あたたかな鳥籠を君に、優しい口づけをあなたに

サイ

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第2章

15.視察

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 カフェは貴族向けの高級店だった。
 もちろんユリアは入ったことがない。
「あの……僕、こういうお店は入ったことがなくて」
「ああ、貴方、貴族じゃないのね」
「はい」
「大丈夫よ。わたくしと一緒なら止められることはないわ」
 そう言って入店すると、その言葉通り、個室に案内される。
 久しぶりに帰還した公爵家の大奥様だが、皆そこはちゃんと覚えているようだ。接客も最上級に丁寧である。
「懐かしいわ。――何か苦手なものはない?紅茶とケーキでいいかしら」
「はい」
 まだ昼にも早い時間だった。クリスティーナは慣れた様子で店員に注文し、すぐに温かい紅茶とケーキが運ばれてくる。
「さあ、食べましょう」
「いただきます」
 クリスティーナが口をつけるのを待ってユリアも食べた。
 カフェでは最近の公爵領の情勢について聞かれた。
「口を挟むようなことはしないつもりなんだけど。一応ね。聞いておきたくて」
 そう言いながら穀倉地帯、物価の管理、貿易品、関税のこと、災害、教育……カフェの片手間にする会話ではないような話を散々質問された。
 幸い、本当に大まかな事だけ、ということなのでユリアにもこたえられる質問ばかりだった。
「――滞りなくいっているようで安心したわ」
 そう言うとクリスティーナは優雅にティーカップを置いた。さすがは元王族の所作である。一つ一つ美しくて、隙がない。
「となると……残る問題はあれだけね」
 クリスティーナの中では何か問題点が見つかったらしい。
 ユリアは黙ってお茶を飲んだ。

 その後は商店をいくつか回り、クリスティーナの日傘や帽子を購入し、ヘルマンのものを注文した。
 学校を見たいというのでちょうどお昼時に訪問することになる。
 生徒たちは給食の時間で、事前に話を通していたのか、クリスティーナとユリアの分まで用意されていた。
「甥っ子さんは、どちら?」
「六歳ですので、初等教育の教室です」
「そちらでいただきましょう」
 と言うことで、急遽保護者参観のようになってしまった。
 教室に入ると、小さな机と椅子に子供が三十人近く座っている。六歳から八歳までの子供達だ。
 学校は施設より規模が大きいと聞いていたが、思っていたより多くて驚く。
 併設される施設にはかつてのルイスのように屋敷で親が働いている子どもが預けられているが、この学校は街の子供達も通ってくる。
 一人、机で読書している、栗色のふわふわ頭を見つけた。
「ルイス」
 声をかけると、ルイスは弾かれたように振り返り、ユリアを見て目をまん丸にした。
「リア!?どしたの?」
「大奥様の視察に同行してるんだ」
 ルイスはユリアにぎゅっと抱きついた。ユリアもふわふわの頭をなでる。
 そろそろ散髪をしないと、膨らんだ頭髪のサイズがすごいことになってきた。
 クリスティーナはもう少し奥で教師と何やら話している。
 視線の先をルイスが辿る。
「あれが、公爵さまの、お母さん?」
「そうだよ。クリスティーナ様」
「ふうん」
 あたりは給食の用意が始まる。
「ユリアさん」
 呼ばれて振り返ると、初等教育担当の先生だった。
「先生。いつもお世話になっています」
「こちらこそ、お世話になっております」
 ルイスの担任教師だ。かなりのベテランで、かなり昔から学校に勤めている。
「実は、そのうちお話ししたいと思っていたんです」
「は、はい」
 面談は一年の最後にあるので、ルイスの誕生日前、もう少しすればある予定だ。それを待てないほどの話ということだろうか。
 先生にこう言われるとちょっと緊張する。ルイスがベンとイタズラをした時もこういう切り出し方をされたので。
「今はご公務の途中ですもんね」
「長くなりますか……?」
 クリスティーナは生徒らと話して一緒に給食の用意をしているので、あちらに行かないといけないと言うことはなさそうだが。
 聞いておかなければ気になって仕事が手につかなくなりそうだ。
「お話というか、ご相談というか。――実は、ルイス君がとても優秀でして」
「は……はあ」
 身構えていただけに、少し拍子抜けする。
「初等教室は、六歳から八歳までで基本的な読み書き計算を習います」
 それは、知っている。九歳になれば、中等教育となり、もう少し難しい勉強になる。そこで四年間学ぶ。十三からは家業を手伝うので通わない子も多い。
 貴族の子女は家庭教師に学ぶため、これらはすべて平民のための施設ということになる。
 教育は各領地によって差が大きい。この公爵領はかなり整備されている方だ。お金がなくても学校には行ける。学校に行けば食事ももらえる。
 建物、人材などの資源はすべて公費であり、公爵領ほど豊かでないと実現しない制度とも言える。何も他の領主が教育に力を入れていないわけではない。
 しかし結果的には人材が育ち公爵領に定着するのだから、ヘルマンも必要性を感じて投資を続けているのだろう。幼い子供が働き手になっていない領地は王国内でも珍しい。だからこそ成立する学校の制度だ。
「ルイス君、初等教育の分がほとんど終わってしまって」
「―――はい?」
「初等教育での学習を終えたんです」
「そうです、か」
 としか言えなかった。
 何が問題なんだろうか。
「冬に七歳になった後はどうしようかと。――はじめは冬生まれクラスで授業していたんですけど、来た時にはすでに理解していて。秋クラス、夏クラスと混じるクラスを変えてみたんですが……」
 初耳だった。
「これまでも数ヶ月早く中等クラスへ行く子はいたのですが、七歳で上がる子はいませんでした。――ユリアさんは補佐官のお仕事をされているので……ここでは、ルイス君にとって、もったいないかと」
 それはつまり、お金を出してアカデミーに入れたり、家庭教師を雇っては、という話だろうか。
「その話をしたいな、ということで、また、ご都合のいい時にお越しください」
「わかりました」
 先生は忙しそうに去っていった。
「ルイス、すごいね。勉強頑張ったんだね」
「うん。勉強は好き」
「そっか……」
 思えば、自分が補佐官になることばかりでルイスの教育のことは全然考えられていなかった。普通に学校に通っていると思っていたから。
 もっとちゃんと聞いてあげるべきだったのに。
「もっと勉強したい?」
「ルイ、ここがいいよ。ベンと一緒に勉強する」
 話を聞いていたたのか、ユリアから離れ、本を片付けながらルイスが言う。
「そっか。ベン君いるもんね」
 七歳で中等教室……変に目立ってしまわないか心配だけど。
「そちらが甥っ子さん?」
 いつの間にか話を終えてクリスティーナが来ていた。声をかけられ、ユリアはルイスを紹介する。
「はい、ルイスです」
「――あら、金眼きんがん
 クリスティーナはにっこりと 優雅に微笑んだ。
「あなた、貴族なのね」
「いえ僕たちは――」
「金眼は貴族の血が濃くないと出ないわよ。金眼は麒麟児――ってね、迷信だけど」
 クリスティーナはルイスに目線を合わせた。
「たくさん勉強するといいわ」
「うん」
 ルイスはいつもの調子で返事した。
 そうこうしていると給食の用意が整ったようだった。
 ユリアはルイスの横で一緒に給食を食べた。
 クリスティーナは子供達に囲まれて食べていた。見学慣れしているので、かつてはよく来ていたのだろう。学校の事はユリアよりよっぽど詳しかった。
 給食が終わったらまたルイスに別れを告げて、隣の施設も一通りのぞいてから、クリスティーナと馬車に乗った。
 クリスティーナは上機嫌だった。
「相変わらず活気があるわね」
「そうですね。いつも施設は子供がたくさんいますし」
 つまりそれだけ、子供を預けて公爵邸で働いている人が多いということだ。
「この施設はね、どうしてもやりたくて、はじめは見切り発車みたいに始めてしまったの。――それをこうしてヘルマンが続けていてくれて、嬉しいわ」
「そうだったんですか。僕も、ルイスを預けられていなかったら働けていませんでした。クリスティーナ様のおかげだったんですね」
 クリスティーナは少し悲しそうに微笑んだ。
「きっかけはね、夫に死なれてヘルマンと二人になったこと。もちろんわたくしには家臣たちも、実家の支援もあった。けれど、夫が死んだ悲しみに浸ることも許されなくて、もう限界だと思ったわ」
 クリスティーナが公爵でいたのは、ヘルマンが十の時から十年間。突然公爵としての仕事をこなさなくてはならない日々は、壮絶だったのだろう。
「悲しいことには、しっかりと悲しむ時間が必要なの。忙しさでそれを置き去りにすると、どこかで無理が出る。――生きるだけで精一杯な生活は苦しいもの」
 ユリアは頷いた。
「僕は……怖いです。悲しんでしまうと、立ち上がれなくなりそうで」
「貴方、そんなに若いのに苦労したのね。――そう思うってことは、まだ悲しむ余裕はないんだわ」
 自分も、そう思える日が来るんだろうか。
 今はとにかく、ルイスをしっかり育てたい。それだけだ。
「急ぐ必要はないわ。タイミングっていうものがあるのよ」
 もしかして、クリスティーナの旅行は、傷心をいやすためのものだったのだろうか。
 モンクレアでの旅をユリアは思い出した。
 いつもと違う場所で、空気で。あの時間は経験したことのない不思議な感覚だった。既に恋しいとさえ思えるような時間だ。
 わかるような気がした。
 とはいえ、今のクリスティーナは施設と学校を見て嬉しそうだった。
 思っていた以上にいい視察となったようだ。ヘルマンの治政を見て安心してもらえたら良かったな、と思う。


 一方、執務室。
 フェルナンドはやれやれ、と今日何度目かのため息をついた。
 カタ、カタ、とヘルマンが机を叩いている。
 相当苛立っているようだ。仕事も手についていない。
 そこまで心配しなくても、ユリアは新人とはいえ、十分な助手期間を経た一人前の補佐官だ。
 長らく領地を開けていたクリスティーナの質問くらいは難なく答えられるだろう。クリスティーナも別に無理難題を言う人ではない。
 要するに、とにかく、合わないのだ。
 性格が似過ぎているんだと思う。
 ヘルマンが公爵位を継いだ時から、よりひどくなった。意見の相違はしょっちゅうで、板挟みに何度苦しめられたことか。
 クリスティーナが旅に出ると言ったのも、いっそいない方がうまくいくと判断したのだろう。フェルナンドは即座に賛成したものだ。
 そろそろじゃないかな、と思った時、予想通りクリスティーナは帰還した。
 ざわざわと執務室の向こうから騒がしい足音が聞こえ、ノックもそこそこにドアが開かれる。
「戻ったわ!」
 隣のユリアも頭を下げた。
 特に疲れてはいなさそうだ。
「おかえりなさいませ」
 フェルナンドが出迎える。
「ただいま戻りました」
 ヘルマンはユリアに駆け寄った。
「大丈夫だったか」
「はい。とても勉強になりました」
 ヘルマンがほっとした表情になる。
「そんなに心配しなくっても。ちょっと案内してもらっただけよ。過保護なんじゃなくて?」
「母上――」
「そんなことより!」
 パン、とクリスティーナは手を打った。いい音がする。
「領地の事は大体聞いたわ。特に問題はなさそうね」
「ええ、ですからご心配なく――」
「そうね、わたくしの残すところの心配事は、あと一つだけよ」
「………………」
 ヘルマンは何を言われるか察しているようだ。うんざりした顔をしている。
「パーティを開くわよ。そうね……マスカレードよ!」
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