あたたかな鳥籠を君に、優しい口づけをあなたに

サイ

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第3章

16.

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 報告に訪れた執務室で、ルイスはヘルマンと二人きりになっていた。
 人払いがされていた。
 屋敷に帰還したのは昨日。昨日のうちにシャルムから一連の報告は受けているはずだ。
 シャルムが昨夜のうちに、生気のない顔で寮に来たと思ったら、明日朝一番でヘルマンを訪ねるよう伝言を残していった。
 朝ごはんを食べてすぐルイスはヘルマンを訪ねた。
 ノックをして、いつも通り入れと言われたので入室する。そこからの、沈黙。
 ルイスは今までヘルマンを怖いと感じた事は一度もなかった。それはヘルマンが常にルイスに気を遣っていたからなのだと、今気づく。
 ヘルマンと対峙しているだけだというのに空気が重く感じる。
 対面に座っているものの、顔が上げられず、ルイスはじっと目の前のテーブルを見ていた。
「なぜ呼ばれたか分かるか」
 静かな声が、余計緊張する。
「ゲオルグの一件……で」
「私が、お前をモンクレアに送り出す時何と言ったか覚えているか」
「はい」
「条件を言ってみなさい」
「週に一度の報告と、影に同行しないこと」
「なぜその条件を出されたか分かるか」
「危険だから」
「そうだ、お前の身の安全を守るためだ。影に同行するなというのに、影より前に出てどうする」
「……ごめんなさい」
「謝って済まないことになっていたかもしれない」
「はい」
 ヘルマンはルイスをじっと見つめた。
「ルイス、真実を追及したい気持ちはわかる。ここまで来て手がかりが隠れると焦る気持ちもあっただろう。――その計画を考えた時に、身の危険があると思わなかったか?心のどこかで、自分はどうなってもいいという思いがあったんじゃないのか」
「…………………」
「身の安全を顧みることができないのなら、この調査はここまでだ」
「そんな」
「心配しなくても、私の方で引き継ぐ。何かわかればちゃんと教えてやる」
 ルイスは首を振った。
「続けさせてください」
「一歩間違えたら、取り返しのつかないことになっていた。私がその報告を聞いた時どれほど肝を冷やしたか、わかるか」
「……はい」
「結果大丈夫だったからよしとは、とても言えない」
「反省してます」
 ここで打ち切りになるのは絶対に嫌だった。
 ヘルマンはしばらく黙って考えているようだった。
「お前は人より早く大人になったように見えるが、まだ十三の子供だ。これほど大人が周りにいるのに、どうして頼ろうとしない」
 頼っているつもりだった。かなり助けてもらっていると思っていた。これ以上頼るというのが分からない。
 とにかくヘルマンの怒りは感じる。
 ルイスは声を絞り出した。
「僕に何かあったら、リアが悲しむから……。もう無茶はしません」
 ヘルマンはユリアが傷つくのを許さない。だからこんなに怒っているのだと思った。
 ヘルマンは深刻そうにため息を吐いた。
「ルイス。悲しむのはユリアだけじゃないだろう。それに、誰かのためにその身を大切にしろと言っている訳じゃない。お前自身がちゃんと自分の事を考えられていたら、こんな無謀なことを実行したか?」
 ルイスは自分を見つめるヘルマンを見た。心配してくれているのはわかる。だが、言っていることは難しかった。
「公爵様は、怒ってるんですよね。心配をかけたから。もう少しで、リアを悲しませることになったから」
「ルイス。私がユリアのためにお前を大切にしていると思っているのか?」
 ルイスは困惑した。
 違うのか。他にヘルマンがここまでの恩恵を施す理由などないだろう。
 ヘルマンはしばらくルイスを見つめ、はあ、とまた息をついた。
「とにかく、しばらくは手を引け。何が悪かったか考えなさい」
 それまでの圧迫感のある緊張が解けた。話は終わりと言っているようだった。ヘルマンは立ち上がる。
「公爵様、僕……」
 どうすれば許しがもらえるのかわからず、混乱したままルイスは立ち上がった。
 ヘルマンはルイスの肩に手を置いた。
 いつもの、温かい父親の様なヘルマンだった。
「少し休みなさい。何かあったら知らせるから」
 ヘルマンがそう言うのなら、どうしようもない。
 ルイスはうつむいて、小さくはい、と返事するしかなかった。



 そこから何日もルイスは部屋にこもっていた。
 一日のほとんどをベッドの上で過ごし、ただごろごろと寝返りを打つだけの日々。
 食事もろくに取らず、ベンが食堂から運んできたものをつまむ程度。
「……いい加減にしねえと、カビが生えるぞ」
 ベンは相変わらず日中は忙しく出かけて行って、夜になると帰ってくる。
 やることもやりたいこともない自分に比べて、ベンが生き生きとして見えた。少し羨ましいような気持ちで、ルイスはベンを見るのも複雑だった。
 ことん、と音を立てて置かれたのは、ベンが食堂から持ってきた夕食の皿だ。
「食えよ。昼も食ってないだろ」
「――公爵様の言ってたことが難しくて、わからない」
「勉強はできるのにな」
「自分を大事にしないようじゃ調査させないって。どういう意味?してるよね」
 ベンがはっ、と笑った。
「ルイスが自分大事にしたことなんかあったかよ」
「えっ!?してるでしょ」
「ユリアさんのためにだろ。良く言ってるよな。ユリアさんに守ってもらった身体だからとか、ユリアさんが悲しむからとか」
「そうかな……え、それって大事にしてるんじゃないの」
「お前は、生きることに無頓着で、それがばれないようにびくびくしてんだよ」
 ベンは持ってきた皿からハムをつまんだ。
「自分が嫌いだもんな」
 ルイスは呆気にとられたようにぽかんと口を開けた。
「え……そんなことない」
 と、思う。
「自分の事、大したことない人間だと思ってんだよ。自分がいなくなっても何も変わんねえだろって」
「ベンは違うの?」
「すごい人間だとは思わないけど、この世に一人の代わりのきかない人間だろ」
 ルイスが呆気に取られている様子なのを見てベンは肩を竦めた。
「公爵様ももどかしいだろうな」
「――わかんないよ。どうしたらいいのか」
「とりあえず、これを食う」
 言って皿をすっと向けられる。
「あとは元気に楽しく過ごす。以上」
 ルイスはむっとして、それでも食事をするために席に着いた。
 近頃ベンが変わった。
 今まではもっと感覚的に、漫然とルイスと一緒にいたようだったのに。
 兄ぶっているというか。妙に核心をついたようなことを言ったり。
 何より、ルイスのことを全部わかっていると言うようなのが複雑な気持ちだ。
 それだけルイスもベンに依存してしまっているのだろうか。
 ルイスは暗い気持ちのままサラダにかじりついた。



 しばらくして、ヘルマンから連絡が来た。
 前回から時間が経ってはいたが、同じ執務室で対面に座ると少し気が重い。そんなルイスに対してヘルマンはもういつも通りだった。
 ゲオルグが罪を認めた、と教えてくれた。
 取引のすべての筆跡が自分のものであること、サインを偽証し取引を行ったことを認めた。
 細かい動機や実行の流れなどはこれからということだが、おそらくほぼ単独犯であろうということだ。
「好機が重なった、と言っていた。すべてを企み実行したというよりは、何かの出来事に偶然便乗して、といった様子だそうだ。詳細はこれからだな」
 ファルト伯爵家の事件は、全くの冤罪だった。
 ヴェッターホーン公爵家の調査でそれが明るみになったとわかれば。
 ルイスは静かに、胸が高鳴るのを感じた。
 これでファルト家は再興できる。そうなればユリアは再びユリア・ファルトとなる。
 ――しかし、それ以上に収穫だったのは。
 ヘルマンがゆっくりと、言葉を選びながら、慎重に教えてくれた。
「ルイス。お前の母親が見つかった」
「母、親……」
 すぐにはぴんと来なかった。
「ずっと探していたんだが、今まで全く手がかりがつかめなかった。ゲオルグが商会の管轄地にかくまっていたらしい」
「ゲオルグが?」
「とりあえずこっちに移送中だ。会話はできるようだが、かなり貧しい暮らしをしていたようで療養が必要とのことだ」
 そういえば、この調査のはじまりは親のことを知りたいというところだった。
 自分を生んですぐ姿をくらました母親。
「――大丈夫か」
 ヘルマンの声にはっと我に返る。
「こちらに来てはいるが、会えと言っているわけではない。私の方で事情は聴取するつもりだが、どのタイミングで会うかは、ゆっくり決めたらいいと思っている」
「――何か、その人に関してわかったことは」
 ヘルマンが口を開こうとしたところに重ねた。
「ううん、いいや。ゲオルグがかくまっていたというところからして……聞くまでもないよね」
 キャロル・ヴィザード。三十八歳。
 ルイスが知っているのはそれが全ての人。
「まだ何もわかっていない」
 ヘルマンの声が遠くに聞こえる
「ルイス。憶測で思い詰めるな。――難しいだろうが」
 わかっている。
 こうして、まだ何もわかっていないのに教えてくれたのはヘルマンの気遣いだ。
 まだ子供だからと全部落ち着いてから教えてもいいのに、後から知ったルイスがどう感じるか、よくわかっていくれてる。
「――話したい」
「そう言うと思っていた。話せるようになったらすぐに知らせる」
「ありがとうございます」
 思考がまとまらず、少し黙ったままになってしまった。ヘルマンは静かな、いつもの優しい声で言った。
「とりあえず、冤罪が晴れたことを喜ぼう。今年中には整理して爵位奪還がなるように動くつもりだ」
「そんなに早く……」
「優秀な補佐官に頑張ってもらおう」
「リアにも……」
「そうだな。喜ぶだろう。もう少し詳細がわかったら、一緒に話そう」
 喜ぶだろうか。爵位のことはそうだとしても……。
「ルイス」
 ヘルマンがもう一度優しく呼ぶ。
「まだわかっていないことを考えても仕方ない」
 ルイスは力なくうなずいた。
「面倒なことは私たちに任せて、とりあえずゆっくりしていなさい」
「うん。お願いします……」
「お前の努力の成果だ。私も誇らしく思う」
「僕は全然……」
「去年の冬からずっと調査していたのはルイスだろう?自らの手で爵位を取り戻したんだ。もっと自慢に思いなさい」
「それは、公爵様が助けてくれたから」
「手を貸しただけだ。お前がやると言わなかったら、今もまだ真実は明らかになっていなかっただろう。これほど早く進んだのはお前の成果だ。よく頑張ったな」
 ヘルマンに言われるとホッとするような気がする。
 実感はわかないが、これで収束に向かったのだと言われているようだった。
 ――終わり。
 そう思うと、ルイスは不思議な感覚だった。
 爵位を取り戻せるのは確かに嬉しい。胸が熱くなる気がしてそっと押さえる。
 自分が目指していた結果はこれだったんだろうか。
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