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第四章 内偵

【三十】救済(奥方)

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私があのお方”安倍晴明様”と出会ったのは、弥助と弥生の兄妹が城へと引き取られる少し前のことだった。中々子宝に恵まれず国の未来を考え、養子を取るか…はたまた”殿にそろそろ側室をもうけたほうがいいのではないか?”という助言を各方面から頂いていた頃。

その頃の私は既に若くなかった事もあり、若い側室が城に来て簡単に子宝に恵まれてしまえば自分の立場はどうなってしまうのだろう?子も産めぬ女など要らぬ!と城から追い出されてしまうのではないかという恐怖に日々怯え精神を蝕んでいた。

ある日、気晴らしに城を抜け出し気持ちを落ち着けようと辿り着いた湖で導かれるように私の元に突然現れた晴明様。

『突然のお声掛け失礼致します。貴方は相当にお疲れのようだ。私はしがない占い師、良ければ貴方の苦悩の行く末を占ってさしあげましょうか?当たらなければ周りで見張っているあの方達に切り捨てるよう命じてもらって構いません。』

そう言うと、私が返事をするよりも先に私の手を取りじっと瞳を覗き込むように見つめ何やらブツブツとまじないの様な言葉を呟いている。
そして、手を離したかと思うと下を向いて泣き出した晴明様に呆気にとられたのをよく覚えている。

「あ、あの、どうかなさいましたか?」

訊ねた私に、涙を拭い占いの結果を伝えてくれた晴明様。その内容は、私のことなど何も知らないはずなのに、苦悩全てを言い当てていた。そしてその内容を自分の事のように受け止め心を痛めて涙を流してくださった姿を見た私は、悩みすぎて考える事を放棄していたこれまでの自分を省み、助言を素直に聞き入れようと思えたのだった。

その日からというもの月に数回、殿の許しを得て晴明様は城へと来て下さるようになった。最初は晴明様の事を怪しんでいた殿も、心穏やかになった私を見て、晴明様が城にとっても必要な人間だと感じたようであった。そして、晴明様の助言を遂行するようになってすぐ、今まで悩んでいた事が嘘のように私は妊娠した。この人が居るだけで、助言を与えてくれるだけで、私の人生は全てうまくいく。いつからか私は伴侶であるはずの殿の言葉よりも、晴明様の声を重視するようになった。

そして世継ぎが産まれた後に起こった決定的な出来事、二人共を世継ぎとして大々的に育てたかった私と違い、殿は体の弱かった左京を見捨てようとしたのだ。その出来事から私の心は次第に殿から離れ、晴明様を求めるようになった。

晴明様の言うことに間違いはない…
そう思って生きてきたが、今回の事は本当に間違っていなかったのか…?伴侶であったはずの殿を見殺し、関係の無い城で従事する者たちや護衛の忍達を見捨て自分だけ生き延びた…私の決断によって失われた命が元に戻ることは無いというのに…。

「晴明様!晴明様!!私は間違っていないのよね?教えて!お願い、お願いします…」

何処かの宿へと連れて来られた私は一人になると自分が起こしてしまった出来事を思い出し、平静でいることが難しくなっていた。護衛の忍達が落ち着かせようと近寄ってくるが、違う!違うのだ!お前達ではどうにもできない!!と半狂乱になり、部屋の物を投げつけ滅茶苦茶にして抵抗した。

『クシナ様、ご機嫌はいかがですかな?』

この声は…私が今最も会いたかった人…

「晴明様!!」

突然、求めていた人の声が聞こえ、鼓動が速くなるのを感じた。急いで部屋を出ると、人目もはばからず晴明様の懐に飛び込んだ。

『おやおや、クシナ様、そんなに慌ててどうなされたのですか?酷く心が乱れておるように見受けられる…なんと可哀想に…。私がついておりますぞ?安心してくださいね?』

抱きしめられた刹那、背中に添えられた晴明様の手の部分から温もりを感じた。今まで抱え込んでいた罪悪感が消えてなくなり、心が穏やかになっていくのを感じる。

『貴方は本当に心の優しい方ですね、貴方が己を攻め、心を痛めることは何もないのですよ?分かりますか、我が愛しきクシナ様…。これで邪魔者はいなくなったのです。貴方の可愛い子供達と一緒に余生を楽しむ、これ以上の幸せがありますか?』

「…はい、晴明様…仰る通りですわね。これで貴殿と子供達と一緒に暮らせるのですから…これ以上の幸せはありませぬ。」

『それでよいのです、クシナ様。この先の貴方の未来は明るい、それ以外の道は見えませぬ。さて、宿で少しお休みください。』

そうだ、私には晴明様がいる…この方についていれば私は大丈夫だ。晴明様の温もりを感じた私はいつの間にか深い眠りに落ち目が覚めた時には朝を迎えていた。
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