あたたかな鳥籠を君に、優しい口づけをあなたに

サイ

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第1章

26.一歩、踏み出す

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 ヒリスが来て、二週間程度経った頃。
 ユリアは体力も回復し、動き回れるようになった。
 何より、少しずつ外に出られるようになったのは劇的な変化だろう。体力の回復と共に気力も回復したようだった。
 初めはヘルマンと人気のない夜に散歩する程度だったのが、徐々に昼にも出歩き、今ではヒリスと散歩するのが日課にもなった。
 ヘルマンとの散歩は夜が多かった。
「寒くなってきたな……」
 独り言のように呟いて星空を見上げる。そのヘルマンの横に立って、ユリアもつられるように空を見上げた。
 夕食後の時間だった。
 庭園には人影はなく、秋の虫の音が心地よく響いている。
 静かな落ち着く時間だった。
「風が気持ちいいです」
 夜になると一段と冷たい風が吹く。
 その風が髪を巻き上げるので、ヘルマンがそっと後ろに撫でつけた。金の髪はキラキラと夜でも輝いていた。
「寒くないか」
「はい」
 再び歩き出して、ユリアはヘルマンの横に並んだ。
 庭園には二人の足音が響く。
「ご主人様、僕、もう大丈夫です」
 落ち着いた声だった。
 突然に、だが予想していたことでもあった。
「そうか」
 ヘルマンも落ち着いた声でそっと返した。
「本当にありがとうございました。このご恩は、これからちゃんと、お返ししていきたいです」
「――特別なことはしていない」
 ユリアが足を止めた。それに伴ってヘルマンも足を止める。
「ご主人様。あのパーティのあと、あの人達は…」
 ヘルマンはユリアの手を取った。冷たい手だった。
 夜のせいでユリアの表情がいつもより読み取りにくい。その手からユリアの感情を読み取りたかった。しかしそのあまりの冷たさに、包み込んで温めようとする。
「責任は取らせた。二度と顔を見ることはないだろう」
「そうですか」
 それ以上は聞かない。考えたくないのか、関心がないのか。ユリアの表情からはわからなかった。
 ただ、表情は固くても具合は悪くなさそうだ。
 ヘルマンは続けた。
「あの場に居合わせたのは私と、フェルナンドと、騎士のリック、シードだけだ。他のものには、酒と薬を飲んで酩酊した子息らが暴れ、居合わせたお前が巻き添えを食って怪我をしたと説明している」
 少しの沈黙。
「ありがとうございます」
 ユリアの声は落ち着いていた。
「明日、寮に帰ります。今日までありがとうございました」
「ああ」
 ヒリスの言う通り、ユリアは自分から帰ると言い出した。
 今日なんだな、と、ヘルマンは思った。
「長い間お世話になりました」
「仕事はもう少し休んでから復帰するといい。帰って調子を整えてから」
「はい」
 少しの、間。
 冷たい風が吹き抜けていく。
 繋いだ手の温かさが際立った。
 明日からは、また元の生活。
 どちらからも手を離すことなく時間が流れる。
 名残惜しいと思っているのは自分だけだろうか。ユリアは勇気を振り絞って声を上げた。
「あの……ご主人様」
 ヘルマンはじっと待ってくれていた。その眼差しに勇気をもらったようで、ユリアは最後の迷いを振り切って、言うことにした。
「最後に、抱き締めてもらえませんか」
 不躾なお願いだと分かっている。それでも、もう少しだけ、この一ヶ月近くの間ひたすら世話を焼いてくれたヘルマンに、お願いしたかった。
 ヘルマンの庇護下から出ていく勇気をもらいたかった。
 見上げる勇気もなくて、ヘルマンの表情はわからない。それでも手がまだ暖かく繋がれなままだったから。
 ユリアは続けた。
「ごめんなさい。散々ご迷惑をおかけしておいて……ただ、」
 理由を、言い訳を…そう思って焦るユリアは、ふわりと包み込まれる感触に一瞬息を止めた。
 壊れ物を抱くようにヘルマンはゆるくユリアを抱きしめた。そっと、触れる程度の抱擁である。
 すっぽりとヘルマンの腕の中に入って、ユリアは身を硬くしたが、それも一瞬のことだった。
 大きくて暖かいヘルマンの腕の中で、ユリアは大きく深呼吸をした。ヘルマンのいつもの香りが胸いっぱいに広がる。
「ご主人様……」
 たまらなくなってユリアはヘルマンを呼んだ。ヘルマンの返事はなかったが、代わりに抱きしめる手に力が込められた。
 強く抱きしめられるとヘルマンの腕の力強さを感じる。通常なら怖いとしか思えない男の人の筋肉質な体も、大きな体も、ヘルマンであれば安心できる。
 秋風が冷たいせいで、ヘルマンの腕の中が余計に温かく感じた。
「よく頑張ったな」
 ヘルマンの低い声が、近いせいで体に響くように聞こえる。
 体の中からじわりと広がっていくようだった。
「ご主、人さま……」
 ユリアは涙が溢れてきた。
 掠れた声でヘルマンもそれを察したようだった。肩に回っていた手が、ゆっくりとユリアの頭に回った。
 ゆっくりと頭を撫でられる。そうしていると本当に心地よくて、ユリアはヘルマンの胸に頭を預けていた。
「よくがんばった。えらかった」
 そう言いながら何度も髪をサラサラと撫で、宥めるように抱きしめてくれる。
 ――ああ。僕はこの人のために、生きたい。
 涙は流れていたけれど、ユリアはそう思いながら心はあたたかかった。



 ヒリスはもう少しゆっくりしたらいいのに、と言っていたものの、ユリアは逸る気持ちのほうが大きかった。
 これ以上ルイスに我慢させたくはなかった。ずるずるとしていたらルイスの誕生日が来てしまう。
「もう大丈夫です」
 にっこり笑うユリアの顔色は確かにいい。
 ヒリスはまあいいか、と笑ってみせた。
「その代わり、毎日会いにいくからね」
 ヒリスはしばらく公爵領なら滞在する、と言っている。首都の方は代理の人間を送ったから、当分帰るつもりはないと言うことだ。
 自分のせいか、と心配するユリアにヒリスは首を振った。
「違うし、そんなことを子供が気にするんじゃないよ」
 ヒリスとは結局、毎日話をしていただけだ。傷をたまに見られることはあっだし、体調について尋ねられたが、特に薬を処方されることもなかった。
 ただ楽しい会話だった。
「ありがとうございます、ヒリス様。ヒリス様がいてくれたから、本当に楽しかったです」
「それは何よりの褒め言葉だね。私も楽しく過ごしてユリア君も楽しかったなら、良かったよ」
 荷物らしいものはなかったので、身軽に寮に戻る。懐かしい寮の部屋はちゃんと掃除をしてくれていた。執事長が断りを入れて掃除してくれたのだ。至れり尽くせりである。
 一息ついたから、ユリアはルイスを迎えに施設へ向かった。
 今日からまた二人で暮らせる。ルイスの喜ぶ顔を思い浮かべて、足が自然と早くなった。



「――ルイスー!」
 施設に入ってすぐ、ベンと遊んでいるルイスを見かけて、ユリアは遠くから呼びかけた。
 すぐに二人は気づいて駆け寄ってくる。
「リア!!」
 ユリアはしっかりとルイスを抱き止める。
「リア、もう帰ってきたの?」
「うん、さっき帰ってきた。ルイスに早く会いたくて、迎えにきちゃった」
 ぎゅうう、と力を込めてしがみつかれて、それから離れる。
 ルイスは嬉しくてじっとしていられないようだ。ユリアの周りをぐるぐる回って、度々抱きついてくる。その度に抱き返し、そんなことを繰り返してようやく落ち着いてくる。
 ベンと目があって、ユリアは頭を下げた。
「ベン君。本当に長い間、ありがとう」
「俺は何もしてないよ。一緒に遊んでただけ」
「うん。それもありがたいし、色々、ありがとう」
 ベンがルイスを連れてきたのは聞いていた。いつもルイスを引っ張ってくれていると思う。
「今日は朝からずっとソワソワしてたから。早くきてくれてよかったな、ルイス」
「うん」
「じゃあ、これは俺が片付けとくから、ユリアさんと帰りなよ」
 一緒に遊んでいたのか、何の用途かわからない紐と棒を持ってベンが申し出てくれる。
「ありがと、ベン。またね」
 ユリアはルイスを抱き上げた。ベンにお別れを言って、施設の先生にも声をかけて帰路につく。
 みんな普段通りだ。事件があったことなど知らないような。それがとてもありがたい。
「ルイス、今日は何してたの?」
「きょだいが、かいてた」
「巨大画?」
「うん。本にあった、きかがくもようを、おにわいっぱいにかきたいって、ベンが」
 ユリアはおかしくて笑った。
 ルイスがやることは、最後にいつもベンが、とつく。一緒になって楽しんでいるようだが、奇想天外な遊びを思いつくのは大体ベンの方のようだ。
「書けたの?見当たらなかったけど」
「そのままじゃむりだから。ベンがヘビみたいに書いてたのを、けして、道具をつくってるとちゅう」
「へえ」
 なるほど、ルイスは本格的にやりたいらしい。
「綺麗だよね、幾何学模様」
 ベン君が好きなら、今度お礼に何かそういったものを贈ろうか。
 そうこうしているうちに二人は寮に到着する。
 久しぶりの部屋で話して、ご飯を食べて、お風呂に入って。
 ルイスは、もうどこも痛くない?と何度も聞いてきた。痛くないことを証明するのに抱っこをして振り回したら、けたけたと嬉しそうに笑ってくれた。
 日常を取り戻した安心感で、ルイスと抱き合いながらその日はとてもよく眠れた。


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