、あの時何が起きたのかとか、そういった話は一切なかった。気にならないはずはないが、まだ思い出すのもつらいかと思い特に触れていない。
ヒリスに対しても、怪我を見に来たという体でいる。
「ヒリス。ユリアを数日見て、どうだった」
「そうですね……とても強い子です。ああ、それは以前一緒に住んでいた時から思っていたんですが。ものすごく強い子ですね」
「そうか……」
ヘルマンの中では、どちらかというとか弱く守ってやらないと折れてしまいそうな印象だったが。ヒリスから見るとまるで違うらしい。
「どれほどの苦境にあろうと、自分自身の力で回復していく子ですよ。過度に助けてやる必要もない。――なので、そう遠くないうちに自分で助走をつけて、飛び立っていくと思いますよ。もう少し待ってやってみましょう」
きっともう少し休んだら、気持ちの整理をつけて、ヘルマンに事の顛末を聞いてくるだろう。
それまでは今のようにヘルマンが安全な場所であり続けられればいい、それが活力になるだろう。
ヒリスの見立ては概ねそういうことだった。
ヘルマンはそれなら、と安心した。
安心したはずなのに、どこか引っかかるところがあった。
――自分で助走をつけて、飛び立っていく……。
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