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第2章
19.参加
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ユリアは窮地に立たされていた。
今日は午前中、ヘルマンがいない。
そこを狙ってきたのだろか。クリスティーナに詰め寄られていた。
「何が問題なのかわからないわ」
パン、とクリスティーナは扇子を自分の手に打ち付けた。そうして上から見られると、もう蛇に睨まれた蛙だ。
「いえ、僕は、まだ……」
補佐官室へ行く途中の廊下でつかまった。舞踏会へ参加しろと言うのだ。ユリアは数日前からの同じ断り文句を再度言った。しかし、クリスティーナは納得しない。
今日は止めに入ってくれるヘルマンもいなかった。
「まだ、じゃないでしょう?今から経験を積んでおかないと。立派な補佐官にはなれないわ」
立派な補佐官。
クリスティーナは実に痛いところを付いてくる。
「領内に閉じこもっての運営だけしていて、公爵領が立ちゆくと思って?フェルナンドのようになりたいのでしょう。他領の貴族とも対等にやり合って、貿易でも利益を出して。そういうことを求められているのよ」
「それは……理解しています」
「貴方、せっかく他国語も勉強しているんでしょう?活かさなくてどうするの。今回は大使も呼んだのよ。ああいう顔つなぎしたい人たちはね、仮面なんてほとんどつけないから。そういうのを覚えるだけでもとても勉強になるの、わかるでしょう?」
「はい……」
「やる気はあるの?ないの?」
「あ、あります!」
「――あるのね。行くのね。じゃあ、用意するわ」
そう言って、クリスティーナはくるりと踵を返し、去って行ってしまった。
ひらひらとドレスの裾が優雅に揺れる。
「……………あれ?」
ユリアは呆然と立ち尽くした。
自分が出席するという返事をした覚えはないのに。
どうしよう……。
落ち着かない気持ちで昼を過ごし、午後の執務に取り掛かる。
ほどなくして、補佐官室にヘルマンがやってきた。
「ユリア」
その姿を見てほっとして、ユリアはヘルマンに駆け寄った。
ヘルマンは険しい顔をしていた。
「母に聞いた。――パーティーに出ると返事をしたと。どういうことだ」
「それが、僕にも……」
ヘルマンは額を押さえた。
「私の留守を狙って君を丸め込んだのか」
「丸め込んだ……というほどでは」
「言質を取った、と速やかに準備が進められているぞ。先ほどフェルナンドにサイズを聞いて衣装を発注していた」
「えっ!」
どうしてクリスティーナがユリアの服を注文するのだろう。
そしてフェルナンドはユリアのサイズをどうして知っているんだろう。
「――断ってくる」
「あ、あの……」
ユリアは必死でヘルマンの服の裾を掴んだ。
「クリスティーナ様の仰ることにも、納得するところはあって……」
はじめは、パーティーときいて貴族ではないから、と当然参加しないと思っていた。けれど、他地区へ出向している補佐官以外は皆参加すると聞いて、自分だけ行かないのはいいのだろうかという気持ちもあった。
「僕、出たらだめでしょうか」
「ユリア」
ヘルマンはユリアに向き直った。
「無理をすることはない。君は補佐官になってまだ間がない。成人にもなったばかりだ。急いでこんな形で顔を広めようとする必要はない」
無理、なのだろうか。
パーティーがどのようなものなのか、ユリアはよくわからなかった。
「無理でしょうか。初めに少し覗いて、帰ってくるのでも駄目でしょうか」
「……行きたいのか?」
ヘルマンが少し驚いたように言った。
「人がたくさん来るぞ。注目を浴びる。どれだけ避けても、肩がぶつかることもあるだろう。私が常に側にいるとも限らない」
そう言われると、急に自信がなくなる。
会場に多くの人がひしめき合っているところを想像したら、やっぱり無理かも、と思った。
「いい加減になさい!」
廊下の方からよく響く声が聞こえる。いつの間に来たのか、クリスティーナだ。その背後にはフェルナンドもいる。
「成長しようという子の足を引っ張るようなことをするんじゃないわ」
「母上は黙っていてください」
ヘルマンの声が低く、不機嫌そうだ。ユリアは不安になった。
行ってみたいと思ったが、ヘルマンに言われるとやはり自信がなくなる。何より、ヘルマンの不興を買うくらいなら、行かなくていいと思った。
「ほら、そんな顔をさせているじゃない」
クリスティーナに言われたヘルマンと目がある。
どんな顔をしているのかわからなかったが、みんなの視線が集まると少し居心地が悪かった。
「ユリアはヘルマンの右腕になりたいのでしょう?ここで顔を売っておいて、今度の春の社交シーズンには一緒に王都にも行って、どんどん外に向けた活動もしていかなければならないわ」
「勝手なことを言わないでください。ユリアのことはちゃんと考えています」
「慎重に、過保護にしてばかりがその子のためにはならなくてよ」
確かに、補佐官になったばかりとはいえ、ユリアの仕事は公爵領内だけの仕事だ。それもかなり限定的な。フェルナンドや他のベテラン補佐官は他の貴族との交流も盛んで、ヘルマンと出かけることも多い。
「たかが自領のパーティーでも安全を守る自信がないの?」
「そういうことではありません」
ヘルマンは少しの無理もさせたくなかった。
小柄なユリアが会場で大人に囲まれる所を想像するだけで、どれほどユリアの負担になるかわかる。
何も今参加する必要はない。もっと落ち着いて、それこそある程度の接触を怖れないくらいにならなければ、ユリアには無理だと思っている。
もちろん、その姿を誰にも見せたくないという気持ちが一番強いが。
夜のパーティーでこの姿をさらすなど。狼の群れに白兎を放り込むようなものだ。
「フェルナンド!あなたはどう思うの?」
「ええっ、僕ですか!」
突然矢を向けられて、フェルナンドが変な声を上げる。ヘルマンの睨むような視線も感じ、ええー、と情けない声も出る。
「私は……まあ、急がなくても――でも経験も大切ですし……ああ、もう!」
親子からの恐ろしい圧迫感に耐えかねてフェルナンドはユリアに助けを求めた。
「ユリア君の希望でいいんじゃないですかね!」
「そうね、ユリア、どうしたいの?」
「その……早くご主人様のお役に立ちたいので、少しでも経験がつめるのなら、参加したいと思います。でも……ご主人様が無理だと言われるのなら、きっとそうなんだと思います」
「ほら見なさい。頑張ってみたいと言っているユリアの気持ちを、貴方が折ってどうするの。ユリアならできるって言ってやれないの?」
ヘルマンは難しい顔をして考え込んだ。
「いえ、クリスティーナ様。僕は本当に、色々と、その……至らないところがあって。ご主人様は一番よくわかってくださっているので、ご主人様が無理とご判断されたのなら、それは正しいと思います」
未だに人に慣れなくて、フェルナンドが手を握っただけで緊張を強くしてしまう。こんな情けない体で、パーティーで失態を冒してしまったりしたら。
「ユリア。私はそういうつもりでは――」
「若い芽を摘むことになるわよ」
クリスティーナはヘルマンの背後でぼそぼそと呟やいた。
こういう話の持っていき方は本当に恐ろしいほどうまいのだ。背後でフェルナンドが肝を冷やしていた。
「――護衛をつけよう」
ヘルマンは苦々しく言った。
「ユリアの一番親しんだ者を。その者の側を離れないと約束するなら」
「決まりね」
クリスティーナはそれだけ言ってさっさと準備に向かった。
本当によかったのだろうか。ユリアは不安になってヘルマンを見たが、まだ思案しているようだった。
フェルナンドの方に視線をやると、肩をすくめて苦笑のようになっている。それはどういう意味なんだろう。
ヘルマンがはあ、とため息をついた。ユリアはドキリとする。
「ユリア。少し、二人で話そうか」
「――はい」
ヘルマンは執務室にユリアを連れてきた。
「ユリア……」
ユリアは俯いたまま動けなかった。
「どうした?こっちに来て、座りなさい」
「申し訳ありません……」
ヘルマンの声は怒ってはいないようだった。それでも、言われたことを違えた事がユリアにとって、顔向けできないような気にさせた。
「………おいで」
ユリアはおずおずとヘルマンに近づいた。
ヘルマンはユリアの顔を見てふっと笑った。その顔が優しくて、ユリアは泣きそうになる。
「そんな顔をするな。私は怒っていない」
手を引かれ、ソファに座らされる。いつもの位置だった。隣にヘルマンも腰掛ける。
手はつながれたままで、ヘルマンの大きな手の温かさが伝わってくる。
「でも、パーティーには出るなと言われていたのに。無理だと言われていたのに、僕……」
「ユリア。それは、違う。私のは、君を誰にも見せたくないという……ただの嫉妬だ」
嫉妬。
何への嫉妬かも分からず、嫉妬とパーティーへ出ないこととがすぐに結びつかなかった。
「僕が、人が多くて失敗することを心配したんじゃ」
「――まあ、それもあるが」
ヘルマンはユリアの頬をすっと撫でた。
「人ごみに出てつらい思いをしないかというのは、もちろん心配だ。多数の人間の視線は君に注がれるだろう。注目され、四方八方から声をかけられ、故意ではなくとも接触があれば。――そういう心配は確かに尽きない」
そう言われると自信がなくなる。大勢の視線が注がれるなんてことになるのだろうか。
ヘルマンはぎゅっとユリアの手を握った。
「それだけなら、守る手はあるだろう。つらくなれば帰ればいい。心配するな」
許可した以上、守り抜いて見せる。ユリアが補佐官としてやりたいことは全面的に手伝ってやりたい。ただ。
「――私は、夜の君を独占したいんだ」
ユリアは目をぱちぱちと瞬かせた。
「夜の、僕……?」
それはどういう意味だろうか。
「夜闇の中でもユリア、君の髪はひときわ輝いて見える。瞳も宝石のように光って。――ただでさえ光彩を放っているのに、さらにこんなに可愛らしい顔……これを誰にも見せたくない」
突如とした歯の浮くような誉め言葉にユリアは少し照れ笑いする。
「じゃあ、ちょうどよかったですね。仮面舞踏会で」
「そういう問題じゃない」
ヘルマンは真剣だった。
ユリアはわかっていない。細い首、くびれた腰、白い指。華奢な身体は思い切り掻き抱きたくなる。成人して、蕾が花開くように、これまで可愛らしいばかりだったユリアは、時折どきりとさせるほどの表情や仕草を見せるようになった。か弱く愛らしいのにどこか艶やかで、目が離せない。
この雰囲気は仮面をかぶったくらいでは隠せないだろう。
千人の中に埋もれていても一瞬で見つけ出す自信がある。
自覚がないのが更に恐ろしい。
「ああ……本当に閉じ込めたい」
一緒に暮らしているわけではないから、何とか時間を作って二人で過ごしても、ユリアは夕方になれば帰っていく。
ヘルマンはユリアの手を自分の顔に持ってきた。導かれるようにしてユリアはヘルマンの顔に手を添える。
「僕も……ご主人様と二人でいたいですけど……」
ヘルマンは困ったように笑った。
ユリアが精いっぱいこたえようとしてくれているのはわかる。
だが、それでは足りない。ヘルマンは真剣に、本気でユリアを閉じ込めて自分以外には見られないようにしてしまいたいのだ。
――どうしようもない。
「ご主人様……?」
ヘルマンはユリアの手に口づけてから、そっと離した。
「気の知れた騎士はいるか?その者を護衛に当たらせよう」
「でも……一介の補佐官に護衛なんて、大げさじゃないですか?」
「そんなことはない。本当なら、六人ほどで壁を作って取り囲みたいくらいだ。そうすれば隠しておける」
人の壁に埋もれる自分を想像してユリアは笑った。
ヘルマンがこんな冗談を言うなんて。
「冗談だと思っているな」
「面白かったですよ。――そうですね、リックさんは、よく話しかけてくださって、一度一緒に街に出かけたこともあるので一番緊張しないかもしれません」
「まて。初耳だ。いつだ」
「街に行ったのですか?結構前ですよ。ご主人様が首都に行っていていなかったときです。古書店の場所がわかるか不安で、非番なのに付き添っていただいたんです」
ヘルマンは険しい顔をした。
ユリアが誰かと二人で出かけるなど、フェルナンドでも腹立たしいのに。リックとは。
「なぜそんなことになったんだ」
「なぜ……でしょうね。リックさんがとても優しい方なので。弟さんが僕と同い年らしくて、気にかけてくださるんです。よく話しかけていただきますし、古着とか教材とか、使わなくなったといってよくおさがりをいただきますし」
「リック……」
リックには今朝も鍛錬で相手をした。実力も申し分ないし、子爵位をもつ貴族でもある。物腰も柔らかで、礼儀正しい常識人だ。という評価だった。――今までは。
おそらくジュニアパーティーの一件で一部始終を知っているだけに、ユリアが気にかかり、なおかつ弟と重なって憐憫の情でも沸いたのか。
「ご主人様?顔が怖いです。リックさんはだめですか」
「そうだな。……明日本人に確認しておく」
翌朝の稽古で、リックは訳も分からないまま、ヘルマンにより立てなくなるまでしごかれることになる。
ヘルマンはユリアを抱きしめた。
「いいか、護衛騎士の側を離れるな。疲れたり、つらくなりかけたらすぐに帰りなさい。絶対に無理はしないこと」
「はい」
「――頑張って少しでも参加出来たら、次の社交シーズンは一緒に首都に行けたらいいな」
「それは、嬉しいです。今年みたいに一か月も離れるなんて寂しいですから」
ヘルマンは愛おしそうにユリアの髪を手で撫でた。
今日は午前中、ヘルマンがいない。
そこを狙ってきたのだろか。クリスティーナに詰め寄られていた。
「何が問題なのかわからないわ」
パン、とクリスティーナは扇子を自分の手に打ち付けた。そうして上から見られると、もう蛇に睨まれた蛙だ。
「いえ、僕は、まだ……」
補佐官室へ行く途中の廊下でつかまった。舞踏会へ参加しろと言うのだ。ユリアは数日前からの同じ断り文句を再度言った。しかし、クリスティーナは納得しない。
今日は止めに入ってくれるヘルマンもいなかった。
「まだ、じゃないでしょう?今から経験を積んでおかないと。立派な補佐官にはなれないわ」
立派な補佐官。
クリスティーナは実に痛いところを付いてくる。
「領内に閉じこもっての運営だけしていて、公爵領が立ちゆくと思って?フェルナンドのようになりたいのでしょう。他領の貴族とも対等にやり合って、貿易でも利益を出して。そういうことを求められているのよ」
「それは……理解しています」
「貴方、せっかく他国語も勉強しているんでしょう?活かさなくてどうするの。今回は大使も呼んだのよ。ああいう顔つなぎしたい人たちはね、仮面なんてほとんどつけないから。そういうのを覚えるだけでもとても勉強になるの、わかるでしょう?」
「はい……」
「やる気はあるの?ないの?」
「あ、あります!」
「――あるのね。行くのね。じゃあ、用意するわ」
そう言って、クリスティーナはくるりと踵を返し、去って行ってしまった。
ひらひらとドレスの裾が優雅に揺れる。
「……………あれ?」
ユリアは呆然と立ち尽くした。
自分が出席するという返事をした覚えはないのに。
どうしよう……。
落ち着かない気持ちで昼を過ごし、午後の執務に取り掛かる。
ほどなくして、補佐官室にヘルマンがやってきた。
「ユリア」
その姿を見てほっとして、ユリアはヘルマンに駆け寄った。
ヘルマンは険しい顔をしていた。
「母に聞いた。――パーティーに出ると返事をしたと。どういうことだ」
「それが、僕にも……」
ヘルマンは額を押さえた。
「私の留守を狙って君を丸め込んだのか」
「丸め込んだ……というほどでは」
「言質を取った、と速やかに準備が進められているぞ。先ほどフェルナンドにサイズを聞いて衣装を発注していた」
「えっ!」
どうしてクリスティーナがユリアの服を注文するのだろう。
そしてフェルナンドはユリアのサイズをどうして知っているんだろう。
「――断ってくる」
「あ、あの……」
ユリアは必死でヘルマンの服の裾を掴んだ。
「クリスティーナ様の仰ることにも、納得するところはあって……」
はじめは、パーティーときいて貴族ではないから、と当然参加しないと思っていた。けれど、他地区へ出向している補佐官以外は皆参加すると聞いて、自分だけ行かないのはいいのだろうかという気持ちもあった。
「僕、出たらだめでしょうか」
「ユリア」
ヘルマンはユリアに向き直った。
「無理をすることはない。君は補佐官になってまだ間がない。成人にもなったばかりだ。急いでこんな形で顔を広めようとする必要はない」
無理、なのだろうか。
パーティーがどのようなものなのか、ユリアはよくわからなかった。
「無理でしょうか。初めに少し覗いて、帰ってくるのでも駄目でしょうか」
「……行きたいのか?」
ヘルマンが少し驚いたように言った。
「人がたくさん来るぞ。注目を浴びる。どれだけ避けても、肩がぶつかることもあるだろう。私が常に側にいるとも限らない」
そう言われると、急に自信がなくなる。
会場に多くの人がひしめき合っているところを想像したら、やっぱり無理かも、と思った。
「いい加減になさい!」
廊下の方からよく響く声が聞こえる。いつの間に来たのか、クリスティーナだ。その背後にはフェルナンドもいる。
「成長しようという子の足を引っ張るようなことをするんじゃないわ」
「母上は黙っていてください」
ヘルマンの声が低く、不機嫌そうだ。ユリアは不安になった。
行ってみたいと思ったが、ヘルマンに言われるとやはり自信がなくなる。何より、ヘルマンの不興を買うくらいなら、行かなくていいと思った。
「ほら、そんな顔をさせているじゃない」
クリスティーナに言われたヘルマンと目がある。
どんな顔をしているのかわからなかったが、みんなの視線が集まると少し居心地が悪かった。
「ユリアはヘルマンの右腕になりたいのでしょう?ここで顔を売っておいて、今度の春の社交シーズンには一緒に王都にも行って、どんどん外に向けた活動もしていかなければならないわ」
「勝手なことを言わないでください。ユリアのことはちゃんと考えています」
「慎重に、過保護にしてばかりがその子のためにはならなくてよ」
確かに、補佐官になったばかりとはいえ、ユリアの仕事は公爵領内だけの仕事だ。それもかなり限定的な。フェルナンドや他のベテラン補佐官は他の貴族との交流も盛んで、ヘルマンと出かけることも多い。
「たかが自領のパーティーでも安全を守る自信がないの?」
「そういうことではありません」
ヘルマンは少しの無理もさせたくなかった。
小柄なユリアが会場で大人に囲まれる所を想像するだけで、どれほどユリアの負担になるかわかる。
何も今参加する必要はない。もっと落ち着いて、それこそある程度の接触を怖れないくらいにならなければ、ユリアには無理だと思っている。
もちろん、その姿を誰にも見せたくないという気持ちが一番強いが。
夜のパーティーでこの姿をさらすなど。狼の群れに白兎を放り込むようなものだ。
「フェルナンド!あなたはどう思うの?」
「ええっ、僕ですか!」
突然矢を向けられて、フェルナンドが変な声を上げる。ヘルマンの睨むような視線も感じ、ええー、と情けない声も出る。
「私は……まあ、急がなくても――でも経験も大切ですし……ああ、もう!」
親子からの恐ろしい圧迫感に耐えかねてフェルナンドはユリアに助けを求めた。
「ユリア君の希望でいいんじゃないですかね!」
「そうね、ユリア、どうしたいの?」
「その……早くご主人様のお役に立ちたいので、少しでも経験がつめるのなら、参加したいと思います。でも……ご主人様が無理だと言われるのなら、きっとそうなんだと思います」
「ほら見なさい。頑張ってみたいと言っているユリアの気持ちを、貴方が折ってどうするの。ユリアならできるって言ってやれないの?」
ヘルマンは難しい顔をして考え込んだ。
「いえ、クリスティーナ様。僕は本当に、色々と、その……至らないところがあって。ご主人様は一番よくわかってくださっているので、ご主人様が無理とご判断されたのなら、それは正しいと思います」
未だに人に慣れなくて、フェルナンドが手を握っただけで緊張を強くしてしまう。こんな情けない体で、パーティーで失態を冒してしまったりしたら。
「ユリア。私はそういうつもりでは――」
「若い芽を摘むことになるわよ」
クリスティーナはヘルマンの背後でぼそぼそと呟やいた。
こういう話の持っていき方は本当に恐ろしいほどうまいのだ。背後でフェルナンドが肝を冷やしていた。
「――護衛をつけよう」
ヘルマンは苦々しく言った。
「ユリアの一番親しんだ者を。その者の側を離れないと約束するなら」
「決まりね」
クリスティーナはそれだけ言ってさっさと準備に向かった。
本当によかったのだろうか。ユリアは不安になってヘルマンを見たが、まだ思案しているようだった。
フェルナンドの方に視線をやると、肩をすくめて苦笑のようになっている。それはどういう意味なんだろう。
ヘルマンがはあ、とため息をついた。ユリアはドキリとする。
「ユリア。少し、二人で話そうか」
「――はい」
ヘルマンは執務室にユリアを連れてきた。
「ユリア……」
ユリアは俯いたまま動けなかった。
「どうした?こっちに来て、座りなさい」
「申し訳ありません……」
ヘルマンの声は怒ってはいないようだった。それでも、言われたことを違えた事がユリアにとって、顔向けできないような気にさせた。
「………おいで」
ユリアはおずおずとヘルマンに近づいた。
ヘルマンはユリアの顔を見てふっと笑った。その顔が優しくて、ユリアは泣きそうになる。
「そんな顔をするな。私は怒っていない」
手を引かれ、ソファに座らされる。いつもの位置だった。隣にヘルマンも腰掛ける。
手はつながれたままで、ヘルマンの大きな手の温かさが伝わってくる。
「でも、パーティーには出るなと言われていたのに。無理だと言われていたのに、僕……」
「ユリア。それは、違う。私のは、君を誰にも見せたくないという……ただの嫉妬だ」
嫉妬。
何への嫉妬かも分からず、嫉妬とパーティーへ出ないこととがすぐに結びつかなかった。
「僕が、人が多くて失敗することを心配したんじゃ」
「――まあ、それもあるが」
ヘルマンはユリアの頬をすっと撫でた。
「人ごみに出てつらい思いをしないかというのは、もちろん心配だ。多数の人間の視線は君に注がれるだろう。注目され、四方八方から声をかけられ、故意ではなくとも接触があれば。――そういう心配は確かに尽きない」
そう言われると自信がなくなる。大勢の視線が注がれるなんてことになるのだろうか。
ヘルマンはぎゅっとユリアの手を握った。
「それだけなら、守る手はあるだろう。つらくなれば帰ればいい。心配するな」
許可した以上、守り抜いて見せる。ユリアが補佐官としてやりたいことは全面的に手伝ってやりたい。ただ。
「――私は、夜の君を独占したいんだ」
ユリアは目をぱちぱちと瞬かせた。
「夜の、僕……?」
それはどういう意味だろうか。
「夜闇の中でもユリア、君の髪はひときわ輝いて見える。瞳も宝石のように光って。――ただでさえ光彩を放っているのに、さらにこんなに可愛らしい顔……これを誰にも見せたくない」
突如とした歯の浮くような誉め言葉にユリアは少し照れ笑いする。
「じゃあ、ちょうどよかったですね。仮面舞踏会で」
「そういう問題じゃない」
ヘルマンは真剣だった。
ユリアはわかっていない。細い首、くびれた腰、白い指。華奢な身体は思い切り掻き抱きたくなる。成人して、蕾が花開くように、これまで可愛らしいばかりだったユリアは、時折どきりとさせるほどの表情や仕草を見せるようになった。か弱く愛らしいのにどこか艶やかで、目が離せない。
この雰囲気は仮面をかぶったくらいでは隠せないだろう。
千人の中に埋もれていても一瞬で見つけ出す自信がある。
自覚がないのが更に恐ろしい。
「ああ……本当に閉じ込めたい」
一緒に暮らしているわけではないから、何とか時間を作って二人で過ごしても、ユリアは夕方になれば帰っていく。
ヘルマンはユリアの手を自分の顔に持ってきた。導かれるようにしてユリアはヘルマンの顔に手を添える。
「僕も……ご主人様と二人でいたいですけど……」
ヘルマンは困ったように笑った。
ユリアが精いっぱいこたえようとしてくれているのはわかる。
だが、それでは足りない。ヘルマンは真剣に、本気でユリアを閉じ込めて自分以外には見られないようにしてしまいたいのだ。
――どうしようもない。
「ご主人様……?」
ヘルマンはユリアの手に口づけてから、そっと離した。
「気の知れた騎士はいるか?その者を護衛に当たらせよう」
「でも……一介の補佐官に護衛なんて、大げさじゃないですか?」
「そんなことはない。本当なら、六人ほどで壁を作って取り囲みたいくらいだ。そうすれば隠しておける」
人の壁に埋もれる自分を想像してユリアは笑った。
ヘルマンがこんな冗談を言うなんて。
「冗談だと思っているな」
「面白かったですよ。――そうですね、リックさんは、よく話しかけてくださって、一度一緒に街に出かけたこともあるので一番緊張しないかもしれません」
「まて。初耳だ。いつだ」
「街に行ったのですか?結構前ですよ。ご主人様が首都に行っていていなかったときです。古書店の場所がわかるか不安で、非番なのに付き添っていただいたんです」
ヘルマンは険しい顔をした。
ユリアが誰かと二人で出かけるなど、フェルナンドでも腹立たしいのに。リックとは。
「なぜそんなことになったんだ」
「なぜ……でしょうね。リックさんがとても優しい方なので。弟さんが僕と同い年らしくて、気にかけてくださるんです。よく話しかけていただきますし、古着とか教材とか、使わなくなったといってよくおさがりをいただきますし」
「リック……」
リックには今朝も鍛錬で相手をした。実力も申し分ないし、子爵位をもつ貴族でもある。物腰も柔らかで、礼儀正しい常識人だ。という評価だった。――今までは。
おそらくジュニアパーティーの一件で一部始終を知っているだけに、ユリアが気にかかり、なおかつ弟と重なって憐憫の情でも沸いたのか。
「ご主人様?顔が怖いです。リックさんはだめですか」
「そうだな。……明日本人に確認しておく」
翌朝の稽古で、リックは訳も分からないまま、ヘルマンにより立てなくなるまでしごかれることになる。
ヘルマンはユリアを抱きしめた。
「いいか、護衛騎士の側を離れるな。疲れたり、つらくなりかけたらすぐに帰りなさい。絶対に無理はしないこと」
「はい」
「――頑張って少しでも参加出来たら、次の社交シーズンは一緒に首都に行けたらいいな」
「それは、嬉しいです。今年みたいに一か月も離れるなんて寂しいですから」
ヘルマンは愛おしそうにユリアの髪を手で撫でた。
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婚約、地位、家族からの愛――そして、痩せ衰えた最果ての辺境地へと追放される。
しかし、それは新たな人生の始まりだった。
前世の知識というチート能力を秘めたレオンは、絶望の地を希望の楽園へと変えていく。
そんな彼の前に現れたのは、ミステリアスな傭兵カイ。
共に困難を乗り越えるうち、二人の間には強い絆が芽生え始める。
だがレオンには、誰にも言えない秘密があった。
彼は、この世界で蔑まれる存在――「オメガ」なのだ。
一方、レオンを追放した王国は、彼の不在によって崩壊の一途を辿っていた。
これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。
痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!
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