生贄姫は一本の簪(かんざし)で鬼を殺す

猫森満月

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第13章 代償の炎

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「ぐあぁぁっ!」
 さくらの体は、頼重(よりしげ)の振るった剛腕によって、紙屑のように吹き飛ばされた。
 背中を岩壁に強打し、肺から空気が絞り出される。
「かはっ……!」
「虫ケラが……! 鬼に勝てるとでも思ったか!」
 異形と化した頼重が、ズシン、ズシンと地響きを立てて迫ってくる。その体からは、おみつに刺された傷の治癒を早めるためか、不気味な蒸気が立ち昇っていた。
 さくらは霞(かす)む視界で、瓦礫(がれき)の下に倒れているおみつを見た。
「お……おばあ、ちゃん……」
 這(は)うようにして近づく。おみつは、大量の血を吐き出し、すでに虫の息だった。
「さくら……様……」
 おみつのしわがれた手が、震えながら伸び、さくらの泥だらけの頬に触れた。
「申し訳……ございません……。あやを……守れなかった……あなたを、巻き込んだ……」
「ええんや……喋ったらあかん……!」
「どうか……」
 おみつの瞳から、最後の光が消えようとしていた。
「あの子を……孫を、成仏(じょうぶつ)させて……やって……ください……。この、呪われた火を……消して……」
「……!」
「頼み……まし……た……」
 ガクッ、と。
 おみつの首が力なく垂れ、その手がさくらの頬から滑り落ちた。
「おばあちゃん……? おばあちゃん!」
 返事はない。ただ、見開かれた瞳が、虚空を見つめているだけだった。
「……う……うぅ……」
 さくらの喉(のど)から、嗚咽(おえつ)が漏れる。
 また一人。自分の目の前で、人が死んだ。
「フン、くだらん」
 頼重が、さくらのすぐ背後まで迫っていた。
「老いぼれ一人の命など、塵(ちり)にも等しい。さあ、次は貴様の番だ。その若く新鮮な血を寄越(よこ)せ!」
 頼重の鉤爪(かぎづめ)が、さくらの頭上から振り下ろされる。
 だが、さくらは動かなかった。
 恐怖で動けないのではない。
 おみつの死体を前に、さくらの腹の底で、何かが冷たく、鋭く、固まったのだ。
(許さん)
 さくらは、おみつの腰帯に差さっていた鞘(さや)から、血濡(ちぬ)れの短刀を抜き取った。
 第12章で、おみつが頼重を刺した刃(やいば)だ。そこには、頼重のドス黒い血がべっとりと付着している。
「——うらぁぁぁっ!」
 さくらは、獣のような咆哮(ほうこう)と共に、左へ転がって爪を回避した。
「なっ!?」
 岩盤が砕ける音。その砂煙の中から、さくらは弾丸のように飛び出した。
 狙うは、逃げ場のない出口ではない。
 燃え盛る、あの「鬼火(おにび)」の祭壇だ。
「そこへ行ってどうする! 自ら焼かれに来たか!」
 頼重が嘲笑(あざわら)う。
 だが、さくらの脳裏には、あやの言葉が鮮明に響いていた。
『鬼火は、契約者の血を好む』
『炎に血を捧げ、核(かく)を砕(くだ)くの』
 さくらは右手に母の簪(かんざし)、左手におみつの短刀を握りしめ、祭壇の縁(ふち)に飛び乗った。
 眼下では、暴走した炎が地獄の窯(かま)のように渦巻いている。熱波で眉毛が焦(こ)げ、肌がチリチリと焼けるようだ。
「来い! 頼重ェ!」
 さくらは叫んだ。
「貴様……! 私の火に近づくなァァァ!」
 頼重が激昂(げきこう)し、祭壇へ跳躍してくる。
 その巨体が空中に踊り出た瞬間。
「……さくらちゃん」
 時間が、止まったように感じられた。
 さくらの背中に、冷たく、しかし懐かしい感触が重なった。
 あやだった。
 あやの亡霊が、さくらの体に覆いかぶさり、その手を、さくらの手と共に握りしめた。
(——一緒(いっしょ)に)
「うん……!」
 さくらは頷(うなず)いた。一人ではない。あやも、おみつも、母ちゃんも、みんながついている。
 頼重の爪がさくらの顔面を捉える寸前、さくらはあやの霊力に導かれるように、人間離れした速度で懐(ふところ)へ潜(もぐ)り込んだ。
 そして、右手の簪を、頼重の右目——残っていた最後の目玉に突き立てた!
「ギャアァァァァァァッ!!」
 視界を奪われ、頼重がのけぞる。
 その隙(すき)を、さくらは逃さなかった。
「これで……!」
 さくらは左手の短刀——頼重の血を吸った刃を振りかぶった。
 狙うのは頼重ではない。
 頼重の背後で燃え盛る、鬼火の「中心」だ。
 だが、届かない。
 炎の中心にある「核」——黒く脈打つ石のような塊(かたまり)は、炎のあまりの熱量に守られている。
 普通に近づけば、全身が灰になる。
「……代償(だいしょう)」
 あやの言葉がよぎる。
『最後の、捧げ手が要る』
 さくらは、迷わなかった。
 自分の体の一部を、薪(まき)にする覚悟。
「——持っていけぇぇぇぇッ!!」
 さくらは、短刀を握った左腕を、肩まで、躊躇(ためら)いなく紅蓮(ぐれん)の炎の中へと突き出した。
 頼重の血がついた刃ごと、鬼火の核へ!
 ジュッ!!!!
「あ……ぐ、ぎゃあああああああああッ!!!」
 想像を絶する激痛。
 皮膚が瞬時に炭化し、肉が煮え、骨が焼ける。
 脳髄(のうずい)が白く飛ぶほどの苦痛。
 それでも、さくらは離さなかった。
「死ね……! 消えろ……! 消えてなくなれェェェ!」
 焼ける腕に渾身の力を込め、短刀の切っ先を、炎の中心にある黒い核へ突き立てる。
 カァンッ!
 硬質な音が響き、核にヒビが入った。
 そこへ、刃に付着していた頼重の血が流れ込む。
 瞬間。
 世界が白一色に染まった。
 ドォォォォォォォォォォン!!!!
「な……な、何をしたァァァァ!? 私の……私の命がァァァァ!」
 頼重が絶叫する。
 契約の核が破壊され、暴走したエネルギーが逆流したのだ。
 頼重の巨体が、内側から発光し、ボロボロと崩れ始めた。
「嫌だ……死にたくない……私は……まだ……!」
 百二十年の妄執(もうしゅう)が、灰となって剥(は)がれ落ちていく。
「助けてくれ……死にたく……な……」
 頼重の手が、救いを求めるようにさくらへ伸びたが、その指先から塵(ちり)となって崩れ去った。
 巨大な鬼の体は、断末魔と共に黒い砂となり、暴風にさらわれて消滅した。
 同時に、祭壇の炎が、爆発的な閃光(せんこう)を放って四散した。
 衝撃波がさくらを吹き飛ばす。
「うぁっ……!」
 さくらの体は床に叩きつけられ、数メートル転がって止まった。
 静寂(せいじゃく)が訪れた。
 轟音(ごうおん)が去り、残ったのは、崩れ落ちる天井の岩音だけ。
「はぁ……はぁ……っ……」
 さくらは、薄れゆく意識の中で、仰向(あおむ)けに天井を見上げた。
 青白かった鬼火は消え、天井の穴からは、ただ美しい朝の光が差し込んでいる。
「……終わった……んか……」
 起き上がろうとして、体が傾(かたむ)いた。
 違和感に、左側を見る。
「……あ」
 ない。
 さくらの左腕は、肘(ひじ)から先が焼失し、黒く焦げた袖(そで)だけがぶら下がっていた。
 激痛は通り越し、今はただ、焼け火箸(ひばし)を突っ込まれたような痺(しび)れだけがある。
「痛(いた)い……」
 涙が滲(にじ)んだ。
 だが、その涙を拭(ぬぐ)うように、優しい風が吹いた。
 光の中に、あやが立っていた。
 血染めの白無垢ではなく、生前の、村で会った時のような美しい着物姿で。
 そばには、おみつも寄り添っている。
『ありがとう、さくらちゃん』
 あやが微笑んだ。その笑顔は、もう亡霊の哀しいものではなく、太陽のように明るかった。
『これで、私も……みんなも、還(かえ)れる』
 おみつが、深々と頭を下げた。
『さくら様……本当に……』
 二人の姿は、朝の光に溶けるように、ゆっくりと薄れていく。
「あやちゃん……おばあちゃん……」
 さくらは、残った右手で空(くう)を掴もうとした。
『生きるんよ、さくらちゃん。強く……』
 その声を最後に、光の粒となって二人は消えた。
 城全体が、大きく揺れた。
 崩壊が始まる。
「……たけし……!」
 さくらは、歯を食いしばって立ち上がった。
 失った左腕を押さえ、ふらつく足で、瓦礫の山を越えていく。
 まだ、死ねない。
 弟が待っている。
 さくらは、朝日に照らされた崩壊する祭壇に背を向け、地上への道を歩き出した。
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