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第2章
18.舞踏会準備
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翌朝、ユリアは執務室で予算関連の話し合いをフェルナンドとしていた。ヘルマンはまだ来ていない。
突然フェルナンドが机に突っ伏した。
「フェルナンド様?」
「ユリア君。どうしよう。――もうやっていけないかも」
「え、ど、どうしたんですか」
「大奥様はパーティ会場を押さえろって言うし、でもヘルマン様がいいっていうわけないでしょ。この話するだけでも絶対機嫌悪くなるよ。ああ、ヘルマン様になんて切り出したらいいんだ……」
予算について話し合っていたから、てっきりそのことかと思っていた。
リアクションは大きいほうな人だけど、フェルナンドがここまで考え込むのは珍しい。
ユリアはふと疑問に思った。
「フェルナンド様って、いつもご主人様に遠慮なくお話しされていますよね」
「えっ、ユリア君、気づかなかった?私ほどヘルマン様に気を遣って話している人間もいないよ」
それは気づかなかった。気づかないところで気遣いをしていたなんて、やはりフェルナンドはつかみどころのない人だな、と思う。
「お付き合いは、長いんですよね」
「そうだね……もう、二十年以上にはなる」
「あ、聞きました。初めて公爵邸に来た時、フェルナンド様が、ご挨拶がちゃんとできなかったって泣いて――」
「ちょっと!?」
フェルナンドは大きな音を立てて立ち上がった。
「そ、それ、誰に聞いたの?大奥様?」
「いえ、ご主人様に」
慌てるフェルナンドに対し、ユリアはきょとんとした。
「あ……すみません。嫌でしたか?この話。でも五歳とかですよね。可愛いじゃないですか」
「いやいやいや。そうであってもさ、恥ずかしいもんだよ」
「すみません。――あの、そんな風に付き合いの長いお二人だから、気の置けない仲というか、そういう風に思っていたので」
「側にはいるけど、うーん。ユリア君は、ヘルマン様の事近寄りがたいとか、人間味がないとか思ったことないの?」
ユリアは更にきょとんとして、目を丸めた。
「ご主人様がですか?」
感情を表に出すことは少ないが、人間味がないということはない。
「ご主人様はいつもあたたかいです」
フェルナンドは不思議な顔をした。
「そういうところが、いいのかなあ。純粋というか」
フェルナンドはヘルマンと付き合いが長く、冷淡な面もたくさん見てきた。どうしても先にそのことを考えてしまう。ユリアは色眼鏡なしで自分に接しているそのままのヘルマンを見ているからか。
「例えば道を歩いていて困っている人を見かけたら、ご主人様は少しも迷わずすぐに手を差し伸べる方だと思います」
「うん。それでその後、なんでその人がそんなことになったのか確認して責任の所在を明らかにして信賞必罰する人だよね」
ユリアにはそれの何が悪いのかわからなかった。
「僕は、ご主人様がとても素晴らしいお方で、そんな公爵様の首席補佐官はフェルナンド様しか務まらないんだろうなって思ってましたけど」
「――ユリア君……。そうだよね。ごめんね。いや、私もヘルマン様のことは好きなんだよ。細かいことは言わないし、仕事をちょっとさぼっても大目に見てくれるし、普通は手に入らないお酒も気前よく開けてくれるし」
そう、結構自由にやっているのだ。そして自由にやりすぎて怒られる。
そして間違っていると思ったことに関しては絶対に譲らない人なのだ。だからこれがどれほど難しいかとわかって、頭を抱えているから文句を言いたくなったのだ。
「ごめんね。ただちょっと、時々愚痴を言いたくなるだけだから」
「はい。――あ、でも」
その時、ヘルマンが執務室に入ってきた。
「ご主人様、おはようございます」
「おはよう。――予算か?」
ヘルマンが手元の書類を見て横から尋ねた。
「はい、あ、でも、クリスティーナ様からパーティーの会場を決めるよう言われているそうです」
さらりとルイスが言うので、フェルナンドは絶句した。
今、どう切り出すか何十というパターンを想像し、ヘルマンのご機嫌に合わせて、何百という対応をイメージしていたのに。
「あ、いやっ、ユリア君!?」
「規模が分からないですけど、それなりの大きさのホールがいいですよね。修繕がどの程度必要なのか、執事長にお伺いしないといけませんが。それを聞いてから決めますか?」
「――やるとは言っていない」
ほらあ!
フェルナンドは心の中で叫んだ。機嫌が悪くなったらどうしたらいいだろうかと思案を巡らせる。
ユリアは首を傾げた。
「やらないんですか?でも……した方がいいっていう話になってましたよね」
「そういう話だったか」
やだなあ、とユリアが笑う。
「僕には出るなって言ってたじゃないですか」
付き合いの長いフェルナンドにはわかった。
ヘルマンは嫌なのだ。この上なく、パーティーは開きたくない。絶対に。
いろいろなものを天秤にかけて、でも、開かないといけないと思っている。なぜそう思ったのかは知らないが。
――いまだ!
「手直しせず使えるのは別邸のホールですが、老朽化もありますので大奥様はいっそ取り潰してしまおうとおっしゃってました。大奥様の帰還を知らせ、実に久しぶりのパーティーですから、ルナホールを直して使ったらどうでしょう」
「あ、向こうに屋根が見えているあそこですよね。星見の庭の横にある」
「そう。一番新しいホールですから。動線もいいですし」
「どうですか?ご主人様」
「―――好きにしろ」
「はっ………!」
フェルナンドが変な声を上げた。
「ユリア君……君……すごいよ!」
フェルナンドが感極まってユリアの手を取った。すかさずヘルマンがその手を叩き落とす。
「あ、ごめんね。感動のあまり」
フェルナンドが小声で聞いた。
「どんな手を使ったの」
「フェルナンド。さっさと行け」
「はいはい。気が変わらないうちに執事長と用意してきますね。では!」
ヘルマンはフェルナンドを追い出すようにして、すぐにユリアの手を取った。
「大丈夫か」
ユリアは無意識に詰めていた息を吐く。
「あ――はい」
「まったく……あいつは」
ヘルマンはユリアの表情が固いのを見て、そっと抱きしめた。
「無理をするな」
身体から力が抜けていく。
「本当に大丈夫です。――以前のようなことはなくて。ちょっと、不意打ちで、驚いただけで……」
フェルナンドの手のぬくもりに条件反射で身体が固まっただけだ。ちょっと緊張しただけで。
はあ、とユリアはため息をつく。
「もう成人したのに。情けないです」
「そういう風に言うものじゃない。嫌なものは嫌なんだから、下手に我慢するな」
ユリアはおかしくなって笑った。
「その言い方だと……僕がフェルナンド様の事嫌みたいです」
ユリアの笑い声を聞いてヘルマンがそっと離れる。
「元気が出たようで、よかった」
「ご主人様がいたら大丈夫です」
今度はユリアの方から抱きつく。
「――意外と、こんなことも出来ちゃいますね」
甘えるように頭をヘルマンの胸に擦り付ける。ヘルマンは天井を見た。
「――朝から……私を試すようなことを」
ユリアがそっと離れた。
「では、仕事に戻りますね。
にこりと笑って去っていく後ろ姿に、ヘルマンは低くつぶやいた。
「悪魔だ……」
結局、ルナホールを改装するのに一か月。そこから準備を始めるため、パーティーはどうしても十二月以降となる。
真冬に誰が来るんだ、と言いそうなものだが、クリスティーナは挫けなかった。
「春になったら王都へ貴族は流れてしまうわ。惜しみなく暖房を効かせて、これでもかという程公爵家の力を示すのよ!!」
――ということで、真冬の十二月にパーティーを執り行うことになった。
クリスティーナは初志貫徹。仮面舞踏会である。
「へえ……僕、仮面舞踏会なんて初めて聞きました」
ユリアは仮面のカタログをめくりながら明るい声で言った。
「なぜ仮面をつける必要があるのか意味が分かりません」
ヘルマンの抗議はクリスティーナによって即座に切り捨てられる。
「今流行ってるのよ。ただのパーティーじゃ詰まんないじゃない」
「うわ。これ……仮面というより被り物ですよね。温かそうです」
ユリアがまた呑気に話す。ヘルマンは小さくため息をついた。
執務室である。
最近はパーティーの準備も大詰めで何かと相談することが多く、クリスティーナがよく来室する。
そのたびにフェルナンドがお茶を入れるものだから、ヘルマンとクリスティーナ、ユリアとフェルナンドの四人でお茶を飲むことになる。
お茶など入れずにさっさと話しを終わらせろというのに、のらりくらりとフェルナンドは理由をつけこの時間を持ち、結局定着してしまった。
長椅子にヘルマンとユリア、その対面の一人掛けソファにクリスティーナとフェルナンドが座る。この配置もお決まりになった。
「貴方そこに座るの?」
と初めは不思議そうにしていたクリスティーナだったが、放っておいたらそれ以上は聞いてこない。
珍しいことに、ヘルマンはユリアを特別目にかけているのだろうな、という認識になっている。
「貴方たち、仮面は決めたの?」
「私は妻とおそろいにします」
「なんでもいいですよ、そんなもの」
どうせ主催者は顔が割れるのだ。申し訳程度の装飾品でしかない。
ユリアがカタログの一つを指した。
「ご主人様、じゃあ、これはどうですか?ご主人様の黒い髪にとても映えそうです」
片目だけを覆った蝶の片羽の様なデザイン。
「こういう蝶っていますよね。ご主人様の目は夜になると銀に光りますから、きっととても美しくお似合いになると思います」
ユリアの屈託のない様子にヘルマンも毒気を抜かれたようだった。
「――注文しておけ」
結局フェルナンドに命じた。
「貴方はどれにするの?」
「え………?」
ユリアが驚いて返事ができずにいる。部屋の温度が少し下がったような気がした。
「ユリアの仮面よ」
クリスティーナは構わずに続けた。
「ユリアは参加しません」
「あらどうして?」
ヘルマンがきっぱりと言っているのにクリスティーナは納得しなかった。
「補佐官なのに人脈を広げておかなくていいの?せめて周辺貴族の顔ぐらい覚えておかないと困るでしょう」
もっともな意見である。
「ユリアはまだ成人したばかりだからです。――彼を参加させるというのなら、パーティーは許可できません」
「貴方ね。ここまで来て何を言っているのよ」
「あ、あの……僕も、まだ、自信がないので――」
クリスティーナはそう言われて、渋々納得した。
ユリアもこの親子のやり取りに馴れてきて、険悪になる前に声をかけることができるようになってきた。少なくともユリアがいるとヘルマンの方が随分と我慢をするので、フェルナンドはクリスティーナが来ると必ずと言っていいほどユリアを呼びに行くほどだ。
「――あ、すみません、僕今日は早退させていただきますので」
思い出したようにそう言ってユリアがカタログを置いた。
「どうかしたの?ユリア君」
「学校に。面談に呼ばれていて……」
「ルイ君?どうかしたの」
ユリアは少し迷ったように目を泳がせた。
結局一月ほど先延ばしにしていたが、結論は出ていない。直接先生に相談しようと思っていた。
この年長者たちの意見も聞いてみようかと、ふと思った。貴族だから参考になるかわからないが。
「実は、ルイスが初等教育を終えてしまったということで、七歳からどうするか考えてほしいと言われたんです。小さいうちから中等教室の子供達に混ぜてしまっていいのかどうか……かといってわかっているのに初等教室に残るのもつまらないだろうし。先生は、アカデミーや家庭教師もどうかって言ってくださって……」
しかしそこまで経済的に余裕があるわけでもない。
「誕生日まで、あと一ケ月ほどか……」
「あら、ここで家庭教師をつけたらいいじゃない」
「母上。ルイスは別に貴族位を継ぐわけではないのですから。そこまでの教育は必要ないでしょう」
ヘルマンの言うとおりである。ルイス本人も勉強が好きとは言っているが、もっとしたいと言っているわけではない。
貴族であればそれこそ初等教育は七歳までに既に終えているものだ。ユリアもそうだった。ここにいる全員がそうだろう。
平民と貴族では教育内容がまるで違う。だから一年で初等教育を終えたと聞いても、大して驚かないのだろう。
「うーん、そうだねえ。まだ六歳だから将来なりたいものから考えるってのも難しいよねえ」
「ルイスは何と言っているんだ」
「仲のいい友達が今十歳なので、中等教室にいるんです。そこで一緒に学ぶと」
「では、それでいいんじゃないか」
「そうだね。そんなに悪目立ちってほどでもないんじゃい?ベン君とべったりしてたのはいつものことだし」
「もったいないわねえ。せっかく金眼なのに」
「なんですかそれは」
ヘルマンが胡散臭そうに尋ねた。
「あら、貴方知らないの?金の目を持つ子は賢くなるって言われてるのよ」
「またそんな……」
「わたくしだったらしっかり勉強させて、右腕にするわ。学校から補佐官になろうと思ったら、高等教育からの詰め込みが大変よ」
「やめてください。そうやって人を駒のように見るのは母上の悪い癖ですよ」
「まあ。言うようになったわね、貴方」
「ちなみにルイ君は、将来何になりたいとか言ってるの?」
ユリアはこの質問には困った。この一ケ月、手掛かりにしようと何度か聞いてみたのだが。
「聞くたびに変わります。海賊、大工、猟師、鍛冶屋、ケーキ屋……」
「補佐官はないんだ。残念」
フェルナンドが笑った。
「そういえば、なかったですね」
「まあ、今聞いた中でいうと、勉強は急がなくていいんじゃないかなって思うけどねえ。とにかくアカデミーはなしだね。ユリア君と離れるって選択肢はないでしょう」
「まだ六歳は遊びたい盛りだ。居たい場所にいさせてやればいい。勉強だけをしに集団生活をしに行くわけじゃない。人との付き合いを学ぶのも必要だ。友人のいるいないに関わらずな」
「わたくしは家庭教師に一票」
それぞれ三人の意見を参考にしてユリアはお礼を言って退勤した。
結局面談では、中等教室へ一年通って様子を見ようということになった。
なんだかんだ、ヘルマンの意見が一番しっくり来たのと、何よりルイスの望みでもあったので。
先生は少しもったいないような気もするけれど、と言いながらも、それがいいような気もします、と言ってくれた。
そうこうしているうちに秋が過ぎ、十二月になった。
突然フェルナンドが机に突っ伏した。
「フェルナンド様?」
「ユリア君。どうしよう。――もうやっていけないかも」
「え、ど、どうしたんですか」
「大奥様はパーティ会場を押さえろって言うし、でもヘルマン様がいいっていうわけないでしょ。この話するだけでも絶対機嫌悪くなるよ。ああ、ヘルマン様になんて切り出したらいいんだ……」
予算について話し合っていたから、てっきりそのことかと思っていた。
リアクションは大きいほうな人だけど、フェルナンドがここまで考え込むのは珍しい。
ユリアはふと疑問に思った。
「フェルナンド様って、いつもご主人様に遠慮なくお話しされていますよね」
「えっ、ユリア君、気づかなかった?私ほどヘルマン様に気を遣って話している人間もいないよ」
それは気づかなかった。気づかないところで気遣いをしていたなんて、やはりフェルナンドはつかみどころのない人だな、と思う。
「お付き合いは、長いんですよね」
「そうだね……もう、二十年以上にはなる」
「あ、聞きました。初めて公爵邸に来た時、フェルナンド様が、ご挨拶がちゃんとできなかったって泣いて――」
「ちょっと!?」
フェルナンドは大きな音を立てて立ち上がった。
「そ、それ、誰に聞いたの?大奥様?」
「いえ、ご主人様に」
慌てるフェルナンドに対し、ユリアはきょとんとした。
「あ……すみません。嫌でしたか?この話。でも五歳とかですよね。可愛いじゃないですか」
「いやいやいや。そうであってもさ、恥ずかしいもんだよ」
「すみません。――あの、そんな風に付き合いの長いお二人だから、気の置けない仲というか、そういう風に思っていたので」
「側にはいるけど、うーん。ユリア君は、ヘルマン様の事近寄りがたいとか、人間味がないとか思ったことないの?」
ユリアは更にきょとんとして、目を丸めた。
「ご主人様がですか?」
感情を表に出すことは少ないが、人間味がないということはない。
「ご主人様はいつもあたたかいです」
フェルナンドは不思議な顔をした。
「そういうところが、いいのかなあ。純粋というか」
フェルナンドはヘルマンと付き合いが長く、冷淡な面もたくさん見てきた。どうしても先にそのことを考えてしまう。ユリアは色眼鏡なしで自分に接しているそのままのヘルマンを見ているからか。
「例えば道を歩いていて困っている人を見かけたら、ご主人様は少しも迷わずすぐに手を差し伸べる方だと思います」
「うん。それでその後、なんでその人がそんなことになったのか確認して責任の所在を明らかにして信賞必罰する人だよね」
ユリアにはそれの何が悪いのかわからなかった。
「僕は、ご主人様がとても素晴らしいお方で、そんな公爵様の首席補佐官はフェルナンド様しか務まらないんだろうなって思ってましたけど」
「――ユリア君……。そうだよね。ごめんね。いや、私もヘルマン様のことは好きなんだよ。細かいことは言わないし、仕事をちょっとさぼっても大目に見てくれるし、普通は手に入らないお酒も気前よく開けてくれるし」
そう、結構自由にやっているのだ。そして自由にやりすぎて怒られる。
そして間違っていると思ったことに関しては絶対に譲らない人なのだ。だからこれがどれほど難しいかとわかって、頭を抱えているから文句を言いたくなったのだ。
「ごめんね。ただちょっと、時々愚痴を言いたくなるだけだから」
「はい。――あ、でも」
その時、ヘルマンが執務室に入ってきた。
「ご主人様、おはようございます」
「おはよう。――予算か?」
ヘルマンが手元の書類を見て横から尋ねた。
「はい、あ、でも、クリスティーナ様からパーティーの会場を決めるよう言われているそうです」
さらりとルイスが言うので、フェルナンドは絶句した。
今、どう切り出すか何十というパターンを想像し、ヘルマンのご機嫌に合わせて、何百という対応をイメージしていたのに。
「あ、いやっ、ユリア君!?」
「規模が分からないですけど、それなりの大きさのホールがいいですよね。修繕がどの程度必要なのか、執事長にお伺いしないといけませんが。それを聞いてから決めますか?」
「――やるとは言っていない」
ほらあ!
フェルナンドは心の中で叫んだ。機嫌が悪くなったらどうしたらいいだろうかと思案を巡らせる。
ユリアは首を傾げた。
「やらないんですか?でも……した方がいいっていう話になってましたよね」
「そういう話だったか」
やだなあ、とユリアが笑う。
「僕には出るなって言ってたじゃないですか」
付き合いの長いフェルナンドにはわかった。
ヘルマンは嫌なのだ。この上なく、パーティーは開きたくない。絶対に。
いろいろなものを天秤にかけて、でも、開かないといけないと思っている。なぜそう思ったのかは知らないが。
――いまだ!
「手直しせず使えるのは別邸のホールですが、老朽化もありますので大奥様はいっそ取り潰してしまおうとおっしゃってました。大奥様の帰還を知らせ、実に久しぶりのパーティーですから、ルナホールを直して使ったらどうでしょう」
「あ、向こうに屋根が見えているあそこですよね。星見の庭の横にある」
「そう。一番新しいホールですから。動線もいいですし」
「どうですか?ご主人様」
「―――好きにしろ」
「はっ………!」
フェルナンドが変な声を上げた。
「ユリア君……君……すごいよ!」
フェルナンドが感極まってユリアの手を取った。すかさずヘルマンがその手を叩き落とす。
「あ、ごめんね。感動のあまり」
フェルナンドが小声で聞いた。
「どんな手を使ったの」
「フェルナンド。さっさと行け」
「はいはい。気が変わらないうちに執事長と用意してきますね。では!」
ヘルマンはフェルナンドを追い出すようにして、すぐにユリアの手を取った。
「大丈夫か」
ユリアは無意識に詰めていた息を吐く。
「あ――はい」
「まったく……あいつは」
ヘルマンはユリアの表情が固いのを見て、そっと抱きしめた。
「無理をするな」
身体から力が抜けていく。
「本当に大丈夫です。――以前のようなことはなくて。ちょっと、不意打ちで、驚いただけで……」
フェルナンドの手のぬくもりに条件反射で身体が固まっただけだ。ちょっと緊張しただけで。
はあ、とユリアはため息をつく。
「もう成人したのに。情けないです」
「そういう風に言うものじゃない。嫌なものは嫌なんだから、下手に我慢するな」
ユリアはおかしくなって笑った。
「その言い方だと……僕がフェルナンド様の事嫌みたいです」
ユリアの笑い声を聞いてヘルマンがそっと離れる。
「元気が出たようで、よかった」
「ご主人様がいたら大丈夫です」
今度はユリアの方から抱きつく。
「――意外と、こんなことも出来ちゃいますね」
甘えるように頭をヘルマンの胸に擦り付ける。ヘルマンは天井を見た。
「――朝から……私を試すようなことを」
ユリアがそっと離れた。
「では、仕事に戻りますね。
にこりと笑って去っていく後ろ姿に、ヘルマンは低くつぶやいた。
「悪魔だ……」
結局、ルナホールを改装するのに一か月。そこから準備を始めるため、パーティーはどうしても十二月以降となる。
真冬に誰が来るんだ、と言いそうなものだが、クリスティーナは挫けなかった。
「春になったら王都へ貴族は流れてしまうわ。惜しみなく暖房を効かせて、これでもかという程公爵家の力を示すのよ!!」
――ということで、真冬の十二月にパーティーを執り行うことになった。
クリスティーナは初志貫徹。仮面舞踏会である。
「へえ……僕、仮面舞踏会なんて初めて聞きました」
ユリアは仮面のカタログをめくりながら明るい声で言った。
「なぜ仮面をつける必要があるのか意味が分かりません」
ヘルマンの抗議はクリスティーナによって即座に切り捨てられる。
「今流行ってるのよ。ただのパーティーじゃ詰まんないじゃない」
「うわ。これ……仮面というより被り物ですよね。温かそうです」
ユリアがまた呑気に話す。ヘルマンは小さくため息をついた。
執務室である。
最近はパーティーの準備も大詰めで何かと相談することが多く、クリスティーナがよく来室する。
そのたびにフェルナンドがお茶を入れるものだから、ヘルマンとクリスティーナ、ユリアとフェルナンドの四人でお茶を飲むことになる。
お茶など入れずにさっさと話しを終わらせろというのに、のらりくらりとフェルナンドは理由をつけこの時間を持ち、結局定着してしまった。
長椅子にヘルマンとユリア、その対面の一人掛けソファにクリスティーナとフェルナンドが座る。この配置もお決まりになった。
「貴方そこに座るの?」
と初めは不思議そうにしていたクリスティーナだったが、放っておいたらそれ以上は聞いてこない。
珍しいことに、ヘルマンはユリアを特別目にかけているのだろうな、という認識になっている。
「貴方たち、仮面は決めたの?」
「私は妻とおそろいにします」
「なんでもいいですよ、そんなもの」
どうせ主催者は顔が割れるのだ。申し訳程度の装飾品でしかない。
ユリアがカタログの一つを指した。
「ご主人様、じゃあ、これはどうですか?ご主人様の黒い髪にとても映えそうです」
片目だけを覆った蝶の片羽の様なデザイン。
「こういう蝶っていますよね。ご主人様の目は夜になると銀に光りますから、きっととても美しくお似合いになると思います」
ユリアの屈託のない様子にヘルマンも毒気を抜かれたようだった。
「――注文しておけ」
結局フェルナンドに命じた。
「貴方はどれにするの?」
「え………?」
ユリアが驚いて返事ができずにいる。部屋の温度が少し下がったような気がした。
「ユリアの仮面よ」
クリスティーナは構わずに続けた。
「ユリアは参加しません」
「あらどうして?」
ヘルマンがきっぱりと言っているのにクリスティーナは納得しなかった。
「補佐官なのに人脈を広げておかなくていいの?せめて周辺貴族の顔ぐらい覚えておかないと困るでしょう」
もっともな意見である。
「ユリアはまだ成人したばかりだからです。――彼を参加させるというのなら、パーティーは許可できません」
「貴方ね。ここまで来て何を言っているのよ」
「あ、あの……僕も、まだ、自信がないので――」
クリスティーナはそう言われて、渋々納得した。
ユリアもこの親子のやり取りに馴れてきて、険悪になる前に声をかけることができるようになってきた。少なくともユリアがいるとヘルマンの方が随分と我慢をするので、フェルナンドはクリスティーナが来ると必ずと言っていいほどユリアを呼びに行くほどだ。
「――あ、すみません、僕今日は早退させていただきますので」
思い出したようにそう言ってユリアがカタログを置いた。
「どうかしたの?ユリア君」
「学校に。面談に呼ばれていて……」
「ルイ君?どうかしたの」
ユリアは少し迷ったように目を泳がせた。
結局一月ほど先延ばしにしていたが、結論は出ていない。直接先生に相談しようと思っていた。
この年長者たちの意見も聞いてみようかと、ふと思った。貴族だから参考になるかわからないが。
「実は、ルイスが初等教育を終えてしまったということで、七歳からどうするか考えてほしいと言われたんです。小さいうちから中等教室の子供達に混ぜてしまっていいのかどうか……かといってわかっているのに初等教室に残るのもつまらないだろうし。先生は、アカデミーや家庭教師もどうかって言ってくださって……」
しかしそこまで経済的に余裕があるわけでもない。
「誕生日まで、あと一ケ月ほどか……」
「あら、ここで家庭教師をつけたらいいじゃない」
「母上。ルイスは別に貴族位を継ぐわけではないのですから。そこまでの教育は必要ないでしょう」
ヘルマンの言うとおりである。ルイス本人も勉強が好きとは言っているが、もっとしたいと言っているわけではない。
貴族であればそれこそ初等教育は七歳までに既に終えているものだ。ユリアもそうだった。ここにいる全員がそうだろう。
平民と貴族では教育内容がまるで違う。だから一年で初等教育を終えたと聞いても、大して驚かないのだろう。
「うーん、そうだねえ。まだ六歳だから将来なりたいものから考えるってのも難しいよねえ」
「ルイスは何と言っているんだ」
「仲のいい友達が今十歳なので、中等教室にいるんです。そこで一緒に学ぶと」
「では、それでいいんじゃないか」
「そうだね。そんなに悪目立ちってほどでもないんじゃい?ベン君とべったりしてたのはいつものことだし」
「もったいないわねえ。せっかく金眼なのに」
「なんですかそれは」
ヘルマンが胡散臭そうに尋ねた。
「あら、貴方知らないの?金の目を持つ子は賢くなるって言われてるのよ」
「またそんな……」
「わたくしだったらしっかり勉強させて、右腕にするわ。学校から補佐官になろうと思ったら、高等教育からの詰め込みが大変よ」
「やめてください。そうやって人を駒のように見るのは母上の悪い癖ですよ」
「まあ。言うようになったわね、貴方」
「ちなみにルイ君は、将来何になりたいとか言ってるの?」
ユリアはこの質問には困った。この一ケ月、手掛かりにしようと何度か聞いてみたのだが。
「聞くたびに変わります。海賊、大工、猟師、鍛冶屋、ケーキ屋……」
「補佐官はないんだ。残念」
フェルナンドが笑った。
「そういえば、なかったですね」
「まあ、今聞いた中でいうと、勉強は急がなくていいんじゃないかなって思うけどねえ。とにかくアカデミーはなしだね。ユリア君と離れるって選択肢はないでしょう」
「まだ六歳は遊びたい盛りだ。居たい場所にいさせてやればいい。勉強だけをしに集団生活をしに行くわけじゃない。人との付き合いを学ぶのも必要だ。友人のいるいないに関わらずな」
「わたくしは家庭教師に一票」
それぞれ三人の意見を参考にしてユリアはお礼を言って退勤した。
結局面談では、中等教室へ一年通って様子を見ようということになった。
なんだかんだ、ヘルマンの意見が一番しっくり来たのと、何よりルイスの望みでもあったので。
先生は少しもったいないような気もするけれど、と言いながらも、それがいいような気もします、と言ってくれた。
そうこうしているうちに秋が過ぎ、十二月になった。
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<あらすじ>
ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。
ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。
意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。
全年齢対象。
僕の、しあわせ辺境暮らし
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雪のなか僕を、ひろってくれたのは、やさしい男の子でした。
ふたりの、しあわせな辺境暮らし、はじまります!
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
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プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
婚約破棄で追放された悪役令息の俺、実はオメガだと隠していたら辺境で出会った無骨な傭兵が隣国の皇太子で運命の番でした
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「今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」
公爵令息レオンは、王子アルベルトとその寵愛する聖女リリアによって、身に覚えのない罪で断罪され、全てを奪われた。
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前世の知識というチート能力を秘めたレオンは、絶望の地を希望の楽園へと変えていく。
そんな彼の前に現れたのは、ミステリアスな傭兵カイ。
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これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。
痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!
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