追放された悪役令嬢は、極寒の辺境で料理の腕を振るう〜醤油とみりんを開発したら、氷の辺境伯様と領民の胃袋を掴んでしまいました〜

緋村ルナ

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第8章:氷の騎士の胃袋を掴め!

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「陽だまり亭」の噂は、風に乗ってあっという間に町中に広がっていった。元公爵令嬢が作る、摩訶不思議で、とてつもなく美味しい料理。その噂は、ついにこの地を治める領主、レオンハルト・フォン・ベルクの耳にも届くこととなる。
 ある日の昼下がり、いつものように訪れた人々へ料理を振る舞っていると、店の入り口がにわかに騒がしくなった。見ると、立派な鎧に身を包んだ騎士たちが数人、店の前に立ちはだかっている。その中心にいるのは、紛れもなく、あの「氷の騎士」レオンハルトその人だった。
 彼の登場に、店内にいた客たちが途端に静まり返り、緊張した空気が流れる。
「領主様が、なぜこのような場所に……」
 誰かがそう呟いた。
 レオンハルトは、店内を冷たい灰色の瞳で一瞥すると、まっすぐに私の方へ歩み寄ってきた。
「君か。近頃、領民を騒がせているという料理人は」
 その声は相変わらず冷たく、感情が読めない。彼は私の活動を「騒がせている」と表現した。やはり、厄介事だと捉えているのだろうか。
「騒がせているつもりはございません。ただ、皆さんと美味しいものを分かち合っているだけですわ」
 私は毅然として答える。ここで怯んではいけない。
 レオンハルトは私の言葉にふん、と鼻を鳴らすと、空いていた席にどかりと腰を下ろした。
「噂の料理とやらを、私にも食わせてみろ。領内の治安を預かる者として、得体の知れないものを領民に広められては困る。まずは、私が毒見をしてやる」
 毒見。なんという言い草だろう。けれど、これはチャンスだ。この氷の騎士様の、凝り固まった偏見を打ち砕く絶好の機会。
「かしこまりました。最高の料理をご用意いたしますので、少々お待ちくださいませ」
 私はにっこりと笑い、厨房へと向かった。エマが「お嬢様、大丈夫でしょうか……」と心配そうに付き添ってくれる。
「大丈夫よ、エマ。腕によりをかけて、あの氷の騎士様の胃袋を掴んでみせるわ!」
 私がこの日のために用意したのは、とっておきのメニューだった。醤油もどきに、市場で見つけた甘い果実を煮詰めて作った「みりん風調味料」を加え、甘辛い特製のタレを作る。そのタレで、丁寧に下処理をして柔らかくしたロックブルの肉を、ことことと煮込むのだ。日本の家庭料理の王様、「角煮」である。
 そして、もう一品。この世界では、穀物は固粥にするか、粉にしてパンにするのが主流だ。しかし、私は前世の知識を活かし、丁寧に研いだ白米を、絶妙な火加減でふっくらと炊き上げた。炊きたての白米の、つやつやとした輝きと甘い香り。これだけでもご馳走のはずだ。
 とろとろに煮込まれたロックブルの角煮と、湯気の立つ炊きたての白米。それらを、シンプルな木の器に盛り付けて、レオンハルトの前に差し出した。
「お待たせいたしました。ロックブルの角煮と、白米でございます。どうぞ、お召し上がりください」
 レオンハルトは、目の前に置かれた料理を訝しげに一瞥した。特に、彼が今まで見たこともないであろう、ふっくらと炊かれた白米に興味を引かれたようだ。
 彼はまず、角煮をフォークで刺した。その瞬間、彼の眉がぴくりと動く。あれほど硬いはずのロックブルの肉が、いとも簡単にほろりと崩れたからだ。
 彼はその肉片を、半信半疑といった様子で口に運んだ。
 その瞬間だった。
 レオンハルトの冷たい灰色の瞳が、驚きに見開かれた。彼の動きが、完全に停止する。口の中に広がる、甘辛く濃厚な味わい。舌の上でとろける、柔らかな肉の食感。そして、後から追いかけてくる、醤油とみりんの複雑な風味。それは、彼が生まれてこの方、一度も体験したことのない、衝撃的な美味しさだった。
 彼は言葉を失ったまま、今度は白米を一口。米本来の優しい甘みが、角煮の濃厚な味をふわりと受け止め、さらなる高みへと昇華させる。
「……なんだ、これは……」
 ようやく絞り出した声は、かすかに震えていた。
 それからの彼は、我を忘れたように、ひたすら角煮と白米を交互に口へ運び続けた。普段の冷徹な「氷の騎士」の姿はどこにもない。そこにはただ、美味しい料理に夢中になる一人の男がいるだけだった。
 あっという間に皿を空にしたレオンハルトは、しばらくの間、空の器を呆然と見つめていた。やがて、彼はゆっくりと顔を上げ、初めて私を「料理人」として、まっすぐに見た。
「……アリア、と言ったか」
「はい、辺境伯様」
「この料理……お前が、考えたのか」
「はい。私の故郷の料理を、こちらの食材で再現したものです」
 レオンハルトはしばらく黙り込んだ後、静かに立ち上がった。
「……美味かった」
 それだけをぽつりと呟くと、彼は代金だと言ってテーブルに銀貨を数枚置き、何も言わずに店を出て行った。
 彼の背中を見送りながら、私は勝利を確信して、にやりと笑った。
 氷の騎士の胃袋は、確かに掴んだ。彼がこの味を忘れられず、再びここを訪れることになるのは、もはや時間の問題だろう。
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