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第2章:泥だらけの公爵令嬢と、無愛想な熊さん領主
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ガタガタと揺れる馬車がついに止まった時、私はぼろきれのようになっていた。高熱は峠を越えたものの、体は鉛のように重い。
「着いたぞ。降りろ」
御者のぶっきらぼうな声に促され、よろよろと外に出る。
目の前に広がっていたのは、想像を絶するほど荒涼とした風景だった。ごつごつとした岩肌が剥き出しの山々に囲まれ、地面はひび割れ、まばらに生えている草は枯れかけている。「忘れられた谷」の名は伊達ではないらしい。
そんな私の前に、一人の男が立っていた。熊、と見紛うほどの大男。背は高く、肩幅も広い。日に焼けた肌に無精髭を生やし、黒い髪は無造作に伸ばされている。年は三十歳前後だろうか。その琥珀色の瞳は、値踏みするように私を上から下まで見つめていた。
「俺がここの領主代行、レオンだ。お嬢様が新しい厄介者か」
その声は、低く、地を這うようだった。
「……リナ・アーシェットです。本日より、ここでお世話になります」
精一杯の気力を振り絞って挨拶をしても、レオンと名乗った男は鼻を鳴らしただけだった。彼の背後には、数人の村人たちが遠巻きにこちらを眺めている。その目にあるのは、好奇心と、明らかな侮蔑の色。まあ、そうだろう。きらびやかな王都から追放されてきた、見るからに線の細い公爵令嬢。何の役にも立たないお荷物だと思われて当然だ。
案内されたのは、村の隅にある小さな掘っ立て小屋だった。今にも崩れそうなそれを住居としてあてがわれ、わずかな食料を渡された。
「達者でな」
それだけを言い残し、レオンはさっさと背を向けて去っていく。
一人きりになった小屋の中で、私は深呼吸した。
『よし、やるか!』
佐藤凛子の記憶が、私に力をくれる。まずは、この土地の視察からだ。
翌日から、私は行動を開始した。着飾るためのドレスを動きやすいように裾をまくり上げ、髪を布でまとめ、谷を歩き回った。
村人たちは、泥まみれで地面に這いつくばる私を、奇異なものを見る目で眺めている。
「何やってんだ、あのお姫様は」
「土でも食う気かね」
そんな陰口が聞こえてくるが、気にしてなんていられない。
『ふむふむ、土はかなり痩せてる。酸性に傾きすぎてるみたいね。でも、水はけは悪くなさそう』
私は前世の知識を総動員して、この土地の可能性を探っていた。谷を流れる小川の水は澄んでいて綺麗だし、日当たりも悪くない。問題は土壌そのものだ。
「まずは、土壌改良ね!」
私は鍬を借り(もちろんレオンに怪訝な顔をされた)、小屋の裏の一区画を耕し始めた。公爵令嬢が鍬を振るう姿は、さぞ滑稽に見えただろう。初日は豆だらけになり、全身が筋肉痛で悲鳴を上げた。
けれど、私は諦めなかった。落ち葉や枯れ草、家畜の糞などを集めては積み上げ、発酵させて堆肥を作る。川辺で見つけた石灰質の石を砕いて土に混ぜ込み、酸度を調整する。
毎日毎日、来る日も来る日も、私は泥だらけになって土と格闘した。
そんな私の姿を、レオンはいつも遠くから、何も言わずに見ていた。彼の琥珀色の瞳に浮かぶ感情は、相変わらず読めない。
ある日のこと、私が堆肥をかき混ぜていると、ズン、と大きな影が落ちた。見上げると、レオンが腕を組んで立っていた。
「……何をしている」
「見ての通り、畑を作っているのよ。まずは土からね」
私が汗を拭いながら答えると、彼はふいと視線を逸らした。
「無駄なことだ。この谷でまともな作物が育ったことなど、ここ数十年ない」
「やってみなければ分からないでしょう?」
私がにっこり笑うと、彼は少しだけ驚いたような顔をした。そして、無言で私の隣にしゃがみ込むと、私が作った堆肥を一掴みし、その匂いを嗅いだ。
「……これは」
「いい感じで発酵してるでしょ?ミミズもたくさんいる。良い土になる証拠よ」
私の言葉に、レオンは何も言わずに立ち上がると、どこかへ行ってしまった。
(やっぱり、無駄だと思われちゃったかな)
少しだけ落ち込んでいると、数分後、レオンが戻ってきた。その手には、私が使っていたものよりずっと立派で、使いやすそうな鍬が握られていた。
「……こっちを使え。その安物では埒が明かん」
ぶっきらぼうにそれを地面に突き立てると、彼はまた無言で去っていく。
その後ろ姿を見ながら、私は心の中でそっと微笑んだ。無愛想な熊さん領主様も、ほんの少しだけ、私を認めてくれたのかもしれない。
その日から、村人たちの視線も、ほんの少しだけ変わった気がした。
「着いたぞ。降りろ」
御者のぶっきらぼうな声に促され、よろよろと外に出る。
目の前に広がっていたのは、想像を絶するほど荒涼とした風景だった。ごつごつとした岩肌が剥き出しの山々に囲まれ、地面はひび割れ、まばらに生えている草は枯れかけている。「忘れられた谷」の名は伊達ではないらしい。
そんな私の前に、一人の男が立っていた。熊、と見紛うほどの大男。背は高く、肩幅も広い。日に焼けた肌に無精髭を生やし、黒い髪は無造作に伸ばされている。年は三十歳前後だろうか。その琥珀色の瞳は、値踏みするように私を上から下まで見つめていた。
「俺がここの領主代行、レオンだ。お嬢様が新しい厄介者か」
その声は、低く、地を這うようだった。
「……リナ・アーシェットです。本日より、ここでお世話になります」
精一杯の気力を振り絞って挨拶をしても、レオンと名乗った男は鼻を鳴らしただけだった。彼の背後には、数人の村人たちが遠巻きにこちらを眺めている。その目にあるのは、好奇心と、明らかな侮蔑の色。まあ、そうだろう。きらびやかな王都から追放されてきた、見るからに線の細い公爵令嬢。何の役にも立たないお荷物だと思われて当然だ。
案内されたのは、村の隅にある小さな掘っ立て小屋だった。今にも崩れそうなそれを住居としてあてがわれ、わずかな食料を渡された。
「達者でな」
それだけを言い残し、レオンはさっさと背を向けて去っていく。
一人きりになった小屋の中で、私は深呼吸した。
『よし、やるか!』
佐藤凛子の記憶が、私に力をくれる。まずは、この土地の視察からだ。
翌日から、私は行動を開始した。着飾るためのドレスを動きやすいように裾をまくり上げ、髪を布でまとめ、谷を歩き回った。
村人たちは、泥まみれで地面に這いつくばる私を、奇異なものを見る目で眺めている。
「何やってんだ、あのお姫様は」
「土でも食う気かね」
そんな陰口が聞こえてくるが、気にしてなんていられない。
『ふむふむ、土はかなり痩せてる。酸性に傾きすぎてるみたいね。でも、水はけは悪くなさそう』
私は前世の知識を総動員して、この土地の可能性を探っていた。谷を流れる小川の水は澄んでいて綺麗だし、日当たりも悪くない。問題は土壌そのものだ。
「まずは、土壌改良ね!」
私は鍬を借り(もちろんレオンに怪訝な顔をされた)、小屋の裏の一区画を耕し始めた。公爵令嬢が鍬を振るう姿は、さぞ滑稽に見えただろう。初日は豆だらけになり、全身が筋肉痛で悲鳴を上げた。
けれど、私は諦めなかった。落ち葉や枯れ草、家畜の糞などを集めては積み上げ、発酵させて堆肥を作る。川辺で見つけた石灰質の石を砕いて土に混ぜ込み、酸度を調整する。
毎日毎日、来る日も来る日も、私は泥だらけになって土と格闘した。
そんな私の姿を、レオンはいつも遠くから、何も言わずに見ていた。彼の琥珀色の瞳に浮かぶ感情は、相変わらず読めない。
ある日のこと、私が堆肥をかき混ぜていると、ズン、と大きな影が落ちた。見上げると、レオンが腕を組んで立っていた。
「……何をしている」
「見ての通り、畑を作っているのよ。まずは土からね」
私が汗を拭いながら答えると、彼はふいと視線を逸らした。
「無駄なことだ。この谷でまともな作物が育ったことなど、ここ数十年ない」
「やってみなければ分からないでしょう?」
私がにっこり笑うと、彼は少しだけ驚いたような顔をした。そして、無言で私の隣にしゃがみ込むと、私が作った堆肥を一掴みし、その匂いを嗅いだ。
「……これは」
「いい感じで発酵してるでしょ?ミミズもたくさんいる。良い土になる証拠よ」
私の言葉に、レオンは何も言わずに立ち上がると、どこかへ行ってしまった。
(やっぱり、無駄だと思われちゃったかな)
少しだけ落ち込んでいると、数分後、レオンが戻ってきた。その手には、私が使っていたものよりずっと立派で、使いやすそうな鍬が握られていた。
「……こっちを使え。その安物では埒が明かん」
ぶっきらぼうにそれを地面に突き立てると、彼はまた無言で去っていく。
その後ろ姿を見ながら、私は心の中でそっと微笑んだ。無愛想な熊さん領主様も、ほんの少しだけ、私を認めてくれたのかもしれない。
その日から、村人たちの視線も、ほんの少しだけ変わった気がした。
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