あたたかな鳥籠を君に、優しい口づけをあなたに

サイ

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第1章

23.犯罪者たち

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 カタカタ、カタカタ、カタカタ……。
 暗い地下牢の中。小刻みに聞こえる音が徐々に大きくなっていく。
 またか。リックとファーデンはやれやれ、と顔を見合わせた。
「おい!だれかいないのか!おい!」
 牢の一つから怒鳴り声。あの貧乏ゆすりが徐々に大きくなって、やがて呼ばれる。いつものパターンだった。
「――次、俺行くわ」
 二人で入り口を見張っていたため、ファーデンがリックに声をかける。リックは頷いて返した。
 ファーデンは怒鳴り声をあげる牢の前に立つ。
「お呼びですか」
「お前は……誰だ」
「公爵家の騎士です」
 牢の中のものにいちいち名前は名乗らない。
「お前、俺が誰か知っているのか」
「ミヒル・ベネディクト様です」
 この会話ももう何度目だろうか。ミヒルは牢の格子に手をかけ、激しく揺すった。もちろん、びくともしない。
「そうだよ!侯爵家の、ミヒルだぞ!いったいいつまでここに入れておくんだ」
「公爵様のご命令ですので。ご指示のあるまでとなります」
「その公爵様はいつ来るんだよ!」
 事件翌日から一日おきに来ている。初回は酒と薬が抜けるときにひどく興奮して手が付けられず、会話にならなかった。その後たびたび行われたが、あちこちの傷もそれなりに深かったため、長時間の聴取は行っていない。聴取室にはヘルマンとフェルナンドだけで入っていたため会話の内容は知らないが、終了して出て来るヘルマンの顔は、それはもう恐ろしくて直視できないほどだった。人当たりのいいフェルナンドでさえ物に当たって暴言を吐いているのを見かけた。
 ろくな話は聞けないのだろう。次の聴取予定もなかった。
「聴取の際にお越しになります。日程については未定です」
「聴取……?聴取ならもっとましな部屋を寄こせ!こんな地下牢につないで、後でどうなるかわかってるんだろうな」
 これも何度も聞いたセリフである。
 起こした事件に比べて、罪の意識というものがまるでない。そもそも何を考えているのかも分からない。
 ファーデンにはこれと同じような子供を見たことがあった。
 騎士学校時代、若いうちから馬鹿なことをしていた上級生が捕まったことがあった。薬をやっていたのかどうかはわからないが、まだ少年のころから酒を飲んで騒ぎ、そのうち発覚して退学していった者達。怒りっぽくなり、感情の自制が効かず、深く物事を考えなくなる。
 まともに会話が成立する相手ではない。
「公爵様のご指示ですので」
「だから、その公爵を呼べって言ってるんだろ!痛いんだよ身体が!」
 そりゃ痛いだろう。歯は三本も折れ、肋骨は四か所折れている。首も絞められた痣がまだ消えていない。医師は毎日診察し、順調に回復しているという見立てなのでおそらく問題はないだろう。
「こんな硬いベッドで寝られない!せめて人間の食べ物を寄こせ!」
 別に食事の質は下げていない。使用人と同じものだ。ファーデンも先ほど食べた、人間の食べ物である。
「要望はお伝えいたします。では――」
 長く聞いても興奮を増すだけだ。早々に切り上げるに限る。一度話を聞けば、その後少しは大人しくなる。
 そうやってファーデンとリックは交互に相手をしていた。
 あの事件から一週間になる。
 現場に居合わせたファーデンらは地下牢の見張りにつくことが多かった。騎士の仕事の中でもなかなかに忍耐力を試される仕事だった。
「お疲れ」
 入り口に戻るとリックがねぎらいの言葉をくれる。
「ああ」
 地下牢に入れられたもののうち、残っているのは直接ユリアに危害を加えていた三人だった。あとの六人はいずれもそれぞれの家に引き取られていった。フェルナンドが処理していたが、おそらく二度と貴族社会で見ることはないだろう。
 未成年であるということを考慮したとしても、ただ酒を飲んで騒いだだけ、たまたま居合わせたのだということであったとしても。それが許されない立場であり、その自覚が足りなかったのは致命的だ。その子供だけではなく家門も多くの責任を取らされる形で決着がつきそうらしい。
 前代未聞の事件は、ヘルマンの意向で速やかに、秘密裏に処理が進められていた。

 

 地下牢の三人を除く他の貴族の一応の決着がつき、ユリアに関してはヒリスが治療を請け負ってくれた。
 何とか先が見え始めたという状況である。
 あれからヒリスは慎重にユリアと会話を重ねていた。ただ話をしているだけのように見えるが、任せるしかない。
 ヘルマンもできるだけそばにいつつ、執務室に行くことも増えた。
 地下牢へ足を運ぶのはもうやめた。聞けば聞くほど嫌悪感にめまいがする。
 ミヒル以外の二人は、ただ漫然と与えれれるものを享受し、それに伴う責任も考えずふらふらと欲望に忠実に今日まで生きてきた、そういう人種だった。同じ貴族として軽蔑するしかない。
 ミヒルに至っては語る価値もない。
 ヘルマンも王都のアカデミー時代、そういった度が過ぎた連中は一部見かけた。それにしても、最低限自分の立場をわきまえているものだ。
 酒と薬で理性のたかが外れていたとしても、人として侵していけない一線があるだろう。
 そんなこともわからないものに言葉が通じるとは思えないが、聴取の席においても、喋る言葉一つ一つすべてが不愉快でしかなかった。
 ――やっと話ができるようになったか。
 聴取の席でそう尋ねたヘルマンに臆することもなく、ミヒルは憮然として言い放った。
 ――公爵家のパーティで羽目を外したのは、悪かった。
 ――羽目を、外す?……まだ正気じゃないのか?あれはそんな生易しいものじゃない。自分が何をしたのかわかっていないのか。
 ――酒を飲んで遊んだだけじゃないか。
  ヘルマンは拳を握りしめた。爪が手の平に食いこんでいく。そうでもしなければ殴り掛かりそうだった。
 ――無理やり、暴行を加えるのが、遊びなのか。
 ――何が問題なんだよ。あれは平民だろ?自分のとこの領民じゃないからいけなかったていうのか?
 本当にわからないようだった。
 ――なんだよ。あいつ男娼じゃなかったのか?どう見てもあの顔であの傷……そうか、公爵様の男娼だったのか。だからそんなに――。
 ――その無礼な口を閉じろ。
 気が付けばまた胸倉を締め上げていた。
 ――ヘルマン様、ヘルマン様!!
 フェルナンドが必死で呼びかけてくる。書記として同行させていたが、見れば記録は書かれていなかった。
 それだけフェルナンドも怒りを感じていたのか、記録するのも憚られたのか。
 どちらにしても、これ以上話すことはなかった。
 ――終わりだ。
 そういって外の騎士に声をかける。
 ――おい、ここから出してくれ!こんなとこ、人のいる場所じゃないだろう!!
 ――お前は人ではないだろう。
 そう言い出てきただけでも、よく踏みとどまったものだ。
 何をしても許されると思っている。
 自分の欲望を隠そうともしない。
 いったいどんな教育を受けたらあんな怪物が育つのか。
 日々自制心を試されている気分だった。
 少しでも油断すれば、おそらくヘルマンはミヒルを殺していただろう。
 コツコツと積み上げてきたものを、横から来たものが土足で踏み荒らして去っていったようだった。
 大切に守ってきたものを。それが自分の管轄下であっただけに、よりやるせなさが勝つ。防げたはずだった。予想だにしていないことではあったが。
 よりによって自分の屋敷で。



 ベネディクト侯爵の来訪が告げられた。
 応接室でヘルマンはフェルナンドと主に応対した。
 ベネディクト侯爵はもうすぐ六十になろうという白髪の男だった。宮廷で何度も会ったことはあるが、さほど交流はなかった。以前親戚を嫁にと強引に勧められ、断るのに苦労したこともある。
 ヘルマンが入室すると侯爵は礼儀を守り礼をした。
 ヘルマンはそれを無視して対面に座る。礼儀に値しない、決して許さないという意思表示だ。
 フェルナンドがその背後に控える。人払いも済ませていた。無論、お茶もなしだ。
「公爵閣下」
 侯爵は座りながらも身を乗り出してきた。
「この度は、私の孫が大変な不始末をいたしました」
 ヘルマンは黙って聞いている。冷たい表情で黙っていられると、慣れているフェルナンドでも身がすくむ。背後でもピリピリと圧迫感が伝わってくる。本当は逃げ出したかった。一人でやってくださいと言いたいくらいだ。震えずに立っているだけでも褒めてほしい。
 侯爵の薄くなった頭からはじわじわと汗がにじみ出ていた。
「当家としても、寝耳に水の話でして。社会経験のつもりで送り出し、公爵様にご挨拶して来いと言っていたのですが……」
「何があったのかは」
「は、はい。ミヒルがジュニアのパーティで酒と薬を摂取し、騒ぎを起こしたと。――いま、ミヒルはどこに」
 侯爵は当然同席させられるものだと思ってきた。そして謝罪し、一緒に帰るつもりだった。
「地下牢に拘束している」
「ち、ちかっ……!?か、閣下、聞き間違いでしょうか」
「犯罪を犯した者は例外なく地下牢に抑留するのが公爵領の法だ」
 ヘルマンが現場を押さえ身柄を拘束したため、裁判も手続きも不要だ。
「こ、公爵閣下。ミヒルが閣下の面目をつぶしたことに関しては、申し開きのしようもありません。しかし、地下牢とは……!」
 貴族が地下牢に入るときは、反逆、国家に関わる犯罪くらいの時ではないのか。
「面目……」
 ヘルマンが溜息とともに言った。怒りか、呆れているのか、冷え切った低い声。
「わかっております。公爵家ともなれば、その格式、体面がどれほど重要であるか。ミヒルはまだ十七で、貴族の家の持つ重みを十分理解できていなかったのです。それを……」
 ヘルマンは立ち上がった。
「話にならない」
 侯爵が慌てて後を追う。
「閣下……!」
「出直してこい。――それまで孫が生きているといいな」
 ばたん、と扉が閉められる。残されたフェルナンドは、しまった置いていかれた…と悔しがりながらも平静を装った。
 放置して出ていくわけにもいかず、しばし沈黙が流れる。
 侯爵は困惑した様子で辺りを見渡し――フェルナンドと目が合った。
「補佐官どの……一体、閣下は、何にお怒りで……」
 本当にわからないんだなこの人。
「この度のこと、どのようにお聞きですか」
「ミヒルが酒と薬を摂取し、パーティを台無しにしたと」
「――それで」
「それで。えー……」
 侯爵は記憶を探っている。印象に残っていなかったのだろう。
「ミヒル様は、その席で参加していた青年に暴行を働かれたのです」
「あ、はい……え、平民の子供ですよね」
「――当家の、使用人です。成人を待って補佐官になる予定だった青年です」
 補佐官と聞けば多少は重視されるが、やはりそれでも平民は平民である。
 公爵家のように平民が重職に就いているのは珍しい。よくて補佐官の助手である。
 平民で、しかも子供。それへの暴行は意識の外になるほどの事だったらしい。なるほど、あの孫の祖父ということだ。
 門前払いに近いことをされるほどのことだとは到底思えないのだろう。
「僭越ながら申し上げますが、公爵様のお怒りは、当家の使用人が傷つけられたという点においてのみです。公爵家の沽券などもとより気にされるお方ではありませんので」
「では、私は。どうすれば……」
 知るかそんなこと。と、フェルナンドは言ってやりたかった。
 しかし侯爵家がこれを言いがかりと判断し両家の間に溝を生じさせれば、戦争に発展してもおかしくはない。相手は中央政界でも発言力の強い上位貴族の重鎮だ。
「ご令孫への言づけがございましたら、お取次ぎいたします。お会いになることはまだかないませんが……」
 侯爵はまだ困惑したままだった。
 ここのところ相変わらずの激務だったフェルナンドは、この後も山ほどの業務が待っている。
 ここは執事に任せて退席することにした。
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