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第2章
14.母
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次の日、ユリアら一行は帰路についた。
数日とはいえ、城はなかなかに快適で、帰る時にはそれなりの寂しさもある。
「また来たくなる場所ですね」
馬車でそう呟くユリアに、ヘルマンは目を細めた。
「モンクレアはユリアに合ったらしいな」
遠ざかっていく城郭の影を名残惜しそうに見つめているユリアの肩を抱き寄せた。
「また来よう。ユリアは休暇をなかなか取らないから。もっと取って、旅行を兼ね見聞を広げるといい。――ルイスも共にな」
「ありがとうございます」
「申請を出す前に相談しなさい。私も行くから」
「え、ご主人様もですか」
「当然だろう」
そうなのか。当然なのか。
ユリアは嬉しそうにヘルマンの肩に頭を乗せた。
「ありがとうございます」
夕方には公爵邸に到着した。
馬車が止まり、降りると、ルイスとフェルナンドと執事長が屋敷前で出迎えてくれた。
出迎えがそれだけであるのにユリアはあれ、と思う。
「何があった」
ヘルマンが怪訝な顔で尋ねるのへ、フェルナンドは声を落として頭を下げた。
「大奥様が。お帰りです」
ヘルマンの後で降りたので、その表情は見えなかったが、少し身構えたような気がした。
「昨日ご到着で、少し対応に追われているようですね」
屋敷の方は忙しそうだからフェルナンドと執事長だけで来た、ということらしい。
ルイスと再会の抱擁をしているユリアをヘルマンは振り返った。
「ユリア、明日までゆっくり休みなさい」
「あ、はい。――ありがとうございます」
ヘルマンは頷いてから屋敷に向かって去っていった。急ぎ足に見える。
「じゃあ、ユリア君、報告書諸々はまた明後日ね」
「あっ、ありがとうございます。ルイスがお世話になりました」
「いやいや、今回もすごくいい子だったよ。フェデリがすごくよく懐いてた」
そう言ってフェルナンドも忙しそうに去っていったから、よほど慌ただしいのだろう。
大奥様。ヘルマンのお母様で、現国王の妹。
どんな人なんだろう。
一度も会ったことがないが、噂ではヘルマンの父君が亡くなった後一人で公爵領を切り盛りした女傑、という人だ。
「リア、お帰り」
ルイスがぎゅっと抱きついてくる。ユリアはそれに応えるように抱きしめて、ふわふわの髪の毛に頬擦りした。
「ただいま。お土産あるよ」
流石にもう抱っこすることはあまりないが、くっつくようにして寮の方へ歩き出した。
やっぱりルイスの体温は安心する。
「変わったことはなかった?」
「フェデリが、お座りできた」
「そっか」
「でも、支えとかないと、頭打って、すごい泣くの。フェデリの鳴き声は、おやしきの端から端まで届くから、伯爵も駆けつける」
ポールマン伯爵家は、どうやら今フェデリを中心に回っているらしい。
「リア、次はいつ行くの?」
「視察?予定はないけど」
「次は、僕、寮でベンとお留守番できるよ」
「え、ほんと?」
「うん」
伯爵家は居心地が悪かったのだろうか。
「なんで?」
「ベンと遊びたいから」
一応聞いてみると単純にフェデリと遊ぶよりベンと身体を動かして遊びたい、と思ったようだ。
どうもルイスは年下の子どもとはあまり遊ぶのが好きではないようだ。いつも年上の子どもか、大人といる。
留守中の事を今度それとなくフェルナンドに聞いてみよう、と思うユリアだった。
次の日はルイスも学校を休み、二人で買い物に行ったり寮でごろごろして過ごした。家の中では相変わらず膝に乗ってきたりくっついて寝たりと甘えん坊なルイスだった。
翌々日。
久しぶりに出勤し、フェルナンドに書類を出しに執務室へ向かった。
ノックして入室すると、ヘルマンもいた。
「おはようございます。報告書を持ってきました」
「おはよう」
「おはよう、ユリア君。どうだった?モンクレアは」
いつもの光景に、帰ってきたのだとホッとする。
「素晴らしかったです。お城も、昔の建物も全部」
「へえ。ユリア君は歴史に興味があのかな?」
「あ、そうかもしれません」
歴史の本も、続けて読みたいからまた借りようと思っている。
「じゃあ、モンクレアの仕事はユリア君に回そうかな」
「それは……どうかな。ユリアはまだ十八だ」
ヘルマンが難色を示した。
「十八だからいいんじゃないですか。――時にユリア君。モンクレアの、いわゆる深奥には、行ったのかな?」
「フェルナンド」
他を這うような低い声だった。
「なんですかヘルマン様。ちゃんと隅々まで案内してあげなかったんですか?」
「あ、ちゃんと一通り、丁寧にご案内して頂きましたよ」
隅々、というからには城の事だろうとユリアは思った。
「ほんと?え、ヘルマン様と一緒に?愉しめた?」
「そうですね。一人だと帰って来れない気がしました」
城のつくりは本当に複雑だった。
「そうなんだー」
フェルナンドは何やら生温かい目をして満足そうに頷く。
ヘルマンが頭を抱えた時。力強くノックの音が響く。
「はい」
ユリアが答えてドアを開けた。
ドアの前にいたのは、恐ろしく美人な女性だった。
ショックなことにユリアより背が高い。ヒールの分を差し引いても、少し高いだろう。
ウェーブのかかった艶やかな金の髪を結いあげ、文句のつけようのない装飾品とドレス。すらりと姿勢まで美しく、威圧感がある。青い瞳も顔立ちもヘルマンとそっくりだ。
これは、どう見ても大奥様だ。
「あら。ご機嫌よう、ぼく」
「ご、ごきげんよう……マダム」
――ぼく?
「あなたも新しい子?今日まで見なかったわね」
「あ、お初に……お目にかかります」
「まあ、上手にお辞儀ができるのね。ドアを開けてくださったから、使用人かと思ったの、ごめんなさい。どちらからいらしたの?」
「母上」
ヘルマンが立ち上がり、ユリアの横に立った。
「彼は補佐官です。子供ではありません」
「まあ……まあ、本当!?どこかのご子息かと思ったわ」
視線を向けられたフェルナンドがはい、と頷く。
「大奥様。こちらは、最近補佐官となりました。ユリアです」
「ユリアと申します。よろしくお願いします」
大奥様は、眉を寄せてユリアを見た。そんな顔をすると迫力がすごい。
「ちょっと……可愛すぎるんじゃなくて?」
「母上、失礼なことを言わないでください」
「まあ、あなた。今わたくしに失礼と言ったの?だってこんなに可愛いらしくて補佐官だなんて。――危険だわ。この子をどこに派遣すると言うの?」
「ちゃんと考えていますから。母上、何のご用ですか」
「あなたね。陛下に聞いたわよ。今回の社交シーズン、パーティーに一つも出なかったんですって?」
「出ましたよ一つくらいは」
ヘルマンは心底面倒臭そうに言い放った。
「あなた、自分を幾つだと思っているの?」
「三十一ですが、それが何か」
フェルナンドはお茶を用意し始めた。ユリアは礼をして出ていくことにする。
「帰ってくる頃には孫の一人や二人いるかと思っていたのに」
「いい加減にしてください。十年近く音沙汰もなくご自由にされていたじゃないですか」
「ええ。久しぶりに帰ってきたのよ、もう少し可愛いことが言えないの?昨日から小言ばかりじゃない」
大奥様はがしっとユリアの腕を掴んだ。
「えっ………」
女性とはいえ、突然の接触に少し驚く。
さすがに以前のように震えることはない。少し寒気がする程度だ。
「母上!」
「領地の視察に行ってくるわ。補佐官を一人借りるわよ」
「いい加減にしてください」
「珍しいわね、貴方がそんなに怒るなんて」
「ユリアを離してください」
「何故?七年ぶりの領地なのよ。案内人が必要でしょう?それとも、この補佐官はヴェッターホーンを説明できないの?」
「――ユリアには別の仕事があるのです。母上のお守りをする時間はありません」
強引に腕を引かれ連れて行かれそうになるところだったが、ヘルマンが大奥様の手を掴んだ。
「ヘルマン、何の真似なの?」
二人が一気に険悪な雰囲気になった。
「お二人とも、ユリア君がびっくりするのでそれくらいにしませんか?ほら、青い顔で見上げてますよ」
慣れた様子のフェルナンドの言葉に、ヘルマンは手を離してユリアを見た。
「すまない、ユリア。驚いただろう」
「いえ、大丈夫です」
「まあ、貴方。随分丸くなったのね。――そうね、突然触れたりして、無作法だったわ。お詫びにお茶をご馳走するわ。ついていらっしゃい」
そう言って大奥様は部屋の外に歩き出してしまう。
「あー、じゃあ、ユリア君、大奥様をご案内してくれるかな」
「はい」
「いや、――」
「大丈夫ですよ、ヘルマン様。ユリア君はもう一人前の補佐官なんですから」
フェルナンドが太鼓判をくれたので、ユリアは大きく頷いた。ヘルマンも渋々送り出す。
部屋の外には侍従やメイドが控えていた。
ヘルマンは基本一人で行動するが、普通、貴婦人はこうして何人も連れ立って歩く。
ユリアもその一群の後ろについた。
「ユリア、何をしているの?案内人は隣で説明をするものでしょう」
きっぱりと言われて慌てて隣へ行く。
かつかつ、とヒールの音が廊下に響いた。大理石って欠けないのかな……とどうでもいいことを考えてしまう。
「貴方、いつから働いているの?」
「三年半ほどになります」
「まあ、そんな小さな時から」
「はい。よくしていただいております」
大奥様が手を伸ばす。すかさず、控えている一人が手袋を差し出した。
白いレースの手袋をきゅっ、と装着し、ますます隙のない装いになると、大奥様は側の侍従に手を預ける。
流れるようにエスコートされながら馬車に乗り込み、ユリアと二人乗り込むことになった。
「まずは街へ。その後学校を覗いて帰るわ」
「承知しました。街は何をご覧になりますか?」
視察というから役所関連だろうか。そう思い尋ねたが、大奥様はきっぱりと言い放った。
「カフェよ」
「は……い」
きょとん、とするユリアに大奥様はからからと笑った。そうするとヘルマンの様な大きな息子がいるとは思えないほど若い。
「そんな顔をしないで。お茶をごちそうするって言ったでしょう」
「あ、そんな。滅相もないです」
「いいのよ。わたくしもたまには街でお茶を飲みたかったから。付き合ってちょうだい。――ヘルマンとモンクレアに行ってきたのよね。あの子、まだ入り浸っているのね」
笑ったと思ったら深刻そうにため息をつく。
「あの、三年ぶりの訪問だったとお聞きしています。城内も、街並みや史跡も、詳しくご説明をいただきました。僕に付き添ってご指導のための訪問でしたので」
「へえ……ヘルマンが、わざわざ」
「はい。とてもお優しい方です」
ユリアが笑いかけると、大奥様は今度は驚いたように目を見開いた。
「ねえ、ユリア。親の私が言うのもなんだけど、あの子は良くできた息子だったけれど……人への接し方については癖のある子よ。優しい、なんて表現は合わないんじゃないかしら」
「いいえ。公爵様は、初めてお会いした時から今日まで、ずっとお優しいです」
大奥様はへえ、と笑った。
「どう優しいのか、教えてもらえるかしら」
「僕が見習いの、雑用の時から気にかけてくださり、働きやすいよう気を配っていただけます。あ、僕には六歳の甥がいるんですが、家族の事にもご配慮いただきます。ただ働くだけではなくて、どんな仕事をしたいかの目標を示してくださる方です。こんな僕ですが、いつもお褒めくださって、自信をつけてくださいます。細やかにお心配りいただきまして、本当に困る前に手を差し伸べてくださいます。それから――」
「待って」
大奥様は突然扇子を取り出して仰いだ。こほん、と咳払いをする。
「すごいわね、貴方のヘルマンへの忠誠心は」
「はい」
「まあ。そんなに無防備に笑顔を向けられたら……私は何も言えないわ」
また溜息。
何か気がかりでもあるのだろうか。
「大奥様は、ご主人様のお母様でいらっしゃるので、もちろん、僕よりもよくご存じとは思いますが……」
「クリスティーナよ。名前で呼んでちょうだい」
「えっ、いえ。そんな、とんでもないです!」
「いいのよ。公爵領では体裁を整えているけど、旅先ではもっと素朴に過ごしているの。――あなたのように忠義に厚い子に来てもらえて、よかったわ」
「僕、ヒリス様のご紹介で来たんです。ヒリス様はクリスティーナ様の下でお働きだったとお聞きしました」
「そうね。ヒリス。懐かしいわ。あの子、研究してもいいって言った途端、さっさと研究室にこもってしまって」
「そのおかげで、こうして僕がここに来ることができました。ありがとうございます」
「あら。それなら、あの時の選択も良かったのかもしれないわね」
にこりと笑った顔がふとヘルマンに似ていた。
ユリアは一気に親近感を持った。
クリスティーナは馬車の窓から外を見て、また溜息をついた。
「もうね。放っておこうって思う時もあるんだけれど。やっぱり息子だから気になっちゃって。ちゃんとできているのか、つい聞いてしまうのよね」
母親の顔だった。
若くして公爵領を継ぐことになったヘルマンに、厳しい顔をしてきたのだろう。母としてもっとこうしてやりたいと思いながら。
その顔が、遠い記憶の自分の母親と重なった。
もっと遊びたいと言うユリアに、困ったような顔をしていた。
「あの……僕、至らないところも多くて。補佐官なんて無理かもしれないって諦めかけていたんです。そんな僕に、公爵様は、きっぱりと、なれる、って言ってくださいました。こんな僕に言われてもあれですけど……たった一言で、僕は救われたんです。そうやってたくさん救っていただきました。公爵様は、素晴らしいお方です」
「あー、そう、ね。ありがとう。もういいわ。この年で息子を褒められて照れるなんて、恥ずかしいから。ヘルマンの話は終わりにしましょう」
クリスティーナが顔を隠したところで、馬車は目的地に到着した。
数日とはいえ、城はなかなかに快適で、帰る時にはそれなりの寂しさもある。
「また来たくなる場所ですね」
馬車でそう呟くユリアに、ヘルマンは目を細めた。
「モンクレアはユリアに合ったらしいな」
遠ざかっていく城郭の影を名残惜しそうに見つめているユリアの肩を抱き寄せた。
「また来よう。ユリアは休暇をなかなか取らないから。もっと取って、旅行を兼ね見聞を広げるといい。――ルイスも共にな」
「ありがとうございます」
「申請を出す前に相談しなさい。私も行くから」
「え、ご主人様もですか」
「当然だろう」
そうなのか。当然なのか。
ユリアは嬉しそうにヘルマンの肩に頭を乗せた。
「ありがとうございます」
夕方には公爵邸に到着した。
馬車が止まり、降りると、ルイスとフェルナンドと執事長が屋敷前で出迎えてくれた。
出迎えがそれだけであるのにユリアはあれ、と思う。
「何があった」
ヘルマンが怪訝な顔で尋ねるのへ、フェルナンドは声を落として頭を下げた。
「大奥様が。お帰りです」
ヘルマンの後で降りたので、その表情は見えなかったが、少し身構えたような気がした。
「昨日ご到着で、少し対応に追われているようですね」
屋敷の方は忙しそうだからフェルナンドと執事長だけで来た、ということらしい。
ルイスと再会の抱擁をしているユリアをヘルマンは振り返った。
「ユリア、明日までゆっくり休みなさい」
「あ、はい。――ありがとうございます」
ヘルマンは頷いてから屋敷に向かって去っていった。急ぎ足に見える。
「じゃあ、ユリア君、報告書諸々はまた明後日ね」
「あっ、ありがとうございます。ルイスがお世話になりました」
「いやいや、今回もすごくいい子だったよ。フェデリがすごくよく懐いてた」
そう言ってフェルナンドも忙しそうに去っていったから、よほど慌ただしいのだろう。
大奥様。ヘルマンのお母様で、現国王の妹。
どんな人なんだろう。
一度も会ったことがないが、噂ではヘルマンの父君が亡くなった後一人で公爵領を切り盛りした女傑、という人だ。
「リア、お帰り」
ルイスがぎゅっと抱きついてくる。ユリアはそれに応えるように抱きしめて、ふわふわの髪の毛に頬擦りした。
「ただいま。お土産あるよ」
流石にもう抱っこすることはあまりないが、くっつくようにして寮の方へ歩き出した。
やっぱりルイスの体温は安心する。
「変わったことはなかった?」
「フェデリが、お座りできた」
「そっか」
「でも、支えとかないと、頭打って、すごい泣くの。フェデリの鳴き声は、おやしきの端から端まで届くから、伯爵も駆けつける」
ポールマン伯爵家は、どうやら今フェデリを中心に回っているらしい。
「リア、次はいつ行くの?」
「視察?予定はないけど」
「次は、僕、寮でベンとお留守番できるよ」
「え、ほんと?」
「うん」
伯爵家は居心地が悪かったのだろうか。
「なんで?」
「ベンと遊びたいから」
一応聞いてみると単純にフェデリと遊ぶよりベンと身体を動かして遊びたい、と思ったようだ。
どうもルイスは年下の子どもとはあまり遊ぶのが好きではないようだ。いつも年上の子どもか、大人といる。
留守中の事を今度それとなくフェルナンドに聞いてみよう、と思うユリアだった。
次の日はルイスも学校を休み、二人で買い物に行ったり寮でごろごろして過ごした。家の中では相変わらず膝に乗ってきたりくっついて寝たりと甘えん坊なルイスだった。
翌々日。
久しぶりに出勤し、フェルナンドに書類を出しに執務室へ向かった。
ノックして入室すると、ヘルマンもいた。
「おはようございます。報告書を持ってきました」
「おはよう」
「おはよう、ユリア君。どうだった?モンクレアは」
いつもの光景に、帰ってきたのだとホッとする。
「素晴らしかったです。お城も、昔の建物も全部」
「へえ。ユリア君は歴史に興味があのかな?」
「あ、そうかもしれません」
歴史の本も、続けて読みたいからまた借りようと思っている。
「じゃあ、モンクレアの仕事はユリア君に回そうかな」
「それは……どうかな。ユリアはまだ十八だ」
ヘルマンが難色を示した。
「十八だからいいんじゃないですか。――時にユリア君。モンクレアの、いわゆる深奥には、行ったのかな?」
「フェルナンド」
他を這うような低い声だった。
「なんですかヘルマン様。ちゃんと隅々まで案内してあげなかったんですか?」
「あ、ちゃんと一通り、丁寧にご案内して頂きましたよ」
隅々、というからには城の事だろうとユリアは思った。
「ほんと?え、ヘルマン様と一緒に?愉しめた?」
「そうですね。一人だと帰って来れない気がしました」
城のつくりは本当に複雑だった。
「そうなんだー」
フェルナンドは何やら生温かい目をして満足そうに頷く。
ヘルマンが頭を抱えた時。力強くノックの音が響く。
「はい」
ユリアが答えてドアを開けた。
ドアの前にいたのは、恐ろしく美人な女性だった。
ショックなことにユリアより背が高い。ヒールの分を差し引いても、少し高いだろう。
ウェーブのかかった艶やかな金の髪を結いあげ、文句のつけようのない装飾品とドレス。すらりと姿勢まで美しく、威圧感がある。青い瞳も顔立ちもヘルマンとそっくりだ。
これは、どう見ても大奥様だ。
「あら。ご機嫌よう、ぼく」
「ご、ごきげんよう……マダム」
――ぼく?
「あなたも新しい子?今日まで見なかったわね」
「あ、お初に……お目にかかります」
「まあ、上手にお辞儀ができるのね。ドアを開けてくださったから、使用人かと思ったの、ごめんなさい。どちらからいらしたの?」
「母上」
ヘルマンが立ち上がり、ユリアの横に立った。
「彼は補佐官です。子供ではありません」
「まあ……まあ、本当!?どこかのご子息かと思ったわ」
視線を向けられたフェルナンドがはい、と頷く。
「大奥様。こちらは、最近補佐官となりました。ユリアです」
「ユリアと申します。よろしくお願いします」
大奥様は、眉を寄せてユリアを見た。そんな顔をすると迫力がすごい。
「ちょっと……可愛すぎるんじゃなくて?」
「母上、失礼なことを言わないでください」
「まあ、あなた。今わたくしに失礼と言ったの?だってこんなに可愛いらしくて補佐官だなんて。――危険だわ。この子をどこに派遣すると言うの?」
「ちゃんと考えていますから。母上、何のご用ですか」
「あなたね。陛下に聞いたわよ。今回の社交シーズン、パーティーに一つも出なかったんですって?」
「出ましたよ一つくらいは」
ヘルマンは心底面倒臭そうに言い放った。
「あなた、自分を幾つだと思っているの?」
「三十一ですが、それが何か」
フェルナンドはお茶を用意し始めた。ユリアは礼をして出ていくことにする。
「帰ってくる頃には孫の一人や二人いるかと思っていたのに」
「いい加減にしてください。十年近く音沙汰もなくご自由にされていたじゃないですか」
「ええ。久しぶりに帰ってきたのよ、もう少し可愛いことが言えないの?昨日から小言ばかりじゃない」
大奥様はがしっとユリアの腕を掴んだ。
「えっ………」
女性とはいえ、突然の接触に少し驚く。
さすがに以前のように震えることはない。少し寒気がする程度だ。
「母上!」
「領地の視察に行ってくるわ。補佐官を一人借りるわよ」
「いい加減にしてください」
「珍しいわね、貴方がそんなに怒るなんて」
「ユリアを離してください」
「何故?七年ぶりの領地なのよ。案内人が必要でしょう?それとも、この補佐官はヴェッターホーンを説明できないの?」
「――ユリアには別の仕事があるのです。母上のお守りをする時間はありません」
強引に腕を引かれ連れて行かれそうになるところだったが、ヘルマンが大奥様の手を掴んだ。
「ヘルマン、何の真似なの?」
二人が一気に険悪な雰囲気になった。
「お二人とも、ユリア君がびっくりするのでそれくらいにしませんか?ほら、青い顔で見上げてますよ」
慣れた様子のフェルナンドの言葉に、ヘルマンは手を離してユリアを見た。
「すまない、ユリア。驚いただろう」
「いえ、大丈夫です」
「まあ、貴方。随分丸くなったのね。――そうね、突然触れたりして、無作法だったわ。お詫びにお茶をご馳走するわ。ついていらっしゃい」
そう言って大奥様は部屋の外に歩き出してしまう。
「あー、じゃあ、ユリア君、大奥様をご案内してくれるかな」
「はい」
「いや、――」
「大丈夫ですよ、ヘルマン様。ユリア君はもう一人前の補佐官なんですから」
フェルナンドが太鼓判をくれたので、ユリアは大きく頷いた。ヘルマンも渋々送り出す。
部屋の外には侍従やメイドが控えていた。
ヘルマンは基本一人で行動するが、普通、貴婦人はこうして何人も連れ立って歩く。
ユリアもその一群の後ろについた。
「ユリア、何をしているの?案内人は隣で説明をするものでしょう」
きっぱりと言われて慌てて隣へ行く。
かつかつ、とヒールの音が廊下に響いた。大理石って欠けないのかな……とどうでもいいことを考えてしまう。
「貴方、いつから働いているの?」
「三年半ほどになります」
「まあ、そんな小さな時から」
「はい。よくしていただいております」
大奥様が手を伸ばす。すかさず、控えている一人が手袋を差し出した。
白いレースの手袋をきゅっ、と装着し、ますます隙のない装いになると、大奥様は側の侍従に手を預ける。
流れるようにエスコートされながら馬車に乗り込み、ユリアと二人乗り込むことになった。
「まずは街へ。その後学校を覗いて帰るわ」
「承知しました。街は何をご覧になりますか?」
視察というから役所関連だろうか。そう思い尋ねたが、大奥様はきっぱりと言い放った。
「カフェよ」
「は……い」
きょとん、とするユリアに大奥様はからからと笑った。そうするとヘルマンの様な大きな息子がいるとは思えないほど若い。
「そんな顔をしないで。お茶をごちそうするって言ったでしょう」
「あ、そんな。滅相もないです」
「いいのよ。わたくしもたまには街でお茶を飲みたかったから。付き合ってちょうだい。――ヘルマンとモンクレアに行ってきたのよね。あの子、まだ入り浸っているのね」
笑ったと思ったら深刻そうにため息をつく。
「あの、三年ぶりの訪問だったとお聞きしています。城内も、街並みや史跡も、詳しくご説明をいただきました。僕に付き添ってご指導のための訪問でしたので」
「へえ……ヘルマンが、わざわざ」
「はい。とてもお優しい方です」
ユリアが笑いかけると、大奥様は今度は驚いたように目を見開いた。
「ねえ、ユリア。親の私が言うのもなんだけど、あの子は良くできた息子だったけれど……人への接し方については癖のある子よ。優しい、なんて表現は合わないんじゃないかしら」
「いいえ。公爵様は、初めてお会いした時から今日まで、ずっとお優しいです」
大奥様はへえ、と笑った。
「どう優しいのか、教えてもらえるかしら」
「僕が見習いの、雑用の時から気にかけてくださり、働きやすいよう気を配っていただけます。あ、僕には六歳の甥がいるんですが、家族の事にもご配慮いただきます。ただ働くだけではなくて、どんな仕事をしたいかの目標を示してくださる方です。こんな僕ですが、いつもお褒めくださって、自信をつけてくださいます。細やかにお心配りいただきまして、本当に困る前に手を差し伸べてくださいます。それから――」
「待って」
大奥様は突然扇子を取り出して仰いだ。こほん、と咳払いをする。
「すごいわね、貴方のヘルマンへの忠誠心は」
「はい」
「まあ。そんなに無防備に笑顔を向けられたら……私は何も言えないわ」
また溜息。
何か気がかりでもあるのだろうか。
「大奥様は、ご主人様のお母様でいらっしゃるので、もちろん、僕よりもよくご存じとは思いますが……」
「クリスティーナよ。名前で呼んでちょうだい」
「えっ、いえ。そんな、とんでもないです!」
「いいのよ。公爵領では体裁を整えているけど、旅先ではもっと素朴に過ごしているの。――あなたのように忠義に厚い子に来てもらえて、よかったわ」
「僕、ヒリス様のご紹介で来たんです。ヒリス様はクリスティーナ様の下でお働きだったとお聞きしました」
「そうね。ヒリス。懐かしいわ。あの子、研究してもいいって言った途端、さっさと研究室にこもってしまって」
「そのおかげで、こうして僕がここに来ることができました。ありがとうございます」
「あら。それなら、あの時の選択も良かったのかもしれないわね」
にこりと笑った顔がふとヘルマンに似ていた。
ユリアは一気に親近感を持った。
クリスティーナは馬車の窓から外を見て、また溜息をついた。
「もうね。放っておこうって思う時もあるんだけれど。やっぱり息子だから気になっちゃって。ちゃんとできているのか、つい聞いてしまうのよね」
母親の顔だった。
若くして公爵領を継ぐことになったヘルマンに、厳しい顔をしてきたのだろう。母としてもっとこうしてやりたいと思いながら。
その顔が、遠い記憶の自分の母親と重なった。
もっと遊びたいと言うユリアに、困ったような顔をしていた。
「あの……僕、至らないところも多くて。補佐官なんて無理かもしれないって諦めかけていたんです。そんな僕に、公爵様は、きっぱりと、なれる、って言ってくださいました。こんな僕に言われてもあれですけど……たった一言で、僕は救われたんです。そうやってたくさん救っていただきました。公爵様は、素晴らしいお方です」
「あー、そう、ね。ありがとう。もういいわ。この年で息子を褒められて照れるなんて、恥ずかしいから。ヘルマンの話は終わりにしましょう」
クリスティーナが顔を隠したところで、馬車は目的地に到着した。
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ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。
ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。
意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。
全年齢対象。
僕の、しあわせ辺境暮らし
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雪のなか僕を、ひろってくれたのは、やさしい男の子でした。
ふたりの、しあわせな辺境暮らし、はじまります!
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
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プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
婚約破棄で追放された悪役令息の俺、実はオメガだと隠していたら辺境で出会った無骨な傭兵が隣国の皇太子で運命の番でした
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「今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」
公爵令息レオンは、王子アルベルトとその寵愛する聖女リリアによって、身に覚えのない罪で断罪され、全てを奪われた。
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前世の知識というチート能力を秘めたレオンは、絶望の地を希望の楽園へと変えていく。
そんな彼の前に現れたのは、ミステリアスな傭兵カイ。
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これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。
痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!
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