すくいや

Green hand

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それぞれの思い

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西島の車が走り去る音を耳にしながら、裕貴は居間へ行く。
カリビトの出現で夕食を食いっぱぐれてしまったういろうが、台所に立ち、切った鶏肉とカボチャを茹でている老婆の背中をジッと見つめている。
出来上がったそれを、あっという間に平らげて間もなく、疲れが押し寄せてきたういろうは、庭が見渡せ、外の音を捉えやすい窓際に体を横たえ、手足を投げ出して眠る。
そんなういろうの背後で、裕貴は老婆と軽食をとりながら、店に現れたカリビトについて老婆から情報を得る。

「まぁ、それで運良くあたしゃ難を逃れたワケさ。」

「ふーん・・・。」

「なんだい、不服か?」

「いや、無事で良かったよ。ただ、崖の話を誰から聞き出してカリビトさんは来たのかと思ってさ。」

「蒼汰はどうだ。」

「無い。俺に不思議な力がある事を知って、父さんから1度崖の話を聞いたけど、母さんにも蒼汰にも、絶対に誰にも洩らしちゃいけないって言われて、ずっと守ってきた。森戸家の人間で、力を持つ者だけが知っていればいいって言ってたから、力を持たない蒼汰の耳に入ることはないよ。」

「ほう。雅紀も相変わらずだな。家庭内でも秘密厳守か。」

「そうなると、やっぱり今まで崖を訪れたことがある身捨ての誰かが情報源って話になる。」

そう言いながら、裕貴はポケットからスマホを取り出す。そして、画面を見て舌打ちする。

「チッ、おっせーなアイツ・・・。」

「まぁ、カリビトの話が嘘じゃなきゃあ、蒼汰は無事だ。というより、カリビトの方が迷惑がってるようだが。」

「カリビトさんが、蒼汰の顔を公表して、自分の代わりに犯人に仕立て上げようとしたと分かったら、アイツならとことん追いかけまわすかも。やられたら、やり返す。昔教えたから。」

「ほう。良い兄貴だ。」

「ただ、うちの弟は素行が悪い。やってない事で警察に捕まっても、叩かれたら別の埃が出てきて都合が悪くなるはず。だから、カリビトさんに余計しつこくつきまとってる可能性はある。まぁ、両者自業自得だけど。」

「あの、まん丸くて可愛らしかった蒼汰がなぁ・・・。一体誰に似たんだろうね。」

「・・・・・・・。」

「・・なんだい、その目は。」

「別に。ところでさ、蒼汰の顔で接触してきたって言ったけど、よく分かったね。最近会ってないはずだけど。」

「去年お前さんが来る少し前だったか、顔を見せに1人で来たことがあったんだよ。」

「へえ~、珍しい。実家出てから1度も帰ってねぇのに。なんで?」

「ん?秘密だ。」

「なんで。」

「秘密は秘密さ。とにかく、蒼汰の顔はその時拝んだから知ってたんだよ。はぁ・・まさか蒼汰があんな風になるなんてねぇ。」

「ククっ、見違えた?」

「見違えたもくそもねぇ。あんなに痩せてチャラチャラしやがって。おまけに耳に幾つも穴空けてんだぞ。」

「昔が太りすぎてたんだよ。皆で甘やかしてどんどん美味いモン食わすから。今ああなってんのは、その反動だよ。」

「確かに、原因の1つではあるかもしれん。だが、性根は腐ってない。血の気は多いが、義理堅い。良い弟をもったな。裕貴。」

「まぁね。いざって時は頼りになると思う。でも、あまりこっちには関わらせたくない。」

「優しい奴だからな。昔から。」

裕貴は返事を返さず、老婆が淹れておいてくれたお茶を啜る。

「話戻すけど、カリビトさんはなんで蒼汰の顔を模して被害者の前に現れるようになったのかな。権三さんの情報によると、基本犯人の特徴はバラバラで特定出来ないのに、数人には蒼汰に結びつくよう同じ風貌を見せた。蒼汰に直接的な恨みでもあるのかな。そんな事しないで、今まで通り特徴をバラバラにしておけば、蒼汰につきまとわれる事もなかったろうに。」

「さぁて・・・どういうつもりなんだろねぇ。」

そう言って、老婆はふと視線を窓の外に向けながら、カリビトの言葉を思い返す。

[オレに言わせれば、あんたも最低だよ。お婆さん。]

「・・・・・・・・。」

裕貴には、カリビトが老婆の前科を知っていることは伏せた。そして、裕貴はまだ老婆の本当の罪を知らない。

「・・奴は愉快犯だ。人が死ぬのを見て楽しんでいる上に、あたしの前で蒼汰の顔を模して見せたことで、あたしの反応を窺って笑っていた。大方、お前さんに会いに来たのも、同じように反応を見たかっただけかもしれん。」

「それもある。でも大筋は違う。」

「・・だな。おそらく、お前さんに会いに来たのは・・・。」

「俺を、[すくいや]を殺したいからだ。」

「ああ。だが、あたしも[すくいや]だ。殺さなかった理由は。」

「もしかしたら、恐れてるのかも。まだ俺達がどんな力を持っているのか知らないから。笑いは、喜びを表すものだけど、恐れを隠す手段でもあるからね。」

「そのくらいはあたしなら見抜けたはずだ。」

「でも、相手は顔を隠せる。その上、孫の顔を見せられて動揺してれば気づけないよ。俺だって蒼汰の顔をした全くの別人を目の当たりにしたら動揺する。でも、カリビトさんは負けた。お婆ちゃんの迫力に負けて、どんな力を持っているのか見極める事が出来なかった。それに、たとえお婆ちゃんを殺せたとしても、俺や蒼汰が逆上してどんな手を打ってくるか分からない。未知の力が自分に向けられるってのは、誰でも怖いものだからね。」

「・・なるほど。確かに、奴は慎重で計画的だ。おまけに、自分の手を汚すのを嫌っている。今回は相手を見定めに来ただけって可能性は充分有り得るな。」

「なら、[分かる]までは殺さない。殺せない。」

「臆病モンってなぁ、かえって質が悪いね。だったら、分かる前にこっちが手を打つまでだ。」

「あ、何か作戦あるの?」

「いや。今は無い。」

「なんだ。まぁ、情報が少ないもんなぁ~。」

「蒼汰と連絡がつけば、何か糸口が見つかるかもしれないと、あたしはふんでるんだがね。」

「・・なんか、俺ら探偵みたい。」

「謎を解いたって1銭も入ってこねぇ探偵なんざ御免だよ。特別手当てでも請求するか。」

「いいね。」

「それより裕貴、1つ気になるんだが。」

「なに。」

「あたしらに敵意を示すモンを、何故さん付けで呼ぶんだ?」

「んー・・お婆ちゃんは会ったけど、俺はまだ会ってないし。敵意があろうと、俺にとってはただの他人だから。」

「ほう・・・。」

「・・変かな。」

「そうだな。だがまぁ、お前さんらしい。」

そう言って笑い、老婆は座布団を折り曲げて横になる。

「さ、少し休んどこうや。本部が帰ったら営業再開だ。」

「了解。」

裕貴も座布団を折り曲げて、お膳を挟んで川の字で横になる。

「お婆ちゃん。」

「ん。」

「俺らの仕事って、そんなに表に出しちゃまずいのかな。本部には[すくいや]の存在は伏せてるんだろ。」

「・・それが、御上の判断さ。表沙汰にしない方がうまくいくし、穏便に済むってな。因みにあたしらは、村長から頼まれて代々務めている。表向きはあの掬い屋の主人と店員。巡査達は、警察庁のある御上から任命を受けていて、表向きは村の駐在員。西島は、SP引退後に村長と縁のある元上司から声がかかり今の仕事を。表向きは、役場の事務員だ。噂じゃあ、この御上同志が密に繋がっていて、その上この村の出身者だとか。」

「うわ・・・。」

「ただの噂だ。話半分に聞いとけよ?この仕事を表沙汰に出来ないのは、正式な手続きをふんで存在する世間一般の仕事じゃないからだ。あたしらの仕事は、ある数人の御上達の独断で、必要な手続きをふまずに存在する特殊な仕事。堂々と表立って人を救うボランティアや、事件を捜査する刑事にはなれんが、間違いなく善行だ。何も恥じる事はねぇ。」

「それって、ひい爺ちゃんの時から?」

「崖の話はもっと昔からあったらしいが、すくいやはそうだよ。その前は、宮司があの崖を守っていたって言ってたな。」

「・・何かスゲぇ話になってきた。聞いといてなんだけど、今度聞かせて。今日はもう容量オーバー。」

「あいよ。よく休みな。」





『それぞれの思い』

翌日朝、若い巡査と交代して老婆と裕貴が自宅へ戻ると、数時間後訓練所の美代子がやって来た。

「美代子、すまなかった。」

「すいませんでした。」

家の庭で、老婆と裕貴は美代子に向かって綺麗に頭を下げる。
美代子は慌てふためいて、2人に頭を上げるようお願いする。

「ちょちょちょ、ちょっと2人ともどうしたんですか!?」

「昨夜、大事なういろうに、酷いストレスを与えてしまった。」

「えぇ?そうなの?ういろう。」

ういろうは、美代子の足下でお座りして、ただただ舌を出して笑っている。

「あの・・実は昨夜、店に指名手配犯が現れて、ういろうが祖母を守ってくれたんです。俺、その時店にいなかったので、ういろうには本当に感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいで・・・。本当にすいませんでした。」

「・・ねぇ、裕貴くん。獣医の目で見てちょうだい。ういろう、どこか悪そう?」

「・・・いえ。」

「だったら大丈夫。この子は保護犬だけど、人が思ってるほど弱くないの。確かに聴導犬として育成してきたけれど、それ以前にこの子は犬よ。昔から人と暮らしてきた、ご先祖の血が流れている。だから、大事な人と認めた人を守るのは、訓練の成果でも義務でもなくて本能。この子が守りたいからやったことなんだから、銀子さんやあなたが気に病むことないわ。ただ、良い事した時は、心の底から褒めてあげればそれでいいの。」

そう言って、美代子はういろうの全身を思いっきり撫でる。すると、ういろうは千切れんばかりに巻き尾を振り回す。

「ほら、ね?こんなに嬉しそうでしょ?」

「はい・・・。ありがとうございます。」

美代子はういろうを抱き上げて、銀子さんに真剣な眼差しで声をかける。

「あの、もしボディガードが必要なら警察犬を派遣しましょうか?」

「いや、それには及ばんよ。人間同志のいざこざに、動物を関わらせたくない。あんたの気持ちだけ、戴いておくよ。」

「・・・そうですか。分かりました。説得しても聞かないですもんねぇ、銀子さんは。」

「物分かりが良くて助かるよ。話が早く済む。」

「でも、少しでも気が変わったらすぐに連絡して下さいね?お仕事がお仕事なんだし、内心こっちは心配でたまらないんですから。裕貴くんもよ?ね?」

「了解です。」

裕貴は返事をして、自然な笑顔を見せる。それを見て、美代子の目尻が下がる。

「あら?ちょっと昨日よりイケメンになってなぁい?やだぁ~!もうおばさんメロメロにしてどうすんのよぉ~!」

美代子は嬉しそうに裕貴の二の腕をパシッと平手打ちする。
裕貴の笑顔は瞬時に営業スマイルに変わり、二の腕のヒリヒリした痛みを誤魔化した。
それからすぐに、美代子はういろうを連れて帰っていった。

「・・さて、これでいつものコンビに戻ったな。」

「だね。」

「蒼汰から連絡は。」

裕貴はスマホを確認する。

「昨夜LINEが入ったきりだよ。電話しても繋がらないし、折り返しも無い。」

「ほう、いい根性してんな。と、言いたいところだが、こりゃあ・・何かあるな。」

「[俺は無事。店が落ち着いたら連絡するから、連絡不要。]アイツにしちゃあ簡潔過ぎる。余程取り込み中なのかもしれないけど、あの店は、アイツがいなくても営業に支障は無い。あったとしても、アイツに出来ることは無い。人当たりが良い分人材は集まるが、俺と違って手先は器用じゃない。」

「ああ、昔から不器用だったな。だが信じるか?もし心配なら行ってもいいぞ。こっちにゃお巡りが付いとる。」

「いや、大丈夫。連絡を待とう。」

そう言って、裕貴はスマホをポケットにしまう。

「留守電に、安否確認をしたいと入れたワケじゃないし、カリビトさんの名も出してない。にもかかわらず、[俺は無事]って蒼汰は書いた。きっと、俺が何故連絡を入れたのか分かってるんだと思う。」

「状況を知る蒼汰以外の人間が蒼汰の携帯から送った可能性は。」

「・・無いとは言いきれないね。それ
、お婆ちゃんの勘?」

「いや、柄にもなく仮説をたててみた。仮説はやめだ。信じると決めたなら信じよう。」

2人は家に入り、午後からの営業のためにそれぞれの部屋で休息をとる。
しかし、あまり休めなかった。


その頃、崖の見張り番である若い巡査を朝のうちに帰し、見張り番を強引に引き継いだ権三は、私服姿で閉店中のカウンター席に座り、自身の携帯電話で1本の電話をかけていた。

「よぉ。どうだい、調子は。」

「どうも、権三さん。そっちの様子はどうです?」

「ああ、やっと一息つけるよ。銀さん達も無事だ。心配ない。」

「あの野郎、何処から嗅ぎつけたんでしょうねぇ?」

電話相手の男は、込み上げる怒りを声色で権三に伝える。警察の情報管理能力を疑っているのを察しながら、権三は平然と告げる。

「今のところ、人伝による情報流出が濃厚だな。」

「それで、何か手掛かりは?」

「本部に連絡したら、形式上やって来て鑑識を入れた。指紋も爪も髪の毛1本すら何っも出て来ねぇし、銀さんの話じゃ男は指名手配のカリビトの似顔絵に似た顔をしていたと。それに顔を明かす前は、口以外黒いモヤがかかって、顔が見えなかったらしい。奴は、不思議な力を持っている。」

「関係ねぇよ。どんな力があろうと、卑怯な犯罪者は捕まえて刑務所へぶち込む。そうだろ?権三さん。」

「・・ああ、そうだ。約束は覚えてるか?」

「もちろん。見つけたら生け捕りにしてあんたに引き渡す。しかしその年で、まだ手柄が欲しいの?権三さんは野心家だな。」

「ああ、そうさ。これを片づけるまでは・・・まだ終われんよ。」

権三は苦々しそうに眉間に皺を寄せる。

「こっちはこれから[オレ]に会ったことがある元自殺志願者と会ってきます。警察が知らない被害者だから、何か聞き出せるかも。」

「分かった。あまり派手に動くなよ?今回の件でお前が捕まっても、ワシにはどうすることもできん。何せ、指名手配犯の似顔絵に似た顔を持つ男だからな。」

電話相手の男は、シャツの袖口をいじる。
応答が無いのを気にして、権三は問いかける。

「おい、聞いてるのか。蒼汰。」

「ちゃんと聞いてますよ。これは、今までお世話になった権三さんへのお返しですから。うまくやります。」

「ああ・・・頼む。」

権三は電話を切り、小さな待ち受け画面の画像をしばらく見つめ、パチンっと閉じて内ポケットにしまう。

一方、蒼汰はスマホを黒いデニムのポケットにしまい、目の前のテーブルにあるグラスに口をつける。

「これうまっ!」

大きな声が、静かな開店前のBARに響き渡る。小さいながら、都内に構えるこの店は、蒼汰の店だ。
カウンターの向こうの厨房で仕込み作業中の、細身で青白い肌の若い女性が蒼汰に微笑む。

「試作品。徹夜に効くでしょ。目の下ヤバいよ。」

「やるねぇ~彩ちゃん!これメニューに入れようよ!」

蒼汰は、大きな口を開けて笑顔で彩に勧める。店では、笑顔を絶やさない事に決めている。

「いやここBARだし。こんなOLの朝みたいな健康ジュース売れねぇし。」

「そうかなぁ?逆に有りじゃねー?」

「それより、最近よくこの時間来てるけどどうしたの?アタシらに任せっきりで全然顔見せなかったのに。」

「まぁ一応これでもオーナーだから?従業員の様子もチェックしなきゃなぁって・・・。」

「また厄介事背負い込んだな。」

「・・・ん~・・あはははっ。」

「・・あのさ、アタシが言えた義理じゃねぇの百も承知で言うけど、ちょっとお人好しにも程があるよ。弱い者イジメは最低だけど、犯罪者相手に喧嘩売ってたら、その内その細長い身
滅ぼすよ。」

「大丈~夫。引き際は心得てるし、彩ちゃんが作った飯食ってりゃ成人病とは無縁だし。」

「アタシは家政婦か。引き際って・・・オーナーいくつ?」

「28。」

「え?アタシと5歳違うだけ?じゃあ分かんねぇな。まだまだ人生甘く見てるっしょ。」

「いやぁ~そんな事ないけどなぁ~!」

蒼汰が笑いながら言うと、彩はスッと冷めた表情を見せる。

「何そのリアクション。褒めてねぇし。はぁ・・・ほっとけない質なのは知ってるけど、いい加減危ない事やめなよ。マジで。」

「ありがと、彩ちゃん。」

蒼汰はグラスの中の健康ジュースを飲み干し、席を立つ。

「ごちそうさま。これ、皆でメニュー入り検討してみてよ。時代は健康志向!あとオレの夕食いつもの所によろしく。」

「もぉ~・・・刺されても知らねぇぞ!」

「そん時は、この店頼むよ。彼氏と一緒に、ヒュ~っ!」

「真面目に聞けや!」

彩の怒鳴り声を背に、蒼汰は店を出てドアを閉めた。すると、外で待ちぶせていた若い男が蒼汰に近寄る。眉毛は無く、筋肉質の強面の男だ。
蒼汰は、口角を上げてニヤついたまま動じない。蒼汰の前に立つと、男は勢いよく頭を下げる。

「おはようございます!」

「うぃ~す。で?どこにいんの。」

「昼間はここで働いてるそうです。」

そう言って、男は大きな手を開いてスマホを出現させ(手がでかいので隠れていただけ)、マップを見せる。

「ふ~ん、運送会社か。俺と違って真面目に働いてんだぁ。その住所オレに送って。お疲れさん。」

蒼汰は男肩を叩いて、通り過ぎる。

「オレも行きます!」

「駄目だよ。声でかいし、体でかいし、目立ちすぎじゃん。」

「う・・・すんません。」

「何でよ?マジ助かったって。サンキュー。中に彩ちゃんいるから、何か食わしてもらえよ。」

「はい。ではお気をつけて!」

「行ってきまーす!」

蒼汰はヒラヒラと手をふって、人混みに消えた。





遡ること去年の春。
蒼汰は村へ十数年ぶりにやって来た。
山に自生する桜は満開を迎えていたが、毎年集落に花見客などは来ず、村は静かなものだ。
蒼汰は記憶を呼び起こしながら、愛用のバイクで林道を上がり、老婆の家へやって来た。

「あ?誰だお前ぇ。」

久しぶりに会った祖母は、蒼汰と気づかずガンをとばした。
蒼汰は苦笑いを返して、手をヒラヒラと振る。

「久しぶり~婆ちゃん。オレ、蒼汰。」

「・・蒼汰?」

「そうそう。良かったぁ~!婆ちゃん元気そうじゃん。」

「・・・うちは貧乏だ。詐欺なら他あたんな。」

老婆は勢いよく扉を閉めた。

「ん・・サギ?」

感動の再会とはいかず、蒼汰は門前払いをくらった。
その後、何とか扉を開けてもらい、蒼汰の話を聞いて老婆はやっと理解してくれた。が、胡散臭そうに上から下まで蒼汰を観察する。

「ほう・・・。なんとまぁ、変わり果てやがったな。」

「なかなかイケメンになったっしょ~?脂肪とはおさらばしたんだ。ほら!」

そう言って蒼汰はシャープな頬を両手でペチペチ音を立てて叩いてみせる。

「体も鍛えてるし。見る?」

「結っ構だ。あたしの好みじゃねぇ。」

「え~せっかく痩せたのになぁ。」

「それより、今まで音沙汰無しで何の用だい。」

「あ・・そうだよな。まずは、ごめん。」

蒼汰は老婆に頭を下げる。

「今までずっと顔見せなかったのに、急にノコノコやって来て・・・。実は、ちょっと困っててさ。」

「ほう、あたしを頼りに来たのか。そりゃあ高くつくぞ。」

「分かった。兄貴を助けてくれたら、何でもする。」

「裕貴を・・・?」

老婆は、蒼汰の真剣な目を見て、深刻さを察し、

「・・じゃ、店ぇ遅れると伝えにゃあな。」

「店・・まだやってんの?」

「年寄りの道楽さ。ほれ、さっさと入んな。」

家へ招き入れた。蒼汰は救われたような笑顔を見せ、

「うん!お邪魔しま~す!」

促されるまま入っていった。

蒼汰は話を終え、バイクに跨がり老婆の家をあとにした。林道を下り、本道へ出て更に道を下っていく。行きには気づかなかったが、左カーブを曲がりきった右手に崖に通じる道を見つけた。
蒼汰は何となくその道へ入り、古い店の前にバイクを止めて、ヘルメットを外して、崖からの景色を眺めに行く。
荒波が岩にあたり、下から飛沫が上がる。
それを浴びながら、気持ち良さそうに目を細め、蒼汰は海を眺める。

「おい。」

その時、背後から男に声を掛けられ、蒼汰は振り返る。

「こんにちは。もしかして、あの店のご主人?」

「いや、違う。」

男は憎々しい表情を浮かべて、蒼汰を睨む。

「・・・どこかで見た顔だな。」

「え?オレ知らないけど。人違いじゃないっすか。」

「お前が知らなくとも、ワシは知っとる。」

「・・・・・・・?」

男は懐から拳銃を取り出し、蒼汰へ銃口を向ける。

「指名手配犯の、カリビトだな。」

蒼汰はその名に反応し、溜め息をつくと、静かに両手を上げる。

「もう一度言っとくけど、人違いだよおじさん。オレもソイツには手を焼いてんだ。」

「悪いが、ただのジジイじゃねぇ。警察だ。」

男は警察手帳を見せる。そこには、権三の名が記されている。
蒼汰は、万事休すといった表情で舌打ちする。

「チッ・・・マジか。」

「まずは、ご同行願おうか。」

「・・ふぅ。オッケー大丈夫、大人しく付いてくよ。こっちも、疑いを晴らしたい。それと、オレの話を信じてくれたら、カリビトについて知ってることは話す。」

「ッ・・・この期に及んで・・・。」

権三は拳銃を震えるほど握りしめながらも、何とか平静を保ち、ポケットから手錠を取り出し、蒼汰に投げつけて手錠をはめさせる。
手錠姿を見て、権三の煮えくり返る腹がほんの少し鎮まる。

「いいだろう。どんなデタラメ抜かすか楽しみだ。行け。」

男は銃口を蒼汰に向け、蒼汰は手錠をはめた両手を上げたまま、ゆっくり歩き出す。2人は、互いにピリついた空気を漂わせて、店へと入っていった。



そして現在。
老婆と裕貴は、開店準備のため、店へやって来た。

「ん・・なんだ、ゴン。若造はどうした?」

「連日なんて珍しいですね。」

「明日は仲間と釣りに行くんでね。変わってもらったんだ。」

「見張りとはいえ、老体にゃあキツかろう。」

「そんな事言ってられんだろ~。銀さんがこうして頑張ってるってのによ。民間人を危険に晒しちまった。このままじゃ立つ瀬がない。今夜は一晩泊まらせてもらうよ。」

「あ?」

「え?」

老婆と裕貴は耳を疑う。

「まだカリビトが近くに潜んでいて、2人を狙っているかもしれんだろ。」

「・・・それで。」

「ん?」

「もしカリビトが現れたとして、あんたに何が出来るってんだ。」

「これでも警官の端くれだ。老いちゃいるが、多少の威厳は備えとるつもりだ。」

そう言って、権三はわざとらしく腰に両手をあててみせる。

「なぁにが威厳だぁ。睨みきかせてビビらせるだけだろ。」

「なんだと?」

「言っとくが、奴には効かねぇよ。かえって喜ばせるだけだ。」

「おぉ上等だ。死ぬほど喜ばせて笑い死にさせてやろうじゃねぇか。得意の腹芸でも見せてやる。」

「・・・・・・・。」

老婆は黙って権三の様子を窺う。その目を見て、厄介そうに頭を掻いて権三は目をそらす。
長い付き合いのせいで、老婆が何か察知したことに、表情や仕草で分かってしまう。
付き合いの浅い裕貴は、気にせず荷物を奥の部屋へ運び、仕込みをするため家から運んできた食材を持って厨房へ行く。

「・・ゴン、表出な。」

「何だい銀さん、おっかねぇな。決闘の申し込みか?」

「おっかねぇか?なら、何か探られちゃ困る案件抱えとる証拠だ。」

「んあ?ねぇよ~そんなモン。もう定年間際だ。何事もなく、無事職務を全うしたいだけだ。」

そう言って、権三はチラっと老婆を見て顔色を窺う。何か言いたげな表情をしている。

「・・泊まりてぇなら、宿代に開店準備くらい手伝え。」

そう言って、老婆は出入り口のガラス戸を開ける。

「・・へいへい。仰せのままに。」

素直に従い権三は席を立つ。やり取りを聞いていた裕貴が、カウンターへ顔を出す。

「いいよお婆ちゃん。俺やるから。」

「いや、じっと座りっぱなしだったからな。良い運動になる。気にすんな。」

権三はそう言って、老婆と共に外へ出た。

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