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第2章
16.パーティ
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クリスティーナの提案はヘルマンに却下された。
「パーティーを開く余裕はありません」
ヘルマンは取り合わなかったが、それで動じるクリスティーナではなかった。
「お金ならあるわ。むしろありすぎて使い道を探しているの」
「そういう問題ではありません」
「貴方ね。一体何年、この公爵邸でパーティーをしていないと思うの?」
「そんなものをしなくても他領とのつながりは保てています」
「足りなくてよ!」
「いい加減にしてください!」
ヘルマンが声を荒げるのを初めて聞いた。ユリアはつい肩を揺らす。
それを目の端で捉えたヘルマンがしまった、という顔をする。
「すまない」
そう言ってユリアの肩を抱く。
「わたくしが、ここで、わたくし主催のパーティーを開くだけよ。貴方にとやかく言われる覚えはないわ」
「ですから、お金の問題ではないと言っているではないですか」
それを采配する人手と場所。長らく使われていない会場はかなりの手入れが必要だ。
そんな労力をパーティーに割く気などヘルマンには毛頭ない。
クリスティーナは引き下がらなかった。
「去年のベネディクトとの一件、わたくしの耳にも入っていてよ。あれほど強引な手を使っておいて、鎖国状態にしてごらんなさい。他の貴族はどう見るか」
「ちゃんと手は打っています」
「春に陛下に話しただけでしょう?貴方、王位継承者の自覚が足りなくてよ」
なるほど、クリスティーナは旅の最後に王宮へ寄り、皇帝といろいろと話してきたらしい。
ヘルマンは鼻で笑った。
「そんなものいつでも放棄します」
「ヘルマン!」
「母上がたびたび来られるので仕事になりません。失礼します」
「話は終わっていないわ!」
ヘルマンはユリアの肩を抱いたままドアの外に出た。
「――別館の用意ができましたので、本日からはそちらにお泊りになってください。好きにお使いいただいて構いませんので」
ドアを閉め、戸惑うユリアを連れながらヘルマンは歩き出した。
「この……わからずや!誰に似たの!」
クリスティーナの叫び声が遠くに聞こえた。
ヘルマンは構わず歩いている。黙って手を引かれ、ユリアもどうしたものかと迷った。
声をかけようかと思ったが、先ほどの言い合いは、正直少し怖かった。黙ってついて行く。
「ちょっと……どうしてあの子は、ユリアを連れて出たの?」
フェルナンドは嵐の過ぎ去った執務室で、クリスティーナと二人取り残された。
また残された。
そう思ったが、あの場で自分まで出て行っては、クリスティーナの怒りは収まらずどうせ追いかけて来られただろう。
「大奥様。事前にお伝えしておきたかったのですが……すみません。ユリア君は子供のころ色々と苦労したので、大人が少し怖いんです」
「苦労……」
「ですので、過度に接触しないでやってくださいませんか」
「貴方、そんなので補佐官が」
「ですから、特別ヘルマン様が気を配ってらっしゃるんです。来た時は小鹿みたいに震えていたんですよ。今じゃ子熊くらいになって、可愛いでしょう?――それに、優秀なんです」
「そう……まあ、貴方がそういうのなら」
クリスティーナの熱が少し下がったように感じたので、フェルナンドは続けた。
「あとですね……あの子は、そのベネディクトに暴力を振るわれた子ですので」
「なんですって!」
クリスティーナは頭を抱えた。
「なぜそんな大切な事、今になって言うのよ」
「申し訳ありません」
逆にどこに言うタイミングがあったのか教えてほしい。
「だから危険だって言ったのに、守れてないじゃない。――ベネディクト。あの狸おやじ、昔から下種だったのよ。一族揃ってろくでもないんだから!」
クリスティーナの口からこんな罵り文句が出るのは初めて聞いた。
熱血であっても、そこは王族。所作は文句のつけようがないし、罵声もお上品なものばかりだったのに。
「――何かあったんですか」
「嫁入り前にね。ヴェッターホーンに降家することが決まる前。息子の嫁に来いって、かなり強引な手を使われたのよ。しかも縁談の相手は十五も年下の子供よ?断るに決まっているでしょう。それなのに手段を選ばなくて。それを助けてくれたのが、旦那様だったの」
つまり、縁談を進められそうになったのは今のベネディクト侯爵、アントンといったか。十五も下ということはまだ五歳だ。無理やり押し切って王家と親戚になり、一体何をするつもりだったのか。
「――だから、もともとちょっと因縁があるのよ。あっちが不満を抱えたままでもうすぐ一年でしょう?社交界にどっちが正義か知らせる、いい頃合いなの」
パーティを開くだけで燻っている不穏分子は一掃される。公爵家主催のパーティーというのはそれだけの影響力がある。取引が交わされ、経済が動くからだ。健在であると見せつけるだけでいい。
「しかし、ヘルマン様が許可されない分には、私も動けませんので」
「わかってるわよ。フェルナンド。貴方はヘルマンが怖いものね」
いいえ、大奥様も怖いです。
と思ったが口には出さない。顔には出ている。
「――言ったじゃない、別邸で好きにしていいって。あそこのホールで十分よ」
「それは悪手です大奥様」
フェルナンドはさすがに背筋が凍った。
「別邸のホールは、そのベネディクト侯爵との一件があった、まさに現場です」
「あらやだ。縁起でもないわね」
クリスティーナは美しい眉を寄せた。
ヘルマンに内緒で押し進め、取り返しのつかないところまで来て、別邸でパーティを開催するなどということになったら。
――逆鱗に触れる、間違いなく。
あれ以来別邸は完全に閉じていたのだ。
「いっそ壊してしまって新しく建てたらいいじゃない。あそこに思い入れなんて別にないもの」
「そう簡単には」
「だからだめなのよ。女主人がいないから、屋敷の管理がまるでなってないわ。――いいわ。フェルナンド、貴方からヘルマンに上手に言ってパーティー会場は確保なさい。わたくしは別邸で過ごしているから、決まったらすぐ知らせに来るのよ」
何も良くない。フェルナンドは嫌すぎて返事ができなかった。
「フェルナンド、返事!」
「はい!」
してしまった。
物心ついた頃からこの屋敷に出入りさせられていたせいで、クリスティーナは第二の母の様な存在だ。
クリスティーナはなんといっても結婚するまでは王族で、人に頭も下げたことがない。そんなとんでもない、傍若無人な母の様な人。拒否権などなかった。
クリスティーナが満足そうに去っていくのを見て、フェルナンドは心から深いため息をついた。
あと何年待てばユリアが首席補佐官になってくれるだろうか。
そんな現実逃避をするくらいしか術はなかった。
ユリアが連れてこられたのはヘルマンの部屋だった。
ヘルマンはどうやら本当に今日は仕事をしないつもりらしい。
部屋に入るなりユリアを抱きしめた。
「ユリア」
いつもの優しい声だった。ユリアはほっとした。
「声を荒げてすまなかった」
「いえ……ちょっとびっくりしただけです」
「あの人にまんまと乗せられた……情けない」
ユリアを脅かすようなことは絶対にしたくなかったというのに。
「すごいパワーのある方ですね」
王族のオーラというのだろうか。ひしひしと感じる。
ヘルマンは疲れたようなため息をつく。
ソファに座って、その膝にユリアを乗せた。
腰に手を回して抱きしめ、顔をユリアの胸に埋めた。
「無理を言われなかったか?」
「まったく。素晴らしいお方です。施設を作ってくださったのもクリスティーナ様だってお聞きしました。熱心に子供達と接されていて」
「そうか……」
常になく疲れた様子のヘルマンにユリアは自分からもヘルマンの肩に手を回した。
「ご主人様。大丈夫ですか……?」
そっと囁くように耳元で聞いたら、ヘルマンはゆっくりと顔を上げた。
「君がキスしてくれたら、元気が出るかもしれない」
そんなことを言えるなら大丈夫かと、ユリアは笑って軽く唇を重ねた。
「出ましたか」
「今のはなんだ……」
ヘルマンは不服そうに眉を寄せて、ユリアの首に手を伸ばした。首の後ろから引き寄せる形でユリアの頭を固定し、深く口づけを交わす。舌を出し、長い時間絡め合っていた。
離れた頃には、ユリアはもう息が上がっている。
少し赤くなった顔にヘルマンは満足そうに笑った。
「元気が出た。ありがとう」
そう言われるとユリアも嬉しくなる。
「ところで……母を名で呼ぶようになったんだな」
「あ。やっぱり不敬ですよね」
「いや、呼べと言われたんだろう。――君は私の事は名で呼ばないが」
ユリアはヘルマンの肩に回した手を更にからめ、全体を預けるようにしてヘルマンに頭も預ける。
「ご主人様は、やっぱり……僕にとっては唯一のご主人様ですから」
ユリアは視線だけヘルマンに移す。
「だめですか……?」
ヘルマンは唸るように言った。
「そんな目をするな……必死で耐えているというのに」
「ふふ、僕もです」
他の人が仕事をしているというのに、部屋で仕事もせずに。とんでもなくいけないことをしているような気がする。
「母が、無神経に色々と言っていたが、大丈夫だったか」
「ベネディクト侯の件ですか?もう一年近く経ちますから、さすがに名前を聞いただけでは」
「しかし……」
手は冷たかった。ヘルマンは無言でユリアの手を取った。今はもう温かくなっている。
ふと思い出して、ヘルマンはユリアを抱き上げたまま立ち上がった。
ベッド脇へ行って、棚の中から手の保湿剤を取り出す。
「今日はまだ塗っていなかった」
そう言ってベッドに腰かけ、ユリアの手にそれを塗った。
ほとんど毎日しているのに、クリスティーナが来たせいで忘れそうになっていた。辺りにいい香りが広がる。
「でも、気になりました。強引な手を使ったって……やっぱり、僕のせいでご無理をなさったのでは」
「ユリア」
マッサージする手を止めてヘルマンはユリアを見つめた。真剣な目だった。
「君のせいなんてことはない。もちろん君が傷つけられたことで私自身はどうにも許せなかったが、誰であっても同じ処理をしただろう」
「それでも、クリスティーナ様がおっしゃっていたことは間違っていないと思います」
社交活動はやはり外せない。ユリアが公爵領に来てからも、小さなパーティーが数回開催されただけだ。きっとそれでは足りないのだろう。
「母の目的がそれだけなら、私もここまで反対しない」
「――と、言うと?」
「大量に適齢期の女性を呼ぶつもりだろう」
「ああ……」
そういえばクリスティーナはヘルマンに年齢のことなどを言っていた。
「ユリア」
ヘルマンはユリアの頬に口づけた。
どんな顔をしていたのか自覚はなかったが、ヘルマンは宥めるように何度か唇を寄せた。
「後継の事なら心配いらない。親戚は腐るほどいる。――私には君しかいない」
ユリアは胸が熱くなった。
そのままぎゅっと抱き着いて目を閉じた。
ヘルマンの匂い。ヘルマンの体温。安心する。
「じゃあ、パーティーは開いてください。――ご主人様の事信じているから、大丈夫です」
「ユリア……」
ヘルマンはユリアの頬を包み込み、その顔を覗き込む。
ユリアは知らないのだろう。こうして独占し閉じこめておきたいと思っていることを。
パーティーを開いて万一誰かの目にユリアが入ったら。想像するだけで腸が煮えるようだ。
「君は絶対にパーティーに出てはいけない。危険すぎる」
「出ませんよ」
ユリアは笑った。パーティーといえば貴族のものだ。ユリアには関係がない。
「だといいが……」
ヘルマンはまた溜息をついてユリアを抱きしめた。
「ああ……つらい」
「ご主人様?」
「ずっとこうしていたい。君とモンクレアに戻りたい」
就業時間になればユリアは帰ってゆく。昨日も会えなかった。それが日常である。
「次はいつ君を抱けるのか……」
悩ましいヘルマンの声にユリアはドキリとする。
身を起こし、まじまじとヘルマンを見つめた。
「ユリア。そんなに見ないでくれ。こんなところで……」
ヘルマンが視線を逸らした。そこに欲情のかけらを見た気がして、ユリアはヘルマンの膝の上で態勢を換えた。
横抱きの様な態勢から、ヘルマンの上に膝を開いて抱き着くように乗り上げる。
「ご主人様。今だと思います」
きっぱりと言うユリアにヘルマンは面食らったような顔になる。
「は――」
「僕もこのままだと、離れたくなくて仕事になりません」
ユリアは声を潜めた。
「ちゃんとやってしまえば満足すると思います。さっとやれば大丈夫です」
「ユリア。君は、だから……」
最近ヘルマンがよく思うことだ。
ユリアはどうも、時々急に思い切りがよすぎる。前にも言ったが情緒がない。
「だって、ご主人様がさっき……抱き上げてここに連れてくるから」
ヘルマンは表情が固まった。
ユリアは頬を赤くして、視線を落とす。そうすると繊細な金の睫毛が緑の瞳を覆い隠し、舐め取りたくなるような衝動に駆られる。
「僕、てっきり……」
その先は言えなかった。ヘルマンが荒々しく唇を塞いだ。ユリアも必死でそれにこたえる。
「ん、っふ、あ、はぁ……」
ヘルマンが両手で顎と頬を掴んでいるから口も閉じれず、声が漏れた。それでも夢中で、先ほどよりもずっと深く口づけを交わす。
「ユリア……」
ヘルマンは少し息が上がっていた。欲情した目でユリアを見つめる。ユリアもごくりと喉を鳴らした。
「パーティーを開く余裕はありません」
ヘルマンは取り合わなかったが、それで動じるクリスティーナではなかった。
「お金ならあるわ。むしろありすぎて使い道を探しているの」
「そういう問題ではありません」
「貴方ね。一体何年、この公爵邸でパーティーをしていないと思うの?」
「そんなものをしなくても他領とのつながりは保てています」
「足りなくてよ!」
「いい加減にしてください!」
ヘルマンが声を荒げるのを初めて聞いた。ユリアはつい肩を揺らす。
それを目の端で捉えたヘルマンがしまった、という顔をする。
「すまない」
そう言ってユリアの肩を抱く。
「わたくしが、ここで、わたくし主催のパーティーを開くだけよ。貴方にとやかく言われる覚えはないわ」
「ですから、お金の問題ではないと言っているではないですか」
それを采配する人手と場所。長らく使われていない会場はかなりの手入れが必要だ。
そんな労力をパーティーに割く気などヘルマンには毛頭ない。
クリスティーナは引き下がらなかった。
「去年のベネディクトとの一件、わたくしの耳にも入っていてよ。あれほど強引な手を使っておいて、鎖国状態にしてごらんなさい。他の貴族はどう見るか」
「ちゃんと手は打っています」
「春に陛下に話しただけでしょう?貴方、王位継承者の自覚が足りなくてよ」
なるほど、クリスティーナは旅の最後に王宮へ寄り、皇帝といろいろと話してきたらしい。
ヘルマンは鼻で笑った。
「そんなものいつでも放棄します」
「ヘルマン!」
「母上がたびたび来られるので仕事になりません。失礼します」
「話は終わっていないわ!」
ヘルマンはユリアの肩を抱いたままドアの外に出た。
「――別館の用意ができましたので、本日からはそちらにお泊りになってください。好きにお使いいただいて構いませんので」
ドアを閉め、戸惑うユリアを連れながらヘルマンは歩き出した。
「この……わからずや!誰に似たの!」
クリスティーナの叫び声が遠くに聞こえた。
ヘルマンは構わず歩いている。黙って手を引かれ、ユリアもどうしたものかと迷った。
声をかけようかと思ったが、先ほどの言い合いは、正直少し怖かった。黙ってついて行く。
「ちょっと……どうしてあの子は、ユリアを連れて出たの?」
フェルナンドは嵐の過ぎ去った執務室で、クリスティーナと二人取り残された。
また残された。
そう思ったが、あの場で自分まで出て行っては、クリスティーナの怒りは収まらずどうせ追いかけて来られただろう。
「大奥様。事前にお伝えしておきたかったのですが……すみません。ユリア君は子供のころ色々と苦労したので、大人が少し怖いんです」
「苦労……」
「ですので、過度に接触しないでやってくださいませんか」
「貴方、そんなので補佐官が」
「ですから、特別ヘルマン様が気を配ってらっしゃるんです。来た時は小鹿みたいに震えていたんですよ。今じゃ子熊くらいになって、可愛いでしょう?――それに、優秀なんです」
「そう……まあ、貴方がそういうのなら」
クリスティーナの熱が少し下がったように感じたので、フェルナンドは続けた。
「あとですね……あの子は、そのベネディクトに暴力を振るわれた子ですので」
「なんですって!」
クリスティーナは頭を抱えた。
「なぜそんな大切な事、今になって言うのよ」
「申し訳ありません」
逆にどこに言うタイミングがあったのか教えてほしい。
「だから危険だって言ったのに、守れてないじゃない。――ベネディクト。あの狸おやじ、昔から下種だったのよ。一族揃ってろくでもないんだから!」
クリスティーナの口からこんな罵り文句が出るのは初めて聞いた。
熱血であっても、そこは王族。所作は文句のつけようがないし、罵声もお上品なものばかりだったのに。
「――何かあったんですか」
「嫁入り前にね。ヴェッターホーンに降家することが決まる前。息子の嫁に来いって、かなり強引な手を使われたのよ。しかも縁談の相手は十五も年下の子供よ?断るに決まっているでしょう。それなのに手段を選ばなくて。それを助けてくれたのが、旦那様だったの」
つまり、縁談を進められそうになったのは今のベネディクト侯爵、アントンといったか。十五も下ということはまだ五歳だ。無理やり押し切って王家と親戚になり、一体何をするつもりだったのか。
「――だから、もともとちょっと因縁があるのよ。あっちが不満を抱えたままでもうすぐ一年でしょう?社交界にどっちが正義か知らせる、いい頃合いなの」
パーティを開くだけで燻っている不穏分子は一掃される。公爵家主催のパーティーというのはそれだけの影響力がある。取引が交わされ、経済が動くからだ。健在であると見せつけるだけでいい。
「しかし、ヘルマン様が許可されない分には、私も動けませんので」
「わかってるわよ。フェルナンド。貴方はヘルマンが怖いものね」
いいえ、大奥様も怖いです。
と思ったが口には出さない。顔には出ている。
「――言ったじゃない、別邸で好きにしていいって。あそこのホールで十分よ」
「それは悪手です大奥様」
フェルナンドはさすがに背筋が凍った。
「別邸のホールは、そのベネディクト侯爵との一件があった、まさに現場です」
「あらやだ。縁起でもないわね」
クリスティーナは美しい眉を寄せた。
ヘルマンに内緒で押し進め、取り返しのつかないところまで来て、別邸でパーティを開催するなどということになったら。
――逆鱗に触れる、間違いなく。
あれ以来別邸は完全に閉じていたのだ。
「いっそ壊してしまって新しく建てたらいいじゃない。あそこに思い入れなんて別にないもの」
「そう簡単には」
「だからだめなのよ。女主人がいないから、屋敷の管理がまるでなってないわ。――いいわ。フェルナンド、貴方からヘルマンに上手に言ってパーティー会場は確保なさい。わたくしは別邸で過ごしているから、決まったらすぐ知らせに来るのよ」
何も良くない。フェルナンドは嫌すぎて返事ができなかった。
「フェルナンド、返事!」
「はい!」
してしまった。
物心ついた頃からこの屋敷に出入りさせられていたせいで、クリスティーナは第二の母の様な存在だ。
クリスティーナはなんといっても結婚するまでは王族で、人に頭も下げたことがない。そんなとんでもない、傍若無人な母の様な人。拒否権などなかった。
クリスティーナが満足そうに去っていくのを見て、フェルナンドは心から深いため息をついた。
あと何年待てばユリアが首席補佐官になってくれるだろうか。
そんな現実逃避をするくらいしか術はなかった。
ユリアが連れてこられたのはヘルマンの部屋だった。
ヘルマンはどうやら本当に今日は仕事をしないつもりらしい。
部屋に入るなりユリアを抱きしめた。
「ユリア」
いつもの優しい声だった。ユリアはほっとした。
「声を荒げてすまなかった」
「いえ……ちょっとびっくりしただけです」
「あの人にまんまと乗せられた……情けない」
ユリアを脅かすようなことは絶対にしたくなかったというのに。
「すごいパワーのある方ですね」
王族のオーラというのだろうか。ひしひしと感じる。
ヘルマンは疲れたようなため息をつく。
ソファに座って、その膝にユリアを乗せた。
腰に手を回して抱きしめ、顔をユリアの胸に埋めた。
「無理を言われなかったか?」
「まったく。素晴らしいお方です。施設を作ってくださったのもクリスティーナ様だってお聞きしました。熱心に子供達と接されていて」
「そうか……」
常になく疲れた様子のヘルマンにユリアは自分からもヘルマンの肩に手を回した。
「ご主人様。大丈夫ですか……?」
そっと囁くように耳元で聞いたら、ヘルマンはゆっくりと顔を上げた。
「君がキスしてくれたら、元気が出るかもしれない」
そんなことを言えるなら大丈夫かと、ユリアは笑って軽く唇を重ねた。
「出ましたか」
「今のはなんだ……」
ヘルマンは不服そうに眉を寄せて、ユリアの首に手を伸ばした。首の後ろから引き寄せる形でユリアの頭を固定し、深く口づけを交わす。舌を出し、長い時間絡め合っていた。
離れた頃には、ユリアはもう息が上がっている。
少し赤くなった顔にヘルマンは満足そうに笑った。
「元気が出た。ありがとう」
そう言われるとユリアも嬉しくなる。
「ところで……母を名で呼ぶようになったんだな」
「あ。やっぱり不敬ですよね」
「いや、呼べと言われたんだろう。――君は私の事は名で呼ばないが」
ユリアはヘルマンの肩に回した手を更にからめ、全体を預けるようにしてヘルマンに頭も預ける。
「ご主人様は、やっぱり……僕にとっては唯一のご主人様ですから」
ユリアは視線だけヘルマンに移す。
「だめですか……?」
ヘルマンは唸るように言った。
「そんな目をするな……必死で耐えているというのに」
「ふふ、僕もです」
他の人が仕事をしているというのに、部屋で仕事もせずに。とんでもなくいけないことをしているような気がする。
「母が、無神経に色々と言っていたが、大丈夫だったか」
「ベネディクト侯の件ですか?もう一年近く経ちますから、さすがに名前を聞いただけでは」
「しかし……」
手は冷たかった。ヘルマンは無言でユリアの手を取った。今はもう温かくなっている。
ふと思い出して、ヘルマンはユリアを抱き上げたまま立ち上がった。
ベッド脇へ行って、棚の中から手の保湿剤を取り出す。
「今日はまだ塗っていなかった」
そう言ってベッドに腰かけ、ユリアの手にそれを塗った。
ほとんど毎日しているのに、クリスティーナが来たせいで忘れそうになっていた。辺りにいい香りが広がる。
「でも、気になりました。強引な手を使ったって……やっぱり、僕のせいでご無理をなさったのでは」
「ユリア」
マッサージする手を止めてヘルマンはユリアを見つめた。真剣な目だった。
「君のせいなんてことはない。もちろん君が傷つけられたことで私自身はどうにも許せなかったが、誰であっても同じ処理をしただろう」
「それでも、クリスティーナ様がおっしゃっていたことは間違っていないと思います」
社交活動はやはり外せない。ユリアが公爵領に来てからも、小さなパーティーが数回開催されただけだ。きっとそれでは足りないのだろう。
「母の目的がそれだけなら、私もここまで反対しない」
「――と、言うと?」
「大量に適齢期の女性を呼ぶつもりだろう」
「ああ……」
そういえばクリスティーナはヘルマンに年齢のことなどを言っていた。
「ユリア」
ヘルマンはユリアの頬に口づけた。
どんな顔をしていたのか自覚はなかったが、ヘルマンは宥めるように何度か唇を寄せた。
「後継の事なら心配いらない。親戚は腐るほどいる。――私には君しかいない」
ユリアは胸が熱くなった。
そのままぎゅっと抱き着いて目を閉じた。
ヘルマンの匂い。ヘルマンの体温。安心する。
「じゃあ、パーティーは開いてください。――ご主人様の事信じているから、大丈夫です」
「ユリア……」
ヘルマンはユリアの頬を包み込み、その顔を覗き込む。
ユリアは知らないのだろう。こうして独占し閉じこめておきたいと思っていることを。
パーティーを開いて万一誰かの目にユリアが入ったら。想像するだけで腸が煮えるようだ。
「君は絶対にパーティーに出てはいけない。危険すぎる」
「出ませんよ」
ユリアは笑った。パーティーといえば貴族のものだ。ユリアには関係がない。
「だといいが……」
ヘルマンはまた溜息をついてユリアを抱きしめた。
「ああ……つらい」
「ご主人様?」
「ずっとこうしていたい。君とモンクレアに戻りたい」
就業時間になればユリアは帰ってゆく。昨日も会えなかった。それが日常である。
「次はいつ君を抱けるのか……」
悩ましいヘルマンの声にユリアはドキリとする。
身を起こし、まじまじとヘルマンを見つめた。
「ユリア。そんなに見ないでくれ。こんなところで……」
ヘルマンが視線を逸らした。そこに欲情のかけらを見た気がして、ユリアはヘルマンの膝の上で態勢を換えた。
横抱きの様な態勢から、ヘルマンの上に膝を開いて抱き着くように乗り上げる。
「ご主人様。今だと思います」
きっぱりと言うユリアにヘルマンは面食らったような顔になる。
「は――」
「僕もこのままだと、離れたくなくて仕事になりません」
ユリアは声を潜めた。
「ちゃんとやってしまえば満足すると思います。さっとやれば大丈夫です」
「ユリア。君は、だから……」
最近ヘルマンがよく思うことだ。
ユリアはどうも、時々急に思い切りがよすぎる。前にも言ったが情緒がない。
「だって、ご主人様がさっき……抱き上げてここに連れてくるから」
ヘルマンは表情が固まった。
ユリアは頬を赤くして、視線を落とす。そうすると繊細な金の睫毛が緑の瞳を覆い隠し、舐め取りたくなるような衝動に駆られる。
「僕、てっきり……」
その先は言えなかった。ヘルマンが荒々しく唇を塞いだ。ユリアも必死でそれにこたえる。
「ん、っふ、あ、はぁ……」
ヘルマンが両手で顎と頬を掴んでいるから口も閉じれず、声が漏れた。それでも夢中で、先ほどよりもずっと深く口づけを交わす。
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公爵令息レオンは、王子アルベルトとその寵愛する聖女リリアによって、身に覚えのない罪で断罪され、全てを奪われた。
婚約、地位、家族からの愛――そして、痩せ衰えた最果ての辺境地へと追放される。
しかし、それは新たな人生の始まりだった。
前世の知識というチート能力を秘めたレオンは、絶望の地を希望の楽園へと変えていく。
そんな彼の前に現れたのは、ミステリアスな傭兵カイ。
共に困難を乗り越えるうち、二人の間には強い絆が芽生え始める。
だがレオンには、誰にも言えない秘密があった。
彼は、この世界で蔑まれる存在――「オメガ」なのだ。
一方、レオンを追放した王国は、彼の不在によって崩壊の一途を辿っていた。
これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。
痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!
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