あたたかな鳥籠を君に、優しい口づけをあなたに

サイ

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第2章

20.マスカレード

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 マスカレード当日。
 ユリアはリックと共に会場の隅に立っていた。
 リックは仕事中なので騎士の正装。
 ユリアはクリスティーナの見立てで黒に銀の刺繍の正装だ。少しヘルマンを思わせる色味で、ユリアは気に入っている。すごく高級そうで気後れしたが、補佐官としての必要品だから支給だと言われた。フェルナンドも便乗して衣装を注文していたから、きっといいのだろう。
 仮面は絶対にこれにしろと言われ、ヘルマンの選んだフルマスクだ。少しうっとうしい。実はかつらもかぶるように言われたが、やってみると重さで身体がぐらぐらしたので、やめた。普通に編みこんでリボンで結んでいる。
 ルイスが変なお祭りだね、と言いながら送り出してくれた。リックと一緒だったら安心だねと言って。今日は寮の部屋にベンを呼び、二人で夜更かしするらしい。
「何か飲むか?」
 リックが尋ねてくれたが、ユリアは首を振った。
「やめておきます。人に酔いそうで……」
「そうだなあ。慣れないとつらいよな」
 ユリアは視線を巡らせて、人だかりの中心を見る。
 煌びやかなドレスが色とりどりにひしめき合っている。その中心にいるのがヘルマンだ。
 実につまらなさそうな顔をしている。
 ユリアは思わず笑ってしまった。
 女性たちのほとんどは、あってないような仮面をつけ、本当に美しく着飾っている。ヘルマンはその人たちの会話を事務的に受けながら、チラチラとこちらを窺っている。
「公爵様、すごい囲まれてるな」
「すごいですね」
「え、なんかこっちすごい見てきてない?俺の勘違いかな」
 リックがびくびくと視線を動かす。護衛の姿勢のまま視線だけ落ち着きがないからそれもおかしい。ここ数日、ヘルマンによほど扱かれたらしい。
 リックは、いつの間にか条件反射でヘルマンを身構えるようになってしまった。ちょっと近づきたくなくなるほどのようだ。
 嫌われたか何か失敗でもしただろうか、と本気で悩み始めた頃、ユリアの護衛を頼みたいと言われた。
 期待されているのだと喜んだ次の瞬間、それはもう恐ろしい声と圧で言われた。
 ――文字通りその剣を懸けて守れ。誰かが指一本ユリアに触れることがないように。
 過保護だ。
 いや、リックとしても、去年のパーティーのことはまだ記憶に新しい。ユリアがたった一年でここまで立ち直ったことを本当に嬉しく思うし、だからこそこのパーティーでもいい印象で終わってほしい。
 しかし。
 成人した男性にそこまでやる必要があるのだろうか。
 剣にかけろということは、何かあれば騎士位を剥奪して公爵領から追い出すといった意味だろう。命を賭けろというよりやけに現実的で、怖い。
 やがてフェルナンドがやってきて、ユリアを見つけ、一緒に行動した。
「やあ。すごいフルフェイスなマスクだね。顔を隠そうという気概を感じるよ」
「はは……そうですね。なかなか苦しいです」
 フェルナンドはヘルマンが顔を完全に隠せと言っていた経緯を知っているだけに、苦笑いだ。何なら被り物の様なものを進めていたのも知っている。奇術師しか被らないような奴だ。
 別の意味で目立ってしまうだろうに。
 とはいえ、小柄なユリアは大人たちのパーティーではやはり珍しい。しかもこの輝くような金髪である。護衛は正解だろうとフェルナンドも思う。無体なことはされなくとも、話しかけられたものを交わすのも難しいだろう。そもそも騎士がいれば人除けになる。
「サンドラ様、お久しぶりです。いつもフェルナンド様にはお世話になっております」
 フェルナンドがエスコートしているのはサンドラ夫人だ。おそろいのマスクと衣装で相変わらず仲がよさそうだ。
「ユリア君。久しぶりね。またいつでもうちに遊びに来てね」
「はい。ルイスもいつもお世話になってしまって。フェデリ君が可愛いと言っていました」
「ルイス君、フェデリを本当によく見てくれるから。フェデリは懐いているのだけど。つまらないんじゃないかと思うのよね。でも、いいの、って言ってくれて。ずっと見てくれるの」
「何しろフェデリはルイ君の髪の毛に目がないからね。姿を見ると、もうルイ君に抱っこしろって一直線。僕よりルイ君を選ぶんだよ。でも引っ張ったり無茶するから。ルイ君、嫌になってないといいけど」
「そうですか」
 嫌とは言っていなかったが。その辺もあるのかな。留守番をうちでするって言いだしたのは。
 サンドラ夫人は遠くに知り合いを見つけたらしく、小さく手を振った。
「じゃあ貴方、私はあちらにご挨拶に行ってきますから」
「ああ、気を付けて」
 フェルナンドがちゅ、とサンドラの手にキスをした。しばらく見送ってから、さて、とフェルナンドは仕事の顔になる。
「――私たちは少し一緒にあいさつ回りをしようか」
「あ、よろしくお願いします」
 ユリアはフェルナンドにたくさんの人を紹介してもらった。
 向こうから声をかけられることも多かったし、あの人は知っておいた方がいい、というように教えてくれることもあった。
 一時間ほどしたところでようやく、まあこんなもんかな、と言われる。
 正直、もう頭がいっぱいだ。
 新しい人たちばかりで疲れ果ててしまった。
「大丈夫?ユリア君、ちょっと休んだらどうかな」
「休憩室に行くか?それとも、そっちの椅子で休むか」
 フェルナンドもリックも心配してくれたので、もしかしたらさっき足がもつれたのを見られたのかもしれない。
「そこでいいです。すみません」
 外の空気が吸いたくて、フェルナンドとは別れ、リックと共に一度外に出ることにした。
 星見の庭と繋がっており、ガーデンテラスにも椅子が並べられている。
 外は寒いので出ている人はいなかった。
 ユリアは仮面を外し、大きく深呼吸をした。すごい解放感だ。
「仮面はしといた方がいいんじゃないか」
「でも……もう、苦しくて」
「もう帰るか?挨拶は終わったんだろ」
「そうですね」
 ヘルマンに声をかけようか迷って、ふと空を見上げる。
 星がびっしりと空に瞬いていた。
 星見の庭というだけあって、空がよく見える。
「今日は一際星が美しいですね」
「――君の美しさの前では星も成りをひそめている」
 突然見知らぬ人の声がして、ユリアは驚いて立ち上がった。
 リックがすかさず間に入ったので少し見にくいが、どこかの貴族のようだ。先ほどあいさつした中にはいなかった。
「失礼ですが……」
 リックの誰何にその男は動じず、優雅に答えた。
「私はマクレガー侯爵家の次男、サイラスと申します。貴方のお名前をおきかせ願えますか?」
 随分と丁寧な人だ。物腰が柔らかくて、優しそうな雰囲気である。
 濃い茶色の髪を後ろで束ね、上品なタキシードを着こなしている。仮面もつけていなかった。
 マクレガー侯爵領は南で接している。それなりに付き合いのある家門だ。
「ユリアと申します。補佐官の任を拝命しております」
「補佐官!――公爵家の補佐官は少数精鋭と聞いています。お若いのにすごいですね」
「い、いえ……」
 二十代前半であろうこのサイラスという男も若いだろうに、そう言われるとなんと返したらいいのか迷う。
「久しぶりの公爵家のパーティーで、貴方のように美しい人に出会えるとは、なんという僥倖でしょう」
「え……は、いえ」
「あの、よろしければ、二人きりでお話ししませんか?」
「申し訳ありませんが、主人の命により私がお側を離れることはできません」
 リックが絶妙に邪魔な位置に立っていた。それでもサイラスはめげない。
「ユリア殿。――あ、そのように呼んでもよろしいでしょうか」
「は、はい……」
「ここで会ったのも何かの縁だと思うのです。冬のパーティーなんて寒いし今日はもう帰ろうかと思っていたところに、貴方をふと見かけて。まるで夜の中に降り立った妖精のようですね。貴方の周りはキラキラと輝いて見える。これほど胸がかき乱されたのは、初めてです」
 ユリアは沈黙していた。
 呆気に取られていた、というのが正しい。
 ぺらぺらと語りだした内容が、初対面でする会話なのかもわからないし、どう返事していいのかも謎だ。侯爵家というからには失礼があってもいけないと思うし。
「もっと貴方とお話がしたい。貴方のことが知りたいのです」
「マクレガー様。彼はまだ成人したばかりで、心得ていないところがありますので。そのようなお申し出は公爵家を通していただきたい」
 黙っていてもリックがちゃんと断ってくれた。しかしサイラスは折れない。
「私は気にしないよ。むしろ、私でよければ手取り足取り教えて差し上げたいな。――あっ、いや、変な意味ではなくね」
 変な意味になど受け止めないし想像もしたくないので、頬を赤らめるな。と、リックは思った。
 ユリアはそっと仮面をかぶりなおした。
「あ、仮面をかぶってしまわれるのですか。もったいない」
「あ、あの、すみません。僕、そろそろ失礼します」
「それは残念ですね。貴方には、どこに行けばお会いできるのでしょう。お住まいはどちらですか?」
「マクレガー様。申し訳ありませんが、失礼いたします」
 サイラスが手を伸ばそうとして、それをリックが押しとどめた。その隙にユリアは逃げるようにして会場に入った。どれほど優し気な人であっても、やはり初対面で来られると怖い。
 会場は先ほどと変わらない賑わいを見せていた。
 温かい空気が、寒くなった背中を少し温める。
 ユリアはつい、ヘルマンの姿を探した。
 ヘルマンはすぐに見つかった。
 目が合った。その途端、ヘルマンははっとした顔をして、人混みをかき分けて、小走りに駆け寄ってくる。
「――ユリア。どうした」
「ご主人様」
 何かがあったわけではない。それなのに、来てくれた。
 ただ目が合っただけで分かってくれた。仮面もしているのにどうしてわかるのだろう。
 それがたまらなく嬉しかった。
「疲れたか?もう帰るか」
 ヘルマンを追いかけて数人の群れがこっちに向かってきている。
 テラスからもユリアを追いかけてリックと、その後ろからサイラスも入ってきた。
「ユリア殿!せめて連絡先だけでも」
 間に立つリックはヘルマンの姿を見て緊張を強くした。より鉄壁の構えでサイラスの前に立つ。
「――ユリア。大丈夫か」
 ヘルマンに肩を抱き寄せられる。
「大丈夫です。すみません、なにかあったわけでは」
「――ヘルマン!」
 クリスティーナが遅れてやってきた。数人の女性陣と共に。
「話の途中で去るなんて、無作法をしないで頂戴」
 クリスティーナは白と銀の眩しいドレスを着こなしている。
 ヘルマンは答えなかった。サイラスをじろりと見下ろしている。
「これは、公爵様。ご無沙汰しております。サイラス・マクレガーです」
「ああ。久しいな」
「そちらのユリア殿と、テラスでお会いして。――驚きました。この世の方とは思えないお美しさで」
 ぎゅっとヘルマンの手に力が入った。
「もう少しお話ししたかったのですが……お借りするわけには」
 サイラスの物腰は丁寧だったが、ヘルマンは不愉快さを隠そうともしなかった。
「あまりに失礼な物言いだな。許可を求めるのは私なのか」
「え……しかし」
「彼は一人前の補佐官だ。そう聞かなかったか?さも私の所有物のように言うのだな」
 他領に置いては、珍しいことではないのだろう。
 平民の使用人の是非は主人にある。主人がどうぞと言えば使用人に拒否権などなく、そもそも尋ねられることもない。貴族が来いと言えば行かねばならない。自分より上位貴族の使用人でなければ有無を言わさず連れていかれるところだったのかもしれない。
「マクレガー領においてはどうか知らないが、ヴェッターホーンでは爵位に関わらず個人の意見が尊重される」
「これは失礼いたしました。では……」
「もっとも、礼を尽くしたところでユリアと話をさせることはないがな」
 ヘルマンの険しい顔にサイラスはたじろいだ。訳が分からないという様子だ。
「去れ」
 低い声でそう言われてはその場を去る以外にない。チラチラとユリアを見ながら、ようやく離れて行った。
「ヘルマン。貴方ね……」
 クリスティーナが優雅に額を押さえた。
「――私はそろそろ、失礼いたします」
 ユリアから手を離さないまま言うヘルマンにクリスティーナの美しい顔が固まった。
「冗談でしょう?」
「主催者は母上ですから。――皆さんどうぞごゆっくり」
 クリスティーナがすかさずヘルマンの腕をつかんだ。扇子を広げ口元を隠し耳打ちする。
「わかっているのでしょう、ヘルマン」
「わかっていますよ。そして何度もお伝えしていた通りです」
「ヘルマン。今日こそは決めてもらうわ」
「私の意思は変わりません。この場でまた同じ話をしますか?」
「子供の様な事を言わないで頂戴」
「無理なものは、無理です。――適当に決めろと言うのは先方にも失礼です」
 そもそもパーティーを開くとなった時から。もっと言えば、クリスティーナが帰還した時から。幾度となく話し合い、そのたびに言い争い決裂してここまで来た。
 ヘルマンに結婚の意思がないことをクリスティーナは理解の外だと切り捨てた。
 クリスティーナにとって結婚し子をもうけることはあまりにも当然のことだ。なぜ拒否するのか全く理解できない。だからどう手を打てばいいのかもわからない。
 こうして何とか目の前に並べ、選べと言う他思いつかなかった。
 失礼と言われても言い返すことはできないが。
「――貴方がいつまで待っても動かないから」
「あとどれほど待っても同じことですよ」
「ああ、もう。いい加減にしてちょうだい!――ユリア、貴方からも何か言って」
 ヘルマンは不思議とユリアの言うことはよく聞く。フェルナンドによれば、パーティーの開催もユリアの口添えがあったからだと聞いた。
 そう思って何か一言でも、と言ったのだが。
 ユリアの反応は微妙だった。
 仮面で表情はよくわからないが、困っているような気もする。いつもならここで、二人の間を取りなすようなことを言っているのに。
「ユリア?」
「あの……ご主人様は、ご結婚はされないとお聞きしています」
「それが通るわけないでしょう」
「ご主人様なら、後継を成さなくても、公爵家を繁栄させ次代にきちんと繋ぐことができると思います」
 クリスティーナが眉を寄せて首を振る。信じられない、と言いたげだ。
「ご親戚はたくさんいらっしゃいますが、ご主人様の……あ、その、た、大切なものは――」
 そこまで言って、ユリアはうつむいた。
 仮面で見えないところ以外は全部赤くなっているのではないかというほど、耳も、首筋も真っ赤になっている。
 訳が分からないクリスティーナだった。緊迫した雰囲気だったはずのその場に、ヘルマンの愉快そうな笑い声が聞こえる。
 信じられない思いでヘルマンを見上げる。ヘルマンは確かに、満足そうに笑っていた。
「ふ……ふふ、そうです。ご心配されなくても、ちゃんと考えますよ。後継はいくらでも変わりがある。私の大切にしたいもの一つは、ほかにありませんので」
 何を言っているのかよくわからない。なによりヘルマンがなぜこんなにも上機嫌で、この場に似つかわしくない笑いをこぼしているのかもわからない。
「皆さま、ヴェッターホーンの夜はまだ続きます。どうぞごゆっくり、お楽しみください」
 少し離れたところにいた人々にそう告げて、ヘルマンはするりとクリスティーナの腕をほどき、出口に向かった。
「リック、ご苦労だったな。あとは自由に過ごせ」
「はっ……」
 クリスティーナが呼ぶが、それにはもう答えなかった。
 ヘルマンはそのままユリアの肩を抱いて会場を後にした。
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