行商人

猫森満月

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後編:神の血肉

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 疑念は、やがて確信に変わった。私はその夜、万能薬を飲んだ住民たちを見張ることにした。午前二時。時計の針がその時刻を指した瞬間、まるで糸で引かれるかのように、彼らが家から一人、また一人と姿を現した。田中のおばあさんも、山田のおじさんも、皆、生気のない虚ろな目で、同じ方向へ、夢遊病者のように歩き始めた。

 私は息を殺し、彼らの後をつけた。一行が向かったのは、集落の外れにある、今はもう使われていない古い神社だった。境内に入ると、彼らは円陣を組んで座り込み、地の底から響くような、不気味な歌を歌い始めた。それは、人間の声帯から発せられているとは思えない、不協和音の連続。聞いているだけで、脳の芯が痺れるような感覚に陥る。

 歌が終わると、住民たちは亡者のように立ち上がり、境内の地面を素手で掘り始めた。爪が剥がれ、指から血が流れても、誰一人としてその手を止めようとはしない。

「……何をしているんだ!」

 たまらず姿を現した私に、住民たちは、ぎ、ぎ、ぎ、と錆びついたブリキ人形のように、一斉に振り返った。その顔を見て、私は息を呑んだ。彼らの目は、完全に白濁し、瞳というものが存在しなかったのだ。

「お前も、来い」

 田中のおばあさんが、低い、男のような声で言った。普段の彼女からは想像もつかない、威圧的な響き。白い目の住民たちが、じりじりと私を取り囲むように、距離を詰めてくる。

「石井様が、お待ちだ」

 その時、神社の本殿の闇から、ぬらり、と人影が現れた。石井さんだった。だが、その姿は、私が知る好々爺のそれとは似ても似つかぬ、異形の何かに変貌していた。

 背丈は三メートル近くまで伸び、手足は蜘蛛のように細長く、関節があらぬ方向へ曲がっている。顔は歪に引きつり、口は耳元まで大きく裂けていた。そして、その全身からは、まるで陽炎のような、黒いオーラが立ち上っている。

『よくぞ参られた』
 石井だったものが、異界の声で言った。

『あなたも、我らの仲間になりませんか?』
「あなた、一体何者なの……!?」
『私は、古き神に仕える者。この地に封印されし御方を、永き眠りからお目覚めさせるために参った』

 住民たちが掘った穴から、どろりとした黒い液体が、まるで脈打つように湧き出していた。あの万能薬と、全く同じ色と粘度の液体。

「万能薬の正体は……」
『御方の、聖なる血肉。これを飲んだ人間は、その魂を捧げ、神の忠実なる僕となるのです』


 戦慄が、背骨を駆け上がった。この集落の人々は、知らず知らずのうちに、邪神の生贄にされていたのだ。

『さあ、あなたも、この聖杯をお飲みなさい』

 石井だったものが、万能薬の瓶を差し出す。白い目の住民たちが、私に掴みかかってきた。人間のものとは思えない怪力で押さえつけられ、裂けた口が、無理やりこじ開けられる。

 その時だった。ゴオオオン、と、どこからか神社の鐘の音が鳴り響いた。夜明けを告げる音だ。すると、石井だったものの姿が、陽炎のように揺らぎ始めた。住民たちも、糸が切れたようにその場に崩れ落ちる。

『……時間切れ、か』
 怪物は、心底悔しそうに呟いた。

『だが、儀式はもうすぐ完成する。次の新月の夜、御方は完全に復活なされるだろう』
 その姿は霧のように掻き消え、後には意識を失った住民たちだけが残されていた。

 翌日、警察が駆けつけたが、住民たちは昨夜のことを何も覚えていなかった。それどころか、「石井」という行商人の存在そのものが、彼らの記憶から完全に消し去られていた。

「行商人? さあ、この集落には、もう何年もそんな人は来てませんよ」
 田中のおばあさんは、不思議そうに首を傾げた。

 万能薬の瓶も、石井のトラックも、全てが幻だったかのように消えていた。ただ、神社の境内には、確かに深く掘られた穴だけが、おぞましい真実を物語るかのように、ぽっかりと口を開けていた。

 私は、一人でその穴を埋めた。だが、次の新月が、刻一刻と近づいてくる。
 私は、この集落を出ることに決めた。だが、逃げたところで、本当に意味があるのだろうか。石井のような存在は、きっと、日本のどこか他の場所でも、同じことを繰り返しているに違いない。

 もし、あなたの住むのどかな町に、見知らぬ行商人が現れたなら、どうか注意してほしい。
 その穏やかな笑顔の裏に、人ならざるものの貌が隠されているかもしれないのだから。
 そして、どんなに素晴らしい効能を謳っていても、決して、得体の知れない薬に手を出してはいけない。

 それは、神の血肉かもしれないのだから。
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