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第一章 喪失

【一】悪夢(弥助)

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「よかった!左京もここに居たんですね?それなのに何故師匠は…どうしてこんなことに……」

『……弥助よ、勘違いをするな…。…ワシと戦っておった敵、それこそが、今お前の目の前に立っておる左京じゃ……敵は身内に潜んでおったのじゃ……。殿や国を裏切り、今まさに姫を連れ去ろうとしておる。まさか左京が…油断してこの有り様じゃ……』

…師匠は何を言っているのか?左京が裏切者?頭の中は混乱しており二人が放つ言葉を正確に理解することができない…。左京の腕に抱えられ動きを封じられた姫様、大量の血を流し瀕死の状態の師匠、目の前の光景は確かに左京が犯行に及んだことを示すものばかりである…。

「…左京?師匠の言った事は…本当なのか?それならば何故!何故にこの様な裏切りを…?」

”何故?お前の様な甘ちゃんに話しても理解できるはずもないが、冥土の土産に少しだけ話してやろう。我々忍は、国を影で支える闇の職務。俺も真面目に、仕える主君の為にと命をかけて職務を全うしてきたつもりだ。しかしある日、一人の男と出会い考えを改めたのだよ。主君に尽くして何か報われることがあるか?良いようにこき使われて終わりではないか。だから俺はこれから、己の為だけに生きる事にしたのだ。わかるか弥助?この国の天才と謳われた師匠でさえも老いには勝てず己の弟子の刃にかかり、この無様な有り様だ。師匠も己の為に生きておれば、この様な最期を迎える事もなかったと思わぬか?弥助よ?”

恐怖に怯えた姫を脇に抱え、得意気に話しを始めた左京に違和感を覚える。俺の知っている左京はこんなにも饒舌な人ではなかった。もしかして幻術にでも掛けられているのではないか?…仮にそうであったとしても、己の師匠を手にかけ、主君を殺めた上に姫を連れ去ろうとしている行為は、断じて許されることではない。

「…左京、俺にはお前の言っている言葉が到底理解出来ぬ。どんなに甘いと思われようが国を裏切り殿や奥方、姫を裏切るような奴は俺の敵だ!……俺は今からお前を切り一刻も早く、この忌々しい夜を終わらせる!……覚悟いたせ!!」

俺が大きく振り下ろした渾身の刃は、左京の額をかすめ、真っ赤な血が一筋流れ落ちた。

”わっはっはっはっ!弥助よ、やはりお前の刃は、師匠をも越える素晴らしさよ。姫を抱えた状態で今、お前と戦っても俺に勝ち目は無さそうだ。ここは一旦引くとしようぞ!弥助よ、いずれまた、お前の目の前に姿を現す日が来るであろう。その時まで己の生き方を熟慮するが良い。考えを改めるつもりがなければその時は、今宵の続きを楽しもうではないか!さらばだ、弥助!それから世話になったな、哀れな師匠よ…。”

そう言うと、俺が動くより一瞬早く左京は煙幕を放ち、煙の中へ姫と共に姿を消した。

「…師匠!大丈夫ですか?申し訳ございません。左京を倒すどころか、姫までも奪われる始末…。腹を切って報いなければなりません。」

動脈を斬られたのであろう…師匠の体の下には血溜まりができ、目の焦点も既にあっていない…。助かる見込みは…ないだろう…。


『…弥助…今はその時ではない。……姫を守る事が出来なかったのは…ワシも同じじゃ。…弥助よ、良く聞くが良い。…姫は奪われてしもうたが、今すぐに殺すつもりはないはず…。姫を無事に奪い返し、一緒にこの国を建て直すの……じゃ、お主にならきっとでき…る。』

途切れ途切れに話終えると、豪快に血を吐きぐったりとしてしまった師匠。
まだ脈はあるが、殆ど虫の息というところ。
師匠の頭を膝に乗せて止血を試みるも最早手遅れ…。そして師匠は最後の力を振り絞り話し出した。
 
『…弥助よ…お主も気づいておろうが…ワシはもう助からぬ…弥助…お前はワシの自慢の弟子じゃ…ワシを越える忍はお前しか居らぬ…あの出来損ないを倒し…この国…姫を何としても守るのじゃ……お前にこれを…渡しておこう…姫を探しだし、一緒にこの地図に書かれてある山へと向かえ……行き詰まった時は…酒蔵へ…この国最強の男が…かなら…ず力を貸し…てくれるはず──────』

「師匠?師匠ー!!!」


”この先ワシが例え目の前で息絶えたとしても、お前は心を無にしてしっかりと任務を遂行しなければならない、弥助よ、強い男になるのじゃ。それが忍びとしての覚悟というもの、心を抑えるということは人間という生き物にとって一番難しいことではあるがな。体は勿論であるが、とにかく心を鍛えるのじゃ”

負けては泣き、拗ねては困らせていた幼少期に師匠に言われた言葉を思い出し自分を奮い立たせようとするも、魂が抜け骸となってしまった師匠の姿を前に思うように動かない身体。

バチッバチバチ
燃え盛る炎の音に加え、原型を留めておけなくなった木材が鈍い音を立てながら崩れ落ちていく音があちらこちらから聞こえてくる。
この部屋が炎に包まれるのも時間の問題か…
姫様を連れ去られた挙句、足元には最後まで命を賭して己の役目を果たそうとした、師匠の亡骸が転がっている…まさに地獄絵図…

「俺は、何も護れなかった…」

呟いてみるも、先程まで返事をしてくれていた師匠はもうこの世にはいない。
何でこんなことに…
俺が左京の変化に気づいていれば…
後悔の念が身体中を蝕み、自分の人生もここで終わりにしてしまおうかという感情に飲み込まれそうになる。気がつくと部屋は黒煙に支配され、先程までとは比べものにならない程の熱さが体を襲う。煙を吸い徐々に遠のいていく意識。

あぁ…俺の命もここで終わりか…
俺も師匠のところへ行っていいのか?
目を閉じてしまおうとしたその時、師匠の腰の辺りで光る物を見つけた。

…ん?これは…師匠がいかなる時も、肌身離さず常に一緒に居続けた三日月…か?

その刀を手に取った刹那、
頭の中に声が聴こえた気がした。
”馬鹿者、早く逃げるのじゃ!!”

ふと我に返り思考を巡らせる。
ダメだ!俺までこんなところで
死んでしまっては姫様はどうなる?
そもそもこれは左京が引き起こした悲劇。
地の果てまでも追いかけて、落とし前をつけてやらねば師匠も浮かばれない。
不思議ではあったが、三日月に触れたことで俺の中の負の気が無くなり、自分がやるべき道がはっきりと見えた気がした。

師匠より託された地図と師匠の愛刀三日月を体に身につけると、師匠の亡骸を抱え城を脱出し裏山へと向かった。
白亜の城として雄大な姿を見せていた暁城は苦しみの声をあげるように燃え盛り、新月の夜に崩れ落ちようとしていた。
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